明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

松沢裕作『自由民権運動』が描き出す自由民権運動のカオスな実態

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)

 

 

これは大変面白い本だった。字面だけを見れば民主主義を日本に根付かせるための運動と思える自由民権運動も、その実態を見てみると相当にカオスで、ときに時代錯誤的ですらある。たとえば本書の冒頭で取り上げられている秋田立志会は、なんと封建制社会の復活や徴兵制の廃止を唱え、会員へ永世禄を与え、士族とすることをアピールしている。これのどこが「自由民権運動」なのかと驚くような事例だ。

 

しかし、自由民権運動の担い手の来歴を見ていくと、運動がこのようなものになっていく理由もみえてくる。民権運動家として著名な板垣退助河野広中は、それぞれ土佐藩三春藩の出身で戊辰戦争で活躍した人物だが、かれらは明治維新後の社会において、満足する地位を獲得できなかった。なにしろ明治維新というもの自体が身分制をなくしてしまうものなので、戊辰戦争の勝利による家格の上昇も戦後は無意味なものとなってしまうからだ。高知藩では「人民平均」と称して士族の特権を次々と廃止し、等級制もなくしているが、この時点では板垣はまだ等級制の廃止に反対していたことが知られている。

 

しかし、こうした板垣の態度は、単に旧来の家格制度への執着とのみ評価することはできない。士族等級の廃止が高知藩内にもたらす困難の原因について、谷干城は次のように回想している。戊辰戦争の功績によって家格を上昇させたものが多数おり、板垣その人も抜群の功績によって過労角の地位を与えられた人物である。そのように軍事的功績によってせっかく獲得した家格が、等級制廃止によって一挙に失われてしまうことになるところに困難がある、と。

 

身分制をなくすことで、戊辰戦争で獲得した既得権を失ってしまう人びとが多数出てくる。それは板垣や河野のような藩の幹部だけではなく、戊辰戦争に参加した名もなき兵士にしても同じことだ。戊辰戦争には都市の下層労働者や博徒なども多数参加していたが、かれらは自分たちの活躍にふさわしい処遇を求め、自由民権運動に参加していくことになる。

 

このような自由民権運動の動きを、著者は「戊辰戦後デモクラシー」と呼ぶ。この見方は慧眼であると思う。本書にも書かれているとおり、近代日本におけるデモクラシーという現象は、大きな戦争の終結後に起きている。戦争は国民に大きな負担をかけるため、そこでつのった不満が戦争指導者に対して吹き出すからだ。日露戦争第一次大戦終結後に大正デモクラシーの流れがあり、太平洋戦争終結後に戦後民主主義が興ったのと同様に、戊辰戦争後に自由民権運動が起こったのだ、ということだ。江戸時代の身分秩序が解体していくなかで、「ポスト身分制社会」を作り出そうという時代のうねりが自由民権運動を生んだということである。

 

征韓論という主張もまた、この「ポスト身分制社会」を求める動きのなかで出てきたものだと本書では解釈される。板垣退助西郷隆盛とともに征韓論を唱えていたことはよく知られているが、西郷が危惧していたのは徴兵制の実施で存在意義を失いつつあった士族が反乱を起こすことだった。かれらの不満を国外へ向けることが必要だ、というわけである。征韓論は本質的には外交問題ではなく、内政の問題だった。明治六年の政変に破れ征韓論を実現できなかった板垣は西郷とともに下野し、以降自由民権運動をスタートさせることになる。

 

このように、自由民権運動というものが戊辰戦争における「勝ち組のなかの負け組」とでも言うべき層に率いられていたことが、この運動の性質を規定している。自由民権運動はやがて激化し武装蜂起へと向かっていくが、冒頭に取り上げた秋田立志社も富裕者の家に押し入り強盗殺人の罪を犯している。立志会が資金難に陥ったことがこの「秋田事件」の原因とされるが、会員を集める手段として士族の待遇が得られることや封建制の復活を唱えたりするあたりにこの運動の限界を感じる。インテリの指導者層はともかく、会員の多くは士族になって良い暮らしをすることを夢見ていたのだろう。「ポスト身分制社会」を求める側の頭の中が、江戸時代とあまり変わっていないのだ。

 

本書を読んでいると、月並みな言い方だが結局人は急には変われないのだ、ということを痛感させられる。撃剣に力を入れ、飲むたびに刀を振り回す民権運動家の実態を見ていると、かれらは結局武士になりたかったのではないか、という気がしてくる。多くの人は、過去の延長線上に未来を思い描く。だとすれば民権運動が理想とする未来が禄をもらい、武士として生きることになったとしても仕方がないということになるだろうか。ポスト身分制社会で生きづらくなった人びとがかえって過去の身分制社会を求めてしまうのは、明治という急ごしらえの近代国家を作ることがいかに困難だったか、ということのひとつの証左でもある。

 

彼らのイメージする苦痛からの開放のなかには、身分制社会を前提とした「武士になる」というイメージが含まれている。新しい社会の像を描くにあたって、「禄が支給される」という武士のイメージを用いることがおこなわれた。過去に経験したことのある手持ちのイメージが、誰も経験したことのない未来のユートピアを描くために使われるのである。