明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

「一発芸ブロガー」と「ブログの最大瞬間風速」について考える。

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「スキー場で芽生えた恋は続かない」という話があります。

これは、スキー場では颯爽とターンを決める姿を見せつけ、その人の魅力が最大化された状態で出会っているので、山を降りるとスキーヤーではない状態で会うことになり「ただの人」になってしまう。

そこから新たな別の魅力を打ち出せない限り、その人の魅力は下降線をたどる一途なのだ……ということです。

 

こういうことが実際にどれくらいあるのかはわかりませんが、ある人の魅力を「最大瞬間風速」で測ってしまうとその後は幻滅するだけ、ということはあちこちで起こっているような気がします。

その人を見るならあくまで平均値で見るべきだし、その状態を良しと思えるのでなければそりゃ長続きしません。

人間、常に最高のパフォーマンスを求められても答えるのは無理ですから。

 

以前、あるツイートが偶然10000RT以上されたことがありまして。

そういうことがあると、当然フォロワーも増えるんですよ。

あのときは30人くらいフォロワーが増えましたね。

1ツイートでフォロワーを30人呼べるなら、かなり効率はいいんでしょうか。

 

でも、こういう時に増えるフォロワーって、しばらくするとだんだん離れていって、3ヶ月位すると大体全員いなくなります。

ちゃんと数えたわけではないですけど、結局は元に戻るんです。

なぜそうなるかというと、10000RTを超えた僕のツイートはただのラッキーパンチであって、いわば「一発芸」だから。

面白ツイートを読んでフォローしてくるような人は、僕の他のツイートまで読んだ上でフォローしてくるわけではなく、「この人はいつもこういう面白いことを言ってるんだろうな」と期待してフォローしてくるのでしょう。

 

しかし普段の僕は大して面白くはない。

山を降りたスキーヤー状態ですね。

雪山という地形効果スキーヤーという魅力ブーストのない状態では、輝くことができない。

新規フォロワーからすれば「面白ツイートで楽しませ続けてくれると思ったのに、一発屋かよ」ですよ。

第一印象が最高の状態だとあとは魅力が漸減していくだけ、ということはウェブの世界でもよく起こっていることではないか、と思っています。

 

翻ってブログの世界ではどうか。

普段は鳴かず飛ばずのブロガーでも、たまに面白いことを言ったり、書いた話題が上手くトレンドに乗ったりしていれば時にはバズることだってあります。

炎上するのでなければ、多くの人に読まれるのは基本的には良いことです。

誰だって読まれたくてブログを書いてるんだから。

 

ただ、僕なんかは根がネガティブなせいなのか、1エントリだけのアクセスが急に伸びると、この「スキー場の恋」みたいな状態を招いてしまうんじゃないか……?みたいなことを思ってしまうわけです。

ブログの場合もツイッター同様、バズったエントリは読まれても、その人の他のエントリまではまず読まれないようです。

で、バズったりするとやはり読者登録も増えるわけですよ。

ここでもやはりブロガーの「最大瞬間風速」が評価されている。

その人の「普段着の姿」は見られていない。

 

もちろん、ブログなんて好きなことを書く場所であって、読者の期待に応える義務なんてありません。

別に誰がどういう目的で近寄ってこようが、やりたいようにやればいい。

ただ、その人の突出して良い部分を見てそれが普段の姿だと思われるというのは、あとあと微妙な結果を産んだりするのではないか、とも思います。

誰かに近づいていくのなら、その人の普段の姿にも多少目を通しておいたほうが後々落胆せずに済むのでは。

 

一方、僕みたいな零細ブロガーにとってもバズというのは一種の「事故」であり「特需」だということを理解しておくことも必要なのかなと。

saavedra.hatenablog.com

この記事、珍しく300ブクマを超えましたけど、主にウメハラの知名度と講演内容の素晴らしさとまなめはうすにたまたま取り上げられたという運によるものなので、この事を持ってオレって本当はこれくらいのポテンシャルがあるんじゃね?とか思ってしまうのはやっぱりまずい。

それが本当の実力だったら、このブログには他にも数百ブクマされるような面白エントリがたくさんあるはずだけど、現状そうはなってないんだから。

よく宝くじの高額当選者が舞い上がって散財したあげく以前より悲惨な境遇に落ちてしまうという話がありますが、平均と大きく乖離した状況を普通と思いこんでしまってはいけない。

 

バブルは一瞬で弾けるし、弾けたあとのほうが人生長いんだから、その後を見据えて動かないと。

 

しかしまあ、運次第では普段は地味なブログの記事でも時にはバズることもあるあたり、この世界も案外平等に出来てるのかもしれないな、とは思いますね。

そこら辺の普通の人でも、一瞬だけでも脚光を浴びることができそうだと思えるあたりも、ブログの魅力のひとつではあるかもしれない。

芸能界みたいな、最初から選別された人たちの世界とは、ここは明らかに違う。

 

ただそれだけに、たまたまヒットを飛ばした人に芸能人のようなパフォーマンスを求めることができないのも確かです。

その人はあくまで「普通の人」なんです。

人を楽しませるために生きているわけでも、そのような義務があるわけでもない。

常に人の心を捉えて離さない記事が書けるくらいなら、もうその人は一ブロガーという枠を超えて活動しているかもしれないわけで。

 

ある人の「最大瞬間風速」の状態を見て他者への、あるいは自分自身への期待値が大きく膨れ上がっている状態があるとするなら、一度立ち止まってニュートラルな状態に戻ろうとすることも必要なのかもしれません。

 

ゲシュタルトの祈り

 

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。