明晰夢工房

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【書評】御成敗式目を「歴史の覗き窓」として鎌倉時代を理解できる良書!佐藤雄基『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』

 

 

中世法は面白い!と感じられる一冊だった。これはすぐれた御成敗式目入門書であるだけでなく、この法を通じて鎌倉武士や地頭・女性・庶民の姿を浮かび上がらせてくれる良書だ。つまり、これを読めば鎌倉時代の社会がみえてくる。江戸時代や室町時代にくらべて今一つつかみにくい鎌倉時代のイメージが、本書を読むことで明確になってくる。御成敗式目は、鎌倉時代を知るための「歴史の覗き窓」でもあるのだ。

 

御成敗式目には、鎌倉時代の治安の悪さを実感できる条文が多い。たとえば、4章では「悪口の咎」について解説されているが、これは文字通り悪口=根拠のない誹謗についての規定だ。悪口を言うと、流罪か召し籠め(他の御家人への身柄預け置き)になるのだが、これは悪口への罰としては重過ぎるように思える。だがこれには理由があって、本書によれば悪口が喧嘩や殺人の原因になるからだという。喧嘩が日常茶飯事だったからこそ、武士同士の喧嘩をふせぐために悪口を厳罰に処す必要があったのだ。もっとも、著者は「喧嘩が日常茶飯事であった武士社会において、この条文通りに厳罰が科されたのかどうかは分からない」という。幕府の定めた法でも罰することができないほど、当時の武士は荒々しい存在だったのだろうか。

 

御成敗式目には庶民の女性の暮らしがわかる箇所もある。7章で解説されている三十四条の後半部分には「辻捕」という言葉が出てくる。これは路上において女性を捕らえ襲う行為だ。「辻捕」の加害者としてはおもに御家人とその郎従が想定されている。犯行現場は市場や寺社で、女性にとっては参詣すら一人でするのは危険だった。「辻捕」の罰は出仕停止や頭髪を半分剃る、というものだ。性犯罪に対して罪が軽すぎるように思うが、著者は「面子を重んじる武士にとって耐えがたいものだったかもしれない」という。やはり中世の武士の感覚は現代人には理解しがたいところがある。

 

庶民の暮らしのきびしさは、追加法二八六からもうかがえる。この法は親子兄弟の「人勾引」を問題視したものだが、「人勾引」とは誘拐して人買いに売る行為をさす。この時代、飢饉や貧困のため、弟や子供を人買いに売ってしまうのは日常茶飯事だった。「子供を売り払ってしまうのは親が生き残るためだけではなく、一家全滅を避け、子供が飢えから逃れるためでもあった」というから、中世社会は過酷だ。実は鎌倉幕府は、飢饉のときに限っては人身売買を認めていた。飢饉の際は朝廷は神仏に祈るだけだったが、幕府は人々の生存のため、身売りを容認せざるを得なかったのだ。もちろんこれは緊急措置であって、幕府は原則的には人身売買を禁止している。

 

治安の悪い話が続いたので、最後に救いのある話をひとつ紹介したい。地頭には百姓をこき使っているイメージがあるが、実は地頭が百姓を保護することもある。7章では、備後国の地頭が、「下向してきた代官たちが妻を帯同して百姓の家に住ませたり、百姓の妻を強姦するなどしている」として、荘園領主高野山に抗議する例を紹介している。この地頭は百姓の妻を犯したことが御成敗式目に反すると主張している。具体的には三十四条の他人妻密懐の規定だが、このように地頭が式目を利用して百姓を守ることもあった。地頭・御家人は百姓を搾取する存在でもあったが、領地経営をつうじて民を慈しむ「撫民」の精神も持ちはじめていた。その存在が地頭=御家人の在り方まで変えていくところにも、御成敗式目の面白さがある。