明晰夢工房

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阿部正弘という人物をどう評価するか?半藤一利・出口治明『明治維新とは何だったのか』

 

 

幕末史や昭和史に関する著書を多数発表している半藤一利氏と世界史の著作の多い出口治明氏の対談。半藤氏の語りを出口氏が聞くという体裁になっているが、出口氏が世界史レベルの視点から半藤氏の発言を補う箇所が多く、広い視野から明治維新についてとらえなおすことのできる良書となっている。

 

世界史という視点からみれば、ペリーの黒船来航は、日本を中国市場への足がかりにするため、ということになる。大英帝国アメリカが中国市場をめぐって争っているなかで、アメリカは寄港地としての日本に目をつけた、ということらしい。出口氏にいわせれば、アメリカの武力は商売のためのものであって、使わないのであればそれに越したことはない。ヴァイキングも本当はイングランドやフランスが不公平な取引をするため、やむなく武装したのだという知見もここで披露される。こういう過去の事例との比較はおもしろい。

 

アメリカに戦う気がないとしても、やはり黒船は日本にとっては脅威だ。では、日本はアメリカの圧力に押されてやむなく開国したのか。二人の意見は異なる。半藤氏と出口氏は、阿部正弘開明的な人物であったため、富国強兵のために積極的に開国をしたのだという。事実、阿部の開明性は海軍伝習所や蕃書調所の設立にも具体的に現れている。海軍伝習所が勝海舟榎本武揚五代友厚佐野常民などの人材を輩出したことからわかるとおり、阿部の近代化政策の意義は大きい。

 

半藤:だから私も、阿部さんがもっと長く生きていたら、幕末はずいぶん違う流れになっていただろうと思います。この人が早く死んじゃったおかげで、幕末のゴタゴタがよりおかしくなっちゃうんですよ。

 

出口:本当に立派な人ですよね。有為な人材登用や人材育成策は、お見事の一語に尽きます。また開国に当たっては、朝廷や雄藩の外様大名にも意見を求めている。市井の声も聞こうとしている。まさに「万機公論に決すべし」を地で行っている。一八五四年に創設された福山藩の誠之館では、藩士に限ることなく身分を超えて教育を行おうとしています。

 

幕末において、日本のグランドデザインを描くことができた数少ない人物のひとりが阿部正弘、というのが二人の見解だ。もし、安倍がもっと長生きしていたらどうなっていただろうか。井伊直弼のような強権的な政治手法を好まない阿部が幕政の中心に居続ければ桜田門外の変も起こらず、幕府の権威が失墜しないため、徳川幕府が存続したまま日本の近代化が成し遂げられていたかもしれない。ただしその場合、武士政権である幕府に廃藩置県のような徹底した改革が行えるだろうか、という疑問は残る。

 

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もっとも、このような阿部の高評価は、半藤氏の「反薩長」の立場から導かれるものでもあるかもしれない。「官軍」という呼称が嫌いでわざわざ「西軍」という言い方をするほど薩長が嫌いな半藤氏からすれば、とうぜん薩長と対決した幕府側の評価が高くなる。とはいえ本書では薩長が不当に低く評価されているわけでもなく、大久保利通阿部正弘と並ぶビジョンをもった政治家と評価されている。大久保が暗殺されてしまったために山縣有朋が表舞台に登場し、日本が軍国主義への道を突き進むことになった、という評価は『幕末史』の見方をそのまま受け継いでいる。

 

本書の内容は幕末から出発しているが、その射程は広く近代史全般を話題にしている。出口氏は、近代日本の過ちは日露戦争で勝利し、欧米との協調路線(=開国)を捨てたことだと言っている。この開国路線を敷いた阿部の功績が、ここでふたたび強調されている。徳川の祖法である鎖国を中止した阿部の功績は、もっと知られてもいいものかもしれない。