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ローマ人の物語については、以前こういう記事を書いたのですが……
実のところ僕自身は、『ローマ人の物語』について気にしているのはこれが史実ではない部分もある、ということではありません。
そんなことより、とにかく長い。長過ぎる。
これを全部読み通すのはさすがに骨が折れる。
このシリーズは官僚が読むべき本とされているようですが、東大出身のエリートならこの長大なシリーズも難なく読めてしまうのか?
よほどの歴史好きでもない限り、これを完読するのは容易なことではないように思うのですが。
史実ではなく娯楽書でいい、と割り切るとしても、もっと楽に、1冊で読み通せるローマ史の本はないものか……?
そういう人におすすめしたいのがこの一冊です。
内容については下手な紹介より、辻邦生のあとがきを引用した方がいいでしょう。
読みだしたら止められないような本がある。小説の場合もあるし、ノン・フィクションの場合もある。だが、歴史でこんな面白い本はちょっと例がない。ローマ史は大体陰気臭いと決まっている。ところが、これはそうではない。シェークスピア劇が連続上演されているようだ。息つく暇もない。
本書は本当にこういう内容のローマ史です。
翻訳を担当しているのは名著『物語 イタリアの歴史』の著者である藤沢道郎氏なので文章のリズム感も抜群。
とにかく飽きさせないし、読んでいて退屈する部分が全くない。
「娯楽本」で良いのなら、ローマ史に関してはこれ一冊で十分ではないかと思うくらいの内容です。
著者のモンタネッリの真骨頂は、何と言ってもその身も蓋もなさに尽きます。
塩野七生の本を読んでいてツラいのは、その過剰なまでの「カエサル萌え」にあります。
塩野氏はカエサルが好きすぎてローマ人の物語では上下二巻分も費やして彼のことを書いてしまうし、後の巻で出てくるアレクサンデル・セヴェルス帝の評価でも「カエサルならこういうことは言わなかっただろう」という言い方をするし、ローマ人の物語の続編とも言える『ローマなき後の地中海世界』でも登場人物はカエサルと比較されます。
ローマ人の物語はカエサルを讃えるためのシリーズ、と言っても過言ではありません。
塩野氏と萌えポイントが同じ人ならいいですが、そうでない僕のような人にとってはこれがなかなかツラいところでもあるのです。
カエサルが文武両道の極めて優秀な人物であったことは確かです。
しかもこの人は敵に対して寛容であったことでも有名で、脱走して宿敵のポンペイウスについた副官のラビエヌスにわざわざ荷物を送り届けたりしています。
こうした鷹揚さもまた塩野七生がカエサルを高評価する理由のひとつです。
では、モンタネッリはカエサルの人間性をどう見ているのか?
本書ではカエサルはこのように評価されています。
こうした寛仁大度には、人間に対する軽侮の念が多少混じっていたのだろう。さもなければ、身に迫る危険にあれほど平気でいられたはずがない。周囲に陰謀が渦巻いていること、寛仁は憎悪の鎮静剤ではなく逆に刺激剤であることを、まさか知らなかったわけではあるまい。敵がその陰謀を実行に移すだけの度胸を持たぬと、たかをくくっていたのだ。
この「陰謀」というのはブルートゥスのカエサル暗殺計画のことですが、カエサルが寛容でいられるのは他人を舐め腐っているからだろう、という評価なのです。
モンタネッリに言わせれば、カエサルは他人を見下していたから暗殺されてしまったのだ、ということです。
こういう辛辣で容赦のない人間観を読むことができるのも本書の魅力です。
全体的にシニカルでどこか突き放したような描写をするのがモンタネッリの特徴なので、塩野七生の「ローマ萌え」を多少なりとも冷ましてくれるという効果もあります。
時代的にもこれ1冊でローマの誕生から西ローマ帝国の滅亡まで押さえられるし、言うことなし。
読んで楽しいローマ史の本ということで、文句なしのおすすめです。