明晰夢工房

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amazonのレビューでは「薄い人」の感想を知ることができない。

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モンスター数がかなり減ってしまった、色違いが多い、などなどの理由であまり評判の良くないドラゴンクエストモンスターズジョーカー3

amazonでの評価も散々です。

そのせいで値崩れを起こしてしまっていますが、たまたま店頭で見かけたので買ってプレイしてみました。

 

 

うん。

いやこれ、悪くないと思うよ?

少なくともクソゲーと言わなければいけないほど酷い出来ではない。

 

モンスターのオスメスの区別がなくなったから配合もしやすくなったし、ライドシステムもなかなか面白い。

「このモンスター、乗ったらどういう感じになるんだろう?」という素朴な楽しみがある。

モンスター数を気にしないのであれば、普通に楽しくプレイできると思います。

 

とはいえ、これはモンスターを集めるゲームだから、その肝心なモンスター数が大幅に減ってしまったら不満に思う人が多いのも、それはそれで当然。

酷評する人も何も間違ってるわけではない。

コレクションの楽しみが奪われてしまってるわけですからね。

 

結局、作品の評価は全て主観なので、このゲームにどういう思いを抱こうが、どの感想もそれぞれ全部正しい。

ただ、amazonにこのゲームのレビューを書き込むのがどういう人か?を考えると、ドラゴンクエストモンスターズというシリーズにかなり思い入れの強い人達であるはず。

だからこそ自然、否定的なレビューが多くなる。

このシリーズが好きな人にとって、モンスターの数を減らされるのは許し難いことだから。

 

一方、僕のようにあまりこのシリーズに思い入れがなく、特に不満も感じていないような「薄い人」は、あまりレビューを書き込むようなことはないはずです。

レビューするという行為が基本面倒だし、レビューはレビューする対象に熱を持っていなければできない。

世の多くを占めているはずの「薄い人」の意見は、こういう場には出てこない。

 

と、いうことは。

amazonに限らないけれど、こういう場のレビューというのがどれくらい世の大勢を反映しているのか、というのがわからなくなるんですよね。

わざわざレビューを書く時点で、その人はもう「普通の人」ではないから。

「ウェブで意見を言う」という時点で、すでにある種の偏りが生じてしまっている。

ネットで叩かれてるけど大ベストセラーになっている本などの場合、実はその「ネットで叩かれてる」というのは世間の評判のごく一部でしかなくて、大多数の人はその本を好意的に見ていたりする、ということもあるわけで。

 

 当たり前のことですが、ウェブをいくら検索しても、「ウェブには存在しない意見」を知ることはできません。

これはわざわざ書くほどでもない、と思ってる人の意見は見えないんです。

だとすれば、普通の人の意見ほど知るのは困難なのだろうか。

いずれにせよ、1件の見える感想の背後には、何十倍、何百倍もの見えない感想がある。

 

いつだったか、発言小町のあるスレッドで「幸せな人はひっそり暮らしているので、あまりこういう場には出てこないものです」という発言があったことが強く印象に残っています。

こういう場には不満の強い人の意見ばかり出てくるから、あまり鵜呑みにしてはいけませんよと。

ある「場」自体にすでにバイアスのかかった意見しか出てこないのに、いつもそこに入り浸っているとそこが世界のすべてであるかのように勘違いしてしまう。

自分が普段見ている場はどういう場なのか、ということを時々考え直す必要があるのかもしれません。

 

 少し時代を遡れば、「ネットは不幸な人の溜まり場」だと思われていた時代もあるわけで。

いや、今でも言われてますかね。

最近もこんな分析を見たばかりです。

togech.jp

ネットに出てくる意見はどうしてもネガティブな方にバイアスがかかってしまうという分析ですが、商品のレビューに関してもこういうところは確かにあるように思います。

もっとも商品の場合、こういう悪意のある攻撃ばかりではなく、「濃い人だからこそ粗がよく見える」ために評価が低くなってしまう、という事が多いのだと思うのですが。

 

ただ、その評価をそのまま信じていいのかどうかは別問題です。

自分はこのレビュアーと同じくらい濃い人なのか?

この評者と同じレベルのものを求めているのか?

自分がネットには出てこない「薄い人」の側ではないのか、という問い直しは、時折やってみる必要があるかもしれません。

ウェブという「特殊な環境」の意見に流されないためにも。