かつてと学会は、「著者の意図とは別の視点から笑える本」をトンデモ本と定義していた。本書で紹介される「奇書」とはこのトンデモ本と同じように、「本人は大まじめに書いているのに後世では奇書と扱われるようになってしまった本」のことである。もっとも、と学会は今出版されている本を主に扱っているのに対し、この本では古い本を多く扱っているので内容的に重なるところはない。
本書で取り上げられる「奇書」は『ヴォイニッチ手稿』や『非現実の王国で』のような有名どころから『台湾誌』『穏健なる提案』『椿井文書』などのあまり知られていないものまで幅広い。通読するもよし、気になる章をつまみ食いするもよし。どの章をとってもいずれ劣らぬ奇妙で不可解な書物の深淵を、この一冊でのぞき込むことができる。
私が本書を読んでいてとりわけ興味を惹かれたのは、偽書だ。章でいえば『台湾誌』『椿井文書』『ビリティスの歌』がこれにあたる。いずれもいかにも本物らしく作りこまれているが、内容は完全な創作なのである。これらの奇書の作者はみな創作の才能に恵まれているのだが、これだけの才能がありながら、なぜ最初からオリジナルの自作を世に問わなかったのか、と不思議に思うことがある。
だが、創作に手を染める人は、ただ純粋に創作がしたいのだろうか。およそなにかを創りたいという人は、おのが創作で人に影響を与えたい、大いに世の中を騒がせてみたい、という欲望をもっているのではないか。その観点からみれば、やはり『台湾誌』などはノンフィクションの体裁で書かれる必要があったといえる。
なにしろこの本を書いたニセ修道士サルマナザールは台湾人を自称し、台湾語まで創作するという入念な準備をすることで、イギリス中を魅了することに成功しているのだ。サルマナザールがただのフィクション作家であったなら、ここまで一世を風靡する存在にはなれなかったに違いない。イネス牧師のプロデュースを受けつつ「イギリス国教会に入信した台湾人」になりすまし、次々と寄せられる批判を得意の詭弁で煙に巻くその姿は、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のような詐欺師一代記として映画化すらできそうなくらいに波乱に富んでいる。やがて、ある大物の批判によりサルマナザールのペテンはすべて白日の下にさらされてしまうことになるが、この大物がだれなのかはぜひ本書を読んで確かめてほしい。かなり意外な人物である。
一般論として、サルマナザールのような嘘をつくことは許されない。それは当然のことである。だが一方で、かれの「台湾語」に耳を傾け、『台湾誌』 に夢中になっていた人々はどこかで「楽しいホラ」に乗せられたがっていたところはないだろうか、とも思う。『ちゅらさん』の主人公の父親が「にいにいのホラを聞いているとき、お前は楽しかったんじゃないかね」と息子に語りかけた台詞を思い出す。サルマナザールをサルマナザールたらしめていたのは、まだ見ぬ台湾の地への空想をつのらせていた人々でもあったかもしれない。フェイクニュースでマケドニアの村ひとつが潤ってしまうのも、やはりそこに需要があるからなのだ。
嘘を本当とい言いつのること、それ自体は厳しく非難されなくてはならない。当然、非難の矢は偽史である『椿井文書』にも向けられた。地域史家であるという椿井政隆がひとりで作りあげたこの文書は『五畿内志』の権威を借りることで信憑性を高めてはいるものの、結局偽史は偽史でしかない。にもかかわらず、この文書がしばらくは本物の史料として通用していた原因は、ひとつにはビジュアルが豊富だったことにある。『自分の住む地域が鮮やかに描かれた絵画を見た人々が、それを「偽書」としてはねのけるのは難しいでしょう』と著者は指摘しているが、やはり偽書を偽書として成立させているのは受け手の側でもあるということだ。
サルマナザールが大いに世を騒がせたかったのだとすれば、椿井政隆が望んでいたことは何だっただろうか。もともと椿井文書は政隆と制作を依頼した者との間で完結していて、広く公開されていたものではない。なら有名になりたくてこのような文書を作ったとは考えられない。そこで筆者は政隆がこの文書を作った動機を『政隆は「椿井史観」で山城国一帯を塗り替えたかったのかもしれない』と推測している。歴史家が創作の才を発揮すると、過去を征服することもできるのである。
これらの偽史や偽書は、嘘ではあってもその内容が豊かであるために、嘘だからと葬り去ってしまうのはいかにも惜しい感じもする。著者も地域の人びとの「この地域に豊かな歴史があってほしい」という願いには理解を示しつつ、『こうした願いや外連味を剥ぎ取り、ありのままの姿を白日に晒すといった行為は、ある意味で残酷な行為なのかもしれません』と書いている。子供のころ『東日流外三郡誌』の記述を信じかけていて、これを偽書と批判した学者たちにある種の「暴力性」を感じていた自分としても、この気持ちはよくわかる。だが史料としての信憑性が失われても、「奇書」としてこれらの偽書を味わうことは今でもできる。著者が言うとおり、歴史のロマンとは偽書の内容にではなく、そのようなものを生み出した人の欲望のなかにこそ求めるものなのだ。人が人である以上、これからもこうした偽書は生み出されつづけるのだろう。
さて、これらの偽書を作りあげたアクの強い人物たちにくらべると、ダーガーなどはいかにも無欲な人物にみえる。60年以上にわたり黙々と『非現実の王国』を描き続けたダーガーには、承認欲求から解放され自己完結できている、ある意味理想の芸術家の姿を見いだせるかもしれない。だが、ダーガーは本当にそのような人物だったろうか。本書にはこう書かれている。
承認欲求は、社会的な動物である人間にとって、基本的欲求ともいえます。
他者との関わりや、作品の発表を拒んでいたダーガーのあり方は、これら人としての本能を否定するものだったでしょうか。周囲の人々の言葉や、ダーガー自身が残した日記によれば、決して他者との交流を望まなかったわけではないことが見受けられます。いえ、むしろ人との交流を熱望してさえいるのです。
ダーガーはしばしば、「子供たちをネグレクトから救うため」として、協会に養子縁組の申請を行っていました。
また、晩年に隣人によって開かれたダーガーの誕生日パーティーでは、「ブラジルの子どもの行進曲」を歌ってみせたりして人々との交流をとても楽しんでいたそうです。
ここで著者は、ダーガーに「孤高の芸術家」というイメージを抱きがちな我々にやんわりと釘を刺している。ダーガーが世評などより、どこまでも内的な美を追求した真の芸術家だったのか、おのが欲望を創作で発散するしかない人物だったのか、結局真実は今でもわからない。
ダーガーが絵の中に男性器を持つ少女を描いているのは彼が女性の身体を知らなかったからだ、とよくいわれるが、これも正しくないと著者は指摘している。
ダーガーは、日常的にコラージュの素材を古雑誌から集めていました。この頃は、すでにポルノ写真も多く掲載されており、生身ならずとも女性の裸体を見る機会は頻繁にあったはずです。また、男性器の描かれていない少女も数多く見られます。そのためダーガーにとっての男性器は、「勇ましさ」「戦いに挑むもの」の象徴として描かれたという説もあります。
ここを読んで、ますますダーガーがわからなくなった。当人が手記の中において「大人になりたいと思ったことは一度もない」と語っているとおり、ダーガーは子供のままでいたかった人なのだが、彼の絵画表現をたんに未熟さの表れと言いきることもできないのだ。ダーガーの描く両性具有の人物にはなんらかの深い意味が込められているかもしれないし、そうでないかもしれない。つまるところ、ダーガーは不可解だとしか言いようがない。人間自体が不可解な存在なのだから、それは当然のことともいえる。ならば人間が奇書を生み出してしまうのも必然だ。結局、奇書とは人間そのものなのである。
この本に興味を持った方には古今東西の「奇妙な地図」の集大成である『世界をまどわせた地図』もおすすめしたい。