明晰夢工房

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エピクロス派はタイムロッキングコンテナを導入するべきか

 

アンデシュ・ハンセンが大ベストセラー『スマホ脳』でスマホ依存の危険性を説いてから、すでに三年が経った。それでも、スマホの誘惑を断ち切れない人は多い。それなら物理的にスマホとの接触を断つしかないわけで、タイムロッキングコンテナの登場となる。ROLANDさんに至っては自ブランドから「タイムロックポーチ」を発売している。彼ほどストイックな人でもこうした機器が必要になるほど、スマホの誘惑は強力だ。スマホ抜きの生活が難しい現代において、ストイックに生きようとすれば、人はみずからを柱に縛りつけるオデュッセウスのようにならなくてはいけないのだろうか。

 

 

ご存じのとおり、ストイックの語源は古代の哲学の一派、ストア派である。ストア派スマホの使用を制限すべきだろうか。『哲人たちの人生談義』によると、ストア派は「自然に反する魂の動き、あるいは度を越した衝動」をもたないよう、心を鍛錬しなくてはならない。寝る直前までスマホを触りたくなるのは、明らかに「度を越した衝動」だ。ストア派たるもの、スマホを目の前にしても情念に惑わされない状態に至ることが求められる。ストア派の理想とする賢者は、あらゆる情念のない境地「アパテイア」に至った者だが、この境地に達した人物が実際にいたのかはわからない。賢者になれないなら、次善策としてタイムロックコンテナを導入したほうがいいのかもしれない。

 

では、エピクロス派はどうか。エピクロス派は快楽を追求したといわれ、ストア派の対極にあるイメージがある。いくらスマホを見てもよさそうだし、毎日ガチャを回そうが、ネットポルノ漬けになろうが、叱られることはなさそうだ。だが、実はエピクロス派の追及した「快楽」とはそういうものではない。『哲人たちの人生談義』によれば、エピクロスの考える「快楽」とは次のようなものだ。

快楽が人生の目的であると言うときに、われわれが意味しているのは、われわれの説を知らずに同意しない人びとや悪意を持って受け取っている人びとが考えているような放蕩者の快楽や性的な享楽の中にある快楽のことではなく、身体に苦痛がなく、魂に動揺がないことである。(p80)

エピクロスが求めていた快楽とは心が平静であることで、SNSで発言をバズらせたりポルノを見たりして脳を興奮させることではない。ドーパミンがたくさん出るタイプの快楽は、エピクロス派がめざすものではないのだ。確かにエピクロス派は快楽を追求するが、SNSでバズろうとすれば失敗して炎上するかもしれないし、ポルノ漬けの毎日を過ごしていれば不健康になる。一時的な「放蕩者の快楽や性的な享楽」を追求して、結果として苦痛を増やすのは、エピクロス派にとっては避けるべき事態なのである。

 

エピクロス派は心の平静さを求めるため、その邪魔になるものは積極的に排除しなければならない。このため、快楽追及の努力は、ある意味ストイックなものになる。たとえば『ギリシア哲学者列伝』には、エピクロスのこんな言葉が収録されている。

快楽が第一の生得的な善であるからといって、すべての快楽をわれわれが選択するというわけではない。むしろ、それらの快楽からより多くの不快なことが続いて生じるときには、多くの快楽を見送るようなときもある。また、長い時間にわたって苦痛を耐え忍ぶことで、より大きな快楽がわれわれに生じる場合には、多くの苦痛のほうを快楽よりも善いものだとみなすのである。

アンデシュ・ハンセンは『スマホ脳』において、スマホの長時間使用が睡眠障害やうつ、集中力の低下などをもたらすと警告した。これは「快楽からより多くの不快なことが続いて生じる」ことに他ならない。エピクロス派にとってはぜひとも避けるべき事態だ。意志の力でスマホの使用を制限するのが困難なら、エピクロス派は心の平静さを保つため、タイムロッキングコンテナを利用するだろう。スマホを見なくなって空いた時間は何に使うべきだろうか。より上質な快楽追及のために参考になるのは、アンデシュ・ハンセンの『運動脳』だ。

 

 

アンデシュ・ハンセンは『運動脳』で、ウォーキングやランニングでうつ病を予防でき、気分が晴れやかになると説いている。これらの運動はセロトニンノルアドレナリンドーパミンなどの神経伝達物質を分泌させ、感情に影響を与えるからだ。「幸せホルモン」と名づけられるセロトニンは心をリラックスさせてくれるので、エピクロス派がめざす精神の平静さをもたらしてくれる。エピクロス派がこの本を読んだなら、日々運動に励むようになるだろう。『運動脳』に書かれているとおり、ランニングは一時的にはコルチゾールを分泌させ、身体はストレスを感じる。しかし、これはより多くの快楽を感じるために必要な苦痛になる。ランニングを続けていると、身体がストレスに慣れるため、運動以外の原因でストレスを抱えていても、コルチゾールの分泌量が少ししか上がらなくなるのだ。ストレスを減らすことは、幸福が増えることを意味する。日々ランニングを継続できる人は、このような効果を意識的に、あるいは無意識的にわかっているから続けられるのだろう。ストイックに身体を鍛え、栄養に気を配る健康マニア達は、自覚なきエピキュリアンと言えるかもしれない。