明晰夢工房

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「カール禿頭王は本当に禿げていたか」を考察した論文があった

saavedra.hatenablog.com

中世ヨーロッパはあだ名の時代だ。似たような名前が多くて区別しにくいので、カロリング朝時代には単純王や短躯王、敬虔王など、さまざまなあだ名が歴史書に登場してくる。これらカロリング朝諸王の中、とりわけ印象に残るのは「禿頭王」カールだ。彼の頭部についてはフクバルトによる「カールのハゲ礼賛の韻文詩」が書かれているが、なぜ禿頭に礼賛されるほどの価値があったのか。この問いに、以下の論文は答えている。

 

カール禿頭王は本当に禿げていたか

 

この紀要論文は全14ページと短いので、興味のある方はぜひ直接読んでほしいが、内容をここで簡単に紹介しておく。まずローマ時代には男性の頭髪は短く、長髪は蛮族の特徴とみなされていた。ローマから見ればゲルマン人は蛮族だが、ゲルマン人のなかでもメロヴィング朝の王たちは特に髪を長く伸ばしていたという。これはローマ文化に対抗するためだったと本論文には書かれている。

 

メロヴィング朝時代は髪を長く伸ばしていたのは王だけで、臣下には長髪は許されなかった。つまり、メロヴィング朝の宮宰を勤めたカロリング家の人々は短髪だったと考えられる。そしてカロリング家のピピンが751年にメロヴィング家にとって代わっても、王は短髪のままだった。カロリング家の人々は、長髪を権威の象徴とはみなさなかったのだ。

 

全員が短髪だったというカロリング朝において、カールの「禿頭」は何を意味するか。本論文の著者・赤坂俊一氏は、カロリング朝時代の王が王冠をつけた姿で描かれることに注目し、王冠をつけた短髪の国王の頭部が聖職者のトンスラ(頭頂部を剃った髪型)に似ていると指摘している。つまりフクバルトのハゲ賛美はトンスラ賛美であり、聖職者の頭頂部と王冠を対応させてカールを称賛している、というのだ。カロリング朝の王たちは、代々教皇の塗油を受けて王位についている。聖職者に似た頭部を持つカールは、キリスト教世界の王にふさわしいということだろうか。

 

本論文によれば、カールが実際に禿げていたのかははっきりしないそうだ。カールの絵には短髪が描きこまれているが、一方で『フランクの王たちの系譜』には禿頭王カールとはっきり記述されている。しかしカールが禿げていなかったのなら、なぜ彼だけが「禿頭王」と呼ばれたのかがわからなくなる。王冠をかぶった頭部がトンスラに似ているというなら、それは他の王にも当てはまるからだ。やはりカールは禿げていたのではないか。カールの治世は言うことを聞かない貴族や、ヴァイキングの侵攻に苦しめられた時代だった。争いが絶えなかったことによるストレスが、彼の頭部をさびしいものにしたのかもしれない。