明晰夢工房

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なぜ水銀を飲むと不老不死になると信じられていたのか

水銀は毒物なのに、なぜか健康にいいなどとSNSで主張する人たちがいるらしい。ほとんどの人は相手にしない主張だが、かつて水銀の服用を推奨する書物『抱朴子』が、中国では広く読まれていた。この書物は道教の重要文献で、水銀を用いた「還丹」が神仙になるために必要と説いている。なぜ水銀を服用すれば不老不死になれると信じられたのか。神塚淑子道教思想10講』にはこう書かれている。

 

 

神仙になる方法として、葛洪が何よりも重要であると考えたのは、「還丹」と「金液」の服用である。還丹は丹砂(硫化水銀からなる鉱物)を熱して作ったもの、金液は金を液状にしたもので、環丹と金液を合わせて「金丹」という。(p65)

 

葛洪は『抱朴子』において、神仙になるためには水銀だけでなく、金を溶かしたものも飲む必要があると説いた。この両者の持つ性質が、不老不死になるために欠かせないと考えられていたからだ。

 

丹砂は、熱することでその色が朱色から白銀色へ、白銀色から朱色へという変化を繰り返すところから、そのようにして作られた丹薬は、還元の性質を持つと考えられた。一方、黄金は不変の性質を持つ。そこで、還丹金液を服用することで、人体はその還元・不変の性質を得ることができ、結果的に不老不死が実現できると考えられたのである。(P66)

 

葛洪の生きた四世紀の中国には、ある物質を体内に取り入れることで、その物質の性質を自分のものにできるという考えが存在した。このため、丹薬を服用すれば不老不死になれると信じられていた。しかし、実際には水銀化合物を含む丹薬は毒物なので、唐代には武宗のように丹薬を服用して命を落とす皇帝が出てしまった。このため、不老不死をめざす方法として、修練によって体内に丹をつくりだす「内丹」の法が盛んになっていく。

 

『抱朴子』が書かれたのが四世紀なのに、丹薬が毒になることが唐の時代まで知られていなかったのは不思議だ。材料の確保が難しいので、飲んだ人があまりいなかったのだろうか。唐は帝室が道教の祖とされる老子(李聃)と同じ姓を持っているため、道教を重んじていた。玄宗は鑑真の招聘を求める遣唐使に対し、道士を日本へ伴うことを求めた。使節はこれを断ったが、もし受け入れていれば日本に道教が広まっていたかもしれない。道教の神仙思想に覆われる古代日本がどんな文化を持つのか想像したくなるが、その場合は人々が丹薬で命を縮めるリスクも引き受けることになるから、やはり道教は受け入れなくて正解だったと考えたくなる。