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【感想】貴堂嘉之『南北戦争の時代 19世紀(シリーズアメリカ合衆国史2)』

 

南北戦争の時代 19世紀 (岩波新書)

南北戦争の時代 19世紀 (岩波新書)

 

 

岩波新書のシリーズアメリカ合衆国史の2冊目。わかりやすく読みやすい。第1章では西漸運動の展開について書かれているが、読みすすめるとアメリカの領土が大きく西方へと膨張していったことが、南北戦争の序章となったことがよくわかってくる。

 

1840年以来、アメリカは領土拡大の時代をむかえた。テキサスやオレゴン、カリフォルニア、ニューメキシコを獲得したアメリカは、太平洋岸へといたる広大な領土を持つに至る。民主党員のジャーナリストであるジョン・L・オサリヴァンがこの西部への領土拡張を「明白な運命(マニフェスト・デスティニー)」と呼んだことはよく知られているが、この領土拡張は先住民の大きな犠牲をともなうものであり、「帝国」としてのアメリカが形成される過程でもあった。

 

こうして新たに獲得された西方の領土をどのような形で連邦に組み込むかで、北部と南部で深刻な対立が生じることになる。すなわち、この肥沃な土地を綿花を育てる奴隷農園とするのか、ヨーロッパからの移民が独立自営するための農地とするか、である。南北間の緊張が高まる中、1854年に制定されたカンザスネブラスカ法は先住民権の原則を導入したため、奴隷制支持派と反対派がカンザスへ競って移住者を送り込み、両者の対立は深刻化してついには「流血のカンザス」と呼ばれる武力衝突が起きている。

 

この事件の3年後、リンカンが有名な「分かたれたる家」の演説のなかで、自分の望みは連邦の分断が回避されることだけだと語っている。この時点でのリンカンは奴隷制の拡大には反対しているが、南部社会の奴隷制には干渉しないと表明している。リンカンは最初から奴隷解放論者だったわけではなく、ここでは奴隷解放よりもアメリカの分断を避けることを優先していた。リンカンは1852年ごろから白人と黒人の分離が人種問題をふせぐ唯一の解決策だと考えており、そのためには黒人をアフリカへ植民させるしかないと訴えていた。実際、かれは1962年にはハイチやリベリアへ黒人を植民させる計画を立てて北部・西武では大きな支持を得ていたが、これはこの時期のアメリカがリンカンですら白人と黒人の共存を主張できるような時代ではなかったということの表れでもある。

 

だが、南北戦争が継続するにつれ、リンカンの姿勢も変化してくる。リンカンが食糧支援をおこなったサムター要塞への発砲をきっかけに始まった南北戦争自体が、奴隷解放が必要な状況を生み出すことになった。

 

しかし、戦争の現実が奴隷解放を必要なものとしていった。連邦軍が南部に進軍すると、プランテーションから逃亡した何千という奴隷たちが軍キャンプを取り巻く事態が生じたのである。マサチューセッツ出身のバトラー将軍は、1861年5月には早くも、逃亡奴隷を「戦時禁制品」として没収し、軍隊で使役した。 (p115)

 

奴隷解放をためらうリンカンの背中を押した共和党急進派も、奴隷解放を人道的立場からではなく、軍事的に必要な手段として布告すべきだとアドバイスした。そして1862年9月22日、リンカンは奴隷解放宣言を布告することになる。以後、南北戦争は連邦維持のための戦争から、奴隷解放という社会変革のための戦争へとその性格を変えることになった。

 

しかし南北戦争終結し、リンカンが凶弾に倒れたのちの南部社会にはいまだ課題が多い。黒人奴隷たちの望みはプランテーションに縛り付けられた生活から解放されることだったが、共和党急進派による黒人を自営農とするための土地分配はごく一部の地域でしか実行されなかった。西部開拓のため作られたホームステッド法では、白人の自営農向けに一区画160エーカーの土地が無償で払い下げられているのに対し、黒人向けにはその4分の1の土地を分配することもできなかった。

結局、解放された多くの黒人はシェア・クロッピング制度のもとで働かなくてはいけなかったが、この制度下における黒人の生活の実態はこのようなものである。

 

この制度は黒人農民の家族労働を基盤に1870年代には南部社会に定着していくが、綿花生産を強制されるなどプランターとの関係はきわめて従属的なものであった。また、プランターからだけでなく、農村の商人らからも生活品を現物で前借りし、綿花で債務を返済するクロップ・リエン制度によって、解放民は借金まみれとなり、ますます土地に縛られることとなった。(p145) 

 

南北戦争は、確かに奴隷解放という積極的な歴史的意義を持つ。だが本書によれば、南北戦争では62万人以上が戦死し、その二倍以上の兵士が病死している。この戦死者数は13歳から43歳までの白人男性のうち、実に8%もの割合を占める。この戦争が近代最初の総力戦といわれるゆえんである。これほどの犠牲を出さなければ社会改革が前に進まないのか、と考えこまざるを得ない数字だ。

 

南北戦争がメインの本なので扱いは小さいものの、「金ぴか時代」における先住民の同化政策のひどさも印象に残る。先住民に白人の価値観を強制するため作られたカーライル寄宿学校のスローガンは「インディアンを殺せ、人間を救え」だ。先住民の文化や宗教を禁じ、キリスト教への改宗や英語を学ぶことを求められた先住民は同化教育で多くのトラウマを植えつけられている。この時代の同化教育や先住民の待遇については『ネイティブ・アメリカン』に詳しい。

 

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シリーズ1巻目『植民地から建国へ』のレビューはこちら。

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