明晰夢工房

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鬼はいつから退治できる存在になったのか──香川雅信『図説日本妖怪史』

 

 

平安時代、鬼は妖怪として最も恐れられる存在になっている。その証拠に、『今昔物語集』には数多くの鬼にまつわるエピソードが収録されている。だが『図説日本妖怪史』によれば、平安時代には鬼は退治できる存在ではなかったという。鬼は決まった姿かたちを持たない霊的存在であり、陰陽師はせいぜい占いによって鬼の到来を察知し、避ける方法を示すくらいしかできなかった。

 

今昔物語集』巻第二十四第十六話「安倍晴明、忠行に随ひて道を習ひし語」では、百鬼夜行に出会った陰陽師賀茂忠行が、術によって鬼たちから身を隠し、事なきを得るという場面がある。鬼たちと対決するわけでも、また呪的な力によって追い払うわけでもなく、ただ自分たちを見えなくすることによって難を逃れるのである。これは、陰陽師が「鬼」や「怪異」を避ける方法として指示することの多かった「物忌」の説話的表現と見なすことができよう。(p40)

 

平安時代において、人は鬼などの怪異に対して無力であった。だが保元・平治の乱を経て武士が政治を担うようになると、鬼などの怪物が退治される物語が創作されるようになる。「酒呑童子絵巻」では平安時代の武士・源頼光を怪物退治の英雄として描いているが、この物語は室町時代につくられたもので、平安時代にはこの物語は存在していない。

 

史実としては、九九四年に源満正や平維時などの武士が盗賊の捜索のため山々に派遣されたことが史料にみえる。これが酒呑童子退治の話へ昇華していったと考えられている。鎌倉時代の説話集『古今著聞集』には源頼光と四天王が「鬼同丸」という盗賊を討伐するエピソードが収録されているが、ここには盗賊退治が鬼退治の話になる過渡期の姿を見てとることができる。

 

武士は勇猛さをアイデンティティとして持つ存在であり、強さをアピールするために鬼などの怪物を退治するストーリーが求められていた。加えて鬼を退治した武士を祖先に持つ一族は、武家政治の正当性を訴えることもできる。酒呑童子を退治した源頼光摂津源氏嫡流であり、鬼退治のエピソードはそのまま鎌倉・室町・江戸と続く武家政権の支柱となる源氏の血統を讃えるものになる。現在知られている「鬼」は、武士により盗賊と同レベルにまで格下げされてしまった存在ということになる。

 

「鬼」という概念はもちろん盗賊に先んじて存在していたのだが、問題は、かつては人知を超えた存在であった「鬼」が、中世には盗賊に等しい存在にまで非・神秘化されてしまった、ということなのだ。それは「鬼」が概念としても「退治」されてしまったことを意味する。この後、「鬼」のリアリティは急速に失われ、「お話」のなかだけの存在、絵画や造形のなかだけの存在へとその位相を変えていく。現代の私たちが知っている「鬼」は、この「退治」された後のものなのだ。(p42)