明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

「貴方のこと、ここの常連にしてあげようか?」

気分が優れないので保健室を訪れ、しばらく養護教諭と話し込むうちに、彼女は突然そんなことを言い出した。少し戸惑いつつ私が周りを見回すと、素行が悪いことで知られていた生徒が壁際のベッドからのっそりと身を起こしたところだった。その様子を見て、私にもなんとなく今起きている事態が呑み込めてきた。

 

つまり、彼女は私があの生徒のように授業を抜け出してきて、一時の安らぎをこの場に求めてきたと思ったのだろう。ベッドに横たわっていた女子生徒はよく授業をさぼっている子だったが、彼女が足繁くこの場に通っていたことは容易に想像できる。私も彼女のようにしばしばここに通うようになると、私の顔色を見て判断したに違いない。

 

私は別にそういうつもりで来たわけではない、と言おうと口を開きかけたが、彼女が一方的に自分語りを始めたので、私は押し黙ってしまった。この人は、自分は私の仲間なのだと見せかけようとしている。顔の色艶もあまりよくないし、目元もどこか暗く、尖った顎のラインが神経質そうで養護教諭という言葉から連想される温かみからは程遠い人だったが、それでも馴れ馴れしく私に語りかける彼女は、どうやら生徒思いのいい先生のつもりらしかった。

 

「貴方は石川達三って知ってる?私が高校時代、その人の小説をよく読んでたのね」

 

そう話を振られても私は困ってしまう。そんな昔の作家の小説なんて私は読んだことがないし、仮に読んでいたとしても彼女と文学の話なんてする気はさらさらないのだ。私はちょっと具合が悪かっただけで、この場の常連などになるつもりはなかったのだから。

 

その後、彼女が何を話したのかはよく覚えていない。彼女に大した興味もなかったので、言葉が全て意識を上滑りしてしまったのだろう。保健室を去る時には、妙な徒労感だけが肩に降り積もっていた。養護教諭が私を「救いを求めに来た生徒」という枠に押し込めて得々と自分語りを続け、自分は優しく生徒を包み込む良い先生だと思い込みたかっただけなのだと思うと、なんだか利用されたようで妙に腹立たしかった。もう二度とあの保健室の扉をくぐることはないだろう、とその時は思った。

 

月日は流れて、私は国立大学に進学し、やがて就職活動の時期を迎えた。面接対策のマニュアルを読み、数多くの企業を訪問するうち、社会人になるとは社会人という器に自分を嵌め込むことなのだ、と次第に悟るようになった。またいつものように面接に落ち、肩を落としてアパートに帰ったある日、テレビをつけるとこんな寓話が放映されていた。

 

「昔々、あるところにとても顔の怖い王様がいました。王様は美しい王妃をめとることになりましたが、彼女を怖がらせないよう、優しい顔の仮面をかぶることにしました。二人はしばらく幸せに暮らしましたが、王様は王妃様をだましていることに耐えられなくなり、ある日思い切って仮面を外すことにしました。するとどういうことでしょう、仮面の下から現れた素顔も、すっかり優しい顔に変わっていたのです」

 

この話を聞いたとき、私の頭の中を電光が貫くような感覚を味わった。あの養護教諭の顔が、ありありと脳内に蘇ってきた。彼女は優しい先生という自己像に酔いたかったのではなく、養護教諭にふさわしい、優しい顔の仮面をかぶろうとしていたのではないのか。若く未熟な私は、それを見抜けなかった。彼女はどこまでも自己の職務に忠実であろうとしていただけだったのだ。

高校生との会話に石川達三を持ち出すような彼女は不器用な人に決まっている。彼女はただ不器用で、上手く優しい先生を演じきれていなかっただけだ。でも、演じようとしていただけで十分なはずだ。王妃のために優しい仮面をかぶろうとしていた王様は、その時点で優しい人だったのだから。

 

ようやく就職が決まり、卒業を間近に控えて時間に余裕のできた私は、ふと石川達三の『青春の蹉跌』を手にとってみた。とても生真面目な小説だった。こういうものを好んでいた彼女もまた、生真面目な人だったのだろう。生真面目で不器用な彼女は、生真面目に生徒の望む養護教諭であり続けようとしていた。あの顔色の悪さも目元の暗さも、そのストレスの現れだったのかもしれない。

 

日々保健室を訪れる生徒たちは彼女の前で悩みを吐露できても、養護教諭である彼女はどこにも苦しみを吐き出す場所がない。であるなら、私もあの時、もう少し真剣に彼女の自分語りを聞くべきだっただろうか。石川達三をあの頃読んでいればもう少し話も弾み、彼女の気も晴れていたかもしれないが、こういう洞察はいつだって遅れてやってくるものなのだ。

 

青春の蹉跌 (新潮文庫)

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