明晰夢工房

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参政党代表・神谷宗幣氏の「秋田美人にはロシア人の血が入っている」説はどこから来たのかを探ってみた

参政党代表・神谷宗幣氏が「秋田の色白美人には白系ロシア人の血が入っている」と発言したことが一部で話題になっている。「白系ロシア人」とは本来「ロシア革命に反対して国外に亡命したロシア人」のことを指すが、神谷氏の演説を見るかぎりでは、「色白のロシア人」という意味で使っているように思える。いずれにせよ、秋田県人とロシア人の血が混じって秋田美人が生まれたという話は、普通は耳にすることがなく、かなり突飛なものに思える。この話に根拠はあるのだろうか。このことを考えるとき、ある一冊の本のことを思い出す。

 

 

『秋田美人の謎』の著者は、秋田大学名誉教授も務めた日本古代史の碩学・新野直吉氏だ。この本のなかで、新野氏はある新聞の「知られざる世界」というテレビ番組の紹介文に、「ユニークな新野直吉教授の説」として「秋田美人は、これまで中国人・モンゴル人だけでなく、世界で最も美人種といわれるコーカサス人種との混血もあったのではないか」と書かれているのを発見し、わが目を疑ったと告白している。新野氏がこの「知られざる世界」の紹介文を見たのが1982年で、この番組のサブタイトルは「白色人種との混血か?遺跡から探る秋田美人」だった。新野氏によれば、このテレビ番組の紹介文は、新聞記者が共同で書いた『東北人』の文章を下敷きに書かれたものだ。『東北人』では、新野氏が「秋田美人は、日本海を夢のかけ橋として結ばれた世界一の美人種との混血で生まれたのです」と主張したと書かれており、この説がテレビ番組で紹介されることになったのだという。

 

新野氏が驚いたのは当然で、彼は「秋田県人とコーカサス人の血が混じって秋田美人が生まれた」などとは主張していない。新野氏は環日本海世界における人やモノの交流に注目してきた学者で、古代における渤海国と出羽との関係についても多大な関心を寄せている。『秋田美人の謎』でも、渤海使節団が727年に出羽に着いたのを初めとして、何度も出羽に来航している史実を紹介したうえで、「来航した人々と日本海岸の人々との間に、血の交流もあったことは推定に難くない」と書いている。

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秋田の古代遺跡としては秋田城が有名だが、この城には当時の最先端施設である水洗トイレが存在した。このトイレからは豚を食べる人が感染する寄生虫の卵も発見されている。当時の日本人は豚を食べないから、この豚を食べたのは渤海人ではないかと言われている。当時としては珍しい瓦葺の建物で、水洗トイレが存在する秋田城は、渤海使節をもてなすのにふさわしい建築物だった。

このように、大陸から出羽にやってくる人々が存在したことは事実だが、そのなかにコーカサス人が混じっていたかについては、新野氏は「知る由もないこと」としている。

 

 

渤海は遠方とも交流のあった国家だ。八條忠基氏は『「勘違い」だらけの日本文化史』で、「中央アジアペルシャ系であるソグド人は、沿海州にあった渤海国に往来していました。その渤海国は日本と通行し、商人も来航しています。その一団の中にペルシャ系あるいはコーカソイド(白人)がいたとしても、決しておかしくはありません」と書いている。想像をたくましくすれば、渤海使節団のなかに肌の白い商人が混じっていて、そのうちの何人かが秋田に定着し、地元の女性と結婚することはあったかもしれない。しかしその程度のことでどれほど秋田の女性の肌の色が変わるかは疑わしい。ほとんど影響はないと考えるのが普通ではないだろうか。

 

渤海国日本海沿岸との交流に注目していただけの新野直吉氏が、なぜ「コーカサス人の血が秋田美人を産んだ」と主張したことにされてしまったのかはわからない。ただ、新野氏の環日本海文化の研究は射程が広く、古代史を愛する人々の想像力をくすぐるところがある。たとえば新野氏は、出羽秋田などに古代東北の名馬が存在したのは、アラブ系の馬の血が入っているからだと考えていた。ソグド商人が渤海にもたらした「胡馬」が秋田に渡ったことがその理由だというのだが、このような世界史的スケールで展開される新野氏の説には、さまざまな憶測が入りこむ隙間がある。はるか西方から馬が渤海を介して秋田にやってくるなら、白人だってやってくるかもしれない、と誰かが考えたのではないか。しかしそれはあくまで憶測であって、『秋田美人の謎』では退けられている考えでもある。