タイトル通り硬い内容を想像していたが、読んでみると思っていたよりずっと面白い一冊だった。この一冊で両班・中人・良人・賤人の四身分からなる李氏朝鮮の社会を俯瞰することができる。村祭りの様子や賤民が両班に成り上がる方法、芸能民や最下級の賤民「白丁」など周縁的存在の生活、宮女や妓生などの女性の境遇など、幅広いトピックを扱っているので気になる箇所を読むだけでも楽しめるし、通読すれば朝鮮社会の基層をなす「這い上がり志向」と「分かち合い志向」をよく理解できる。この二つは朝鮮社会を理解するうえでの重要キーワードで、本書では何度も登場する。
朝鮮における「這い上がり志向」を示すものとして、民衆の両班志向があげられる。両は最上位の身分だが、一章『朝鮮社会の儒教化』によると朝鮮では身分上昇の手段が多く、たとえば武科(武官の科挙)に合格すれば賎人にも両班になる道が開かれた。科挙応試前の「幼学」は両班のように振舞える身分で、軍役を免除されたが、良人が郷校に入学するか、役人に賄賂を送って幼学の戸籍を手に入れれば幼学扱いになった。こうして両班扱いされる者が増えたため、軍役を負担する良人が減り、軍布(軍役の代わりに納める布)の負担が重くなり、民衆は困窮した。富民の義捐により民衆が救われることもあるが、義捐もまた身分上昇のチャンスになるため、やはり良人を減らすことになってしまう。両班になるチャンスがある社会は、両班になれないものが苦しむ社会でもあった。
朝鮮民衆の生活を特徴づける要素として、「開かれた村」がある。これは朝鮮社会のもうひとつの特徴「分かち合い志向」を示すものだ。第二章「民衆の生活と文化」によると、朝鮮の村落では相互扶助の精神が強く、村人は農具や牛を自由に借りられ、病気になれば薬をただで提供してもらえたという。よその村に移住すれば人々が彼を助け、小さな住まいを作ってくれるため、人生のリセットも容易だった。よそ者にも食を分け合う習慣があるため、旅に出るときもあまり準備が必要なく、金笠のように無一文で全国を旅する放浪詩人も存在した。相手が誰であれ、食事時に訪ねてきた人にもてなしをしないことは恥とされたため、朝鮮ではよその土地でも人々の扶助を当てにすることができた。
朝鮮社会に「這い上がり志向」があるとはいえ、女性はそこから漏れる存在だ。第4章「女性のフォークロア」によれば、儒教の力が強い朝鮮では「嫁ぐ前は父に従い、嫁いでからは夫に従い、夫が死してからは子に従う」という「三従の義」が女性を拘束した。両班の妻は閨房の奥に閉じ込められ、庶民の妻は家事と子育てと労働に追われて少しも休むひまはない。両班の妻は再婚が許されず、学問も認められないなど、女性にとってはかなり窮屈な社会だった。こうした女性たちのストレスを受け止める役割を持っていたのが仏教で、両班も庶民の女性もしばしば山寺を訪れた。儒教国家である朝鮮では仏教が何度も弾圧されているが、それでも寺院参拝を禁止することはできなかった。寺院は女性たちのアジールであり、陽の儒教に対して陰の存在として求められ続けていた。
この「這い上がり志向」と「分かち合い志向」の二つの要素を持っていた運動が甲午農民戦争だ。第5章「民衆運動の政治文化」によると、この戦争における農民軍では両班と白丁(最下層の賤民)や巫覡が互いを先生と呼び合い、敬意を払ったという。士族や富民があちこちで財産を奪われたが、東学(崔済愚の創始した宗教)に入教すれば賤民でも一般民と平等に扱われ、食に困ることはなかった。しかし、民衆はやがて先鋭化し、通俗道徳の廃棄を求めるようになったため、指導者層の全琫準らとの間に齟齬が生じてくる。全琫準の掲げる東学思想には君子=両班になるという上昇志向があり、これは民衆の平等志向とは相容れない。両班を憎みつつ両班になりたいという相矛盾する朝鮮社会のベクトルは、この戦争において顕著に表れていた。
こうした朝鮮社会の特徴は、現代にも受け継がれていると著者は指摘する。第8章「民衆の行方と現在」では、厳しい競争社会になっている現代韓国もまた、「這い上がり志向」の社会であると説かれる。首都圏への一極集中や激しい学歴競争、強いホワイトカラー志向などがその表れだ。一方で、分かち合い志向も人におごる文化や寄付する文化、また親族間や友人間のみならず宗教や学閥・地縁による相互扶助という形で残っている。過酷な競争社会が少子化の一因というのが著者の見解だが、這い上がり志向が強すぎる社会はそれだけ生きづらいようだ。これに歯止めをかけられるかに、韓国の未来がかかっていると本書は結論づけている。
新自由主義が吹き荒れるグローバリゼーションの中で這い上がり型志向は、分かち合い型志向との均衡を崩し、それを凌駕しているようにみえる。分かち合い型社会の発展はひとえに、権威主義に対抗する公論や異議申し立ての政治文化が人々の努力によって市民的に止揚されるかどうかにかかっている。いわば韓国は現在、朝鮮王朝時代から続く政治文化の大きな歴史的転換点にさしかかっているのである。(p279)