明晰夢工房

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【感想】鴻上尚史『「空気」を読んでも従わない』と小声で歌う"This is me"

 

 

先日、ユーチューブで『グレイテスト・ショーマン』の劇中歌"This is me"の動画を観ていた。なんど聴いてもすばらしい歌だ。バーナムの集めたフリークスたちが敵意に満ちた群衆を前に全身全霊で歌いあげるこの曲は、まさに人間賛歌というにふさわしい。長く映画史に残るであろう名曲だ。

 

グレイテスト・ショーマン』を観終えたとき、その余韻に浸りつつ、なぜ日本にはここまで高らかに人間を肯定する作品が少ないのだろう、と思っていた。いや、日本にだって人間賛歌を歌いあげる作品ならいくらもある。ただ日本人の場合、それが"This is me"という形はとらない。自分自身を強く前面には出さない。日本人の自己肯定はもっと控えめなものだ。それは鴻上尚史が本書で説いているとおり、日本人が「世間」というものを深く内面化しているからなのだろう。

 

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本書『「空気」を読んでも従わない』で分析されているとおり、多くの日本人は「中途半端に壊れた世間」の中に生きている。この認識が、鴻上尚史の人生相談のバックボーンになっている。鴻上尚史に寄せられる悩みには、「世間」そのものがラスボスであるものが少なくない。たとえば「うつ病の妹を精神科に通わせたいが、人目が悪いと親が反対している」「帰国子女の娘が学校に派手な服を着ていったらいじめられた」といったものである。

こうした悩みに答えるには、まず「世間」のしくみを知らなくてはならない。息苦しい「世間」を少しでも楽に生き抜くために、まずは世間がどんなルールで動いているかを知る必要がある。鴻上尚史はこの本で世間の5つのルールを解説している。それは以下の5つ。

 

1.年上がえらい

2.「同じ時間」を生きることが大切

3.贈り物が大切

4.仲間外れを作る

5.ミステリアス

 

 5.の「ミステリアス」とはなぜそのルールがあるのか理由がわからないということだが、1~4については多くの人が納得できるものではないだろうか。

3.の「贈り物が大切」について、私はブログ界の「あいさつ文化圏」を思い出した。この界隈の人たちは、ブログを読んでもらったらこちらからも読みにいかないと失礼だと考える。ブクマをもらったらブクマを、スターをもらったらスターを付け返す。そうしなければ失礼と考えているからだろう。

私の中にはそんなルールはないが、これは私がブログは「世間」の外にあるものと考えているからだ。だがおそらく「あいさつ文化圏」の人たちは、世間のルールをそのままブログ内に持ち込み、互いに贈り物を送りあっている。その様子が「互助会」だと批判されることもあるが、これはブログを世間そのものと考える人と、ブログと世間を分ける人とのあいだの文化摩擦だ。日本が日本である以上、いつしかブログの世界も「世間」に飲みこまれていく。これも避けられない流れなのか。

 

世間は人に同調圧力をかけるので、どうしても世間に生きる者は人の顔色をうかがわなくてはならず、自分を肯定する力が弱くなる。この空気の中では、私が私であるだけでかけがえのない価値があるのだ、などとは考えられないからだ。だから鴻上尚史がこの本で指摘しているとおり、日本人の自尊感情は諸外国と比べてとても低くなる。鴻上尚史の人生相談は優しいといわれるが、それは本人の人柄もあるだろうけど、それ以上に日本人の低い自尊感情に配慮している面が大きいのではないか。ただでさえ悩んでいる人は自尊感情を損なわれてしまいがちなのだから。 

世間の力はとても強力なので、鴻上尚史はこれと正面切って戦うことはすすめない。そのかわり、ささやかな抵抗をすることを提案している。たとえばこんな具合である。

 

僕は、この戦いに勝つのは簡単ではないと言いました。

そして、地味な服で登校することをアドバイスしました。

ただし、娘さんに、「今、あなたはいじめっ子ではなく、『日本』と戦っているんだ」と伝えて欲しいと言いました。

そして、「いじめに負けたから、地味な服を着るのではなく、やがて勝つために地味な服を着るんだ」とも伝えて欲しいと。

(中略)

地味な服の彼女を見て、クラスという「世間」は、やっと自分たちの仲間になったと思うでしょう。

でも、家に戻って、友達と遊ぶ時は、着たい服を着るのです。塾に行く時も、同じです。学校以外の場所では、娘さんが着たい派手な服を自由に着るのです。

彼女の親しい友達なら、文句を言うことはないでしょう。塾も、自由な雰囲気の所なら、誰も彼女を問題にしないでしょう。

やがて、一緒に遊ぶ友達が「その服、おしゃれでいいね。私もそんな格好してみたい」と思ってくれたり、言ってくれたりしたら、一歩前進です。

そうやって、クラスで負けて、他の所で勝つのです。

 

これは「帰国子女の娘が学校に派手な服を着ていったらいじめられた」という相談に対するアドバイスだ。全力で世間と戦っても潰されるから小声で"This is me"とつぶやけ、というのである。こういう小さな戦いで勝利を積み重ねることがやがてこの国の大きな「世間」を揺さぶり、変えていくのだと鴻上尚史はいっている。彼は決して無謀な精神論を説いたり、できもしない非現実的なアドバイスはしない。相談者の立場にできるだけ寄り添い、読んでいる人にも実行できそうな提案で希望を見せるからこそ、鴻上尚史の人生相談は評判になっている。

中途半端に壊れているとはいえ、こうした「世間」との付きあい方を指南する人生相談が求められている日本は、まだまだ「世間」の圧力の強い社会といえそうだ。この本で著者は、いずれ日本が帰国子女の女の子がおしゃれをしてもいじめられない国になるため、できることをしようと思っている、と書いている。世間の圧力が薄れ、日本人の自尊感情がもっと高まれば、このような本も読まれなくなるだろうか。鴻上尚史が必要とされているうちは、まだまだ日本は"This is me"といえない社会だ、ということでもある。