明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

【感想】貴堂嘉之『南北戦争の時代 19世紀(シリーズアメリカ合衆国史2)』

 

南北戦争の時代 19世紀 (岩波新書)

南北戦争の時代 19世紀 (岩波新書)

 

 

岩波新書のシリーズアメリカ合衆国史の2冊目。わかりやすく読みやすい。第1章では西漸運動の展開について書かれているが、読みすすめるとアメリカの領土が大きく西方へと膨張していったことが、南北戦争の序章となったことがよくわかってくる。

 

1840年以来、アメリカは領土拡大の時代をむかえた。テキサスやオレゴン、カリフォルニア、ニューメキシコを獲得したアメリカは、太平洋岸へといたる広大な領土を持つに至る。民主党員のジャーナリストであるジョン・L・オサリヴァンがこの西部への領土拡張を「明白な運命(マニフェスト・デスティニー)」と呼んだことはよく知られているが、この領土拡張は先住民の大きな犠牲をともなうものであり、「帝国」としてのアメリカが形成される過程でもあった。

 

こうして新たに獲得された西方の領土をどのような形で連邦に組み込むかで、北部と南部で深刻な対立が生じることになる。すなわち、この肥沃な土地を綿花を育てる奴隷農園とするのか、ヨーロッパからの移民が独立自営するための農地とするか、である。南北間の緊張が高まる中、1854年に制定されたカンザスネブラスカ法は先住民権の原則を導入したため、奴隷制支持派と反対派がカンザスへ競って移住者を送り込み、両者の対立は深刻化してついには「流血のカンザス」と呼ばれる武力衝突が起きている。

 

この事件の3年後、リンカンが有名な「分かたれたる家」の演説のなかで、自分の望みは連邦の分断が回避されることだけだと語っている。この時点でのリンカンは奴隷制の拡大には反対しているが、南部社会の奴隷制には干渉しないと表明している。リンカンは最初から奴隷解放論者だったわけではなく、ここでは奴隷解放よりもアメリカの分断を避けることを優先していた。リンカンは1852年ごろから白人と黒人の分離が人種問題をふせぐ唯一の解決策だと考えており、そのためには黒人をアフリカへ植民させるしかないと訴えていた。実際、かれは1962年にはハイチやリベリアへ黒人を植民させる計画を立てて北部・西武では大きな支持を得ていたが、これはこの時期のアメリカがリンカンですら白人と黒人の共存を主張できるような時代ではなかったということの表れでもある。

 

だが、南北戦争が継続するにつれ、リンカンの姿勢も変化してくる。リンカンが食糧支援をおこなったサムター要塞への発砲をきっかけに始まった南北戦争自体が、奴隷解放が必要な状況を生み出すことになった。

 

しかし、戦争の現実が奴隷解放を必要なものとしていった。連邦軍が南部に進軍すると、プランテーションから逃亡した何千という奴隷たちが軍キャンプを取り巻く事態が生じたのである。マサチューセッツ出身のバトラー将軍は、1861年5月には早くも、逃亡奴隷を「戦時禁制品」として没収し、軍隊で使役した。 (p115)

 

奴隷解放をためらうリンカンの背中を押した共和党急進派も、奴隷解放を人道的立場からではなく、軍事的に必要な手段として布告すべきだとアドバイスした。そして1862年9月22日、リンカンは奴隷解放宣言を布告することになる。以後、南北戦争は連邦維持のための戦争から、奴隷解放という社会変革のための戦争へとその性格を変えることになった。

 

しかし南北戦争終結し、リンカンが凶弾に倒れたのちの南部社会にはいまだ課題が多い。黒人奴隷たちの望みはプランテーションに縛り付けられた生活から解放されることだったが、共和党急進派による黒人を自営農とするための土地分配はごく一部の地域でしか実行されなかった。西部開拓のため作られたホームステッド法では、白人の自営農向けに一区画160エーカーの土地が無償で払い下げられているのに対し、黒人向けにはその4分の1の土地を分配することもできなかった。

結局、解放された多くの黒人はシェア・クロッピング制度のもとで働かなくてはいけなかったが、この制度下における黒人の生活の実態はこのようなものである。

 

この制度は黒人農民の家族労働を基盤に1870年代には南部社会に定着していくが、綿花生産を強制されるなどプランターとの関係はきわめて従属的なものであった。また、プランターからだけでなく、農村の商人らからも生活品を現物で前借りし、綿花で債務を返済するクロップ・リエン制度によって、解放民は借金まみれとなり、ますます土地に縛られることとなった。(p145) 

 

南北戦争は、確かに奴隷解放という積極的な歴史的意義を持つ。だが本書によれば、南北戦争では62万人以上が戦死し、その二倍以上の兵士が病死している。この戦死者数は13歳から43歳までの白人男性のうち、実に8%もの割合を占める。この戦争が近代最初の総力戦といわれるゆえんである。これほどの犠牲を出さなければ社会改革が前に進まないのか、と考えこまざるを得ない数字だ。

 

南北戦争がメインの本なので扱いは小さいものの、「金ぴか時代」における先住民の同化政策のひどさも印象に残る。先住民に白人の価値観を強制するため作られたカーライル寄宿学校のスローガンは「インディアンを殺せ、人間を救え」だ。先住民の文化や宗教を禁じ、キリスト教への改宗や英語を学ぶことを求められた先住民は同化教育で多くのトラウマを植えつけられている。この時代の同化教育や先住民の待遇については『ネイティブ・アメリカン』に詳しい。

 

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シリーズ1巻目『植民地から建国へ』のレビューはこちら。

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【感想】『世界をおどらせた地図 欲望と蛮勇が生んだ冒険の物語』は探検家列伝として読める本

 

世界をおどらせた地図

世界をおどらせた地図

 

 

ナショナルジオグラフィック社の『世界をまどわせた地図』の姉妹編ともいえる本が出た。前作同様この『世界をおどらせた地図』にもたくさんの地図が出てくるが、この本の主役は地図というよりはこれらの地図をつくった、あるいは地図に魅せられて前人未到の地へ旅立った探検家たちだ。

この『世界をおどらせた地図』には紀元前2450年のエジプト王から19世紀の南極探検家にいたるまで、古今東西の探検家・旅行家の業績を豊富なイラストや地図とともに紹介している。『世界をまどわせた地図』のようなトンデモ地図はこの本には出てこないが、それだけにこちらのほうが真面目な航海史の本として読める。

 

目次を見ていると、けっこう知らない探検家・航海者の名前が多いことに気づく。自分の探検家の知識が大航海時代に偏っているからだ。だがいつの時代にも探検家は存在する。アメリカ大陸を「発見」した人物は知られているのに、最初にオーストラリア大陸を目撃した東インド会社のウィレム・ヤンスゾーンや、はじめてこの大陸の地図を作ったアベル・タスマンの名はあまり知られていない。タスマンの地図はこの本にも載っているが、不完全ではあるものの描かれている部分はきわめて正確で、のちにジェームズ・クック東海岸の部分の地図を作るまでは100年以上もこの地域の地図の土台となっていた。

 

 時代が下って、18世紀にははじめて世界一周をなしとげた女性も登場する。ジャンヌ・バレは探検家ではないが、性別を偽ってフランスの科学者ブーガンヴィルの船に植物学者として乗り込んでいる。女性の乗船が禁止されていたこの時代において、彼女は男装して男たちと同じ仕事をこなすしかなかったが、個室が与えられていたためどうにか正体をあばかれずにすんでいたようだ。それでもタヒチにたどりついたとき、先住民はバレが女性だとすぐに見抜いたそうだ。

 

イスラームの大学者ビールーニーの業績も興味深い。かれは旅行家としても知られているが、最大の功績は地球の円周を計測する新しい手法を考え出したことだ。ユーラシア大陸が全世界の5分の2程度しか占めないことを発見したビールーニーは、ヨーロッパとアジアの間に大陸が存在すると考えた。これは理論から導き出したものでしかないが、結果的にビールーニーアメリカ大陸の存在を1037年の段階で予測していたことになる。くしくもこの数年前、ヴァイキングが西欧人としてはじめてアメリカ大陸に到達していた。

 

アジアの航海者として紹介されているのは鄭和だけだが、この本では「鄭和の航海図」なるものが紹介されている。南北アメリカ大陸も描かれているこの地図は、残念ながら17世紀初頭に作られたもののようだ。1459年にフラ・マウロが作った世界地図にはアフリカの南端を航海する中国の帆船が描かれており、これを鄭和の船と見る人もいるのだが、その証拠はない。実際に鄭和が到達したのはモザンビーク海峡あたりまでのようだ。鄭和アメリカまでたどり着いていた可能性はまずないだろう。

 

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なお、『世界をまどわせた地図』には中国の6世紀の僧慧深がたどりついたという「扶桑国」がアメリカ大陸を指しているという説が紹介されているが、真偽のほどはわからない。

【感想】藤沢周平『蝉しぐれ』が時代小説の最高傑作である理由

 

蝉しぐれ (文春文庫)

蝉しぐれ (文春文庫)

 

 

なんという完璧な小説だろう。藤沢周平作品にどれもはずれはないが、その中でもこれは最高傑作として推せるものであり、今なお色あせることのない時代小説の金字塔だ。

 

すぐれた小説というものは、その中にいくつもの貌をもっている。『蝉しぐれ』は主人公・牧文四郎の人間的成長を描いたビルドゥングスロマンであり、幼なじみのふくとの淡い恋を描く恋愛小説でもあり、道場のライバルである犬飼兵馬や興津新之丞などの剣客との戦いを描く剣豪小説でもあり、そして海坂藩上層部の対立抗争を描くサスペンス小説でもある。これらすべてが渾然一体となり、『蝉しぐれ』という堅牢な建築物の構成要素となっているのだ。

逸平や与之助など幼いころからの仲間との熱い友情、意外な人物から授けられる秘剣「村雨」、藩の抗争に巻き込まれた父との別れなどなど、この作品にはあらゆるエンターテイメント要素が詰めこまれていて、読者を飽きさせることがない。もとより時代小説は古びにくいジャンルではあるのだが、それでも昭和の終わりに発売されたこの小説が今なおこれだけ楽しめるというのは驚きだ。小説が巧いとはどういうことか、その答えがここにはある。

 

 たしかに、今読んでみるとこの作品のそれぞれの構成要素には新しさは感じない。剣豪で勇者型の文四郎に豪傑型の逸平、そしてインテリの与之助という仲間の組み合わせはいろいろな時代小説でよく見かけるものだし、世継ぎをめぐって藩内で派閥争いが起きる設定も時代小説の定番中の定番だ。幼なじみのふくが藩主の側室となり、派閥抗争に巻き込まれてゆく展開にもまた既視感がないわけではない。

だが、これはあたりまえのことなのだ。そもそも多くの時代小説が藤沢周平作品の影響を受けて書かれているのだから、後続作品を知っていれば既視感があると感じるのは当然のことなのである。『蝉しぐれ』を読んでこれってどこかで見た話だよね、というのはシェイクスピア作品って格言ばかり出てくるよね、と言うようなものなのだ。

既視感を感じつつも、それでもこの作品をどんどん読み進めていけるのは、『蝉しぐれ』を構成する青春要素や恋愛要素、サスペンス要素などの各部分のレベルが恐ろしく高いからだ。藤沢周平は短編の名手でもあるが、この小説の各章は完成度の高い短編としても読めるような部分もあり、それらが積みあがって全体としての物語が立ちあがってくる。

 

これを「青春小説」として読むなら、やはり文四郎と逸平、与之助との関係性に注目することになる。豪傑型で細かいことにこだわらない逸平と、線が細く学問に秀でている与之助との友情がこの小説を貫く鍵であり、やがてこの3人は海坂藩を揺るがす陰謀と対決する際にも力を合わせることになる。

文四郎の父は派閥争いに巻き込まれて切腹することになり、牧の家は石高を減らされて文四郎は辛酸を舐めることになるが、それでもこの三人の友情はゆらぐことがない。一心に剣の腕を磨き、やがて秘剣「村雨」を伝授された文四郎は、この秘剣を頼りに藩を牛耳る里村一派と戦うことになるのだが、ここには努力・友情・勝利という(一昔前の?)少年漫画に必須の要素がちりばめられた熱い展開が待っている。なんだかんだといって、皆こういうものが好きなのだろう。求められている王道をそのままに書けるのが大衆作家の手腕である。

キャラごとの役割分担もおもしろい。与之助はいかにもインテリらしく、その知恵で文四郎を助けているのだが、豪傑型の逸平は剣も学問も大したことがなく、それほど大した働きができるわけではない。最後の戦いにも参加してはいるものの自分では剣を振るっていない。だが、逸平はおおざっぱで細かいことを気にしないので、いつも文四郎の心を晴らしてくれる。与之助に遊びを教えてくれるのも逸平だし、かと思えば父が切腹して落胆している文四郎の悲しみを「男には泣かねばならないときもある」と受けとめる優しさも見せてくれる。実は逸平は癒し系なのだ。

 

 恋愛という面に着目するなら、やはり注目すべきは文四郎と幼なじみのふくとの関係性だ。お互いを憎からず思っているこの二人は、しかし若いので接し方はどこかぎこちないものとなる。読んでいてもどかしさを覚える二人の距離感は、だからこそ尊いものと読者には感じられる。二章の夜祭のシーンなど、現代の小説にも似たような演出はありそうだ。

しかし、ふくの美貌に目をとめた藩主が側室として召し出したため、文四郎はもうふくと会うこともかなわなくなってしまう。これは、文四郎の青春の終わりを象徴するものだ。やがてふくは藩主の子を産み、派閥抗争に巻き込まれていくことになるのだが、このように恋愛や青春、政治が複雑にリンクするところに藤沢作品の構成が優れていることを見てとれる。家老の里村一派と対決するにことになり、やがて文四郎はふくとの再会を果たすことになるのだが、文四郎は側室となったふくとはもう対等な口を利くことはできない。文四郎とともに読者が切ない思いを抱く瞬間である。

物語の最後にいたり、この二人の関係性にはようやくけりがつくことになる。二十年の時を経て、文四郎はようやく若いころのふくの想いを聞かされることになる。ふくは文四郎が思っているほど子供ではなかった。ここでふくの語る、ありえたかもしれない未来に、読者は文四郎とともに思いを馳せることになる。海坂藩で派閥争いが起きなければ、この二人は夫婦になっていただろう。だが二人が生きているのは多くの人命が犠牲になり、ようやく諸悪の根源がのぞかれた未来だ。この世界では二人はこんな儚い交わりしかできないのだ、という無常感に読者はとりつかれ、深い余韻を味わうことになる。

 

そんなめんどくさい男女の交情なんて読みたくない、という読者にも、本書は多くの愉しみを提供してくれる。『蝉しぐれ』は剣豪小説としても一級品だからだ。ビジュアルを欠いていることが小説の一番の弱点なのだが、それでも「天与の一撃」の章での興津新之丞との息詰まる攻防は、バトルを楽しみたい読者は必読だ。作家はその気になれば、文章だけでこれだけの緊張感あふれる剣のかけ引きを描くことができる。

そしてこの後、文四郎がある意外な人物から授けられた秘剣「村雨」を使う機会が、ストーリー終盤にいよいよやってくる。里村一派の選りすぐった剣客相手に、文四郎の秘剣が炸裂する。「逆転」の章での文四郎は文字通りの剣鬼だ。そして文四郎が里村家老相手にみせた技の冴えは、読者の留飲を大いに下げるだろう。

 

これだけの、娯楽の満漢全席ともいうべき小説でありながら、『蝉しぐれ』は高い気品を保つ作品に仕上がっている。この作品の品格は、あとがきを書いている秋山駿が言う「清朗さ」により保たれているのだろう。文四郎とその友は、ときに迷いも打ちのめされもするが、最終的にはつねに正しい決断をし、こぎみよい行動をとる。要所要所で差し込まれる風景描写も抜群で、これが作品全体に豊かないろどりを添えている。これほど内容豊かな作品にはそうそうお目にかかれない。巨匠・藤沢周平のすべてが詰まったこの一冊を、ぜひ手に取ってみてほしい。

瀧本哲史『武器としての交渉思考』と人間関係における「コモディティ人材」について

 

武器としての交渉思考 (星海社新書)

武器としての交渉思考 (星海社新書)

 

 

瀧本哲史の『武器としての交渉思考』には、労使交渉においてコモディティ人材」になってはいけない、という話が出てくる。

コモディティ人材とは「ほかにいくらでも代わりがいる人材」という意味で、自分がこの人材になると、企業から労働力を安く買いたたかれてしまう。

だから交渉において有利となるような「バトナ」を持たなくてはいけない、と瀧本哲史は解く。

バトナとは”Best Alternative to a Negotiated Agreement”の頭文字を略したもので、「相手の提案に合意する以外の選択肢のなかで一番良いもの」のことだ。

バトナを持たないかぎり、労働力はいかに安く売るかで競争するしかなくなってしまうため、つねによりよいバトナを探して人生を自由に豊かに生きることが大事なのだ──というのが、瀧本哲史が生前よく主張していたことのひとつである。

 

バトナを持たなければ、その人は企業に対し交渉力を持つことができない。

これは労使交渉という場での話だが、人間関係全般に話をひろげると、やはり「コモディティ人材」から抜け出すことが大事だ、という話をしている人がいる。ほがらか人生相談の「神回答」が有名な鴻上尚史だ。

コモディティ人材とかバトナとかいう言葉こそ使っていないが、彼は本質的には瀧本哲史と同じ話をしている。

 

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そのことがよくわかるのが、『鴻上尚史のほがらか人生相談』相談10の「学校のグループ内で私は最下層扱い。本当の友達が欲しいです」という悩みへの回答だ。

相談者のあさひさんは、今いる5人グループのなかでは自分はいてもいなくてもいいような感じで、まるでこちらの意思は尊重してもらえない。でも一人になるのも嫌だということを話している。

この悩み相談で、鴻上尚史「人間関係の本質とは、おみやげを渡し合うこと」と喝破している。

 

僕は人間関係は「おみやげ」を渡し合う関係が理想だと思っています。

「おみやげ」っていうのは、あなたにとってプラスになるものです。楽しい話でもいいし、相手の知らない情報でもいいし、お弁当のおすそ分けでもいいし、優しい言葉でもいいし、マンガやDVDを貸してあげるのでもいいし、勉強を教えてもいいし。

(中略)

そして、恋愛も友情も、どちらかが「おみやげ」を受け取るだけで、何も返さなくなったら、その関係は終わるだろうと思っているのです。

(p90) 

 

こう書いたうえで、鴻上尚史はあなたはそのグループの人たちと「友達のふりをする苦痛」と「ひとりのみじめさ」を天秤にかけ、どちらがよいかをじっくり考えてみましょう、と提案している。そして、自分にはどんな「おみやげ」が渡せるかを考えてみましょう、ともアドバイスしている。

これは、人間関係におけるコモディティ人材を抜け出すためのアドバイスだ。おそらく、相談者のあさひさんは独りぼっちが嫌なので今のグループでの最下層の扱いに甘んじている状態だろう。あさひさんにはよりよい選択肢、つまりバトナがないのでこのグループに対しての交渉力がなく、扱いに不満があっても耐えるしかない。

 

鴻上尚史がここで友達のふりをする苦痛と一人のみじめさとどっちがましですか、と聞いているのは、もし一人の方がまだましだ、と考えられるならあさひさんは一人の状態をバトナとして持つことができるからだ。グループのメンバーがあさひさんを雑に扱うのは、「この子はほかに所属できるグループもないだろうし、一人にもなりたくないだろう」と足元を見られているからだ。バトナがないために不利な役割を押し付けられるのだから、一人になるという選択肢もあるということを示す必要がある。

そしてそのうえで、どんな「おみやげ」なら自分にも手渡せるのかをよく考え、実行できれば今いるグループよりもより良い人間関係が得られるかもしれない。そうなれば、これが新たなバトナになるので今のグループから抜けることもできる。おみやげの種類をたくさん持てば、新しいグループでもただの数合わせ要因として扱われることはなく、みじめな思いをする必要もなくなる。

 

多くの人は独りぼっちになるのが嫌なので、誰でも「寂しさを埋める」という最低限のおみやげを手渡すことはできる。しかしこれだけだと、コモディティ人材状態は抜けられない。それはまさに誰でもできることだからだ。寂しさゆえにつき合いはじめた相手が寂しさを埋める以上の価値を持った新しい友達を見つけたら、その人との関係をより重視するようになるだろう。だから、鴻上尚史はこう質問している。

 

恋愛にたとえるとわかりやすいですかね。さびしいから恋人がほしいなら、さびしさを忘れさせてくれるならだれでもいいことになりませんか。それは嫌じゃないですか?

(中略)

では、友達はどうですか?お昼ご飯を一人で食べたくないから友だちが欲しいのなら、誰でもよくなりませんか?

(p86)

 

ただ寂しさを埋めるためだけでなく、よりよい「おみやげ」を渡すにはどうすればいいのか、それを考えることで代替可能な人間から抜け出せる可能性がある。おみやげとは人間関係におけるコモディティ人材から抜け出すための武器だ。瀧本哲史は『僕は君たちに武器を配りたい』のなかでコモディティ人材から抜け出す必要性を繰り返し説いているが、鴻上尚史もこの相談でおみやげという武器を配っている。

 

この相談は、人間関係におけるコモディティ人材を抜け出すためのアドバイスだが、逆に友人がコモディティ状態を抜け出したために生じた悩みにも、鴻上尚史は答えている。『ほがらか人生相談』の相談24のさやかさんは、社会人になってから高校時代の友人A子さんから絶交したいと言われてしまった。

「さやかのアドバイスはいつも上から目線で鬱陶しい、人の家の事情を細かく聞いてきて苦痛だった」とA子さんから言われ混乱したさやかさんは、どうすれば鴻上尚史のようないいアドバイスができるのかと相談している。この悩みへの回答のなかで、鴻上尚史はロンドン留学時代の体験について語っている。彼は留学中、あまり英語が話せずクラスの中で孤立していたが、その時にこんな経験をしている。

 

そんな中、クラスメイトであるイギリス人男性が時々、話しかけてくれました。

ですが、彼には「かわいそうなアジア人をなぐさめている」という雰囲気がありました。イギリスの中流階級出身の人間として、クラスで唯一のアジア人を心配しているという匂いでした。

(中略)

でもね、それでも、話しかけられることは嬉しかったのです。寂しさが紛れるから、たとえ、見下されていると感じていても、独りポツンと中庭のベンチにいる僕に声をかけてくれることは嬉しかったのです。

これは、強烈な体験でした。あきらかに「かわいそう」と見下されている相手からでも、話しかけられると嬉しいという感覚。生まれて初めて経験する、予想もつかない感覚でした。

(p209)

 

英語がうまく話せず、コミュニケーションがうまく取れない状態だと、「なぐさめの対象になる」くらいのおみやげしか渡せない。この状況下では、見下されながらでも話しかけられると人は嬉しいと感じてしまう。これがコモディティ人材の悲しさだ。より良い人間関係は望みようもないので、こういう相手でも必要だと感じてしまう。

 

そして、鴻上尚史はさやかさんとA子さんの関係性もおそらくこういうものだっただろう、と分析する。

 

おそらく高校時代のA子さんは、ロンドンの時の僕のように、「見下されていると感じるけれど、話しかけてくれて嬉しい」という状態だったんじゃないかと思います。

そして、高校を卒業し、大学を経験し、社会人になって、対等に話してくれる人とA子さんは出会ったのでしょう。自分のことを不幸な家庭の出身で「かわいそう」だと思わない、アドバイスをしないといけないと思わない、身構えない人と知り合ったのでしょう。

だから、もうさやかさんと話したくないと感じたのだと思います。それを二人で夕食を食べながら確認したのです。

(p210) 

 

この分析が正しければ、A子さんは「対等に話してくれる友人」というバトナを獲得したので、さやかさんとの付き合いを続ける必要がなくなったということになる。コモディティ人材を脱すれば、人は望まないつき合いをしなくてもよくなるということだ。

あるいは、A子さんにそのような友人がいなくても、さやかさんと付き合うくらいなら一人を選ぶことにしたとも考えられる。時を経てそれくらい精神的に強くなったのかもしれない。いずれにせよ、さやかさんの一方的なアドバイスを聞き入れるしかなかった 高校時代より、よい未来を選び取ることができるようになったといえる。

 

つき合っている相手がコモディティ人材の状態だと、人はつい相手を舐めてしまいがちだ。相手が自分とつき合うしかないことを知っていると、傲慢な態度にも出られてしまう。しかし、相手がいつまでもコモディティ状態に甘んじているとは限らない。こちらが有利だからといっていつまでも同じ態度で接していると、いずれコモディティ状態を脱した相手から強烈なしっぺ返しを食らうこともある、という教訓を、この相談からは学べるのかもしれない。三日会わざれば刮目して相対すべきなのは、男子でも女子でも同じことなのだ。

【書評】北條芳隆(編)『考古学講義』

 

考古学講義 (ちくま新書)

考古学講義 (ちくま新書)

 

 

ちくま新書の歴史講義シリーズのなかの一冊。

先史時代から古墳時代までをカバーする14のトピックはどれも興味深いものばかりで、古代史に関心のある人ならいくつか面白い講義が見つかるだろう。これを読めば、2019年段階での考古学の最新の知見を学ぶことができる。

目次は以下のとおり。

 

Ⅰ旧石器・縄文時代
    1. 旧石器文化からみた現生人類の交流杉原敏之
    2. 縄文時代に農耕はあったのか中山誠二
    3. 土偶とは何か瀬口眞司
    4. アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか瀬川拓郎
弥生時代
    1. 弥生文化はいつ始まったのか宮地聡一郎
    2. 弥生時代の世界観設楽博
    3. 青銅器の祭りとはなにか北島大輔
    4. 玉から弥生・古墳時代を考える谷澤亜里
    5. 鉄から弥生・古墳時代を考える村上恭通
古墳時代
  1. 鏡から古墳時代社会を考える辻田淳一郎
  2. 海をめぐる世界/船と港石村智
  3. 出雲と日本海交流池淵俊一
  4. 騎馬民族論のゆくえ諫早直人
  5. 前方後円墳はなぜ巨大化したのか北條芳隆

 

 個人的にいちばん興味を惹かれたのが第14講で、ここでは前方後円墳が巨大化した理由について書かれている。

ふつうに考えれば、巨大な王墓など作れば蓄えた富を吐き出すことになり、王権にとっては不利なはずだ。だが、王墓の造営こそが当時の王権にとっては必要なことだったのだとこの講義では説かれている。それは、前方後円墳の造営は王権によるポトラッチだからだ。

 

この講義では高句麗の社会を参考にしつつ、当時の倭国高句麗同様の首長制社会だったのだと推測している。首長制社会において、首長は民衆へおしみない富の分配をおこなわなくては権力を維持できず、そのために王墓の建設にかり出された民衆に膨大な量の稲籾が与えられたと考えられる。

前方後円墳が巨大化するのは、それだけ多くの民にポトラッチを行う必要があったためであり、古墳時代の権力者は300年間にわたりポトラッチをくり返してきたということになる。高句麗では金銀財宝は葬礼の時に使いつくされたという記録があるが、倭でも王墓の建設でかなりの富を使ったことになるだろう。この本では、箸墓古墳の造営には一日500人から1500人を動員したと計算している。

 

その高句麗と日本が戦っていたのは、日本で生産される稲と高句麗の鉄との交易上の優位・劣位をめぐる争いが原因だったという説もおもしろい。日本では製鉄技術がなかったため一時期は鉄のほうが交易上優位だったが、気候が寒冷化し穀物が手に入れにくくなっていた朝鮮にくらべ、日本の稲の価値が高まっていた可能性があるそうだ。5世紀半ばに朝鮮半島の鉄の輸入量が増大しているのは、稲が鉄に匹敵するほど価値のある貨幣となったことを示唆している。こうして揺れ動く東アジア社会のなかで倭人の結束を保つためにも、宗教的シンボルである前方後円墳の巨大化は避けられないものだったらしい。

『鴻上尚史のほがらか人生相談』に学ぶ、人の悩みを聞く極意

 

 

ネットで大評判の人生相談が書籍化

AERA.dotでの連載を読んでいた人ならわかるとおり、これはただの人生相談というレベルを大幅に超えている。

これは、鴻上尚史の世間論であり、コミュニケーション論であり、人間論であり、そして人生論だ。読者は次々と繰り出される「神回答」に唸りながら、気がつくと鴻上尚史人間学のエッセンスを吸収してしまっている。

軽く読めるのに味わい深く、読んだあとは少し気分が晴れやかになり、息苦しい世間もどうにか泳いでいけるような気になれる、これはそんな一冊だ。

 

ラスボスとしての「世間」とどう渡りあうか

 

 

これまで『不死身の特攻兵』などの著書で日本における「世間」や「同調圧力」をテーマとして扱ってきた著者だけに、日本人を相手としたこの人生相談では、ときに鴻上尚史の「世間論」の講義が展開されたりする。

たとえば相談2の「個性的な服を着た帰国子女の娘がいじめられそうです」などは、まさに日本特有の同調圧力に苦しめられる子供の悩みだけに、著者の「世間論」の知見が生かされる。

 

鴻上尚史に言わせれば、ここで相談者の娘が直面しているのは「日本そのもの」だ。彼いわく、敵は日本そのものなのだから、正面切って戦いを挑めば必ず負ける。そこで鴻上尚史はささやかな抵抗として、学校では同調圧力に合わせて地味な服を着て登校し、放課後や友達と出かけるときは好きな服を着る、という方法を提案する。

もしその服がおしゃれだと思われれば友達も同じような格好をはじめ、しだいに仲間が増えるかもしれない。そうして可能な範囲で少しづつ世間に影響を与えていく──これが、鴻上流の世間との戦い方だ。世間に全面的に屈するのでもなく、勝ち目のない戦いを挑むのでもなく、あくまで現実的な自分の通し方がここでは提案されている。相談者が受け入れやすいアドバイスをしていることも、この人生相談が人気を得ている理由のひとつだろう。

 

しかし、いつでもこうして世間の重圧をうまくかわせばいいというわけではない。鴻上尚史のアドバイスは柔軟で、相手によってはもっと異なる世間との付き合い方をすすめることもある。相談4ではもっとヘビーな「世間」の重圧に悩まされる人が出てくるが、「妹が鬱なのに、家族が世間体を気にして病院へ通わせてくれない」という相談者の悩みは深刻だ。こういう全然「ほがらか」ではない相談にも、鴻上尚史は真剣に回答している。

ここで、鴻上尚史は相談者にもし、妹さんの状態がそのままで30年が過ぎたらどうなりますか、と問いを投げかける。68歳になったあなたが、社会から切り離され、実質上の軟禁状態に置かれたまま65歳になった妹さんの面倒を見ることができますか、というのだ。

このくだりは正直読むのがかなりきつい。鴻上尚史も「これを書くのもつらい」と言っているのだが、こういう可能性を突きつけたうえで、やはり今のうちに病院に連れていくべきだ、と彼は諭す。もちろん最後に「心から応援します」と付けくわえる心配りも忘れていない。避けられる悲劇を避けるためには、真正面から世間と戦わなくてはいけないこともあるのだ。

 

人の悩みを聞くうえでやってはいけないこと 

この本を読み進めるうちに、「どうすればこれほど相談者の気持ちに寄り添った回答ができるのか」と考えるようになった。この問いに対するヒントが、相談24の「高校時代の友人A子から絶交されました」への回答の中に詰まっている。

 

この相談は、鴻上尚史の人生相談の中でもネット上ではかなり話題になったものだ。相談者の「さやか」さんは、高校時代に友人のA子さんの悩みに対していろいろとアドバイスをしていたのだが、社会人になってからA子さんから絶交したいと言われてしまった。

「さやかのアドバイスはいつも上から目線で鬱陶しい、人の家の事情を細かく聞いてきて苦痛だった」……とかつての親友から積年の恨みをぶつけられ混乱したさやかさんの相談は、「人の相談にはどう乗るべきだったのでしょうか」だ。鴻上尚史のように的確で優しいアドバイスをするにはどうすればいいのかという、「メタ人生相談」ともいえる問いだ。

 

この相談に対し、鴻上尚史は「A子さんが相談に乗ってほしいと言ってきたときと、さやかさんがなんでも聞くよと言ってきたときと、どちらが多かったですか」と聞いている。もしさやかさんが話を聞くよ、と言った回数の方が多かったのなら、それは善意の押しつけだったかもしれない、ということだ。

さらに、「たしかに厳しいことも言ったけど、それもA子を思ってしたこと」という相談者の言い方にも突っ込む。「あなたのためを思って」なんていうのは無理解な親の言いがちなことで、結局あなたは独りよがりなアドバイスをしていただけかもしれませんよ、ということだ。

さやかさんがA子さんに言ったという「子供を愛さない親なんているわけがない」という台詞からも、そのことは察せられる。自分の中だけの常識を人の家庭に勝手に当てはめてアドバイスをしてはいけない。アドバイスされる側からすれば、それは価値観の押しつけでしかないのだ。

 

そして、ではどうしてそんなに上から目線のさやかさんとA子さんが友達付き合いをしていたのか、というところにも話は及ぶ。鴻上尚史は自身の留学体験を語りつつ、「たとえ見下されながらでも、話しかけられると孤独がまぎれるので嬉しい」という状況があるということをていねいに解説する。高校時代のA子さんもそんな心境だったのだろう、ということだ。

続いて、社会人になり、こちらをかわいそうな人と見下さない、対等な付き合いをしてくれる友人ができれば、A子さんにさやかさんのような上から目線の友人は必要なくなる。だから絶交すると言い出したのだろう……と鴻上尚史は推測している。こう書くとかなり容赦のない分析をしているように思えるかもしれないが、実際には鴻上尚史の書き方はとても柔らかく、さやかさんは優しい人だからそうしてアドバイスするんですね、と相談者を何度も肯定している。そのうえで、これ以上できないくらい相談者と親友の関係性をわかりやすくかみ砕いて説明しているので、言っていることがすんなりと呑み込める。

 

鴻上尚史も書いているとおり、相談者は善意の人ではあるだろう。だが、善意の表現の仕方にいろいろと問題がある。善意はこちらから押し付けるものではなく、アドバイスも実行するかどうかを決めるのは相手だ。鴻上尚史と相談者とでは、悩みを抱える人の気持ちを想像する力、相手に対する気配り、コミュニケーションの取り方などに雲泥の差がある。

鴻上尚史の文章はできるだけ上から目線にならないよう、押しつけがましくならないように配慮されているし、この人なら悩みを打ち明けても決して頭ごなしにこちらを否定してこないだろう、という安心感を持てる。だからこそ、多くの人が鴻上尚史に悩みを相談してくるのだろう。人の悩みに答えたいなら、まずは悩みを打ち明けてもらえる人間になるしかない。

 

鴻上尚史の「神回答」の秘密はどこにあるのか

では、どうすれば「悩みを打ち明けてもらえる人」になれるだろうか。この本を読んでいて大事だと思ったことは以下の4点だ。

 

1.相手の名前を呼ぶ

 

鴻上尚史は、どの回答でもまず○○さん、と相談者の名前を呼ぶことからはじめている。それだけでなく、回答中に何度も相手の名前を読んでいる。相談者は何度も呼ばれているうちに鴻上尚史に親しみを感じるだろうし、ちゃんと話を聞いてもらえている、という安心感を抱くだろう。

心を開けない相手には、人は大事なことは話さない。小さいことだが、あなたの存在をちゃんと受け止めていますよ、というメッセージを送り続けることが大事。

 

2.相手を肯定する

 

先に書いた相談24のさやかさんは、ネット上での評判はかなり悪かった。独善的な人だと思われてしまったのだろう。でも鴻上尚史は、そういう人のことも肯定しつつ話をすすめるのを怠らない。

この相談では、鴻上尚史は「人のことを思い、良い人生を送って欲しいと、さやかさんは思っているんですよね。とても優しい人だと思います」 と書いている。この相談者を優しいと思わなかった人も多かったと思うが、それでも肯定する。悩みを打ち明けてくれた相手には敬意を払わなくてはならない。そうでなければ相手は心を閉ざすし、心を閉ざした相手はどんなにいいアドバイスも聞いてはくれない。

 

3.比喩を工夫する

 

鴻上尚史は比喩の名手だ。たとえば「学校のグループでは最下層扱い。本当の友だちが欲しい」と悩む女子高生に、「人間関係とはお土産を渡し合うことだ」という話をする。友達が欲しいのなら、情報なり優しい言葉なり、勉強を教えるなり、なんらかの「おみやげ」を渡す必要があるので、なんなら渡せるかを考えましょう、というアドバイスをするためだ。

こういう比喩を使うと、「友達が欲しいならまず相手のことを考えないとね」みたいな説教くさい話をするより、ずっと聞き手は受け入れやすくなる。鴻上尚史自身も相談者のことを考えて相手を肯定したり、柔らかい言葉をつかったりとたくさんの「おみやげ」を渡した結果として人生相談が人気になっているので、ますます話に説得力が出てくる。

 

4.できるだけ見聞を広め、人間力とアドバイス力を高める

 

1と2はアドバイスを聞いてもらうための土台作りだが、そのうえでいいアドバイスをするには、やはり多くのことを知らなくてはいけない。独りよがりのアドバイスをしないために多くの価値観を学ぶ必要があるし、広く世間というものを知らなくてはいけない。

そして、何より人間通でなくてはならない。鴻上尚史は劇団の人間関係の中で鍛えられたとあとがきで書いているが、生の人間と人間がぶつかる現場に居合わせることで、否応なくコミュニケーション能力、総合的な人間力がが鍛えられるだろう。相談16では、「大学生の息子が俳優になりたがっているが、人生を棒に振ってしまうのではないか」という悩みに対し、こうして演劇で身につけた能力は必ず就職しても役立つものだとも回答している。

多くの文芸作品に触れることも大事だ。鴻上尚史は相談24で相談者にアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を読むことをすすめているが、文芸作品は人の心の機微を学ぶうえで大いに役立つ。そして、こういうところで相手にふさわしい作品をすぐに選び出すためにも、多くのフィクションに触れていなければならない。また、相手の心に寄り添える文章表現や的確な比喩を思いつくためにも、日ごろから文芸に親しんでおく必要がある。

 

5.自分の限界を知る

 

鴻上尚史にも答えられない相談はある。相談13の「大学を休学、何もしてない自分への嫌気で苦しくなります」という悩みに対して、この本では相談者が混乱していることを指摘しつつ、精神科の受診をすすめている。

この相談で、鴻上尚史「人生相談なのに、受診をすすめるのはある意味仕事の放棄かもしれません。でも、僕にはこれが一番いい回答だと思えるのです」と書いている。自分には手に負えない問題と認めたらいさぎよくアドバイスをあきらめ、専門家にゆだねる、この見切りの良さも大事だ。

これだけ人気のあるコーナーを持っていると、人はつい自信過剰になり、どんな相談にでも答えられると思ってしまいがちだ。表現者なら、何か気の利いたことのひとつも言って読者をうならせてやろう、という欲にもかられるだろう。だがこれは悩み相談なので、相談者の悩みを表現欲のダシにしてはいけない。こういうところでしっかり抑制を利かせているあたりにも、著者の誠実さが感じられる。

 

そんなの無理、と思われただろうか。正直私もそう思う。1や2はなんとか実行できるとしても(これだって相手によっては難しいだろう)、3は生まれもった文才やセンスによるところが大きいかもしれないし、4についても演劇みたいな濃い人間関係を経験してないから厳しいな、と思えてくる。演劇こそが人間力を高める、というのは劇団を主宰していた著者ならではのポジショントークではあるかもしれないけれども、演劇と同程度に濃い人間関係のなかで揉まれてきた人がどれだけいるのか、という話だ。

そして、実は5こそがもっとも難しいことではないか、という気もする。人はどんな問題についても、ついなにか言ってしまいたくなる生き物だ。明らかに自分の分を超えた問題に対してもだ。しかし、人の人生に責任を負うからには、自分では扱えない問題に対しては言及欲をセーブしなくてはならない。相談者の抱える問題の大きさを正確に見極める知性と、つい物申したくなる自分を抑える禁欲的な態度がここでは求められる。

 

こうして見てくると、やっぱりこんなの鴻上尚史でもないと無理だろう、と思えてくる。事実そうかもしれない。相談者は鴻上尚史にしかできない回答を求めて相談しにくるのだし、読者も鴻上尚史の回答だからこそ熱心に読みたがる。その結果が5000万pvオーバーという数字に表れている。

そんなナンバーワンにしてオンリーワンの人生相談を、本書では28回もまとめて読める。これほど中身の濃い一冊も、またないだろう。 

縄文文化は『文明』ではない──山田康弘(監修)『縄文時代の不思議と謎』

 

縄文時代の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)

縄文時代の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)

 

 

もう20年以上前のことになるが、三内丸山遺跡を見に行った時の衝撃はいまだに忘れられない。300人規模の人数を収容できる建物があり、巨大な櫓のある集落の姿は「原始的」な縄文時代のイメージを塗りかえるに十分だった。

 

現在でも縄文文化に対する新知見はつぎつぎと積みあげられており、貝塚は宗教施設だったとか、すでに階層が存在していただとか、思っていた以上に進んでいる縄文社会の姿もおぼろげながら見えてくるようになった。

このような縄文文化を、世界の四大文明に匹敵する「縄文文明」として評価する意見もある。三内丸山遺跡の威容を目にした身としては、ついこの意見を支持したくなる。だが、本書によれば、縄文文化は「文明」ではあり得ないそうだ。

 

文明の定義のひとつに、都市の存在がある。都市とは、交易・流通など経済の発達の結果、特定の場所に多くの人口が集中している場所のことを指すが、その一方で都市は食料の生産がおこなわれず、周辺から持ち込まれることも、都市の定義のひとつである。

したがって、都市が成立するには、まず食糧生産社会であることが前提となるのである。一時、三内丸山遺跡などを縄文都市として、縄文文明の存在を主張した説も出されたが、これは定義の面からも成立しない。

 

というわけで、食糧生産とは切り離された「都市」が縄文時代の遺跡として発掘されない限りは、縄文文化は文明とはいえないことになる。これは監修者の山田康弘氏の見解だと思うが、縄文時代の専門家の見方はおおむねこのあたりに落ち着くだろう。

 

近年、町おこしの一環として、縄文文化を自然と共生していた平和な文化として世界に発信するという動きがある。これに対し、そんな「縄文ファンタジー」を世界にまき散らすな、と鼻息荒く批判する向きもある。縄文時代にだって争いはあった、自然破壊だってしていただろう、というわけだ。

この種のやりとりは、極端から極端へと振れる傾向があるのであまりつき合う気になれない。では縄文社会の実相はどうだろうか。本書を読む限り、縄文時代はもちろんユートピアではないが、それでもおおむね自然とは共生できていたようだ。というより、開発力が低く自然の脅威を防ぐすべを持たない縄文人は、自然とともに生きるしかなかったのっだ。人口が極端に少ないから結果として自然破壊が少なかったともいえるが、そのことを必要以上に低く評価することもないだろう。

 

縄文社会も人間社会である以上、争いの痕跡は当然存在する。しかし、明らかに戦争をしていた弥生時代にくらべれば相対的に平和だったとはいえる。また、病人が介護されていた可能性も指摘されている。本書では小児まひと思われる女性の遺体が入江貝塚から発見されたことが書かれているが、これは障害を持つ人が成人まで生きることができたことを示している。大人になるまで彼女の世話をした人たちがいたということである。縄文社会は、直接生産の役に立たない人を養う余力があったかもしれないということだ。そのような人が埋葬されているのは、興味深い事実である。

埋葬といえば、縄文時代は犬も埋葬されている。特に寒い地域の縄文人にとり、脂肪を摂取するのにイノシシは欠かせないが、犬はイノシシ狩りに必要な存在だ。縄文人は犬を獣というより、仲間と考えていたかもしれない。

 

saavedra.hatenablog.com

 

こうした一面を取り上げてみるだけでも、縄文人には思った以上に文化的な一面がある。ほかにも製塩技術を持ち、魚の干物や燻製を作っていたこと、海を渡って朝鮮半島の人々とも交易をおこなっていたことなど、縄文文化の「高度な」一面が本書では紹介されている。縄文文化は文明と呼べるレベルのものではないにせよ、世界的に見ても十分ユニークで評価に値する文化だ。2019年には北海道と北東北の縄文遺跡群が世界遺産へ推薦される運びとなったが、これらの遺跡は世界遺産になってもおかしくないだけの価値はある。

 

ただ、縄文文化には、クリを200年間以上の長期にわたって栽培して、大型の建築物を建てたり、ウルシを栽培して多くの漆工芸品を製作したり、堅果類を加工して食糧としたりといった、高度な植物利用技術が存在した。また、多種多様な土器や石器を製作する技術ももっていた。ときには環状列石や周溝墓、大型建物のように大規模な土木工事を行う技術をもっていた。 大型の集落や大規模な墓地、土偶や祭祀遺跡などからうかがい知ることのできる社会構造と精神文化は非常に複雑なものだ。これらの点をみても、縄文文化は世界中の新石器時代文化には、けっしてひけをとらないものといえる。それほど、縄文文化は世界史的にみて、ユニークな文化なのである。

そもそも文化や文明を大きさや長さでくらべて、優劣をつけることじたいにあまり意味はない。人類の来し方にはさまざまな道があったわけで、五大文明などと謳わなくても、縄文時代にすぐれた独自の文化と生活スタイルがあったというだけで十分なことだろう。

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