明晰夢工房

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コミュニケーションの極意は、自意識を脱いでいくこと 『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』

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「コミュ障」の視点に立つ誠実なコミュニケーション術の本です

id:Ta-nishiさんのこちらのエントリが面白かったので、紹介されている『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』を読んでみました。

 

 一読して、最初の章からこの本が徹底的にコミュニケーションに苦手意識のある「コミュ障」の立場に立って書かれた良書であることがよくわかりました。何が良いって、著者自身が「コミュ障」に悩んでいたために、同じ悩みを持つ人の辛さがよくわかっているという点。

でもよく考えてみてください。自信を持つとはどういうことか? それって結果なんです。処方でもなんでもない。

コミュニケーションがうまくいった結果、自信が持てるようになるのはわかる。でもいきなり「自信を持て」では何も言ってないのと一緒です。そんなのただの精神論だし説教でしょう。もし「自信を持て」を正しく「うまくいくよう努力せよ」と言うなら、まだわかる気がする。でも「じゃあどうしたらいいの?」って疑問には答えられていません。そこはもう一歩、技術論として翻訳しないとイカンとぼくは思う


そう、〈タダで自信を持てれば苦労はない〉〈方法とか手段が抜け落ちてる〉〈自信は経験から身につくもの〉って、みんなそう思うでしょう! ここがね、問題なんです。結局、コミュ障を克服する、コミュニケーションがうまくなるって言ったときに、その技術を考えなければニッチもサッチもいかないんです。

これなんてまさにその通り、としか言いようがないくらい同意ですね。コミュニケーションは精神論では解決しようがない。「要は、勇気がないんでしょ?」とか言って何か言った気になってもらっても困るのです。確かにコミュ障の人には勇気がないんだけれど、それは失敗体験を繰り返しているからなのであって、ただ勇気を出せばいいというものではないはずです。コミュニケーションという海原に漕ぎ出せというのなら、まずはきちんと自分自身を舵取りする技術論というものがないといけない。

コミュニケーションのゴールを決める必要がある

そもそも、「コミュニケーション能力」なる言葉自体がまず曖昧模糊としていて、何を指しているのかが今ひとつ不明です。コミュニケーション能力を高めるといっても、具体的にどこを目指していいのかがわからない。そこで本書では、まずコミュニケーションを一種のゲームと捉え、コミュニケーションの結果として元気になったりテンションが上がったりと、何らかのポジティブな結果が得られること、と明確に定義しています。

 

そして、「空気を読む」ということも明確に定義されます。ポジティブな結果を得るためには空気を読み違えて気まずい雰囲気になることを避けなければいけません。本書でいう「空気を読む」とは、「その場のムードに自分のテンションを合わせること」と定義されています。これはより会話が弾みやすくなるようにするためです。空気を読むこと自体が目的ではなく、あくまでコミュニケーションの質を高めるための手段であるということですね。

コミュ能力を高める「愚者戦略」

このようにゴールを明確に定めた上で、本書ではゴールにたどり着くために具体的な技術について解説してあります。「会話で優位に立とうとしない」とか、「質問力を高める」などいくつものノウハウが記してあるのですが、特に印象に残ったのは「愚者戦略」という言葉です。

 

これは自分の欠点をさらして、突っ込まれやすいキャラクターを作っていくという戦略のことです。簡単に言うと、イジられるようなキャラを作ることでコミュニケーションを楽しくするということ。これは単にコミュニケーションスキルであるだけでなく、その人の「在り方」まで踏み込んだコミュニケーションの本質と言えるのではないかと思います。

 

人間、偉そうな人とはあまり話したくないものです。いくら知識が豊富で尊敬できても、いつこの人にやり込められるのかと思うとどうしても人は警戒してしまう。その点、最初から自分を低い位置に置く「愚者戦略」を取っていると、相手は楽なのです。自分を飾らなくても良いし、そういう人の前なら安心して自分をさらけ出すことができる。相手を楽しくさせる上では「愚者戦略」は最適です。

 

「聞き上手になる」というよく聞くノウハウも、この愚者戦略と組み合わせて初めて意味を持ちます。吉田さん自身も二章で「聞き上手は謎のスキル」と書いていますが、聞き上手になるにはそもそも相手が話してくれなくてはなりません。相手が話しやすい状況に持っていくために、この愚者戦略はとても役に立つのです。

自意識という鎧を脱ぐほど、コミュ能力が高まる

この「愚者戦略」というのは確かにスキルでもあるのですが、最終的には自意識の有り様の問題になってくるのかな、と思いました。自分を良く見せようとか、議論に勝とうという気持ちが強ければ強いほど、愚者戦略からは遠くなっていきます。何よりそういう格好をつけたいという気持ちが、相手を心地よくしたいということに割くリソースを奪ってしまう。

 

そう考えると、結局コミュニケーションの要諦とは、最終的にはどれだけ自意識という鎧を脱ぎ捨てることができるかにかかっているのかな、という気がします。吉田さんも一章で「コミュニケーションに自己顕示欲はいらない」と書いています。本書におけるコミュ障の特徴として「必要以上に空気を読み、自分の発言がその場の空気をを悪くするのではないかと不安になる」ということが挙げられていますが、これなども自意識がコミュニケーションの邪魔をしている例でしょう。この自意識を取り払うためのスキルや心構えを丁寧に解説しているのが本書です。良いコミュニケーションとは、自分も相手も楽になれるやりとりだということでしょうね。

これは「気を使いすぎるコミュ障」のための本

 以上、色々と書いてきましたが、この本は基本「人の顔色を伺いすぎてコミュニケーションがうまく行かない人」のための処方箋です。最初から人の気持ちを考える気がない人や、自信が強すぎて人の話を聞かない人のための本ではありません(そういう人はこういう本を手に取らないでしょうが)。

 

つまり、自分を「コミュ障」だと自覚していない人のための本ではないわけです。本書で吉田さんは「コミュ障であることは、むしろ最高のコミュニケーターになれる可能性を持っている」と書いています。自分のコミュニケーションの方法が間違っていると考えるからこそ、ノウハウを知れば軌道修正もできる。でも、「自分が正しいと信じているタイプのコミュ障」にはつける薬がないのかもしれません。この本を手に取る人は自分が「コミュ障」だという自覚がある人ばかりでしょうから、もちろんそんな心配は要りません。「コミュ障」でなくても、コミュニケーションというものに関心がある方にとっては何かしら得るところのある本だと思います。