明晰夢工房

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プロゲーマー・ウメハラと小池龍之介のたどり着いた境地

どんな勝負事でもプロの世界は非常だ。勝っているうちは絶賛されても、負け始めるとすぐに手のひら返しが始まる。プロゲーマーの世界でも同じことで、ウメハラだって少し調子が悪いだけで、「あいつはもう終わったな」なんて動画のコメントで言われてしまう。ウメハラは動画のコメントなんて見ないかもしれないが、試合で負ければ誰だって少しは落ち込む。そんな時にどうメンタルを保てばいいのか。ウメハラの『勝負論』にそのヒントがある。

 

勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

 

ウメハラは一見クールな人間に見える。大きな試合で勝ってもガッツポーズなどはまずしない。その理由はこの本を読むと、試合の勝ち負けと自分自身の価値とをリンクさせていないからだということがわかる。ウメハラに言わせると、大舞台で勝って、あるいは負けて涙を流すような人は危ないのだ。それは勝負の結果という大きく運の要素も絡んでくるもので自分自身の価値を決める行為だからだ。ウメハラは言う。


「負けたことが理由で極端に落ち込む人は、負けたことによってその人の人生すべてが否定されたと思っているのだろうか。たまたま運が向かなくて報われなかったが、では毎日続けてきた努力は全く無価値になったとでも考えているのだろうか。僕なら、今日の試合に勝とうと負けようと、ここに至るまでの自分自身の価値が変わるとは思わない。そして明日は今日より成長する。だから、全く落ち込みはしないのだ」


試合の結果などは、究極的には自分でコントロールできることではない。それよりも成長したかどうかという、自分でコントロールできる部分に集中する。一流の成功者も実践していそうなことである。分野は全く異なるが、仏教の世界でも似たようなメッセージを発している人がいる。

 

考えない練習 (小学館文庫)

考えない練習 (小学館文庫)

 

 この本の3章で小池龍之介は、「観察結果を自我にいちいちフィードバックしない」ことを勧めている。人の顔色を見て、相手が不満そうな表情をしている時にそれが自分のせいだと考えすぎると、気になってうまく話ができない。人からよく思われたい、という煩悩がコミュニケーション能力を低下させてしまうのだ。観察結果を自己評価と切り離し今の自分に何ができるかを考えよという小池龍之介の提案は、試合の結果と自己評価を結び付けず成長することに集中すればよい、というウメハラの態度に通じるものがある。


「たとえば、人は話を聞いている相手がつまらなそうな顔をしていたら、つい、『ああ、この人は自分のせいでつまらない思いをしている』と思いがちです。しかし、それは常に自分の評価を気にする『慢』の煩悩なのです。自分の話を聞いていない人がいたら、それによって自分がどう評価されているかと思うのではなく、冷静に相手の苦を認識するだけにとどめるのです」


どんなに才能があり、あるいは努力を続けていても結果が伴わない時期が人生には必ずある。そういう時期を乗り越えるためには、不遇であることと自分の価値を同一視して落ち込まないようにすることが大事なのかもしれない。メンタルが強いということは打たれ強いということではなく、打たれてもその衝撃が自己価値という本丸に届く前にかわす技術を持っているということなのではないかと思った。