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野心は一代で達成しなくてもいい
妻子を置いて城から逃げ出しても、「生きのびれば信長に勝ったことになる」とうそぶき、本能寺の変で信長が横死した後に官兵衛の前に茶人として姿を現す村重。
キリシタンの侍女を前に従容として死を受け入れた妻のだしとは全く対照的でしたが、見苦しかろうが何だろうが生き残ってやる、というエゴをむき出しにする村重はある種の強烈な負の魅力を放っていました。
当時の価値観で言えば、武士らしく城を枕に討ち死にでもするのがいい生き方なのかもしれません。
しかしそれで村重は本当に納得できるのか。
生きてさえいればまだ子供を作れるかもしれないし、自分自身はもう浮かび上がれないとしても、子孫が家名を高めるようなことをしてくれるかもしれない。
その意味ではとにかく生き延びて血筋を絶やさない、ということが何より大事、という価値観だってあり得るのです。
信長の野望みたいなゲームを遊んでいると、何となく「天下統一は一代で成し遂げなくてはいけない」みたいな気分になってきます。
でも本当はそうではないし、親子二代で、いや三代で達成したってかまわない。
毛利元就あたりで始めたら、年齢上の問題でそうなることも多いだろうけど。
斎藤道三の美濃乗っ取りは実際には親子二代に渡るものだったと言われていますが、達成したい野心に対してどうしても寿命が足りない場合、「その目標を受け継いでくれる子孫がいる」ということが何より大切だということになってきます。
中世のフランスにおいてもやはりこの「血統を絶やさない」ということが大事だった、ということをこの『カペー朝』は教えてくれます。
直系の後継者が絶えなかった「カペーの奇跡」
カペー朝のスタートは、実は極めて頼りないものでした。
始祖であるユーグ・カペーが受け継いだフランス王国は群雄割拠の状態で、国内にはカペー家も凌ぐ有力な諸侯が多数存在するいわば戦国時代。
王の地位など名目上のものでしかなく、ユーグは凡庸な人物であったからこそかえって警戒されずにその地位に就けた節もある。
権威は存在していても、せいぜいが有力諸侯のひとつに過ぎない、というのが当時のフランス王の実態だったわけです。
しかしこのような状況であっても、ユーグ・カペーにもできる仕事があります。
それは子孫を作ることです。
自分自身はフランスの万民の王として君臨する器量はなくとも、子孫を作って後の代に望みをつなぐことはできる。
いや、それしかできなかったのが実態かもしれません。
著者の佐藤賢一氏は、この時のフランス王についてこう書いています。
己の無力はユーグ・カペーが、誰よりも承知していたはずだ。頭に王冠を載せたからには、万能の支配者になれるはずだなどと、そうした無邪気な勘違いとも無縁である。なんらかの夢想が許されるとするならば、希望の言葉は「いつか」でしかありえない。今は名ばかりの王にすぎない。が、いつかは万民の王としてこの国に君臨してやると。
そのために取るべき手段は、細くとも長くと、先に希望をつなげることだった。ユーグ・カペーが王として最初に手がけた事業は、というより王として手がけた唯一の事業は、息子のロベールに王位を継がせることだった。
この後カペー朝では、何代も名ばかりの王が続きます。
12世紀に入り、戦争好きで行動的なルイ6世が登場することで、ようやくカペー朝は「王権の覚醒期」を迎えることになり、その事業は息子のルイ7世、さらには「尊厳王」フィリップ2世にも受け継がれることになります。
本書でもかなりページ数を割かれている通り、フィリップ2世はカペー朝の中でも傑出した君主です。
バイイやセネシャルなどの官職を設立して内政を充実させ、戦争でもブーヴィーヌの戦いでイングランドを破るという大功を立て、フランスが大国となる基礎を固めています。
カペー朝で最も優れた君主と言っても過言ではありません。
しかし、このフィリップ2世にしても、カペー朝歴代の君主が直系の男子に王位を相続させてきたからこそ、歴史の表舞台に登場することが出来たわけです。
本書では凡庸な君主と評価されているロベール2世やアンリ1世にしても、生前に息子に王位を相続させるという仕事はきちんとやっています。
王位継承をめぐって内乱が起こり、国が乱れることが日常茶飯事だったこの時代において、相続でトラブルを起こさなかったカペー朝はそれだけでも賞賛に値します。
現代人と封建制の時代の人間の価値は、同列には語れない
このように血統の力で成功してきたカペー朝が断絶したのも、また血統を残すことに失敗したからでした。
カペー朝最後の王・シャルル4世の息子は早世したため、ついに後継者は絶え、フランス王の座はヴァロワ朝へと受け継がれることになります。
封建制の時代では、家が途絶えればその時点で試合終了です。
それを知っていたからこそ、家康は御三家まで作って徳川家を15代も存続させました。
その徳川家を支えた井伊家にしても、直虎が苦しい時期を乗り切って井伊直政に家督を継がせたからこそ大大名になることができたわけです。
そう考えれば、特に何ができなくとも、ただ子孫を作って家を絶やさなかったというだけでも、その人には大きな価値があったのかもしれません。
カペー朝の初期の君主は、まさにそのような存在でした。
一個人の自己実現などよりも、「家」というシステムのために人が生きなければならなかった時代に、権力者は何を考え、どう行動したのか?
本書を通じて、そのような時代の様相を垣間見ることができます。