明晰夢工房

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キング牧師の「道徳的柔術」がアメリカを変えた──黒崎真『マーティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士』

マーティン・ルーサー・キングという人の一般的なイメージは「演説家」だろう。もちろんそれは正しい。キング牧師が演説家として卓越した能力をもっていたことは事実だ。ただ、差別解消のための手段として見るなら、演説は正しい戦術と組み合わせることではじめて効果を発揮する。キングが生き方として選んだ「非暴力」は、ただの理想や綺麗事などではなく、差別反対運動を勝利に導くための具体的な「戦術」でもあったということを、本書『マーティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士』は教えてくれる。

 

マーティン・ルーサー・キング――非暴力の闘士 (岩波新書)

マーティン・ルーサー・キング――非暴力の闘士 (岩波新書)

 

 キングの駆使した「道徳的柔術」とはなにか

 よく知られているとおり、キングはガンディーから非暴力の哲学を受け継いでいる。キングがガンディーの哲学を学んだのはグレッグの『非暴力の力』だが、グレッグは本書の中で非暴力のメカニズムを「道徳的柔術」と表現している。グレッグは非暴力の抵抗の効果をこのように説く。

 

非暴力の抗議者を敵が暴力で攻撃すると、敵の道徳的正当性は失われ、それを契機に内部分裂が起こる可能性が高まる。また、道徳的正当性を失った敵の暴力は逆効果を生み、抗議者を一層増やし結束させる。さらに、メディアが活用されると、世界の世論までも含めた第三者を味方につけることが可能になる。メディアの前では敵も無制限の暴力を慎む傾向が生まれる。こうした「柔術的メカニズム」が結果的に「自衛」へとつながる。非暴力は「自衛」を放棄しているのではなく、それを別の次元で捉え実現する方法なのである。

 

そううまくいくのだろうか、と思うが、実際この「道徳的柔術」をキングは最大限に駆使した。キングが闘争のターゲットに選んだバーミンガムは黒人差別の激しい土地で、州知事ジョージ・ウォレスは「今も人種隔離を、明日も人種隔離を、永遠に人種隔離を」と主張する人種主義者だったが、この地におけるデモがキングの勝利を決定的にした。

キングは非暴力活動家ベヴェルの提案を受け、10代の子供をデモに参加させることにした。子供なら失職の心配がなく、また参加希望者も多いという理由からである。5月2日、バプテスト協会には高校生を中心に千人以上の参加者が集まった。翌日、警官隊は警察犬をけしかけ、服が裂けるほどの高圧放水を行い、警棒で参加者を殴打した。この様子は新聞とテレビ局がこぞって報道したため、「焼け付くような非難」がバーミンガムに殺到した。黒人の子供の非暴力vs白人警官の暴力というドラマはケネディ大統領をして「吐き気がする」という台詞を吐かしめた。「道徳的柔術」は、ここにおいてグレッグが主張したとおりの効果を発揮した。これらの活動がやがて公民権法の成立という形で実を結ぶことになる。

 

バーミンガムという南部で最も人種差別の激しい土地を闘争の舞台に選んだキングは、ただの演説家などではなく、第一級の戦略家でもあっただろう。キングは勾留されたが、バーミンガム獄中からの手紙で「もし抑圧された感情が非暴力的方法で解放されなければ、その感情は暴力を通して実現されていくでしょう」と述べている。ある意味脅しとも取れる文言だ。非暴力=穏健でおとなしい、ではまったくない。キングの唱えた非暴力とはどこまでも差別をなくすための現実的な戦術であり、グレッグが主張したとおり、それは暴力を伴わない「戦争」だった。

 

非暴力を貫くための徹底的なロールプレイ

しかし、非暴力を貫くのは並大抵のことではない。南部においてはすさまじい黒人差別が横行しており、KKK団が日常的に黒人へのリンチを繰り返し、教会を爆破している。このような現状があるため、ロバート・ウィリアムズのような黒人の武装自衛を説く一派も存在しており、一定の支持を得ていた。暴力には暴力で応じるというのも自然な感情であって、だからこそ人類の歴史は数多くの暴力で彩られてきた。

しかし、「道徳的柔術」を用いるキングは黒人に非暴力を徹底させなければならない。ここで興味深いのが、本書に紹介されている「非暴力ワークショップ」だ。キングと関わりの深い黒人牧師ジェームズ・ローソンの主催していた非暴力ワークショップは三段階に分かれているが、第三段階では「社会劇」というロールプレイを行う。その内容は驚くべきものだ。

 

ランチカウンターのシット・インの場面を設定し、参加者はカウンター席に座る。南部白人役の者は、参加者に顔の前で「このニガー」「猿」「神は白人だぞ」と罵り続ける。小突く、頭からケチャップやミルクをかける。顔に唾を吐きかける。椅子を揺らして引きずり倒す。参加者は、それでも冷静さを保ち、礼儀正しい言葉を使い、非暴力を貫けるよう訓練する。

 

こうして徹底的な自己統制力を身につけることで、参加者は屈辱的な目にあわされても暴力でやり返さないようになる。非暴力は学ぶことができるものなのだ。それは逆に言えば、ここまで徹底しなければ人は容易に暴力をふるってしまうものである、ということの証明でもある。激しい迫害を受けてきた黒人であればなおさらのことだ。これほどまでに、非暴力を貫くのは難しい。それは、のちにキングの率いたメンフィスの「貧者の更新」の参加者が商店の略奪を働いてしまった事実が証明している。キングが暗殺された後もまた、アメリカ各地で暴動が起きてしまった。

 

非暴力を「生き方」としなければならなかったキングの苦悩

このように、非暴力とはあくまで反差別闘争を勝利に導くための「戦術」だった。しかし、デモの一参加者にとってはそれでよくても、非暴力の指導者であるキングはそれを「生き方」としなくてはならない、ということを、若い頃にガンディー主義者から学んでいる。そして非暴力という「生き方」を貫くなら、それは結局反戦にまで行きつくことになる。当然、キングも公然とベトナム戦争に反対を唱える。

しかし、愛国心の高揚するアメリカではキングの反戦表明は激しい非難を呼び起こした。しかも、公民権運動の黒人指導者までもがキングを非難した。これは第二次大戦において、戦争に協力することで軍需部門での雇用差別が解消されたという歴史に鑑みたからなのだが、キングは最後まで反戦の主張を翻すことはなかった。

 

書き換えられるキングの公的記憶

 

キングがその後半生において力を入れていたのは、反戦と反貧困だ。黒人の法的平等を勝ち取ったキングは、アメリカにおける問題が公民権から人権へ移ったと主張している。つまりはまともな生活をおくるための社会権である。アメリカの4000万人の貧困者を放置できなかったキングは、FBIからの弱体化工作を受けながらも政府に貧困対策を求めるデモ活動を行っているが、こうしたキングの後半生の活動はあまり知られていない。

それは、キングの公的記憶が書き換えられているからだ、と本書では主張している。キングの死後、レーガン大統領は「キング牧師は法的平等を生涯の仕事とした」と語り、キング国民祝日には彼の実践した隣人愛の教えを思い出そうと呼びかけている。このレーガンの所見からは、キングの反戦活動や反貧困活動が消し去られてしまっている。「強いアメリカ」を標榜したレーガン政権は当然、キングの反戦活動とは相容れない。レーガン政権期に確立した「小さな政府」路線もまた、キングが求めた経済的パワーの再配分とは程遠いものだ。かくて、キングのイメージは前半生で力を注いだ公民権運動の活動家、というところで固定することになる。日本におけるキングのイメージもだいたいこのあたりだろう。

しかし、このキングの公的記憶は変わらないわけではない。実際、オバマ大統領はキング国民祝日の布告で、国際平和についても言及している。キングの晩年の活動については、前半生と同様もっと知られる価値があるように思える。本書の存在意義は、この知られざるキング像を読者に伝えてくれるところにもある。