明晰夢工房

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かっこいいチョンマゲのやめ方

 

 

磯田道史氏は「江戸人はどんな手順でチョンマゲを切って新しいヘアスタイルにしたのか」と子どもに訊かれ、答えに窮したことがあったという。子供が考えた手順は以下の三つ。

 

1.髪を全部剃ってから伸ばす

2.まず月代を伸ばしてからチョンマゲを切る

3.まずチョンマゲを切って落ち武者スタイルにしてから髪を伸ばす

 

磯田氏は2が多かったのではないか、と答えたものの、根拠は示せなかった。だが質問を受けた三日後、ちょうどいい史料を京都の古書店で見つけたという。これは明治五年に書かれた断髪推進派の投書だが、『日本史を暴く』にこの投書の内容が載っている。

 

髷を切る時、最上の「第一等」と称賛されているのは、<1>の髪を全部剃る方法である。「寒くなる時候を恐れず、一気に剃り落とした気象は天晴な大丈夫である。追って伸びた髪の癖も良く見事な断髪になるだろう」とある。きっと、こんな思い切った潔い人は少なかったのだろう。

たいていは<2>の月代部分を伸ばしてから髷を切った。これは<1>ほど潔くないから「第二等」とされ「先日以来、風邪で少々、月代が伸びたのを、その儘に挟んでいるのは、ごもっともで申し分ない」としている。「第三等」とされているのはチョンマゲを切る準備をしている人である。(p169)

 

思い切って全部剃る決断力のある人は少ないから、これが「第一等」とされていたようだ。月代が伸びてから髷を切るのが一番無理がなさそうだが、伸ばしながらも髷を切る決断ができない人もいただろう。そんな人は第三等になるようだ。なお、第五等として、髷を切って撫でつけている例も紹介されている。やはり落ち武者スタイルは歓迎されなかったのだろうか。

 

『日本史を暴く』には仙台藩兵の日記についてのエッセイも載っているが、この日記によれば、月代を剃るのは六日に一回程度だったそうだ。こんな面倒な髪形はさっさとやめたらいいのに、と現代人は思ってしまうが、明治六年には敦賀で断髪脱刀に反対する一揆が起きている。旧習へのこだわりは簡単には断ち切れない。意識改革をうながすためか、先の投書ではチョンマゲをやめない人を最低の「等外」と評している。