明晰夢工房

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師走トオル『ファイフステル・サーガ』が面白い。骨太な架空世界の戦記を楽しめる

 

 これはひさしぶりに満足度の高かった戦記ファンタジー

1巻はまだ序章という感じですが、十分に作り込まれた世界観が背景にあり、多くの人物の思惑が複雑に絡み合う中で物語が展開していくため、政略・戦略の醍醐味を存分に味わうことができます。

 

サブタイトルに「再臨の魔王と聖女の傭兵団」とついているとおり、この世界では2年後に198年前に倒された魔王が復活することがすでにわかっています。なぜわかるかというと、それは傭兵団長の息子である主人公・カレルの仕えるアレンヘム公国の公女・セシリアの「神の恩寵」の能力によるものです。

セシリアの「神の恩寵」は、「自分が死ぬ様子を夢に見る」というもの。毎晩夢の中で魔王の軍勢に殺される夢を見ているため、これが魔王が復活するという予言になっているのです。

 

アレンヘム公国は、フーデルス王国を中心とする5つの小国のうちのひとつで、魔物の生息する「呪われた地」と境界を接しています。カレルの所属する「狂嗤の団」は魔物から公国を守る役割を果たしているため、歴戦の猛者が多く、この傭兵団がアレンヘム公国の戦力の中核をなしています。

ですが、この物語の面白いところは、主人公カレルは戦闘部隊ではなく情報を収集する舞台に所属しているということ。カレルにも戦闘能力はそれなりにありますが、狂嗤の団にはコルネリウス切り込み隊長のように、カレルよりもずっと強い人物もいます。ではカレルの武器は何かというと、幼い頃からフェルトホルクという部族の遍歴商人に仕込まれた駆け引きの能力です。

 

物語のスタート時点で、アレンヘム公国の当主は病の床に伏しています。すでに死期を悟ったアレンヘム公の後継者は、一人娘であるセシリアしかいません。ここで、狂嗤の団の団長ランメルトは、アレンヘム公国の強化のために、公国の政治と軍事を合体させることを提言します。つまり、セシリアとランメルトの息子、カレルとの結婚です。魔王の復活に備え、公国と狂嗤の団の結びつきを強固にしておくということです。ここで、主人公カレルはアレンヘム公国の軍事力の要として、物語の中で浮上してくることになります。

 

しかし、この1巻においてカレル率いる狂嗤の団が戦うのは「呪われた地」の魔物ではありません。冒頭でこそ少しだけゴブリンやトロールなどとの戦いがありますが、この巻における敵はアレンヘム公国の南に位置するフライスラント自治領になります。本来ならフーデルス王国を中心にすべての国が団結して魔王の復活に備えなければいけないところですが、それを知っているのはセシリアとカレルなどアレンヘム公国の中心人物だけなので、フライスラントはそんなことは構わずに攻めてきます。フライスラントが展開する兵力は1万5000人程度ですが、この人数が「はじめて動員された」と書かれているあたり、リアルな中世らしさを感じさせるものがあります。ファンタジーではありますが、この作品での戦争の描写ははあくまでも地に足のついたものです。

 

この戦いで生かされるのが、カレルの知性です。どんな作戦が展開されるかはネタバレになるので書かずにおきますが、これは実行するにはかなりの危険を伴うものです。それでもカレルがこの作戦を実行できるのは、セシリアの「神の恩寵」の力を分け与えてもらっているからです。カレルがフライスラントとの戦いで死ぬ夢を見ない以上、この作戦は成功するのではないか、とカレルは判断するのです。自分が死ぬ場面を夢に見るという、それ自体は戦いの役に立たない能力を、カレルは戦争に応用するのです。

 

このように、ファイフステル・サーガにおける異能である「神の恩寵」は、常にカレルの知略と結びついて使われることになります。圧倒的なパワーで敵をなぎ倒すことはできなくとも、使いようによっては大きな武器となるこの能力を、カレルはセシリアとの婚約により得ることになるのです。カレルの真価は狂嗤の団を指揮し、頭脳戦で勝つことにあり、戦いで活躍するのはコルネリウスのような人物に任されています。

 

さて、このような物語の場合、敵役にも優れた知性の持ち主がいなければなりません。ここで手強い相手となるのが、フーデルス王国の摂政となるヴェッセルです。ヴェッセルはフーデルス王国の妾腹の王子であり、何度も暗殺の危機をくぐり抜けてきたため馬鹿を装っているというキャラクターになっていますが、本当は王国随一の切れ者です。ヴェッセルはフーデルスに伝わる「魔王の左腕」というアイテムを所有していて、最初に登場するシーンではこれを用いて裁判を自分に都合良く進めるという手腕を見せつけています。魔王の左腕を知略で上手く活用する様は、カレルがセシリアの恩寵をうまく使うのと好一対をなしています。

 

フーデルス王国はフライスラント自治領からの多額の借金を抱えているため、ヴェッセルの立場からすればフライスラントは一番邪魔な存在です。このため、ヴェッセルはアレンヘム公国とフライスラント自治領が戦うように働きかけます。つまりこの戦争の黒幕はヴェッセルです。ヴェッセルはランメルトを通じて二年後の魔王再臨を知っているため、フライスラントとアレンヘムのいずれかが圧倒的な勝利をおさめることが無いよう画策しますが、実際の戦いの行方がどうなるかは読んでのお楽しみというところです。

 

本書ではエルフやドワーフなどファンタジーではおなじみの種族も登場し、エルフは弓が得意、エルフはドワーフと仲が悪いといった定番の設定もでてきますが、いまのところ魔法は登場しません。この物語は超自然的な大きな力で事を運ぶ物語ではなく、あくまで人間同士が知略を尽くして戦う物語だからでしょう。主人公がチート的な力を得て活躍する作品が流行している現在のファンタジー界の中では、こうした骨太な戦記はあまり見られなくなっている印象もありますが、それだけに完結まで続いてくれることを願いたいものです。