明晰夢工房

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精霊の守り人外伝『風と行く者』感想:今回はロタ王国を中心とする過去編

 

守り人シリーズはしばらく短編集の刊行が続いていたが、今度は長編。冒頭でバルサとタンダのやり取りが書かれているので、いよいよタルシュ帝国との戦いが終わり平和になった新ヨゴ王国での物語が始まるのか、と思っているとやはりというか、話は過去へ飛ぶ。ジグロの出番が多いので『闇の守り人』好きなファンは必読だろう。

 

今回の物語の舞台の中心はロタ王国で、「風の楽人」であるサダン・タラムの護衛を引き受けたバルサとジグロの数奇な運命が描かれる。表向きは旅芸人として暮らしているサダン・タラムは戦没者の鎮魂の使命を帯びており、ロタ王国北部の「森の王の谷間」をめざして旅をしているが、道中で一座は何者かに命を狙われる。襲い来る暗殺者の襲撃から一座を守りつつ旅を続けるうち、ジグロとバルサはロタ王国の歴史に隠された苦い真実にたどりつくことになる。ターサ氏族とロタ氏族の争いのなかで起きたこの事件は、ファンタジーとはいえ現実的にも起こり得るものだ。優れたファンタジーは架空の世界のなかにも現実を描く。

 

重いストーリーでありながら、苦境にあえぎつつも前を向こうとするサダン・タラムの人々の姿や氏族の誇りを守りつつ未来を切り開いていこうとするターサ氏族とロタ氏族の知恵と勇気、何よりジグロの不器用な優しさが物語にぬくもりを与えている。そして今回もいつも通り、食べ物の描写が秀逸。果実のジャムをつけて食べる羊の炙り肉を自慢するターサの農婦の台詞を読むだけで、ほんとうにこの世界が実在しているように思えてくるから不思議なものだ。こうした細部まで作りこまれた設定が、作品に確かな質感を与える。そして今回は意外にもジグロの身の上に艶めいた話があったりするのだが、過酷な用心棒稼業の合間に潤いを与えてやりたいと作者も思ったのだろうか。ジグロに嫉妬めいた感情を覚えるバルサの姿も今まであまり描かれなかったものだ。

 

ジグロが出てくると物語が引き締まるのはいつものことだが、もう世界は平和になったのだからそろそろ過去の呪縛からバルサを解放してやってもよくはないか、なんて思ってしまう。しかし上橋菜穂子は『炎路を行く者』のあとがきで自分は物語を描きたいという衝動がやってきたが降ってきた時しか書かないと書いていたので、これは何者かに書かされているストーリーということなのだろう。作者だからといってすべて自分で物語をコントロールすることはできない。

この物語が終わったことで、ジグロの出番も終わったのだろうか。そろそろバルサとタンダの未来の話が読みたい気もするが、それが実現するには作者の頭にそのようなストーリーが降りてくるのを待たなくてはならない。