明晰夢工房

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【書評】ウクライナ史を新書一冊で概観できる良書『物語ウクライナの歴史』

 

 

この本のまえがきでは、「ウクライナ史最大のテーマは国がなかったこと」というウクライナ史家の言葉を紹介している。多くの国家においては歴史最大のテーマが民族国家の獲得とその発展であるのに対し、ウクライナにおいては国家の枠組みなしで民族がいかに生き残ったか、が歴史のメインテーマになるということである。歴史上、ウクライナリトアニアポーランドロシア帝国オーストリア帝国ソ連など他国に支配されていた時期が長く、ためにこの本でのウクライナ史もこの地を征服した諸勢力の歴史と絡めつつ語られることになる。

 

とはいっても、ウクライナの地に興った国家もある。古くは10~12世紀にヨーロッパの大国として君臨したキエフ・ルーシだ。現在のウクライナの首都キエフを中心とするこの国家は、本書では「中世ヨーロッパに燦然と輝く大国」と紹介されている。事実この国はウラディーミル聖公時代にはヨーロッパ最大の版図を誇る大国であり、中世では珍しく商業が発展している国でもあった。ソフィア聖堂を建設するなど文化水準も高かったこの国は、その後のウクライナ・ロシア・ベラルーシの基礎をつくった。だがのちにモンゴルの侵攻などでキエフが衰退し、代わって台頭したモスクワ大公国がロシアを名乗りキエフ・ルーシを継ぐ正当な国家と称したために、ウクライナ史は「国がない」民族の歴史になった。

 

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ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ系だが、ウクライナユダヤ人が多い理由はこの本の3章を読むと理解できる。ウクライナは14世紀半ばから17世紀半ばまでリトアニアポーランド支配下にあったが、ポーランド諸王はユダヤ人を保護し、自由な経済活動を保証した。モンゴル侵入後のポーランドを再建するため、外国人の移民が必要とされていたからである。ポーランドユダヤ人は荘園の管理人になり、また旅籠や居酒屋・粉ひき場などを経営し、農民の労働の成果を領主へ運ぶパイプの役割を果たした。ユダヤ人にとりポーランドは他国より住みやすかったため、ポーランドは一時期「ユダヤ人の楽園」といわれることもあった。

 

ウクライナがはじめて実質上の国家を持ったのは17世紀になる。ウクライナのコサック・フメリニツキーにより建国された「ヘトマン国家」はコサックの軍事組織を発展させ、平時の統治も行うようになったものと4章では解説されている。フメリニツキーはウクライナ史上最大の英雄ともいわれるが、ヘトマン国家存続のためにモスクワの庇護を求めたため、その評価は複雑だ。フメリニツキーがモスクワと結んだ保護協定は、ロシア・ソ連ウクライナの間で大きく評価が分かれる。ロシア側ではこの協定を、互いに統合を望んでいたロシアとウクライナの願望が結実したものと捉える。だがウクライナ側はこの協定は短期的な軍事同盟であり、ウクライナの運命をモスクワに託したものではないと考える。本書では「歴史的な事実関係を考えれば、ウクライナ側の解釈が妥当」としているが、「事後的に見れば、同協定がウクライナ史の転換点となり、ウクライナがロシアに併合される過程の第一歩となったことは否定できない」とも付け加えている。

 

ウクライナは穀倉地帯であることがよく知られているが、このことは周辺の大国の侵略を招く要因にもなっている。本書の6章では、ロシアの2月革命に乗じて建国された「ウクライ中央ラーダ」の独立が長続きしなかった要因について考察しているが、その一因としてウクライナの地理的条件をあげている。

 

第二の点は、ウクライナ自身がもつ重要性である。ボリシェヴィキらの左派であれ、デニキンらの右派であれ、ウクライナを面積・人口の面からも、工業・農業の面からもそれなしではロシアはやっていけない不可欠の一部と考えており、いかなる犠牲を払ってもウクライナをロシアの枠内にとどめておくとの固い決意があったと思われる。その点がフィンランドやバルト地域とは違っていたのであろう。豊かな土地をもつことの悲劇である。(p200)

 

中央ラーダの独立は短命に終わったが、現在のウクライナの国旗や国歌・国章はいずれも1918年に中央ラーダが定めたものを受けついでいる。ソ連時代にも中央ラーダの記憶はウクライナ人の間で生き続け、ソ連崩壊時の本格的独立として実を結んだ。国家を持てない期間の長かったウクライナ人には、わずかな期間でも独立を保った中央ラーダの歴史は貴重なものになる。

 

この本が出版されたのは2002年だが、8章でふれられているウクライナ地政学的重要性は、現在でも変わっていない。今ウクライナで進行しつつある事態とも関係する箇所を、最後に引用しておく。

 

ウクライナは西洋世界とロシア、アジアを結ぶ通路であった。それゆえにこそウクライナは世界の地図を塗り替えた大北方戦争ナポレオン戦争クリミア戦争、二次にわたる世界大戦の戦場となり、多くの勢力がウクライナを獲得しようとした。ウクライナがどうなるかによって東西のバランス・オブ・パワーが変わるのである。

フランスの作家ブノワ・メシャンは、ウクライナソ連(当時)にとってもヨーロッパにとっても「決定的に重要な地域のナンバー・ワン」といっている。またこの地域はソ連が思いもかけず崩壊して、いまだ安定した国際関係が十分できあがっていない。その意味でウクライナが独立を維持して安定することは、ヨーロッパ、ひいては世界の平和と安定にとり重要である。これはアメリカや西欧の主要国の認識であるが、中・東欧の諸国にとってはまさに死活の問題である。(p255-256)