明晰夢工房

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古代ローマ人が奴隷の買い方からマネジメント法・解放の仕方まで教えてくれる貴重な一冊『奴隷のしつけ方』

 

 

古代ローマにおいて、人口の二割程度は奴隷だったといわれる。奴隷なくしてローマ社会は成り立ないので、彼らにきちんと働いてもらわなくてはいけない。といっても、ただ鞭で叩いて服従させればいい、というものではない。奴隷も人間であり、マネジメントするにはそれ相応の方法がある。ローマ人はどのように奴隷を管理していたのだろうか。『奴隷のしつけ方』著者のマルクス・シドニウス・ファルクスがそれを教えてくれる。マルクスはローマ史家ジェリー・トナーが生み出した人物で、この人物の口をつうじて帝政期ローマにおける奴隷制の実態がくわしく語られる。マルクスは、奴隷はファミリア(家)の一員だという。ファミリアは国の縮図であり、奴隷はその構成要素として欠かせない。主人への絶対服従を強いられ、法的権利を持たない奴隷こそが、ローマ社会の根幹を支えていた。奴隷を知ることは、古代ローマそのものを知ることなのである。

 

奴隷をしつけるには、まずいい奴隷を選ばなくてはならない。マルクスは第一章「奴隷の買い方」において、奴隷の選び方をくわしくアドバイスしている。まず気をつけるべきは奴隷の出身地だ。マルクスが言うには、身の回りの世話をさせるなら若いエジプト人がいいそうだ。逆に、荒っぽいブリトン人は向かない。どこの奴隷が一番いいかは意見が分かれるが、同じローマ市民だった者を奴隷にしたくないという点は誰もが同意する。誇り高いローマ市民が奴隷にされる姿は見たくないのだ。次に、マルクスは奴隷の価格について語る。健康的な成人男性の平均的な価格は1000セステルティウスだが、500セステルティウスで家族四人を一年養えるというから、奴隷は高い買い物だということがわかる。だからこそ、奴隷商人にだまされて欠点の多い奴隷を買わないよう気をつけなくてはならない。奴隷商人は病気の奴隷の顔に紅を塗ったり、脱毛剤を使って青年を少年に見せかけようとしたりするので、買う前に入念なチェックが必要だ。性格を知ることも重要で、陰気な奴隷はやめたほうがいいという。マルクスいわく、「奴隷であることがすでに辛いのだから、そのうえ気鬱症でひどく落ち込むとなれば先が思いやられる」からだ。ローマ人は奴隷のつらさは理解しつつも、奴隷制を自明のものと考えている。

 

よく吟味して奴隷を買ったなら、次は奴隷のマネジメント法を知る必要がある。第二章「奴隷の活用法」では、褒美の与え方と役割分担について語られている。いい働きをした者には食事や自由時間などで報いてやらねばならない。奴隷に食品を与えるには「薬を処方する医者のようでなければならない」とマルクスは説くが、これは奴隷という身分にふさわしい食事を与えよということだ。奴隷に贅沢はさせられないが、特別な褒美としてエトルリア産のハードチーズや奴隷用のワインが与えられることがある。褒美として食料だけでなく質のいいトゥニカや靴が与えられることもあり、さらには奴隷から解放されることもある。いつの日か自由になれるという希望は、奴隷のモチベーションを上げる効果があるようだ。そして、奴隷を効率的に働かせるために、役割分担を決める必要がある。一人一人の身体的特徴や性格に合わせ、適切な仕事を割り振らなくてはいけない。牧夫なら勤勉でやりくり上手な者、耕夫なら背の高い者、牛飼いなら声が大きく優しい者……などなど、マルクスはそれぞれの仕事にふさわしい特徴をあげている。もっとも力が入っているのは農場管理人の選び方で、マルクスは管理人の心得を30個もあげている。この中には「隣接する領地の住民と懇意になり、必要なときに人手や道具を借りられる関係を築く」というものまであり、奴隷にそこまで求めるのかと驚く。自分に代わって農場を運営することまで奴隷にさせるのがローマ人なのだ。

 

がんばった者に褒美を与えたり、適材適所を心がけたりと、マルクスの奴隷マネジメント法は意外なほどまっとうにに思える。彼は奴隷などいくらこき使っても構わない、とは思っていない。マルクスにとり、奴隷はどんな存在だったのだろうか。第四章「奴隷は劣った存在か」を読めば、彼の奴隷観を知ることができる。この章でマルクスは、「自由人でも品性の卑しい人間はいるし、奴隷でも高潔な人間はいる」と語る。人間の評価は身分ではなく、精神の質で決まると彼は考えているのだ。ここにはストア哲学の影響がみられる。ストア派にとっては、色欲や飽食といった悪徳に染まっている者こそが真の奴隷になる。だからマルクスは、奴隷の失敗を許し、時には彼らと食事を友にせよと説く。奴隷は運悪くその境遇に落ちただけであるという彼の考えは、奴隷は本性が劣っているというギリシャ人よりかなり進歩的に思える。しかし、マルクス人道主義者ではない。第五章「奴隷の罰し方」に移ると、彼は急に現実的になり、時には力ずくで奴隷をしつけなくてはいけないと主張する。マルクス自身は奴隷に体罰を加えるときは請負人にやらせているが、これは怒りを制御するためだ。怒りにまかせて奴隷を打てば、相手や自分が怪我をすることもある。だからマルクスは度を越した暴行を加えることには批判的だ。「理性的な体罰」を推奨するマルクスは当時としては奴隷に寛容だったのかもしれないが、やはり古代人の寛容さには限界もある。

 

マルクスがそう考えていたように、ローマ人にとり奴隷とはあくまで一時的な状態であり、奴隷制度は社会的慣習にすぎない。だから、奴隷が解放されることもある。だが、主人が奴隷を解放することにどんなメリットがあるのだろうか。それは第九章「奴隷の解放」を読めばわかる。まず第二章でも語られたように、解放という希望をちらつかせることで、奴隷にやる気を出させることができる。希望があるからこそ、苦しい奴隷生活にも耐えられるのだ。また、女奴隷の場合、解放して妻に迎えることもある。奴隷の身分のままでは結婚できないからだ。ここで気をつけないといけないのは、解放の条件として結婚を明記することだ、とマルクスは語る。老いた主人がほれ込んだ女奴隷を解放したら若い男と逃げてしまった、というケースがあるからだ。さらには、奴隷がみずから自由を買い取る場合もある。この場合、自由を与えて得られた収入で別の奴隷を買うことができる。このように、ファミリア(家)を構成する奴隷がつねに新陳代謝を繰り返すのがマルクスにとって望ましい状況になる。

 

とはいえ、解放されても奴隷が完全に自由になれるわけではない。解放後も数年間は主人のため労働しなくてはならず、女奴隷なら子供の一人を代わりに置いていくことを求められることもある。解放されても奴隷と主人との縁は切れず、だからこそ主人から事業を支援してもらえることもあるのだが、マルクスが解放奴隷にまかせる事業とは金貸しや貿易など、身分の高い者がやりたがらないものだ。こうした仕事に従事したのち、彼らはファルクス家の墓に入ることを許される。このような人生を送った奴隷たちは、幸せだったといえるだろうか。この本は終始マルクス側の視点からしか語られないため、奴隷たちの心中は想像することしかできない。ただ解放奴隷の墓には、彼らの本音を知るヒントが刻まれている。

 

自由になった解放奴隷の多くは、それまでできなかったことを成し遂げようと必死になりました。解放されたことを彼らががどれほど誇りに思っていたかは、今日に残る彼らの墓を見ればわかります。多くの墓にはトーガを着た姿が彫られていますが、トーガはローマ市民でなければ着用できないものでした。解放奴隷のなかには大きな権力と莫大な富を手に入れた者もいますが、それはほんの一部にすぎません。けれども、若干社会の階段を上がり、生活水準を上げ、家族にも少しいい暮らしをさせることができた解放奴隷は大勢いました。(p227-228)

 

解放奴隷がローマ社会でどんな職に就いていたかは、『古代ローマ ごくふつうの50人の歴史』でくわしく知ることができる。

 

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