明晰夢工房

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百年戦争をわかりやすく解説してくれる入門書──佐藤賢一『英仏百年戦争』

歴史系の新書は、一度学者が書いたあと作家が面白く読めるように「超訳」することはできないだろうか、などと思うことがある。学者が皆宮崎市定林健太郎のような読み物としても面白い文章を書けるとは限らないからだ。

もちろんそんなことは実現不可能だが、十分な歴史知識を持つ人物が作家を兼ねていればここは解決できる。というわけで、フランス史の新書なら佐藤賢一氏の出番だ。氏はすでに百年戦争を扱った小説として『双頭の鷲』『傭兵ピエール』などを書いており、フランス史の知識をバックボーンとした正確な時代考証と、巧みな人物造形により作られたキャラクターが縦横無尽に活躍する歴史小説を得意としている。

 

そんな佐藤賢一氏が一般向けに、こみいっている百年戦争の経緯をわかりやすく解説してくれているのがこの『英仏百年戦争』だ。

 

英仏百年戦争 (集英社新書)

英仏百年戦争 (集英社新書)

 

 

なぜ、百年戦争について書かなければいけないのか。それは、デュ・ゲクランやシャルル五世、エドワード黒太子、ジャンヌ・ダルクなど多くの英雄がこの戦いを彩っているから、というだけではない。この戦争がある意味、その後の両国の歴史の流れを決定づけているからでもある。佐藤氏は本書でこう書いている。

 

無邪気な空想として、「もし」を考えてみよう。イングランド王ヘンリー五世が、もし早世していなかったら、あるいはフランスの救世主ジャンヌ・ダルクが、もし登場しなかったら、今頃イギリスとフランスはどうなっているだろうか。いいかえれば、もし英仏二重王国が成立していたら、その後の歴史はどんなふうに転んでいったものだろうか。

南のフランスに目を奪われるあまり、イングランドの関心は北のスコットランドや、さらに海を隔てたアイルランドなどには向かなかったかもしれない。ことにスコットランドから国王を「輸入」した、ステュアート町の成立などは考えにくく、同君連合が無理だとすれば、なおのこと正式統合はありえない。「グレイト・ブリテン連合王国」こと、いうところのイギリスも立ち現れないことになる。

イギリスでないイングランドにしても、フランスと歩調を合わせたことで、大陸国家の軍事は陸軍重視とならざるをえない。してみると、フランス遠征を止めたことで、ほとんど陸軍を必要とせず、その分の国力を海軍に回せたがゆえの、海洋国家イギリスはありえないことになる。七つの海に漕ぎ出すことで世界に覇権を唱えた、いわゆる「大英帝国」も成立し得ないのである。

 

これは単なる「無邪気な空想」とはいえない。百年戦争によりイギリスがフランスへの領土的野心をあきらめざるを得なかったために、後に海洋国家として発展してゆく方向へと進んだということは言える。イギリスとフランスが現代のような姿になっているのは、百年戦争の結果なのだ。それほど、この戦争の歴史的意義は大きい。

 

百年戦争は中世末期の戦争だが、中世においては現代の領域国家のような「国境」概念なんてものは存在していない。王はせいぜいその国で最も有力な封建諸侯という程度であって、婚姻によって領地が簡単に別の国のものになってしまう。王妃アリエノール・ダキテーヌがルイ七世と離婚してヘンリー二世と再婚したために広大なアキテーヌ公領がプランタジネット家のものとなり、「アンジュー帝国」が誕生したように、である。

このように、百年戦争の前段階でもすでにイングランドとフランスは争っている。しかし本書を読めばわかる通り、これは現代のようなイギリスとフランスという国民国家の争いではまったくない。というのは、はじめにフランスに攻め込んだイングランドエドワード三世もまた、「フランス人」だからだ。彼はカペー家の血を引き、フランス語を話し、フランスの王位継承権を主張している。エドワードからすればイギリス人がフランスを侵略しているのではなく、フランス人が当然手にすべき王位を手中に収めようとしているだけ、ということなのだ。

 

しかし戦争が長引くうち、しだいに国民国家としてのイギリスが姿を現してくる。イギリス史上屈指の名君と言われるヘンリー五世は、英語しか話せない王だった。イングランド王はノルマンディー公であり、アンジュー伯も兼ねるフランス人でもあったのに、彼の時代にいたってようやくイングランド人として即位するイングランド王が誕生した。それは、イングランドから見た百年戦争が領土奪回戦争から侵略戦争へと変質した、ということでもある。この時代には、すでに現代にまでつながるナショナリズムの萌芽をみることができる。イギリスとフランスが百年年戦争を戦ったのではなく、百年戦争の結果として現代へと続くイギリスとフランスが誕生したのだ。

 

実態がフランス人同士の戦争であるのに、我々はつい現代の国家を過去に投影し、これをイギリスとフランスの国運を賭けた戦争のように見てしまう。黒太子エドワードやジャンヌ・ダルクは英仏双方の英雄のように思えるが、これらの人物は本来は国という枠に収まりきれる存在ではなかった。結局、「英仏百年戦争」という名称自体が、国民国家ありきの見方から生まれたフィクションに過ぎないのである。フランスでは長らく無名だったジャンヌ・ダルクの功績を大々的に喧伝したのがナポレオンであったという事実もまた、佐藤氏が言うように歴史がフィクションであることのひとつの証左でもある。

似鳥鶏『きみのために青く光る』と銃社会

必要は発明の母というが、実は逆で、発明は必要の母ではないかと思うことがある。

つまり、ある便利な技術が開発されることで、ついその技術を人は使ってしまい、使っているうちにそれが必要不可欠ななものだと錯覚するのではないかということだ。

 

異能を授かった人間なんてのもそうかもしれない。人にはない特殊能力を持つと、つい人はそれを使いたくなる。繰り返し使っているうちに、その能力はアイデンティティそのものとなり、それなしでは生きられなくなっていく。人間が主体で能力が従であるはずなのに、いつしかその関係性が逆転してしまう。人が能力に振り回されるのだ。

 

チート的な能力を授かっても、それで本当に幸せに生きられるのか?似鳥鶏『きみのために青く光る』は「青藍病」と呼ばれる能力に目覚めた四人の主人公を通じて、超能力と人間のあるべき関係性について考えさせてくれる。

 

きみのために青く光る (角川文庫)

きみのために青く光る (角川文庫)

 

 

本作に出てくる四人の主人公の能力はそれぞれ「動物を凶暴化させ自分を襲わせる」「一定の範囲内にいる人間を殺す」「他人の年収が見える」「もうすぐ死ぬ人間を判別できる(と見えるが本当はそうでない)」だ。

本作の主人公たちは、皆これらの超能力を持ってしまったがゆえに苦しんでいる。人を殺せる能力を持ってしまった空途は、同じ能力を持ち、それを乱用して実際に人を殺しているアヤメの暴走を止めるため能力を使わなくてはいけない、と苦悩する。もうすぐ死ぬ人間の胸に青く光る虫を見いだせる修は、不慮の事故で死ぬ人間が出ないよう学内のパトロールをはじめる。いずれにせよ、皆が能力を持たなければ悩まなくていいことに悩まなくてはならない。

 

アヤメが能力を使って人を殺すようになったのも、最初はほんの出来心からのようだ。人間生きていれば、あんな奴など死んでしまえ、と思うことくらいはある。しかしそれを実現化する能力を持ってしまうと、人は狂う。他人の命をこの手に握っているという万能感を持ちはじめ、人を殺すことに抵抗がなくなる。人間が能力の主人であるはずだが、使う人間のほうが未熟だと、能力が人間の方を振り回す。人の死が見える修などはそれがあまりに苦しいため、自分の目を突こうとすらしてしまう。結局、過ぎたる力を持つと人は不幸になるのだ。だからこそ、本作における超能力は「青藍病」と呼ばれ、治療対象となっている。

 

翻って、人は果たして銃器のような武器の主人だと本当に言えるだろうか、と考えたりする。誰かと口論をしたとき、頭に血が上ってもそばに凶器がなければつかみ合いに発展するくらいだ。しかし、そばにナイフがあれば刺してしまうかも知れないし、銃があれば撃って人を殺してしまうかもしれない。社会に対して強いストレスを感じれば、銃社会では学校の中で銃を乱射したりする事件も起こる。そして、こういう事件が起こるからこそこちらも銃で武装する必要があるのだ、というロジックが展開されたりする。銃社会埒外にいる人間から見れば、人が銃に使われているのではないかと思ったりもする。

 

本作では超能力をもっている者はカウンセリングの対象となり、能力をうまくコントロールしつつ生きていけるようケアをしてもらえる。人にはない能力を持ってしまったものは、その能力に振り回されないよう生きることが求められるのだ。本作における主人公たちはそれぞれの能力をうまく使ったため、最後には幸せな結末が待っている。しかし人類が手にした銃器が人に幸せをもたらしているのか、ということには、そう簡単に結論を出せそうにない。人間にとっての銃はまだ、本作における「コントロールの効かない超能力」のようなものであるかもしれないからだ。

 

「普通の人間にはない特殊な力がもし自分にあったなら」という空想は、誰でもしたことがあるだろう。もし空が飛べたなら、姿を消すことができたなら。口から火を吐くとか目からビームを出すとか、冷静に考えれば使い道などありそうもない能力だって、もしあったなら面白いと思うだろう。だが、僕は思い知っている。そういうのはすべて、能力を自由に制御できたら、の話なのだ。油断すると空を飛んでしまう人だの興奮すると目からビームが出てしまう人だの、そんなものは本人にとって不幸以外の何物でもないし社会の迷惑にもなる。

 

世界史リブレットのおすすめの巻を紹介してみる

山川出版社からは世界史リブレットという小冊子がたくさん刊行されています。古今東西の多くのテーマを扱っていて、ページ数こそ少ないものの各分野の専門家が書いているため中身が濃く、コスパは決して悪くありません。姉妹編として『世界史リブレット 人』シリーズも刊行されていますが、こちらは簡潔な人物伝としても使え、人物を通してその時代をより深く理解するのに役立ちます。

なにしろ刊行数が多いのでとても全部は紹介できませんが、今まで読んだものの中から面白かったものを紹介してみます。

 

東アジアの「近世」

東アジアの「近世」 (世界史リブレット)

東アジアの「近世」 (世界史リブレット)

 

 

これはとても面白い。銀や高麗人参、鉄砲や生糸など、特定のモノを通じて東アジアの「近世」の誕生の時期について解説しています。ページ数の割に多くのトピックについて解説していて内容が濃いですが、特に満州における高麗人参や毛皮の交易で女真が力を伸ばしていく様子は興味深く、ヌルハチは武将であっただけでなく有力な「商業資本家」だった、という見方は明清交代期に新たな視座を与えてくれます。
銀経済を通じて北虜と南倭は密接な関係にあったことも説明されているので、明朝の政治経済や大航海時代のアジアに関心がある方には間違いなくおすすめです。

 

ビザンツの国家と社会

ビザンツの国家と社会 (世界史リブレット)

ビザンツの国家と社会 (世界史リブレット)

 


タイトルとおり、ビザンツ帝国の社会のあり様の変化を通じて、1000年にわたって続いたビザンツ帝国の歴史を簡潔に説明しています。ブルガール人やイスラム勢力など数多くの敵に囲まれていたため、対抗するためにビザンツ側も柔軟に国家組織を変化させていったことがわかります。同時代には文献敵傾向が強まった西欧とちがいビザンツでは集権的な国家機構を維持し続けられたのは、中央政府が全国土に対する徴税権を握り続けることができたから、と解説されています。

 

 中世ヨーロッパの都市世界

中世ヨーロッパの都市世界 (世界史リブレット)

中世ヨーロッパの都市世界 (世界史リブレット)

 

 

これ1冊で中世ヨーロッパの都市の成り立ちや、都市の生活の様子までひと通り知ることができます。フィレンツェやブルッヘなどの都市構造の図解があり、商人の活動や兄弟団、大学関係者など、都市の住人について簡潔な解説があり、施療院による社会福祉活動の様子も知ることができます。多くの都市は行政区分として小教区に分割されていて、それぞれの教区に教会が置かれているなど、中世都市の生活がキリスト教により規定されていたこともよくわかります。ヨーロッパ風ファンタジーを書く時の設定資料としても役立ちそうです。

 

中世ヨーロッパの農村世界

中世ヨーロッパの農村世界 (世界史リブレット)

中世ヨーロッパの農村世界 (世界史リブレット)

 

 


上記の『中世ヨーロッパの都市世界』とセットで読みたい一冊。11世紀において鉄製農具の使用や水車の利用により「農業革命」が起こり、人口増加が起こってヨーロッパ社会に大きな変化が起きたことが解説されます。この人口増加はヨーロッパの外部への拡大をもたらし、十字軍や東ドイツの植民運動などが引き起こされます。農村の一年の生活や衣食住についても簡潔な説明がありますが、農民の生活についてはそれほど詳しく書かれていません。農業生産の変化が歴史に与えた影響を知るうえではとても役立つ一冊と思います。

 

 中国史のなかの諸民族

中国史のなかの諸民族 (世界史リブレット)

中国史のなかの諸民族 (世界史リブレット)

 

 

匈奴から清朝の時代に至るまで、中国の周辺の異民族の支配体制や文化などについて簡潔に解説しています。この本の特徴として、北方の遊牧民に比べて軽視されがちな南方の異民族についても解説していることがあげられます。三国志における呉を悩ませた山越族や清の苗族についての説明があり、現代中国における民族差別にまで言及されています。一冊で中国史における異民族について抑えたいときには便利です。

 

安禄山─「安史の乱」を起こしたソグド軍人

 


世界史リブレットにはオーソドックスな人物伝と、「人物を通して時代を見る」という趣のものがありますが、これは後者です。安禄山の人物像や楊貴妃との関係などはほとんど描かれず、かわりに安禄山の出自やソグド人、唐と突厥の関係などについて詳述されています。安禄山の乱を単に玄宗との関係で見るのではなく、ソグドや突厥などの異民族によるある種の「独立戦争」という見方がここでは展開され、東アジア史の大きな枠の中での安禄山の歴史的意義が浮かび上がってきます。物語的な面白さを求めて読むようなものではありませんが、北アジア遊牧民やソグドの働きについて知りたい方には間違いなくおすすめです。

 

フリードリヒ大王:祖国と寛容

フリードリヒ大王: 祖国と寛容 (世界史リブレット人)

フリードリヒ大王: 祖国と寛容 (世界史リブレット人)

 

 

 

saavedra.hatenablog.com

これについては以前エントリを書きましたが、こちらはオーソドックスな人物伝で、手堅いフリードリヒ2世についての入門書として使えます。人口が足りないため積極的に移民を用いて国力を増大させた大王の手腕や、啓蒙専制君主としての業績について知ることができます。フリードリヒ2世に至るまでのプロイセン市についての解説も面白く、大王の父である「軍人王」フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は戦争より内政に力を入れた王だったことも書かれています。

 

マリア・テレジアとヨーゼフ2世─ハプスブルク、栄光の立役者

 

フリードリヒ大王を知るならやはり宿敵のこの人についても知っておきたいところです。こちらも簡潔な伝記となっているのでマリア・テレジアについての入門書として活用できます。ルイ16世に嫁いだ娘に比べて賢く、「恋愛結婚」したというエピソードからなんとなく暖かい家庭人のようなイメージもあるマリア・テレジアですが、国民の経緯を集めるため絵画芸術を積極的に使ったことも解説されており、実際にはかなり政治的な人物だったことがよくわかります。夫のフランツも起業家として有能でマリアの重商主義を財政面から支えていたなど、知らなかった知識も補完できました。

 

 ウルバヌス2世と十字軍─教会と平和と聖戦と

ウルバヌス2世と十字軍―教会と平和と聖戦と (世界史リブレット人)
 


こちらも安禄山同様「人物を通じて時代を見る」という色の濃い一冊です。第1回十字軍の内容については簡潔に触れられる程度ですが、十字軍が始まるまでのヨーロッパ社会のあり方やビザンツ帝国の直面していた危機について、かなり詳しく書かれています。ウルバヌスとはあまり関係ありませんが、マラズギルドの戦いにおけるビザンツ軍の編成がなぜかけっこう詳しく書かれていて、これを知れたことが個人的には収穫でした。
興味を惹かれたのはフランスにける神の平和運動で、ウルバヌスがこれを利用し、騎士階級のエネルギーを異教徒へ向けてまとめあげていったことが解説されています。騎士同士の争いのエネルギーを外に向ければ西欧の「域内平和」が達成され、同時に異教徒を討伐する武力としても使えるというわけですが、惣無事令を発しつつ朝鮮に攻め込んだ秀吉のこともなんとなく想起されます。

 

 アレクサンドロス大王─今に生き続ける「偉大なる王」

 

ギリシア人の物語に比べればこちらはかなり冷静というか、大王の負の部分にも触れている人物伝です。大規模な遠征によりギリシア文化を東方に広げたアレクサンドロスの業績を評価しつつも、それはあくまで征服の結果によって起こったものだとし、目的ではなかったという見方が示されます。バクトリアやソグディアナにおける虐殺に等しい戦い方についても評価が厳しく、東征の動機についても偉大な父フィリッポスを超えたいという動機があったとしています。アレクサンドロスの生涯は、父へのコンプレックスに悩まされた一生でもあったようです。


本書ではアレクサンドロス研究史についても簡潔に紹介されていて、実はローマ共和制期まではアレクサンドロスよりもむしろ父フィリッポスのほうが高く評価されていた、という興味深い事実も知ることができます。そして近年はアレクサンドロスについては否定的な評価が多く、これに対して欧米ではフィリッポス2世の評価が高まっていることにも触れられています。息子の評価の影に隠れがちだったフィリッポスの評価がローマ共和制の時代に戻りつつあるというのも、なにか感慨深いものがあります。英雄としてではない、等身大のアレクサンドロスについて知りたい方には間違いなくおすすめです。

  

 カール大帝─ヨーロッパの父

 

カール大帝の簡潔な伝記としても使えますが、本書の大きな特徴として「世界システム論」を用いた解説が行われている、ということがあげられます。アンリ・ピレンヌの有名なテーゼとして「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」というものがあり、これはイスラム勢力がの進出によりカールはアルプス以北に引きこもって国力の強化を図らなければならなかった、というものですが、本書におけるカール大帝イスラム勢力の関係性は全く逆です。

つまり、イスラム圏におけるバグダードやサーマラーなどの都市建設事業は経済を活性化し、これがフランク王国の経済発展をも促したということです。イスラームの巨大な経済圏があってこそ、カールの覇業も成し遂げられたという見方は、初期中世史に新しい視角を与えてくれます。事実、ヨーロッパからは刀剣や奴隷、ガラス製品などが輸出されていましたが、後ウマイヤ朝のアンダルシア地方ではこれらの品がよく売れていました。カール個人の資質を語るだけでなく、こうした巨視的な視点に立ることでより深く西欧史が理解できる、ということを教えてくれる一冊です。

 

 ティムール─草原とオアシスの覇者

ティムール―草原とオアシスの覇者 (世界史リブレット人)

ティムール―草原とオアシスの覇者 (世界史リブレット人)

 

 

中央アジアの地名や人名には聞き慣れないものが多いですが、およそこれを買うような人にとってはその辺は問題ないでしょうか。チンギス・カンと比べれば建設者としての業績が多いと言われるティムールですが、そこはやはり遊牧民でもあるので破壊者としての一面も少なからず持っていて、イスファハーンでの大量殺戮と「首の塔」を気付いたことなどはチンギス・カンと酷似していると評されています。

為政者としてのティムールの功績といえばサマルカンドを発展させたことですが、これも結局は被制服地から多くの職人を移住させて成し遂げたことであって、開明君主と征服者としての両面が一人の人物の中に同居していたのだ、ということがよくわかります。ティムールを扱った本は少ないので、手堅い入門書として重宝すると思います。

 

 

世界史リブレット 人シリーズはまだまだ刊行予定の人物が多く残っています。個人的にはホンタイジやアルタン・ハン、ワシントン、光武帝、ノルマンディー公ウィリアムなどを楽しみにしています。

森川智之『声優 声の職人』で「帝王」がボーイズラブCDやダミーヘッドマイクについて語っていた

 

 

森川智之さんという方のことを、私はあまり詳しくは知りません。

とはいえ、岩波新書で声優を扱った本が出るとなれば気になるのも確か。

というわけで、さっそく読んでみました。

 このように帯も特別仕様で、『日本中の女子をお世話してきた「帝王」であり30年以上もトップを走ってきた実力派が語る声優論=役者論』と書いているあたり、なかなか攻めています。岩波新書創刊80周年という節目のせいでしょうか。

 

内容としては森川さんの声優としてのキャリアやトークライブの舞台裏、オーディションやアフレコの現場のことなどについて多く書かれているので基本的にはファン向けなのかな、という感じではあります。森川さん自身も書いているように、わりと順調に声優としてのキャリアを積んできた方なので苦労話などはあまり出てこなくて、業界の大変さなどもあっさりと触れられる程度です。

 

この時代にも声優ブームはありました。けれども、専門学校や養成所といった「なりたい」という器を拾い上げるための器が、現在のように整備されていませんでした。だから僕たちのころは若手声優、特に若手男性声優のなり手は不足気味で、そのせいか、どのプロダクションにも声優業界を下支えするために、会社の枠をこえて若手を育て上げようという雰囲気がありました。

 

本書で森川さんは声優の道をとんとん拍子で進んできたと語っていますが、それができたのはデビューした時期がこういう時代環境だったこともあるようです。でも本書でも書かれているとおり、今は声優になりたい人というのは何十万人もいて、オーディションを受ける権利を得られるのはごくごく一握りの人だけです。声優としてデビューできても、最初はモブ約として一言二言しゃべるだけ、という人が多いものです。

 

ですが、若手の男性声優にとっては、比較的早く知名度をアップさせるチャンスをつかむことのできる場が存在します。それが5章「帝王が目指すもの」で書かれているボーイズラブCDです。

 

いまやBLCDは、これからという期待の新人声優にとって、ブレイクのチャンスをつかむための登竜門的な位置づけになっています。アニメだと新人は一言、二言しかセリフがないという場合がほとんどですが、BLCDだと何ページにもわたって先輩と渡り合えますから。そこでファンに気に入られて仕事が増えていき、スターダムをのし上がっていくこともできます。

 

 私はこのジャンルのことは全然知らなかったのですが、森川さんは男性声優がこのジャンルへの出演を嫌がっていたり、名前を変えて出演したりしていた時期からも積極的に出演しています。CDではなくカセットテープの時期から出演していたと書かれているので相当昔からです。当時はプロが演じる場そのものが少なかったから、活躍の場が増えるのはいいことだと考えて出演を続けた結果、森川さんはBL界の「帝王」と呼ばれるようになったそうです。森川さんのプロ意識の高さがうかがえる話です。

 

『インターネットのまとめサイトによると、僕が最も男性声優の「初めて」を奪った声優になるそうです(笑)』

 

 これが岩波新書で読めるとは思わなかった。

 

森川智之さんの語る男女の違いというのも面白くて、どうやら女性の方が男性よりも声に対して敏感で、こだわりが強いようなのです。そのため、女性向けゲームやシチュエーションCDでは「ダミーヘッドマイク」というものがよく用いられています。これは、人間の頭部を模したマイクで、実際に人間が音を聞くのと同じ条件で録音するしくみになっています。

 

ダミーヘッドマイクの録音はこのようにして行います。実際に移動しながら録音するので、声優にとっては苦労の多い手法です。

(演じている水瀬いのりさんは森川智之さん経営する声優事務所・アクセルワンの所属声優です)

こういう録音手法が求められる原因について、森川さんはこう分析しています。

 

BLCDやシチュエーションCDなどを好む人の多くは女性です。女性は想像力がたくましいというか、音に対して敏感で、耳から入ってくる情報を頭の中で構築していく力がすごいと思うんです 。すべて与えられるよりも、自分で想像して補いたい。だから女性向けと言われるオーディオドラマがたくさん作られるんでしょう。

 女性とちがって男性は全部与えてほしいんです。だから男性はあまりオーディオドラマのほうにはいきません。音だけではダメで、ビジュアル込みのものを好みます。現状の男性声優と女性声優の仕事のちがいも、そんなところからくる気がしています。

 

というわけで、男性声優にとっては今後もこのジャンルの勉強は欠かせないものになりそうです。シチュエーションCDにはかなり凝った設定のものもあり、売り方次第では男性用も作れそうな気がしますが、いまのところ大部分は女性向けです。ダミーヘッドマイクの破壊力が男性にも知られたらこの傾向も変わるかもしれません。

  

カレと48時間潜伏するCD「クリミナーレ! F」 Vol.3 テンペスタ CV.森川智之

カレと48時間潜伏するCD「クリミナーレ! F」 Vol.3 テンペスタ CV.森川智之

 

 

この本では巻末に森川さんの出演作品が1989年からまとめてあって、中にはもちろんこれらのCDのタイトルも書かれています。こういうあたり、やはりファン向けに書かれているものではあるようですが、男性声優がどのように仕事に取り組んでいるのか、声優事務所も経営する著者が後継者をどう育てようとしているのか、という関心から読んでみても興味深い一冊ではないかと思います。

「2020年大河ドラマの主人公が明智光秀」報道で考えた大河ドラマの題材選びの難しさ

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まだ確定したわけでもないですが、ついにきたか……と感じましたね、これは。

 

大河ドラマというのは、回数を重ねるほどに題材選びが難しくなっていくものだと思います。

一度扱った人物はもう10年は主人公にはできないだろうし、放映を続けるうちに視聴者には扱った人物や時代の知識が増えるので、似たような題材を選んでいると新鮮味が出ません。とはいえ、時代を変えるのもそう簡単ではありません。日本史で視聴者が興味がある時代が戦国時代や幕末に偏っているため、多くの大河ドラマがその時代を扱っています。思い切って時代をずらした平清盛は玄人受けは良かったものの、視聴率は低迷を続けました。

 

「いつもと同じ時代を扱う」という縛りのなかで新鮮味を出すためには、多くの工夫が必要です。軍師官兵衛天地人などのようにローカルなヒーローを主人公にしたり、篤姫や江のように女性視点からドラマを作ったりするのもそうした工夫のひとつです。おんな城主直虎は女性主人公でかつマイナーな主人公であり、内政をストーリー前半のメインに持ってくるなど、過去作と差別化を図ろうとする努力の集大成のような作品でした。

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それだけの工夫をしても、『おんな城主直虎』の視聴率はふるいませんでした。もちろん、ドラマの価値は視聴率だけでは測れません。ですが、数字が取れなければドラマが盛り上がっていないとみなされることもまた事実。どこかに起死回生の策はないものか、と制作側は願うでしょう。磯田道史さんなどは、大河ドラマを朝ドラ化すればいいのだとNHKのドラマ関係者にアドバイスをしたと『日本史の内幕』で書いています。

 

 

「大河は有名な歴史人物は紹介しつくした。視聴者は信長・秀吉などの人生のあらすじを知ってしまってワクワクしない。一方、朝ドラは無名・架空の女性の生きざまを描く。先が読めずハラハラしながらみられるから視聴率が高いのは当然。思い切って大河を朝ドラ化してみては。大河は戦国物が当たる。戦国時代、女性で城主や武将だった人も少ないがいる。ここにそのリストがある」

 

このアドバイスのおかげかはわかりませんが、結局2017年の大河ドラマの主人公は井伊直虎になりました。磯田さんが言うとおり、いまさら信長や秀吉のような有名人を主人公にしてもなんの新鮮味もありません。だとすれば一つの方策として、「有名人を別視点から見せる」というやり方も出てきます。明智光秀が主人公にするということは、信長の人生を光秀視点から見るということでもあります。切り取り方を変えれば、同じ時代でも新しい見せ方ができるということです。

 

信長や秀吉のような、歴史のメインストリームを歩んで人物を正面から扱うことが難しくなっている、というのは大河ドラマだけの問題ではありません。歴史小説もまた、同じ問題に直面しています。現代は司馬遼太郎が書いたような歴史の本道を描く作品はすでに手垢がついたものになってしまっているため、もっと変化球の作品が求められているのです。

例えば天野純希氏の『信長嫌い』のように敵の視点から信長を書いてみたり、伊藤潤氏の『戦国鬼譚 惨』のように、弱小の国衆の悲哀を描く作品が登場したりしています。歴史作家は過去の作家に比べて、生き残っていくためにはより工夫が求められる時代になっています。このジャンルを目指す人には厳しい時代と言えます。

 

信長嫌い

信長嫌い

 

 

戦国鬼譚 惨 (講談社文庫)

戦国鬼譚 惨 (講談社文庫)

 

 

明智光秀大河ドラマの主人公として検討されるということは、いよいよ大河の題材選びが難しくなってきたということだと思います。日本史という鉱脈は実に豊かで、一生掘っても掘り尽くせないほどの魅力的な人物や出来事に満ちています。ですが、題材として面白く、かつドラマの視聴者が興味を持ちそうな人物となると、必ずしも多いわけではないというのも実情です。だからこそ、光秀が主人公候補になるのでしょう。

 

明智光秀が主人公になるとすれば、当然、クライマックスは本能寺の変になるはずです。ということは、ドラマ中では信長を討つ動機を描かなくてはなりません。フィクションとはいえ、このドラマが実現化すれば本能寺の変の真相とは何か、ということに対する一つの答を出すことになるんでしょうね。これも間違いなくドラマの一つの見所になり得ます。

 

saavedra.hatenablog.com

歴史学的には本能寺の変の真相はどう見られているのか、ということに関しては、呉座勇一さんの『陰謀の日本中世史』が参考になります。この本では本能寺の変陰謀論批判にかなり力が入っていて、多くの俗説がめった斬りにされています。ドラマ的にはここで批判されている説のどれかを取り上げたほうが盛り上がるかな……と感じますが、どうなるかは放映されてみないとわかりません。どうせなら真田丸のときのように制作側が時代考証の人たちの意見をよく聞き、実際あり得そうな本能寺の変の裏事情を描いてみせてほしいものです。

【感想】眺めているだけでワクワクする。『世界をまどわせた地図』にはムー大陸からパタゴニアの巨人まで怪しい伝承満載

ドラゴンクエストはなぜ面白いのか、とたまに考える。

もちろんストーリーに惹き込まれるとか、レベル上げが楽しいということはある。

しかしやはり欠かせない要素として、「知らない世界を冒険できる」ということが挙げられるのではないだろうか。

ワールドマップを眺めてまだ見ぬ土地に思いを馳せつつ、この大陸にどんな町があるのか、この島にはどんな宝物が眠っているのか、といったことを想像するのが何より楽しいのだ。

 

こういうことをゲームで楽しむということは、逆に言えばリアルの世界では「まだ見つかっていない土地に夢を託す」ということができなくなっているということでもある。

現代は世界はどんな姿をしているかがすべて判明していて、グーグルマップでほぼ世界中の土地を空から眺めることもできる。

便利にはなったものの、もうこの世界には未発見の大陸も、伝説の黄金郷も存在しない。結局、そういうものはフィクションの世界に求めるしかないのだ。

 

しかし、まだ世界の全貌が知られていなかった時代、人類は未踏破の大陸に向けて困難な航海を重ね、未知の国家を訪れ、名も知らぬ民族や動物を目にする機会があった。

ごく限られた人間だけの特権であったとはいえ、「マップを埋める楽しさ」をリアルワールドで体験できた時代が確かにあったのだ。

大航海時代に我々が心を惹かれたりするのも、そうした過去へのあこがれがあるからではないかと思う。

そう言えばドラゴンクエスト3の世界は現実の世界地図を模したものだし、ポルトガでは船を手にれることができる。あの世界を探索する楽しみは、大航海時代の探検家の味わったものとどこか似ている。

 

そのような世界に生きていた人たちに、見知らぬ土地はどう映っていたのか?

それを教えてくれるのが、この『世界をまどわせた地図』だ。

 

世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語

世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語

 

 

本書では、ムー大陸やプレスター・ジョンの国などの有名な伝説から、パタゴニアの巨人伝説やカラハリ砂漠の古代都市、オーストラリアの内陸海など、古今東西の実在しない地図や伝承などを、豊富な図解付きで解説している。こういうのは、見ているだけで楽しい。

 

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北極点にあると信じられていた磁石島ルペス・ニグラ。こういうのがたくさん出てくる

「幻の地図」は人間の欲求の集大成

本書を読んでいて思うのは、こういう「幻の地図」や伝承というのはあらゆる人間の欲望の集大成である、ということだ。

 プレスター・ジョンの国の伝説というのは十字軍がイスラムに敗北を続けるなかで強力な友好勢力がほしいという願望から広まったものだし、エルドラドの存在は当然、金を求める欲求が生み出したものだ。長い航海の果てに陸地にたどりつきたいという船乗りたちの切実な欲求は、なにもない南米の南端にオーロラ諸島という幻の島を見出した。

既知の世界では荒唐無稽と片付けられる出来事も、まだ見ぬ土地ならば起こり得ると思えるのが人間なのだ。

 

となると、当然そのような欲求につけこむ人間もまた現れる。

本書で紹介されている「ポヤイス国」は、稀代の詐欺師グレガー・マクレガーがでっち上げた国だ。不景気に悩む19世紀のロンドンに現れたグレガーは「ポヤイス国の領主」を名乗り、できたばかりの自分の国に投資してくれる人物を求めた。

ポヤイス国は800万エーカーの土地と豊富な資源に恵まれていると吹いて入植者を募り、グレガーは新天地を目指したが、待っていたのは未開の密林と沼地だけだった。この土地は現在のホンジュラス付近らしい。ポヤイス国に旅立った270人の男女のうち、無事に帰還できたのは50人足らずだったといわれている。

 

ここまで大掛かりな詐欺となるとさすがに珍しいが、コロンブスが心惹かれていた『東方見聞録』の著者のマルコ・ポーロの仇名は「百万のマルコ」、いわば嘘つきだ。実際、東方見聞録にはとても事実とは思えないことがたくさん書かれている。旅行家や探検家と詐欺師の距離はそう遠くはない。彼らの作り上げた地図や伝承は、読み手のニーズに応えていたからこそ残っている。彼らが現代に転生していたら伝奇作家にでもなっているかもしれない。

 

本書に取り上げられている幻の土地は数多いので、気になったものを3つだけ紹介してみる。

 

5世紀に中国僧が渡った幻の国「扶桑」

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この国のことは全く知らなかったが、中国の正史『梁書』に慧深という僧がたどりついたという「扶桑」という国のことが記されている。この扶桑とはアメリカのことではないか、という説が本書では紹介されている。本当ならヴァイキングより先にアメリカ大陸に到達していた人物が存在していたことになるのだが、さすがににわかには信じられない。

トナカイを飼い、身体に入れ墨をした人々がいると慧深は語っており、これはイヌイットではないのかというのだが、トナカイ遊牧民中国東北部にもいたのでこのあたりのことを言っている可能性はないだろうか。扶桑の位置に関してはメキシコやロッキー山脈付近、北海道などという説まであり、どれが本当かは判然としない。もちろんすべて慧深の空想である可能性もある。

 

ワクワク

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読んでいるだけでワクワクすると書いたが、かつて本当にこんな名前の国があると信じられていたことがある。トルコやアラビア、インドの伝承だが、ワクワクの存在する場所は朝鮮半島か中国のどこか、だと考えられていた。

このワクワクは日本のことではないか、という説がある。ワクワク=倭国、というわけだ。だがワクワク国では山頂の木が叫び声をあげ、人間の形をした実がなると言われている。イドリースィーはこの国の女性は真珠で飾った象牙の櫛以外は何も身に着けないと書いているが、これらの伝承と日本との共通点はどこにもない。ワクワク国の正体は依然として霧の中だ。

 

パタゴニアの巨人

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 この伝承の起源はマゼランの同行者、アントニオ・ピガフェッタの記録による。

ヨーロッパ人の頭が腰にまでしか届かなかったという巨人は、マゼランによりパタゴニと名付けられた。この巨人の目撃報告はマゼラン以降も続いていて、18世紀にはイギリスのバイロン船長が身長が2.6mもある住民ばかりがこの地に暮らしていると報告している。これが理性と啓蒙の時代の話だというのだから面白い。結局、人は信じたいことを信じてしまう生き物だということだろうか。

現在、巨人の正体は原地の遊牧民ウェルチェ族だと考えられている。彼らの身長は1.8m程度で、巨人というほどでもない。真実とは知ってしまえば拍子抜けするようなことが多いものだ。

 

元号一覧や改元の理由を知ると日本は災害大国だと思い知らされる

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元号を知ると、日本史をより深く理解できる

元号 全247総覧

元号 全247総覧

 

もうすぐ元号も改まるので、最近はこの本を読んで元号の歴史について調べていました。

 

現在、元号というものを採用している国家は日本だけです。

最初の元号である「大化」以来長く使われてきた元号は、一面不便ではあっても日本のアイデンティティそのものであるとも言えます。

ですが、そのわりに、昭和にしろ平成にしろ、元号がどうやって決まるのか、その由来はなんなのか、ということを案外私達は知らないものです。

この『元号 全247総覧』では元号についてひと通り解説したのち、「大化」から「平成」に至るまで、247の元号すべての由来と改元が行われた事情について解説しています。各元号の時代における歴史的事件のかんたんな解説もあるので、これを読めば元号の変遷を振り返りつつ日本史の流れも追うことができます。

そして、元号の歴史を追っていると、あることに気づきます。それは、日本が災害大国であるという事実です。

改元の歴史は災害の歴史でもある

改元が行われるのは、国家の繁栄と民の平安を願うためです。

天皇が即位するときは当然ですが、大地震や火災、天変地異、疫病の流行などがあったとき、改元を行うことで災いを断ち切り、新しい世の中を作ることを示すという意味合いがあります。明治になり一世一元になるまでは一人の天皇が何度も改元を行うのはこのためです。

247の元号は、平均すればひとつの元号が使われている期間はおよそ5年です。これだけひんぱんに改元が行われるのは、それだけ日本には地震や飢饉、疫病などが多かったということです。そして、改元しても天災を止めることはできないので、また改元が繰り返されることになります。元号の歴史を知ることは、かつて日本人がどのような苦難に遭わされていたかを知ることでもあるのです。

 

ここでは以下、この『元号 全247総覧』の内容に従い、「災異改元(天災地変など凶兆とみられる現象を理由に新しい元号に代えること)がどれだけあるかを見ていきたいと思います。飛鳥・奈良時代は瑞祥を理由とした改元が多く、災害のために改元した例がないのでまずは平安時代から見ていきます。

 

飢饉と疫病に苦しめられる平安時代

 782 ~ 806 延暦
 806 ~ 810 大同
 810 ~ 824 弘仁
 824 ~ 834 天長
 834 ~ 848 承和
 848 ~ 851 嘉祥
 851 ~ 854 仁寿
 854 ~ 857 斉衡
 857 ~ 859 天安
 859 ~ 877 貞観
 877 ~ 885 元慶
 885 ~ 889 仁和 改元後に巨大地震が発生
  
 889 ~ 898 寛平
 898 ~ 901 昌泰
 901 ~ 923 延喜
 923 ~ 931 延長 日照りと水害・疫病のため改元
 931 ~ 938 承平
 938 ~ 947 天慶 平将門の乱藤原純友の乱をきっかけに改元
 947 ~ 957 天暦
 957 ~ 961 天徳 旱魃のため改元
 961 ~ 964 応和 内裏の火災、辛酉革命のため改元
 964 ~ 968 康保
 968 ~ 970 安和
 970 ~ 973 天禄
 973 ~ 976 天延 天変・地震による災異改元
 976 ~ 978 貞元 宮中の火災と山城・近江地方の地震改元
 978 ~ 983 天元 天変地異と厄年のため改元
 983 ~ 985 永観 旱魃や皇居の火災のため改元
 985 ~ 987 寛和
 987 ~ 989 永延
 989 ~ 990 永祚 地震ハレー彗星出現のため改元
 990 ~ 995 正暦 台風のため改元
 995 ~ 999 長徳 疫病・天変のため改元
 999 ~ 1004 長保 炎旱による改元
1004 ~ 1012 寛弘 地震による改元
1012 ~ 1017 長和
1017 ~ 1021 寛仁
1021 ~ 1024 治安
1024 ~ 1028 万寿
1028 ~ 1037 長元 疫病・旱魃改元
1037 ~ 1040 長暦
1040 ~ 1044 長久 大地震・内裏焼失で改元
1044 ~ 1046 寛徳 疾病・旱魃改元
1046 ~ 1053 永承
1053 ~ 1058 天喜 天変怪異による改元
1058 ~ 1065 康平 内裏・大極殿の火事で改元
1065 ~ 1069 治暦
1069 ~ 1074 延久
1074 ~ 1077 承保
1077 ~ 1081 承暦 疱瘡・旱魃による改元
1081 ~ 1084 永保
1084 ~ 1087 応徳
1087 ~ 1094 寛治
1094 ~ 1096 嘉保 疱瘡の治癒のため改元
1096 ~ 1097 永長 地震のため改元
1097 ~ 1099 承徳 台風・洪水・地震・彗星のため改元
1099 ~ 1104 康和 災異が続くため改元
1104 ~ 1106 長治 月食を凶事として改元
1106 ~ 1108 嘉承 彗星出現のため改元
1108 ~ 1110 天仁 鳥羽天皇即位の改元だが、改元直前に浅間山が大噴火
1110 ~ 1113 天永 天変のため改元
1113 ~ 1118 永久 天変、兵革、疫疾などによる改元
1118 ~ 1120 元永 天変と疫病による改元
1120 ~ 1124 保安
1124 ~ 1126 天治
1126 ~ 1131 大治 疱瘡流行による改元
1131 ~ 1132 天承 炎旱、天変による改元
1132 ~ 1135 長承 疫病発生のため改元
1135 ~ 1141 保延 飢饉・疫病・洪水のため改元
1141 ~ 1142 永治
1142 ~ 1144 康治
1144 ~ 1145 天養
1145 ~ 1151 久安 ハレー彗星出現のため改元
1151 ~ 1154 仁平 風水害のため改元
1154 ~ 1156 久寿
1156 ~ 1159 保元
1159 ~ 1160 平治
 
1160 ~ 1161 永暦 平治の乱により改元
1161 ~ 1163 応保 飢饉・疱瘡による改元
1163 ~ 1165 長寛 天変や疱瘡による改元
1165 ~ 1166 永万
1166 ~ 1169 仁安
1169 ~ 1171 嘉応
1171 ~ 1175 承安 天変と天皇の病で改元
1175 ~ 1177 安元 疱瘡流行による改元
1177 ~ 1181 治承 大極殿の火災で改元
1181 ~ 1182 養和
1182 ~ 1185 寿永 飢饉・兵革・病事による改元
1184 ~ 1185 元暦
1185 ~ 1190 文治 巨大地震による改元

 

10世紀後半からは明らかに災異改元が増え始め、11世紀に入ると何度も疫病が流行していることがわかります。字面に反して平安時代は全く平安な時代ではありません。彗星の出現や月食までが凶事として改元の理由になっているのが面白いところですが、迷信の中を生きる人達にとってはこれらも恐れるべきものだったのです。最後の文治が巨大地震で締められているあたり、やはり日本は地震の国なのだと痛感させられます。

鎌倉時代に入っても災害は頻発

そして、鎌倉時代に入ってもこの状況は変わりません。武士の世の中になったからといって災害が収まるわけもなく、あいかわらず災異改元はひんぱんに行われています。以下、鎌倉時代の災異改元について見ていきます。

 

1190 ~ 1199 建久 厄年のため改元
1199 ~ 1201 正治
1201 ~ 1204 建仁
1204 ~ 1206 元久
1206 ~ 1207 建永 赤斑瘡流行のため改元
1207 ~ 1211 承元 疱瘡・雨水により改元
1211 ~ 1213 建暦 
1213 ~ 1219 建保 地震のため改元
1219 ~ 1222 承久 天変・旱魃のため改元
1222 ~ 1224 貞応 
1224 ~ 1225 元仁 天変・炎旱による改元
1225 ~ 1227 嘉禄 疱瘡流行による改元
1227 ~ 1229 安貞 疱瘡・天変大風による改元
1229 ~ 1232 寛喜 天災・飢饉による改元
1232 ~ 1233 貞永 飢饉による改元
1233 ~ 1234 天福
1234 ~ 1235 文暦 地震により改元
1235 ~ 1238 嘉禎 地震により改元
1238 ~ 1239 暦仁 天変による改元
1239 ~ 1240 延応 天変・地震による改元
1240 ~ 1243 仁治 彗星・地震による改元
1243 ~ 1247 寛元
1247 ~ 1249 宝治
1249 ~ 1256 建長 内裏の火災のため改元
1256 ~ 1257 康元 赤斑瘡流行のため改元
1257 ~ 1259 正嘉 五条大宮炎上のため改元
1259 ~ 1260 正元 飢饉・疾病による改元
1260 ~ 1261 文応 天変・飢饉・疫病のため改元
1261 ~ 1264 弘長
1264 ~ 1275 文永
1275 ~ 1278 建治
1278 ~ 1288 弘安 疫病のため改元
1288 ~ 1293 正応
1293 ~ 1299 永仁 鎌倉大地震のため改元
1299 ~ 1302 正安
1302 ~ 1303 乾元
1303 ~ 1306 嘉元 炎旱・彗星のため改元
1306 ~ 1308 徳治 天変による改元
1308 ~ 1311 延慶
1311 ~ 1312 応長 病事による改元
1312 ~ 1317 正和 天変・地震による改元
1317 ~ 1319 文保 地震のため改元
1319 ~ 1321 元応
1321 ~ 1324 元亨
1324 ~ 1326 正中 大暴風被害を受け改元
1326 ~ 1329 嘉暦 天変・地震・疾病による改元


というわけで、鎌倉時代平安時代に引き続き災害の連続でした。平家物語のような無常観にみちた文学が流行したのは、こうした自然環境が影響しているかもしれません。二度目のモンゴル侵攻「弘安の役」の弘安も疫病による改元ですが、この過酷な環境のなかで外敵とも戦わなければならなかった鎌倉武士の苦労とはどれほどのものなのか、想像するのは困難です。

 

兵革(戦乱)による改元の多い南北朝時代

王朝が2つに分かれているのでややこしいですが、北朝南朝に分けて記します。

 

北朝

1329 ~ 1332 元徳  疾病などにより改元
1332 ~ 1333 正慶
1334 ~ 1338 建武
1338 ~ 1342 暦応
1342 ~ 1345 康永
1345 ~ 1350 貞和 彗星による水害疾病のため改元
1350 ~ 1352 観応
1352 ~ 1356 文和
1356 ~ 1361 延文 兵革による改元
1361 ~ 1362 康安 疫病や戦乱のため改元
1362 ~ 1368 貞治 兵革・天変・地震・疫病のため改元
1368 ~ 1375 応安 疫病・天変による改元
1375 ~ 1379 永和
1379 ~ 1381 康暦 天変・疾病・兵革による改元
1381 ~ 1384 永徳 
1384 ~ 1387 至徳
1387 ~ 1389 嘉慶 疫病流行のため改元
1389 ~ 1390 康応 
1390 ~ 1394 明徳 天変・兵革による改元

 

南朝

1329 ~ 1331 元徳   疾病などのため改元
1331 ~ 1334 元弘 
1334 ~ 1336 建武
1336 ~ 1340 延元 兵革を理由に改元
1340 ~ 1346 興国 
1346 ~ 1370 正平
1370 ~ 1372 建徳
1372 ~ 1375 文中
1375 ~ 1381 天授 山崩れによる改元
1381 ~ 1384 弘和
1384 ~ 1392 元中

 

南北朝時代には、兵革(戦乱)による改元が多いというはっきりとした特徴があります。ふたつの王朝が争っていたので当然ですが、天皇の代替わりも多いので代始の改元も多いです。そうした理由を除いてもやはり疫病による改元も多く、鎌倉時代に引き続きこの時代も民衆には生きづらい時代だったことが見えてきます。

 

改元するお金もない室町時代後期

室町時代といえば応仁の乱ですが、この時代の元号を見ていくと、実は応仁の乱以降は比較的長く使われている元号があることがわかります。しかし、それはこの時代が平和だったことを意味するのではありません。『元号 全247総覧』によると、

この当時、朝廷を支えるべき幕府は経済力も政治力も失っていった。朝廷も窮乏し、即位の礼の費用も捻出できず、天皇が譲位して上皇になったり、改元したりすることもままならない状況になっていた。そのため、この時期の元号使用期間は結構長いものが多い。

という事情があったのです。

それでは以下、室町時代元号について見ていきます。

 

1394 ~ 1428 応永 後円融天皇崩御による改元
1428 ~ 1429 正長
1429 ~ 1441 永享
1441 ~ 1444 嘉吉
1444 ~ 1449 文安
1449 ~ 1452 宝徳 彗星や暴風雨、疫病などのため改元
1452 ~ 1455 享徳 疫病のため改元
1455 ~ 1457 康正 戦乱多発のため改元
1457 ~ 1460 長禄 病患・炎旱のため改元
1460 ~ 1466 寛正 飢饉により改元
1466 ~ 1467 文正 
1467 ~ 1469 応仁 兵革が続くため改元
1469 ~ 1487 文明 応仁の乱による災異改元
1487 ~ 1489 長享 火災や病事・兵革などによる改元
1489 ~ 1492 延徳 足利義尚の死を理由とした災異改元
1492 ~ 1501 明応 疫病のため改元
1501 ~ 1504 文亀 
1504 ~ 1521 永正
1521 ~ 1528 大永 天変や戦乱のため改元
1528 ~ 1532 享禄 戦乱を理由とする改元
1532 ~ 1555 天文 疫病・戦乱のため改元
1555 ~ 1558 弘治 戦乱による改元
1558 ~ 1570 永禄 
1570 ~ 1573 元亀 戦乱による改元

 

いつからを戦国時代とするかは諸説あるのでここでは戦国時代という区分は設けませんでしたが、応仁の乱以降は明らかに兵革(戦乱)による改元が多いことがわかります。疫病や飢饉もあいかわらず多く、庶民にとっては光のとぼしい時代です。

中世の日本人はわりと簡単に人を殺してしまう民族だったようですが、その原因の一端はこの災害の多さにあるのかもしれません。飢饉が多ければ少ない食料をめぐって争いが起きます。戦国時代の戦争では「乱取り」と呼ばれる略奪が多く行われていたことが知られていますし、大名も食料の確保のため戦争をしています。

 『戦国大名武田氏の戦争と内政』にはこうあります。

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

 

 

そして、近年注目されているのが、飢饉による食料の不足を他国からの略奪でまかなう「食うための戦争」という評価である。藤木久志氏によれば、上杉謙信は秋の終わりから冬にかけて越後から関東へ侵攻し、翌年の春の終わりから夏の初め頃に越後へ戻るというサイクルを繰り返していた。これは、農作物の端境期(食料が不足する時期)の飢饉への対策として、敵国での食料確保と、農村の口減らしを目的としたものであったという。            

安土桃山時代(あまり語ることがない)

1573 ~ 1592 天正 戦乱による災異改元
1592 ~ 1596 文禄

 

天正」は比叡山焼き討ちや三方ヶ原の戦いなどの戦乱を理由とした災異改元とも言われていますが、実は信長が望んだ改元だという説もあります。

 

異国船の来航も「災異」になる江戸時代末期

戦国時代が終わり、ようやく長い平和の時代が訪れます。元和偃武から元禄文化寛政の改革、明暦の大火や天明の大飢饉など、江戸時代の年号はなじみ深いものが多いですが、室町以前に比べれば明らかに災害による改元が少なく、飢饉を理由とした改元は1回もありません。ただし「天明」のように改元後に大飢饉が起きたことはあります。

 

1596 ~ 1615 慶長 天変、地妖による改元
1615 ~ 1624 元和 
1624 ~ 1644 寛永
1644 ~ 1648 正保
1648 ~ 1652 慶安
1652 ~ 1655 承応
1655 ~ 1658 明暦
1658 ~ 1661 万治 明暦の大火を契機に改元
1661 ~ 1673 寛文 内裏焼失のため改元
1673 ~ 1681 延宝 京都大火を受けて改元
1681 ~ 1684 天和
1684 ~ 1688 貞享
1688 ~ 1704 元禄
1704 ~ 1711 宝永 地震、火災のため改元
1711 ~ 1716 正徳 
1716 ~ 1736 享保 家継死去のため改元
1736 ~ 1741 元文
1741 ~ 1744 寛保
1744 ~ 1748 延享
1748 ~ 1751 寛延
1751 ~ 1764 宝暦 桜町上皇崩御による災異改元
1764 ~ 1772 明和
1772 ~ 1781 安永 明和の大火をきっかけに改元
1781 ~ 1789 天明
1789 ~ 1801 寛政 京都の大火をきっかけに改元
1801 ~ 1804 享和
1804 ~ 1818 文化
1818 ~ 1830 文政
1830 ~ 1844 天保 京都地震が起きたため改元
1844 ~ 1848 弘化 江戸城火災のため改元
1848 ~ 1854 嘉永
1854 ~ 1860 安政 内裏炎上と異国船来航のため改元
1860 ~ 1861 万延 江戸城炎上のため改元
1861 ~ 1864 文久
1864 ~ 1865 元治
1865 ~ 1868 慶応 京都兵乱、世間不穏のため改元

 

安政の大獄のせいで有名な元号安政ですが、異国船の来航を理由として改元されたというあたりに幕末独自の特徴が出ています。朝廷にとっては、異国の船が日本にやってくることも地震や火災と同等の災厄だったということでしょう。しかしせっかく改元したにもかかわらず、この時代には安政の大地震が起こってしまいました。結局、いくら改元しても日本人は地震からは逃れられないのです。

 

一世一元の制が採用され、災異改元はなくなる

明治以降は一世一元の制が採用されたため、災異改元は行われなくなります。近代国家としては当然、災害を鎮めるために改元するようなことはできませんが、それだけに元号を変えて気分を一新する機会もずっと少なくなりました。結果として「昭和」は世界で最も長く使われた元号となっています。

 

1868 ~ 1912 明治
1912 ~ 1926 大正
1926 ~ 1989 昭和
1989 ~     平成

 

日本は言霊の国だと言うと大袈裟ですが、それでも日本人は今でもけっこう験をかついだり、縁起の悪い言葉を気にしていることが多い気がします。その理由のひとつとして、こうして長い歴史を通じて災厄を避けるための改元を繰り返してきたことが挙げられるのかもしれません。元号などすでに時代遅れだという意見もありますが、もうすぐ改元というめったにない機会を目にすることができるかと思うと、どこか心が浮き立つものもあります。これも、延々と改元を繰り返してきた日本人のDNAというものかもしれません。

 

www.jice.or.jp

こちらで書かれている通り、全世界のマグニチュード6の地震の20%が日本付近で起きるほど、日本は地震の多い国です。こうした自然災害に苦しめられてきた歴史が、元号改元の歴史でもあるのです。あまり注目されることはありませんが、災害は日本史を語るうえで欠かせないキーワードと言えるかもしれません。