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中公文庫『日本の歴史』の面白い巻をおすすめしてみる

古いながらもいまだに多くの人に愛読されている中公文庫『日本の歴史』シリーズ。日本史の入門書として紹介されることも多いし、実際に内容は充実しているのだが、この詳しさが逆にこれから手に取る人をたじろがせる原因になるかもしれない。もっと簡潔な日本史の概説なら岩波新書の日本古代史や日本中世史、近世史や近現代史のシリーズが刊行されているし内容的にもこちらが新しい。それでもなお、このシリーズは手に取るだけの価値がある。以下に、今まで読んだ巻の中から魅力的な部分をピックアップしてみる。

 

日本の歴史 (7) 鎌倉幕府 (中公文庫)

日本の歴史 (7) 鎌倉幕府 (中公文庫)

 

 

中公の日本の歴史が名著と言われるのは、それぞれの巻を当代一流の学者が執筆していて内容にも偏りが少なく、各時代の政治史や経済史、文化史までひととおり押さえていて読みやすさにも配慮されているからでもある。たとえばこのシリーズ中でも名著と言われる『鎌倉幕府』の冒頭はこうだ。

 

ちょうどこのころ、国府の南方10キロほどの北条の村あたりから、突然一隊の騎馬武者たちがあらわれた。身なりもととのわぬ田舎武者の一群だが、ヨロイカブトに身を固め、完全武装でしきりとやせ馬を急がせている。まっすぐ大路を北上して国府へ駆けさせるのかとみえた一隊は、原木の村をすぎ、牛鍬から東南の山麓へと曲がる小道をえらび、山木の村の南方、小だかい丘の上に立つ山木判官兼隆の館へと殺到した。

 

このくだりなど、ほとんど小説的ですらある。おそらく編集者がかなり読者が入り込みやすい文章にするよう配慮したのだろう。もちろん本書はずっとこの調子で書かれているわけではなく、東国武士の生活や経済基盤、国府との関係などアカデミックなこともきちんと書かれている。書物としての読みやすさと学問としての水準の高さを両立させた、概説書の一つの理想の姿がここにはある。これが、いまだにこのシリーズが版を重ねている理由のひとつだろう。

 

日本の歴史〈10〉下克上の時代 (中公文庫)

日本の歴史〈10〉下克上の時代 (中公文庫)

 

 

こういう特徴があるため、最新の学説が反映されていないという弱点はあるものの、このシリーズは安心して読める。『応仁の乱』『観応の擾乱』など、なぜか中世を扱った新書が人気の昨今だが、室町時代の混乱期を知りたい方におすすめなのは『下剋上の時代』だ。本書の冒頭に書かれているとおり、この時代には英雄は登場しない。しかし足軽のような庶民が戦場の主役になるなど、次なる時代への胎動は確実に感じられる。こういう時代の面白さは庶民の生活を知ることにある。

本書で強調されているのは、とにかくこの当時の庶民の生活は悲惨なものだったということだ。寛正の大飢饉では京中の餓死者が八万人にものぼり、地獄のような有様だった。人身売買も横行し、食い詰めた農民が自ら身売りする様子も書かれている。農村共同体から弾き出された流民も多く、路傍のいたるところに物乞いがいたことも史料に現れている。こういう時代の本が売れるのはどうしてだろうか。格差が広がり、少子化の進む社会をリセットするため室町期のような混乱への期待が高まっているのだろうか。それはわからないが、この時代にはある種の奇妙な魅力があることは確かだ。

 

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)

 

 

少し時代をさかのぼり、『南北朝の動乱』を読んでみると、戦闘方法の変化について興味深い記述がある。鎌倉時代とはちがい、この時代には歩兵が台頭している。鎌倉中期以降、畿内周辺に出現した悪党や溢者たちは多くの歩兵を抱えており、ゲリラ戦術を得意とした。足軽も戦闘員として活用されるようになるため、槍が武器として活用されるようになってくる。新田義貞が馬を射られて深田にはまりこみ最後を遂げたように、馬を射るということも普通に行われるようになってきたため、馬の動を保護する「馬甲」も登場している。戦いが射戦から接近戦に変わったため兜が深くなるなど、戦国時代の戦い方の萌芽がこの時代に見られる。このシリーズはとにかく記述量がおおいため、こういうことも余すところなく書いているのがいい。南北朝時代は政治史も面白いが、こういう社会の変化にも注目してみたい。

 

日本の歴史 (6) 武士の登場 (中公文庫)

日本の歴史 (6) 武士の登場 (中公文庫)

 

  

さらに武士の誕生までさかのぼってみると、ここには意外な武士の姿が描き出されている。江戸時代における「武士道」とは異なるものの、すでにこの時代に武士のあるべき姿というものが書物に登場していることがわかる。たとえば平維茂は藤原諸任を討ったとき、敵方の女性は辱めることなく、諸任の妻も保護したという。武士は勇敢であることが求められるだけでなく、女性に対し紳士的であることも名誉になる。このような武士の理想像を、本書では「日本の騎士道」と称している。これが理想として掲げられているからには武士の実像はこうでなかった可能性も高いが、そのような価値観が「武士道」が成立するはるか以前から存在していたということには興味を惹かれる。

 

日本の歴史〈11〉戦国大名 (中公文庫)

日本の歴史〈11〉戦国大名 (中公文庫)

 

 

戦国時代を扱ったこの巻はかなり本格的な内容といえる。武田信玄伊達政宗など各地の地方大名について一通り解説したのち、戦国大名の家臣団の構造や軍事力についても史料をあげつつ解説しているからだ。家臣団の構造は一番多く史料の残っている後北条氏のものを解説しているが、北条氏康の時代には五人の家老の旗指物が黄・赤・青・白・黒の五色に分かれていて「五色備」と呼ばれていたことも書かれている。軍記物や小説などの脚色ではなく、『小田原旧記』というきちんとした史料にこのことが書かれているというのだから面白い。この色の区別によって、氏康は遠くからでも自在に自軍を指揮することができたのだという。氏康が名将と言われる所以だ。軍役帳に明記されている上杉謙信の動員兵力が5400人程度であることなど、戦国マニアも満足できる情報も載せられている。プロが史料を駆使しつつ当時の戦争や社会を描き出す様子を読めるのが、歴史を学ぶ醍醐味だ。

  

日本の歴史12 - 天下一統 (中公文庫)

日本の歴史12 - 天下一統 (中公文庫)

 

 

地方の戦国大名を扱ったのが前巻だが、この間では織豊政権について扱う。古い時代の概説では本能寺の変はどう説明されるのかと思い読んでみれば、ここでは光秀と足利義昭との関係性について触れられていた。つまり、 義昭と信長を仲介する形で登場した光秀にとり、信長が義昭を追放してしまうと信長との関係性は微妙なものにならざるをえない、というのだ。信長は毛利を討伐する立場であり、その毛利は義昭を保護している。となると、光秀が旧主である義昭にまだ忠義を感じていたなら、信長との間に不和が生じるのも仕方がないかもしれない。光秀が天下への野心を持っていた可能性も指摘されているが、天正の武士が天下が欲しいと望むのは山があるから山に登るというのと同じようなものだ、とも書かれている。結局、光秀が本当に何を考えていたのかはわからない。呉座勇一氏によれば歴史家にとっては光秀の謀反の動機はそれほど重要ではなく、本能寺の変によって歴史がどう変わったかが重要であるそうなので、あまりこのあたりのことを突きつめて考えても仕方ないのだろうか。いずれにせよ、他の巻同様に内容は非常に詳しいので、織豊政権の流れを抑えるには使える一冊だ。

 

日本の歴史〈14〉鎖国 (中公文庫)

日本の歴史〈14〉鎖国 (中公文庫)

 

 

この巻は「世界史の中における日本」という位置づけの本で、戦国~江戸初期の日本と海外の交易やイエズス会との関わりなどが主な内容。よく、鎖国をしていなければ日本人はもっと海外へ雄飛していたといわれるが、実際のところどうだろうか。その可能性について考えるためのヒントが、本書の日本人町の章に書かれている。確かに東南アジア諸国には日本人町が存在し、山田長政のように多くの日本人が海外で活躍していたのだが、日本人の多くは故郷へ帰りたがり、また婦人を伴っていないため現地の女性と結婚していたそうだ。つまり、日本人の2世3世はすぐに現地人と同化してしまう。人口が圧倒的に多く日本移民をしのぐ勢いを持っていた中国人や、国家のバックアップを得て組織的に発展したヨーロッパ人移民のようにはいかない。当時の国際情勢を考えれば、鎖国していなくてもあまり日本人移民の将来に過大な夢を見ることはできなさそうだ。イギリス移民が北アメリカに根を張ることに成功した要因は家族ぐるみで移住したことにあるそうだから、やはりそこからして日本人とは違う。

 

日本の歴史〈18〉幕藩制の苦悶 (中公文庫)

日本の歴史〈18〉幕藩制の苦悶 (中公文庫)

 

 

平和な時代だが、『幕藩制の苦悶』も地味に面白い。いやむしろこのシリーズで一番面白いまであるかもしれない。天明の大飢饉から筆を起こしているのは、やはり幕府の衰退がこの出来事に起因するという見方からだろうか。菅江真澄の記録している飢饉の様子は実に悲惨なものなのだが、仙台藩のように米価が高くなるのに乗じて民を犠牲にしながら米を売って設ける藩まで出てきている。飢饉とは人災なのだ。一方、伊奈忠尊のような能吏が出て江戸の窮民を救っていた史実もあり、飢饉の害を放置して建築にうつつを抜かしていた足利義政の時代からは格段に進歩していることがわかる。

飢饉から打ちこわしが起き、世情が騒然とする中で老中の座についたのが松平定信だ。教科書的には「寛政の改革」と言われる改革の中身も、その実態を知ってみると興味深い事実がいくつも出てくる。女髪結や飯盛女までが風俗を乱すと禁止される中、民を監視するために市中に放った隠密が賄賂を取って取締をゆるめたりするため、隠密に隠密をつけることまで行われたという。性交すらも子孫を残すために必要だから行うだけ、というほどに禁欲的な定信時代の反動として化政文化の実りがあるのだとすれば、この堅苦しい人間性が江戸後期に与えた影響力は実に大きなものだったということになる。

  

日本の歴史〈19〉開国と攘夷 (中公文庫)

日本の歴史〈19〉開国と攘夷 (中公文庫)

 

 大河ドラマの影響で、やはりこの時代なら西郷の姿を探したくなる。本書では第一次長州征伐の軍賦役になった西郷にスポットを当てているが、結局西郷は長州藩とは戦わなかった。その理由として、若い頃に西郷が農政を担当していたことや、沖永良部島で島民の実情を知ったことがあげられている。戦争となれば莫大な費用が必要となり、その負担が農民にのしかかることを避けたということだ。ここで「戦わずして勝つ」ことを選んだ西郷の選択は民の立場を第一に考えた妥当な選択だったように思えるが、次巻においてはこうしたいかにも包容力に満ちた西郷とはまた別の西郷の姿が描かれることになる。

 

日本の歴史〈20〉明治維新 (中公文庫)

日本の歴史〈20〉明治維新 (中公文庫)

 

 

今年の大河ドラマ西郷どん』の時代考証を務める磯田道史氏は、ドラマ中でいずれ「ブラック西郷」が描かれることになると話していた。そんな西郷の一面が読めるのがこの巻である。「西郷の大陰謀」と題した章では西郷が徳川慶喜に対して仕掛けた策が詳述されているが、それが何かはドラマのネタバレになるのでここでは書かない(有名なことではあるが)。情に厚く、奄美大島への島津の苛政に怒っていた西郷でも敵に対してはこうも冷酷になれるのか、と思う場面だ。ドラマではまだただのお人好しを脱しきれいていない西郷がいつからこういう人物に変貌を遂げるのか、もドラマの見どころの一つになるだろう。

本書は西南戦争で幕を閉じるが、この本で紹介されている西郷の理想を見る限り、西郷と大久保の対決はほぼ不可避であったように思える。版籍奉還ののち、西郷が薩摩藩でおこなった藩政改革の結果は、下級士族による軍事独裁だった。農民の地位はなにも変わらず、かつてひどい搾取だと腹を立てた奄美大島での砂糖の専売もそのまま継続している。本書ではこのような西郷を「心情的にも政治思想的にも、下級武士の立場を基本的には脱却できなかった」と評している。西郷は薩摩の門閥の実験を奪うことには成功したが、それ以上の改革は望んでいなかった。結局、西郷にとっては郷中の仲間のような士族こそが大事だったということだろうか。士族の既得権を奪おうとする中央政府と、中央政府をも薩摩藩のように改革しようとする西郷とは、しょせんは相容れない存在だった。

余談になるが、この巻の古本に挟んであった小冊子には、著者と司馬遼太郎の対談が載っている。司馬遼太郎は当代一流の学者とも並ぶ知識人扱いされていたことがよくわかる。このことが現代の史家に「司馬作品と史実を混同しないで欲しい」と嘆かせる原因にもなっているのだが、こういうところから司馬遼太郎の影響力を知ることができるのは面白いものだ。

 

このシリーズを通して読んでいて感じるのは、日本史のスタンダードな概説を作る、という強い意志だ。一冊一冊が分厚いのは、政治史から経済史、文化史までこれさえ読めば一通り押さえられる、というものを目ざしていたからだろう。それだけに、どの巻も読みごたえがある。ここに紹介していない巻でも、興味のある時代の巻は一度手にとって見て欲しい。読んでみれば、このシリーズがいまだに読みつがれている理由がよくわかるのではないかと思う。