「~の」ばっかり多くてタイトルが読みにくいがあまり気にしない。
真田丸時代考証メンバーの一人としておなじみの黒田基樹氏の長篠の戦についてのコメントが面白かったので、忘れないうちにメモしておく。
・信長は本願寺との戦いを切り上げて急遽長篠に駆けつけてきたので、本音ではあまり勝頼とは戦いたくなかった。だから鉄砲をたくさん用意して柵のなかにこもり、防御に徹した。
・勝頼が家臣の制止も聞かず突撃したのは、防御に徹する信長をあなどったせいではないか。
・ほんとうは本願寺との戦いに専念したかったのに、信長が家康を助けに来たのは家康が暗に「援軍を出してくれなければ武田につくぞ」と言ったせいかもしれない。
・三段撃ちはフィクションです(これは解説で出ていた平山優氏とは考えが異なるか)。
長篠の戦いを知るにはこの戦いだけを見ているだけではだめで、もっと大局的に物事を見なくてはいけない、と改めて気づかされた。
なお、平山優氏の『検証長篠合戦』では、矢玉の飛び交う戦場に打って出て首級をあげ自陣に引き返すことを「場中の高名」と讃える雰囲気があったことが指摘されている。これが本当なら、武田軍が突撃した責任をひとり勝頼のみに帰することはできないかもしれない。勝頼は武田家の当主として、誰より勇敢でなくてはならないと考えていた可能性もある。
さらに、武田勝頼は息子の信勝が当主になるまでの「陣代」にすぎず、当主としての正当性が弱かった、という事情もある。自分が当主にふさわしいことを証明するには、いくさに勝ち続けるしかない。「英雄たちの選択」で長篠の戦いを取り上げたとき、磯田道史氏が勝頼の内心を「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」と表現していたのには笑ってしまったが、勝頼からすれば笑い事ではない。長篠以前は勝頼は常に勝ち続けていた「強すぎたる大将」であり、それこそが勝頼のアイデンティティだったかもしれないのだ。
ついでに言うと、長篠の戦いは武田家にとり大きな打撃ではあったものの、これが武田家滅亡の直接の原因というわけではない。それどころか、勝頼はこの後も領土を拡大し続けている。武田家滅亡のきっかけが天神城の戦いであることは、丸山和洋氏が指摘している。