明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなど

「ガチ恋おじさんの黄昏」を読み、「優しさ格差」について考えた。

noteの有料記事ですが、先日こういう文章を読みました。

note.mu

「ガチ恋」という言葉は最近知ったんですが、これは「アイドルに対して真剣な恋愛感情を抱き、それをモチベーションにしてアイドルのイベントに参加する行為、またはその人」と記事中では定義されています。スターとしてのアイドルではなく、一人の異性としてアイドルを求める、この記事はそういう「ガチ恋勢」の人へのインタビューをまとめたものです。

 

これがなかなかに辛い内容なんです。私は子供の頃からアイドル、と言うか芸能界そのものにあまり興味がなくて、「推し」のためにCDを何十枚も購入するような人のことはよく理解できなかったのですが、この記事を読んだあとではそういう人にもそれなりに切実な事情があるのだ、と考えるようになりました。

 

現実世界のヒエラルキーが、そのままアイドルファンの格差になる

この記事を読んでいて驚いたのは、アイドルファンの世界にも、男社会のヒエラルキーそのままの格差が存在するらしい、ということです。

この記事における「ガチ恋おじさん」(以下Aさんとします)によると、アイドルファンの世界では、ちゃんとした仕事についていて家庭を持っている、いわば現実社会における勝ち組のような人が発言力が自然と強くなるそうです。

 

アイドルファンの世界では、「ガチ恋」はあまり良く思われないそうです。いえ、一般世間からもあまり良くは思われていないでしょう。恋心が報われることはまずないのだし、あくまで自分はアイドルのパフォーマンスを応援するためにファンをやっているのだ、というのが大人の態度ではあるのでしょう。

その立場からすれば、アイドルが結婚を発表したとしても、少なくとも表向きはこれを祝福するべきだ、ということになります。実際、Aさんの入れ込んでいるアイドルが結婚を発表したときも、Aさんはファンならそれは祝福するべきだ、と言われたそうです。ファンなら推しの幸せを我が事のように喜ぶべきだろう、というのはひとつの正論ではあります。

 

ですが、こういう正論をAさんに言ってくるのがどういう人なのかというと、良い仕事についている人や家庭持ち、恋人のいる人、といった人達なのです。そういったものに恵まれていないAさんからすると、これがとても理不尽なことのように感じられるのです。貴方達がそういう正論を言えるのは、恵まれた立場にいるからでしょう?と。

 

私も創作をする立場の人間ですが、ウェブの小説書きの人の中では「多くのポイントを稼ぐことが大事なんじゃない。少数でも熱心に読んでくれる人がいることのほうが大事」と主張する人を見かけたりします。でも、よく見てみると、そういうことを言っているのは結構多くのファンを抱えていたり、界隈では実力者として有名な人だったりするのです。

「ファンなんて少数でいい」という台詞が吐けるのは、たくさんの評価をもらっているという余裕が背景にあるからではないの?そもそも「少数の熱心なファン」だって、ある程度有名にならないとつかなかったりしませんか?と私なんかは言いたくなったりするのですが、人間、自分の持っているものには無自覚になりがちなもののようです。

「感情貯金」に余裕のある人とない人の格差

 推しのアイドルが結婚しても祝福できる、我がことのように喜べる。なるほど、これは大人として望ましい態度です。ですが、そういう態度を取れる人というのは結局、アイドル以外に心の拠り所を持っているのです。

Aさんにガチ恋なんておかしい、と正論をぶつけてくる人は、家族や恋人、良い仕事など、実生活において心の支えになるものを持っている人ばかりでした。精神的に余裕のある人が、他者の幸せを祝福できるのは当然のことです。しかし、Aさんにはそんな余裕はありません。縋れるものがアイドルしかないのに、なぜ「ガチ恋」をしてはいけないのか?彼に向かってちゃんとした恋人を見つけろなんて言うのは、「パンがなければケーキを」と言っているのと何が違うのか?これは、非常に重い問いであると感じました。

togetter.com

私はこの話を読んでいて、「感情貯金」という概念を思い出しました。このまとめによると、人から優しさなどの好意的感情を多く受け取ってきた人はそれだけ「感情貯金」に余裕ができるので他者にも優しくできるようになり、逆に他者から冷たくされてきた人は貯金が減って精神に余裕がなくなる、ということです。

 

家庭や仕事に恵まれているアイドルファンが「ガチ恋」している人を正論で非難するのは、私には感情貯金をたくさん持っている人が貯金の少ない人を責めている、という話のように思えました。実生活で十分な優しさや承認を受け取っている人は、アイドルに恋愛感情など抱く必要はありません。そんなことをしなくても十分に満たされているからです。

一方、優しさの不足している人からすると、あくまで仕事上のこととはいえ、自分に優しさを向けてくれるアイドルの存在は貴重なものです。そこに恋愛感情が生まれてもおかしくはありません。他に心の隙間を埋めるものが何もないのに、アイドルを異性として好きになるのがなぜいけないのか?と言われたら、私にも返す言葉なんてないのです。

 

 「感情の支払い」は心に余裕のある人にしかできない

ここであえて世間的な立場に立つなら、こう反論することもできます。つまり、「いま家庭に恵まれている人だって努力してその地位を獲得したんだから、優しさが足りないというのなら優しさを得られるような人間になるべく努力するべきだ」と。

欲しいのならまず与えよ。優しさはその対価として得られるものなのだ。これは間違いのない正論です。そもそもアイドルもその容姿やパフォーマンスで多くを他者に与えているからこそ、代わりにファンの賞賛を得られるのですから。

 

ですが、「感情貯金」が少ない人が、その少ない貯金の中から優しさを他者に向けるのは難しいものです。アイドルに縋らなければいけないほど心に余裕のない人に、果たしてそんなことが可能なのか。「感情労働」という言葉があるように、人に気を使うだけでも精神は摩耗するものです。であれば、まずどうすれば「感情貯金」を貯めることができるのか?という話になると思いますが、これもなかなか簡単ではありません。

 

saavedra.hatenablog.com

これは以前書いたエントリですが、『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』作者の永田カビさんは、どうしても満たされない心の隙間を埋める方法として、まずは「レズ風俗に行く」という方法を選びました。あくまで商行為としてではあれ、生身の人間と触れ合うことで満たされるものが、確かにあるのです。風俗とは違いますが、アイドルの握手会にだって似たような面はあるでしょう。

でもこれでは不十分ですし、心を満たすのにお金が必要になってしまいます。結局、永田さんの心が本当に満たされたのは、このレポ漫画が評判になり、世間に認められたことでした。彼女はこの経験を「甘い蜜が大量に口に注ぎ込まれた」と象徴的に表現しています。長い間ずっとマイナスだった感情の収支が、ようやくプラスになったのです。

 

おそらく、この「感情貯金」を増やすための一般的な解というのは存在しないでしょう。永田さんの体験談はかなり特殊ですし、だからこそ漫画として売る価値もあるのですが、こういう形で世間に受けいられる例は稀です。永田さんには漫画という武器がありましたが、多くの人はそういうものを持っていません。持たざるものが人の優しさを受け取れる側になるには、どうすればいいのか?答えは宙に舞っているのです。

 

「優しさ格差」の差は埋めがたい

 「既婚男性はモテる」なんて話を時折聞くことがあります。女性に結婚しても良いと思わせた「品質保証」があり、結婚しているからもう相手を探す必要が無いという余裕がそうさせるのでしょう。これを逆から見ると、今孤独な人は孤独であるがゆえに余裕がなく、他者に好感を与えづらいために孤独から抜け出しにくい、という構図も見えてきます。

 優しさを得やすい人と得にくい人の間には、こうした残酷なまでの非対称性があります。これが経済格差なら、財源さえあればお金のない人にお金を与えることは可能です。でも、優しさを得られていない人に、優しさを分配することは果たして可能なのか?

この記事の中でAさんは、「もっとやさしくして欲しい」と語っていました。優しさに飢えているからこそアイドルを好きになってしまうのだから、これが偽らざる本音でしょう。彼から見れば、優しさに十分恵まれている(ように見える)既婚者や恋人持ちの人がガチ恋を批判するのは、ただの強者の論理でしかないのかもしれません。

 

うろ覚えですが、以前ONE PIECEのどこかで人形たちが友達のいない人の友達に、恋人のいない人の恋人になってあげたという話を読んだことがあります。一時はつまらなくなったとかいろいろ言われていたONE PIECEではありますが(最近また盛り返してますが)、こういう話が書けるだけでも尾田栄一郎という人は凄いと思います。

ですが、こんな「やさしい世界」はリアルには存在しません。友だちがいない人は友達が、恋人がいない人は恋人が余計に得にくくなってしまうのが現実です。

 

優しさが平等に配分されないこと、それ自体はどうしようもないことかもしれません。ただ、だからこそ、今アイドルのような存在に夢中になっている人に「もっとまともな生き方しろよ」などと言えるのは自分がそうせずにいられるほど恵まれた立場にいるからではないのか、と省みることも、時に必要なのではないかと思います。