明晰夢工房

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【書評】呉座勇一『頼朝と義時 武家政権の誕生』

 

 

本書の特徴をかんたんに言うと、「公武対立史観にとらわれない歴史叙述」になる。公武対立史観とは、公家と武家の対立関係を宿命的なものとみなす歴史観のことだ。この史観に立つと、治承・寿永の内乱や承久の乱は「朝廷に対する武家独立戦争」になるが、事実はそう単純ではない。源頼朝は貴族社会の一員だったため朝廷には妥協的な一面があり、鎌倉幕府成立以後も公家は武家に対して優勢だった、というのが著者の見方だ。武士の全国支配が確立されるには承久の乱を待たねばならない。承久の乱において鎌倉幕府の指導者は北条義時なので、「武家政権の誕生」を叙述するには頼朝と義時をセットで語る必要がある。

 

公武対立史観を離れた頼朝像とはどんなものか。第四章を読むと、頼朝が征夷大将軍の位を求めたのは、御家人との関係を人格的結合から制度的結合に移行させるため、と書かれている。御家人の統制のために征夷大将軍の権威が必要だったのであって、東国独立構想に基づいて将軍位を求めたわけではない、という解釈だ。

また、この章では頼朝が娘の大姫を後鳥羽天皇に入内させる計画を進めていたことにもふれている。これは平清盛同様、天皇外戚として権力を振るおうとする失策と評価されたことがあった。だが著者は、そのような見方は「頼朝は朝廷から独立した武家政権の確立をめざしていた」という先入観からくるものと指摘する。この当時、頼朝の最重要課題はみずからの家を源氏嫡流として復興することであり、そのために鎌倉将軍家の家格を上昇させる必要があった。大姫入内計画もその一環ということである。頼朝自身は「王家の侍大将」という自意識を生涯持ち続けており、「頼朝の政治構想は、他の武家の棟梁たちのそれに比して、抜きんでて画期的、斬新だったとは思えない」というのが著者による政治家・源頼朝の評価になる。

 

この頼朝から政治手法を学び、北条家の覇権を確立していったのが義時である。義時の人生のハイライトはもちろん承久の乱だが、第八章における「承久の乱の歴史的意義」には興味深い記述がみえる。幕府は京都を制圧したのち、後鳥羽院の王家領荘園をすべて没収しているが、幕府はこれをわがものとせず、後高倉院に進上しているのである。この事実をもって、著者は「幕府は、院政や荘園制といった既存の政治・社会体制を否定しなかった。その意味で承久の乱は『革命』ではない」と結論づける。これは、承久の乱を革命と位置付ける大澤真幸氏への批判でもあるだろう。ここでも公武対立史観は注意深く退けられている。もちろん後鳥羽院に勝利したことにより、鎌倉幕府が全国政権に成長したことはきわめて重要だ。だが、義時も頼朝同様、朝廷との共存をはかっていたことにも目をむける必要がある。

 

本書では頼朝と義時の人柄についても考察が加えられている。二人とも戦場での華々しい活躍がなく、権謀術数を駆使したため、どこか冷酷な印象もある。だが、彼らの行動については当時の政治的状況のなかで考える必要がある。頼朝が義経を討伐し、範頼まで粛清したのは、著者によれば後継者問題が背景にある。嫡男の頼家がまだ幼いため、ライバルになりえる義経や範頼を排除したというわけだ。もともと頼朝は一介の流人であり、東国武士の神輿の上に乗っているだけの存在だった。そんな頼朝が猜疑心の強い人物になるのは当然であり、立場を守るため粛清をくり返したのもやむをえない、と本書では指摘される。孤独な境遇が頼朝の政治力を鍛えたということになるだろうか。なお、頼朝は弱小武士や僧侶など、利害関係のない相手には優しい一面もあったという。

 

義時の人物像は頼朝にくらべはっきりとしないが、「陰謀家」のような印象もある。実朝暗殺について、義時が黒幕だと古くから言われてきたからだ。『吾妻鏡』によれば実朝が鶴岡八幡宮に参拝する直前、義時は体調不良を訴え、自宅に戻っている。この後実朝が暗殺されたことを考えると、確かに義時は怪しく思える。だが著者は『愚管抄』の記述がより信憑性が高いと考え、実朝の指示によって中門付近に控えていたのが真相だと指摘する。義時と実朝の間に深刻な意見対立はなく、義時が実朝を暗殺する動機はない。義時を「冷酷な策謀家」とする通俗的な見方は、ここでは慎重に退けられている。著者がまえがきで記すとおり、冷酷なだけの人物は人の上には立てない。頼朝同様、義時もまた政治姿勢が時代の要請に合っていたからこそ権力を握ることができた、という本書での評価は、おおむね公平なものと思える。

 

本書は偉人伝の体裁で書かれていないので、英雄物語を求める向きにはあまりおすすめできないかもしれない。だが『吾妻鏡』によりつくられた頼朝や北条一族の虚像を修正しつつ、諸説を検討しながら何が史実かを慎重に追っていく叙述スタイルは堅実で、信頼がおけるものと思う。史実を追求すると時には身も蓋もない現実をまのあたりにすることになる。壇ノ浦での義経の勝因は漕ぎ手に矢を射かけたためではなく、単に兵力で勝っていたからとの見解も知ることができる。こういう、英雄の生身の姿を知りたい方には間違いなく本書はおすすめできる。文章も読みやすく、治承・寿永の乱から承久の乱にいたるまでの重要な出来事はすべておさえているので、この時代の政治史を知るうえでは格好の一冊といえる。

 

なお、この本のあとがきには呉座勇一氏の「反省の弁」が載っている。氏が大河ドラマ降板に至った経緯を考えるといろいろ思うところはあるものの、この文章は本心から出たものと受け止めたい。