明晰夢工房

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末摘花はソグド人の血を引いていた?八條忠基『「勘違い」だらけの日本文化史』

 

 

源氏物語のヒロインのなかでも末摘花が不器量だったことはよく知られている。末摘花のモデルは醍醐天皇の四子・重明親王の子源邦正だと考えられているが、この人物の容姿は末摘花に酷似している。邦正は際立って背が高く、顔は青白く鼻は赤かったそうだが、『有職装束大全』の著者として知られる八條忠基先生は、この容貌はソグド系の血の影響かもしれないと指摘している。

 

中央アジアペルシャ系であるソグド人は、沿海州にあった渤海国に往来していました。その渤海国は日本と通行し、商人も来航しています。その一団の中にペルシャ系あるいはコーカソイド(白人)がいたとしても、決しておかしくはありません。渤海使との関連、そして容貌の特徴を考えれば、源邦正≒末摘花には大陸ソグド系の血が入っていたのかも。つまり末摘花はハーフ美人であった?!

(『「勘違い」だらけの日本文化史』p47)

 

源邦正の父・重明親王渤海使が都に来たとき、貂裘(クロテンの毛皮)を8枚も重ね着して見物したというエピソードがある。この時代、貂裘は東北地方から手に入れられたと考えられている。東北地方の人々は渤海と交易をしていて、そのルートで貂裘を入手していたようだ。重明親王が北方交易で貂裘を手に入れていたとすれば、東北を経由して渤海重明親王はつながっていることになる。これが源邦正がソグドの血を引いている証拠にはならないが、重明親王がなんらかの形で渤海のソグド人とかかわっていた可能性はある。

 

八條忠基先生は紫式部がソグド人を見た可能性があるとしている。式部の父・藤原為時は若狭の国に漂着した宋人の一行が越前に移送されたのに対応するため、娘を連れて越前守に赴任している。宋人の一行にソグド人が含まれていたなら、似たような風貌をもつ末摘花が源氏物語に登場しても不思議はないことになる。わざわざ小説に登場させるくらいだから、その風貌はよほど強く印象に残っていたはずだ。