「司馬さんの書かれるものは日本外史とでも呼ぶべき種類の史書ではあるまいか」とは、有吉佐和子の『坂の上の雲』評だ。このように、司馬遼太郎作品はたんなる歴史小説の枠をこえ、一種の教養本として読まれている。司馬作品は物語中にしばしば「余談」がさしはさまれ、そこでは司馬の政治や軍事、世論などへの見解が自在に語られる。こうした特徴は吉川英治や山岡荘八といった、それまでの歴史作家の作品にはないもので、読者の歴史への知的関心をかきたてるものだった。なぜ司馬の「歴史教養本」は時代に求められたのか。『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』によれば、司馬作品の人気を支えていたのは、昭和50年代に起きた「大衆歴史ブーム」だという。
昭和50年代に司馬作品を愛読していたのはおもに中年男性だが、かれらは教養主義が盛んだった時代に若き日を過ごしている。1950年代にもっとも盛んになった教養主義は学歴エリートだけでなく、進学できなかったため人文知への憧れをもつ勤労青年をも広く巻き込むものだった。かれらは文学や思想、歴史など実利を超越した学問にふれ、純粋に教養と向き合った。そうした青年たちがやがて中年になり、しだいに哲学や文学への関心が薄れゆくなか、残ったのが歴史への関心なのだという。
抽象的な思想・哲学・文学は、理解し、味読するのに時間的・精神的な忍耐を必要とする。体力や時間に恵まれた若いころに比べ、中年ともなると、現場実務のみならず管理業務が重なり、精神的な負荷は大きくなる。休日も家族や親族と過ごすことが多いだけに、難解な人文書と向き合うことは容易ではない。「生」「真実」といった青春期特有の問題関心も、日常生活で苦労を重ね、人生の見通しが定まってくるなかで、薄れてくるのは避け難かった。
それに比べれば、「歴史」は、手を出しやすい教養だった。たしかに、アカデミックな歴史学では、古文書を読みこなし、地道に史料批判を重ねる作業が求められる。だが、歴史読み物に触れるだけであれば、そのような手間をかけることなく、時代の流れや歴史人物の思考(と思われるもの)を味読できる。(p170)
日々の仕事に追われ、人文知を学ぶ余裕のなくなった人々にも、教養志向の名残りはある。こうした人々の需要にこたえるのが、歴史だった。1970年代半ば以降は『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『峠』など司馬の主要作品が文庫化されていたため、通勤時間中に読むことができた。しかも司馬作品の「余談」は細切れに味わうことができ、新書よりも手軽で、通勤電車のなかで読むサラリーマンにも負担にならなかった。教養主義を通過した人々にとって、司馬作品は「携帯可能な大河ドラマ」であると同時に、著者の歴史的知見を吸収できる魅力的な書物だった。
『応仁の乱』や『観応の擾乱』などの硬い歴史本がベストセラーになる昨今も、ある意味「大衆歴史ブーム」が続いているといえなくもない。ただ、これらの本はプロの歴史研究者の手になるものだ。SNSが発達し、細かく歴史的事実が検証される現代では、実証史学の精確さが求められるのだろうか。SNS上では、司馬作品の史実としての不正確さへの批判を時おり見かけることがある。歴史研究者もアマチュアも、これらの批判に加わっている。司馬遼太郎が現代に生きていたら、作家としては大きな存在感を示すだろうが、歴史家であり続けることはむずかしいのかもしれない。