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『殿、利息でござる!』はこのタイトルから想起されるようなコメディ的な箇所はあまりなく、むしろわりと地味な映画といえる。だがこれでいい。もともと実話なのだから、過剰な演出も変な脚色も必要ないし、あったことをそのまま描くだけで十分にドラマチックな話になる。浅野屋が夜逃げする大工を助けた部分はフィクションだったようだが、浅野屋が貧しいものに親切だったのは本当のことだ。
ストーリーは貧しくなる一方の宿場町の危機を救うため、主人公の穀田屋十三郎が友人で茶師の菅原屋篤平治と組み、資金を集めて仙台藩に貸し付け、利息を取ることにした……というもの。
こう文章にしてみれば簡単だが、当時で1000両(約3億円)程度の資金を集めるのは並大抵のことではないし、仮に集められたとしても仙台藩がこの申し出を受け入れるかどうかもわからない。菅原屋篤平治は仙台藩が資金不足に陥っていることを正確に見抜いていたが、出入司の萱場杢のようにこのプランを邪魔する役人も現れる。このような困難を乗り越えてついに藩への貸し付けを成功させた吉岡宿の町人たちの意志力と知恵は本当にすごい。特に、父親の代から吉岡宿のために銭を貯めていた浅野屋の自己犠牲の精神は感動的だ。この人物は原作のタイトルとおり、まさに「無私の日本人」だ。これほど立派な人が本当にいたのか、と驚かされる。
しかしながら、この作品で一番驚いたのは、藩からの利息の取り立てに成功したこと、ではない。それ自体ももちろんすごいことなのだが、それ以上に凄かったのは、この計画を実現させた町人たちの謙虚さだ。
この『殿、利息でござる!』の中では、出資者の九人を集めて「慎みの箇条」に署名させている。これは、子々孫々の代にいたるまで、上座に座らないことを約束させたものである。つまり、吉岡宿を救うために資金を出したことを誇ってはならない、ということだ。これは、驚くべきことだと思う。出資したお金は一円も帰ってくるわけではないし、出した側にはなんの利益もない。仙台藩から取った利息は村民に分配され、吉岡宿を救済されるために使われるからだ。せめて名誉くらい求めたっていいではないかと普通は思うだろう。
しかし、吉岡宿の出資者たちは自分を誇ることすら認めなかった。これは、共同体を維持していくための深い知恵なのだと思う。実は穀田屋が資金を集めているとき、出資を断った商人たちの悪評が吉岡宿で流れた。出資者が赤穂義士にように讃えられるようでは、狭い共同体の中に格差が生まれ、暮らしにくい世界になってしまう。それではいけないと考えた大肝煎の千坂が、出資者に己を慎むことを求めた。吉岡宿を救えても、そのあとの町の雰囲気がギスギスしてしまったのでは意味がないのだ。
共同体のために自分を犠牲にするだとか、周囲の空気を読むと言った日本人の特性は、あまり良くないものと言われることもある。しかし、どんな性質もそれ自体は善でも悪でもありえない。この場合、あまり個を強く押し出すことを良しとしない日本人の性質はプラスに働いたと言えるだろう。「あの家が500貫文出しているのに自分がそれより少なくてはみっともない」といった描写が本作にはあるが、こういう世間の目を気にするという風潮もまた資金を集める上では役に立っている。結局、どんな性質も使い方次第だ。
世間を気にすると言えば、本作で羽生結弦選手が演じている仙台藩主・伊達重村は、名君に見られたい人だったようだ。伊達重村は後に浅野屋甚内のもとを訪れ、「霜夜」「寒月」「春風」の3つを酒銘にせよと命じている。おかげで浅野屋の酒は飛ぶように売れ、資金を出しすぎたために危機に陥っていた浅野屋の経営は持ち直した。これもまた、人の目を気にすることの良い面のひとつの表れといえるだろうか。