明晰夢工房

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ソグド人は唐建国や玄武門の変にも関わっていた──森部豊『唐 東ユーラシアの大帝国』

 

 

ソグド人といえば、シルクロードで東西交易に従事した民族というイメージが強い。だが『唐──東ユーラシアの大帝国』を読むと、唐の政治・軍事にも深くかかわっていることがわかる。この本は突厥ウイグル契丹など周辺の民族もふくめ東ユーラシア全体の視野から唐一代の歴史を描く良書だが、今回はとくにソグド人と唐とのかかわりについてみていきたい。

 

本書の第一章では、隋唐革命成功の一因として、ソグド人の協力があったことを指摘している。唐の高祖・李淵は太原にて挙兵し、隋の首都大興城へと進軍したが、この進軍ルート上の介州にはソグド人のコロニーがあり、この地のソグド人が李淵の軍に従っている。さらに、李淵が大興城にはいると、原州(寧夏回族自治区固原市)のソグド人が駆けつけている。ソグド人は東ユーラシアにネットワークをはりめぐらし、隋末の群雄の中で誰が中国を安定させてくれるか見極めようとしていたが、李淵を選んだソグド人たちは正解を引き当てたことになる。

 

李淵の次男李世民は唐を代表する名君として知られているが、彼が兄李建成と弟李元吉を長安の宮城北門である玄武門にて殺害したのが玄武門の変だ。このクーデターの当日、ソグド人の安元寿は武装し、宮城の西門で宿営していたことも一章に書かれている。李世民はそれぞれの門に息のかかった軍将を配置していたが、その一人がソグド人だったのである。安元寿は秦王時代の李世民に右庫真(親衛隊)として仕えていた人物だったので、かなり信頼されていたようだ。唐初期から、ソグド人は皇族のそば近く仕え信用を得ていたことになる。

 

武則天の時代にもソグド人は活躍している。武則天のブレインとして活躍した人物に法蔵という僧がいるが、彼はサマルカンドに住んでいた祖先をもち、ソグドの血を引く人物だ。法蔵は華厳経学を集大成した人物だが、武則天は自分を支えるイデオロギーとして華厳経を必要としていたため、彼を重用した。長安の仏教界では唯識教学の勢力が強かったが、唐を否定した武則天唯識教学に頼ることができなかったのだ。武則天の時代には多くの仏典が翻訳されたが、この翻訳事業に参加した層の多くはコータンやトハリスタンなど中央アジア出身の「胡人」だった。法蔵だけでなく、この時期活躍した僧は中央アジアにかかわりのある人物が多かった。

 

そして、唐を滅ぼしかけた安禄山もまたソグドの血をひいている。本書の四章によれば、安禄山は「ソグド系突厥人(突厥に従属していたソグド人)」で、父がソグド人、母が突厥の名族阿史徳氏族のシャーマンだった。ソグド人のネットワークと突厥の宗教的権威を引きつぐ安禄山の元には、さまざまな集団が集まってくる。ソグド人はもとより、ウイグルに滅ぼされた突厥の王族や部族民、奚や契丹の首領と部族民、テュルク系の傭兵など、さまざまな者たちが安禄山の決起に希望を託した。

 

たとえば、ソグド商人をみると、幽州に住む商人と外から交易のためにやってきた商人とがいた。彼らは唐の統制から自由に交易をおこなう希望を、同じソグド人の血をひく安禄山に託していたのかもしれない。

突厥の王族や将軍は、ウイグルにほろぼされた故国の復活を夢みて、実力者であり阿史徳の血をひく安禄山をたよったのではなかろうか。唐の支配を長くうけてきた奚や契丹の首領と部族民は、安禄山と婚姻関係や仮父子関係をむすんだが、それはやはり、唐の支配からの完全離脱を求めていたからとみるのは、想像しすぎだろうか。ただ、安禄山がおこした「反乱」は独立運動というものであり、彼の個人的思惑だけでなく、まわりの環境が大きくかかわっていたという見方は、この動乱の本質を追求していくとき、重要な視点であろう。(p105-106)

 

安禄山の力量とソグド人のネットワークは、唐に代わる秩序を求めるさまざまな集団を結びつけ、反乱に参加させることができた。ソグド人は味方につければ心強いが、敵に回すと強大な唐帝国すらおびやかす力をもつこともある。ソグド人は唐代史前半のきわめて重要なプレイヤーであり、陰の主役ともいうべき存在だった。