明晰夢工房

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【書評】一坂太郎『吉田松陰とその家族 兄を信じた妹たち』

 

吉田松陰とその家族-兄を信じた妹たち (中公新書)
 

 

大河ドラマ『花燃ゆ』の前半は、ほぼ伊勢谷友介演じる吉田松陰の魅力でもっていた。主人公の兄である松陰が処刑され、夫の久坂玄瑞もまた刑死したため、このドラマはしだいに失速していった印象がある。群馬の生糸産業の発展を描いたドラマ後半も必ずしも悪くはなかったが、松陰や高杉晋作などの強烈な個性を持つ人物が出てこないため、どうしても地味なものにならざるを得なかった。

 

『花燃ゆ』のドラマ中で、松陰は松下村塾に集う生徒たちに「ともに学びませんか」と語りかける。上から正しい教えを授けるのではなく、生徒と対等な立場に立とうとする松陰の姿は魅力的だ。だが、史実の松陰の姿はどんなものだっただろうか。本書『吉田松陰とその家族 兄を信じた妹たち』を読めば、大河ドラマとは違うものの、独特の魅力を持っていた松陰の実像が浮かびあがってくる。

 

松陰の生涯を知るうえで忘れてはいけないことがある。それは、幼少期の松陰は学友をもったことがない、ということだ。松陰は長州藩の藩校である明倫館に通った形跡はなく、寺子屋で学んだこともない。松陰の学問の師匠は、父百合之助や叔父の玉木文之進だ。玉木文之進の指導は厳しく、書物を暗唱しているときに蚊を払いのけようとした松陰を殴って失神させたことまである。このようなスパルタ式教育の成果のためか、松陰はわずか9歳で教授見習いとして明倫館に出勤している。

松陰の家系は代々学問好きであり、その血は松陰にも受けつがれていたようだ。とはいうものの、今なら小学生の年齢の子供に教師をさせてしまうのは、重荷を背負わせすぎのような気もする。著者も松陰のこの境遇を「無理やり大人にされてしまった子供が持つ不健康な感は拭いがたい」と評している。11歳で藩主毛利慶親に山鹿流兵学を講義した史実は、松陰のずば抜けた秀才ぶりを示すエピソードとしてよく知られているが、この年で学者という枠に人格を押し込められる痛々しさも感じてしまう。

 

松陰は成長すると、教育好きの青年になる。野山獄に入れられていたころ、囚人たちの心がすさんでいることを知った松陰は、この牢獄を「福堂」に変えようと決意する。獄を更正の場と考え、志と学のある囚人を獄長として獄の運営を任せる。他の囚人を俳諧や書道の師として扱い、みずからも孟子を講義する。松陰のこの牢獄改革は大いに成果をあげ、松陰自身「3、5年を過ぎれば大いに見るべきものがあるだろう」と手紙に記すほどになった。

こういう話を知ると、松陰はやはり天性の教師だったのか、と考えたくなる。だが、これほどに松陰が熱心にものを教えたがるのは、単に生まれもった資質のせいなのだろうか。本当のところはわからないが、幼馴染と机を並べることもなく、大人たちから一対一の指導を受けつつ育った松陰が求めてやまなかったのは、学友ではなかったか。松陰にとっては野山獄に入れられたことも、ともに学ぶ仲間を得るまたとない機会だったかもしれない。

 

松陰はともに語らうことが好きな人だった。妹千代は「松陰は又好んで客を遇せり。御飯時には必ず御飯を出し、客をして空腹を忍んで談話をつづけしむることは決して為さざりき」と松下村塾の会食の様子を回顧している。松下村塾には寄宿生として泊まり込む者もいたが、松陰は寄宿生の食事にも加わっている。幼少期の松陰が望んでも得られなかった学友との交流が、ついに叶えられたようにも思える。松陰の母杉は講義の間に煎り豆やかき餅を焼き、塾生の面倒をみた。幕末の大河ドラマは一種の青春群像劇の雰囲気を持つことが多いが、本書に見る松下村塾の様子からも、志を立て学問にはげむ若者たちの熱気が伝わってくる。松陰がこれらの若者に学問を教えただけであったなら、彼こそが『花燃ゆ』の主人公にふさわしかったかもしれない。

 

だが、松陰には青春群像劇にふさわしからぬ一面がある。松陰は暗殺が時流を作ると考え、安政の大獄を指揮する老中間部詮勝の暗殺をたくらんだ。松陰は実行の人であり、ただの学者になってはいけないと塾生に言い聞かせていた。だからこその暗殺計画なのだが、テロで事を運ぼうとしたことはどうしても松陰の印象を暗くしてしまう。『花燃ゆ』の主人公が松陰の妹の文だったのは、「狂」を崇高な境地とする松陰の価値観を相対化する必要があったからだろう。テロリストを大河の主人公にするわけにはいかない。

一度志を立てるとひたすら突き進む「狂」の資質があればこそ、松陰に影響される人が多かったのは確かだ。高杉晋作が「東行狂生」、桂小五郎が「松菊狂生」を名乗っていたことからも、幕末長州を覆う「狂」の影響力の大きさが見てとれる。この「狂」は爆発的なエネルギーを生むとともに、時に人を無謀な行動に駆り立てる。松陰が黒船に乗り込んだことも「狂」のひとつの表れだ。『花燃ゆ』ではこのような松陰の行動を冷ややかに見つめる人物として、妹の寿が登場する。松陰の猪突猛進についていけない視聴者は寿に感情移入する仕掛けだ。『花燃ゆ』にこの視点があったことはもっと評価されていい。「狂」の資質が強すぎて多くの人を巻き込み、時に不幸にしてしまう松陰への醒めた視点も、この人物を語るうえでは欠かせないはずだ。