明晰夢工房

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欲しいコンテンツは、応援しなければ供給されない

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「その人にしか書けないブログ」は今でもたくさんある

mubou.seesaa.net

半年ほど前に話題になったエントリなのですが、少々思うところがあるのでコメントなどを。

 

あらかじめ言っておきますと、僕は上記のエントリで書かれていることには気持的にはほぼ同意です。

誰が書いても似たような内容になってくるアクセスアップの方法だとかお金稼ぎの方法だとかよりも、その人ならではのオリジナリティ溢れる記事を読みたいという気持は大いにあるし、そういうものこそ読まれてほしいという気持ちもある。

 

ただ現状ではそういう記事は、よほど個性が際立っていないと目立ちにくいし、需要としてはお金稼ぎ系のコンテンツのほうが求められているようにも思える。

 

アフィリエイトの記事が目立つと言われるはてなブログにだって「その人にしか書けない記事」を書く人はたくさんいるし、どのブログにだってそれなりの味というものがあるのに、あまりそうした記事は目につくところにはないという感じがあります。

唯一無二の個性は、そうそう得られない

つまり、昔ながらの個人日記を書いている人というのは、今でも多い。

にもかかわらず、お金稼ぎ系のコンテンツがそれらを圧し、目立っているのはなぜなのか。

 

これは結局のところ、それだけ需要が多いという単純な理由に帰着するのでしょう。

お金は皆が欲しい。欲しいからこそお金を稼ぐ方法には需要が多く、だからこそ需要に合わせてそうしたコンテンツが日々生成され続ける。

 

どことなく淡白なノウハウやまとめ記事というのも、検索ボリュームを考えて需要に合わせて書かれるからそういう記事が増えるのであって、お金を稼ぎたいのなら需要に供給を合わせるべきというロジックがそこでは貫徹されているというわけです。

 

これは憶測なのですが、自分の個性というものを前面に押し出し、唯一無二のキャラクター性を持つカリスマブロガーになれるものならなりたい、という人は少なからずいると思います。

でも、その人のキャラクター性そのものがコンテンツとして成立するような強烈な個性の持ち主は、そうそういるものではありません。

大抵の人は、検索ボリュームを無視して「その人にしか書けないこと」を書こうとしても、ごく普通の個人日記になるだけなのではないか。

 

もちろんそれだって、十分に価値のあるコンテンツです。

胸焼けするような暑苦しい個性の持ち主だけが価値があるわけではありません。

ただ、そうした平凡な個人日記が読まれるコンテンツになるのか、となると話は別です。

ブログと小説家になろうの共通点

「小説家になろう」という、ネットでは最大手の小説投稿サイトがあります。

このサイトを始めて見た人は、恐らく皆こう思うでしょう。

「このサイトは、異世界に転生する小説を読むところなの?」と。

 

今は「異世界転生」が独立したジャンルになったので以前とは少々ランキングの印象が変わりましたが、それはそもそもこれをジャンルとして分けなくてはいけないほど、このサイトでは異世界に転生する小説が多いからです。

なぜそうなっているのかはわかりませんが、そういう小説がとにかく多い。

このファンタジーの潮流は、カクヨムのファンタジージャンルにも確実に影響しています。

 

しかし、ほんとうに「小説家になろう」は、異世界に転生する小説ばかりなのか?

実はそうではなく、そういう小説がランキングで目立つからそう思えるだけ、なのです。

saavedra.hatenablog.com

 このエントリの中で、「全投稿作品のうちテンプレ(異世界転生など)は15%」だというのに、その15%が「全ポイントの75%を占めている」ということを指摘しました。

ブログ界に置き換えてみると、お金儲けやアクセスアップなどに触れていない普通の個人日記はたくさんあるのに、人気記事にならないから目立たないのとよく似ています。

 

繰り返しますが、なぜ異世界に転生する話がそこまで人気を呼んでいるのかはわかりません。

ただ、そうしたストーリーが需要が多いことは皆知っているため、ポイントやPVが欲しい作者はそうした話を書きたがります。

その結果として、ますます転生譚が増えるということになるのです。

需要のないコンテンツを熱量だけで書いていけるか?

結局、小説投稿サイトにおいてもブログ界においても、需要のあるコンテンツが供給されている、という、そこだけ取ってみれば極めて当たり前のことが当たり前に起きているだけ、という話ではあるのです。

 

ブログで目立つ記事がお金儲けの記事ばかりになってしまうのはどこか寂しい、という気持はよくわかります。

しかし、ならそれらの対極にあるような個人の日記に、どれくらいの需要があるだろうか?

 

なんだかんだと言って、人はアクセスやブックマークを稼げると、モチベーションが大きく上がってしまう生き物です。

これはブログでも創作でも同じことです。

個性を押し出した個人日記が大して読まれないなら、アクセスとお金が稼げるような方向性にシフトしていく人が多くなっても、それはそれで仕方のない面もあるのではないだろうか、とも思うのです。

ncode.syosetu.com以前、このような文章を読みました。

大意をまとめると、(異世界転生などの)テンプレ以外の作品を書いても大して応援されないし、ポイントもブクマもつかない。

そんな現状で非テンプレ作品を読みたいと言ったところで作者の意欲が湧くはずがない、というものです。

 

創作というのは、たしかに最初は「こういう小説が書きたい」という原初的な衝動みたいなものがあって始めるものなのです。

しかし、その衝動だけでどこまで走り続けることができるのか?

書いても書いても大してPVも伸びず、感想ももらえない作品を、ただこういうものが書きたいという情熱だけで更新していけるのか。

「これ、誰も読んでないんじゃないの?書き続けても意味なんてないんじゃないか?」

多くの書き手はやがてこういう悩みを持つことになります。

その結果、多くの作品がエタる(未完成に終わる)ことになります。

 

僕も書き手の立場なのでわかりますが、そういう悩みを持ってしまった人に「人の評価なんてどうだっていいじゃないか、貴方の書きたいという気持が全てだろう」とは言えません。

書くモチベーションは評価に大きく左右されるし、何も見返りのない状態で長々と文章を書き続けるのは容易なことではないからです。

 

僕は、もともとは純文学を目指しているのに、それではウェブ投稿サイトでは全然読まれないことを知り、異世界ハーレムものを書いてみたと告白していた人も知っています。

純文学と異世界ハーレムって、どう見ても方向性としては真逆です。

全く好きでもないものを書きたくなるほど、自作が読まれないのは辛いことなんだな……とその告白を読んだ時は思ったものです。

結局、欲しいコンテンツを応援するしかない

と、いうわけで本エントリのタイトルを回収します。

「その人にしか書けないブログ」が読みたいのなら、そういう記事を書いている人をブログで取り上げるなり、ブックマークするなりしてあげた方がいいし、そうでもしなければ書き手のモチベーションが上がらないと思うのです。

 

ブログはウェブ小説とは違って、検索ボリュームのある記事で上手く上位表示させればお金を稼ぐことは可能です。

そのことを多くの人が知っている今、どうやってお金以上のモチベーションを書き手に与えることができるのか?

 

そういうことが、今問われているように思います。

個性を全面に押し出し、その人にしか書けないブログを書いても大して読まれないのなら、代わりにお金というわかりやすいモチベーションを求めるのは仕方がないでしょうから。

 

「評価されないからと言って筆を折るような軟弱な奴の書くブログなんて読みたくない、『俺が需要だ』と我が道を行く奴の文章が読みたいんだ」というマッチョな姿勢もそれはそれでアリだとは思います。

ただし、その場合でも、その人の書いた文章を目立たせるかどうかは読者の側の問題です。

 

読みたい文章を目にした時に、その文章の書き手に対して何ができるのか。

それを考え、具体的なアクションを起こしていかない限り、読者側で求めるコンテンツが増えていくことはないのではないか、と思うのです。