明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

平成最後の桜を大潟村の菜の花ロードで堪能する

大潟村菜の花ロードのソメイヨシノが一昨日の時点ですでに8分咲きくらいになっていたので、天気のいい今のうちに花見に出かけることにしました。昨日は天気が良かったので、予想通り見頃になっていました。

 

 

今年は雪が少なかったので、去年より開花が1週間ほど早いようです。

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花曇りのけぶるような空の下、大潟村を横断する県道号298号沿いに、11キロにわたって桜と菜の花が咲き誇っています。

ここには駐車場はないので、道路脇に車をとめて写真を撮ります。

菜の花ロード入り口付近はまだ満開ではありませんが……

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中央に近づくにつれ、桜も満開に近づいていきます。

菜の花は上品でいい香りがする。

桜の木の下で弁当を広げるのも気持よさそうですが、意外にもやってる人は一人しかいませんでした。

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写真には写っていませんが、空にはドローンが飛んでいました。

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場所によっては菜の花が少々寂しいところも。

あと2,3日以内には咲くでしょうが、週末は天気が悪そうなのが気になる。

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桜と菜の花のコラボを楽しんだ後は7号線を南へ下り、秋田市の名店・夜来香へ。

いつも行列しているとの噂だったのでかなり待たされるだろうか?と思ってましたが、平日で訪れた時間も遅かったせいか、意外にも店内にはすんなり入れました。

連休中だとかなり込みそうなので、今日来れてよかった。

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 携帯番号を伝えれば、車の中で待っていても席が空けば電話で教えてくれる最強のシステム。このあたりのサービスの良さも、秋田ラーメン総選挙で4位に食い込んだ原因かもしれません。この日は車では待たず、店内で10分ほど待った程度でしたが。

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手書き文字が味わい深いメニュー。

何を食べるか迷いますが……

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結局、いちばんスタンダードな感じの「中華ソバ」を注文することに。

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魚介の出汁が前面に出たシンプルながら奥深いスープ、厚くてボリューム満点のチャーシュー、固めで上質な麺の醸し出す三位一体の味わいは絶品というほかない。これで650円はコスパ良過ぎです。

まさに完璧な一杯。これなら1時間並んででも食べる価値があります。

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ラーメン総選挙でテレビに映っていたのはスーラータンメンでした。

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同行人の食べていた「あっさり中華ソバ」は中華ソバとは異なり、鶏の味が前面に出ている感じでしたがこれまた鶏の旨味が強くてうまい。中華ソバはこれに比べて脂っぽいかというとそうでもなく、両者ともにあっさりという感じでした。

店内を見渡すと、汁なし担々麺を食べている人が一番多い感じ。

 

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帰りにもう一度菜の花ロードに寄ってみましたが、なんだか暗い絵になってしまった。

去年は道路脇でキジの雄を見かけたのに、今年は見ることはできず……

だから何だってこともないですが、派手な鳥ってなんか縁起がいい気がするんですよね。

今年は木の上で白鷺を見かけただけでした。それはそれで珍しい?

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これで終わるのは寂しいので、明るい写真で締めるとしましょう。

来年もまたここに来れることを願いつつ。

モテ男の弾除けに使われていた経験談と「人間関係の等価交換理論」


anond.hatelabo.jp

悲しいけど、これって現実なのよね……と言いたくなってしまうのは、実は私も似たような経験をしているからでして。

似ている、と言っても私の場合はすごくモテる男友達に、しつこく言い寄ってくる女性の弾除けとして使われた、ということなんですが。

 

大学4年生のころの話なんですが、深夜に卒論を進めて一息ついていたころ、音楽サークルで知り合った他大学の女の子が急に私に電話をかけてきた、ということがあったのです。

それなりに言葉を交わしたこともある仲だし、彼女はわりと誰とでも打ち解けるタイプの人だったので電話がかかってきても不思議ではないのだけども、別に用があった様子でもなくとりとめもない話ばかりするので、いったい何があったんだ、とその時は不思議に思っていました。

知らない相手ではなくても真夜中に電話で話すほど親しいわけでもないし、彼女が実は以前から私と話したがっていて、急に勇気を奮い起こしたなんてこともまず考えられない。暇だからといって誰彼構わず電話して回るような人でもないので、どうも彼女の意図が読めなかったのですが、あとでそのモテ男から聞いた話では、彼女からあまりにしょっちゅう電話がかかってくるので鬱陶しく思っていたのだそうで。

 

そこで、彼は「今ちょっと忙しいし、あいつ(私)とでも話してみれば?」とつい言ってしまったんだそうです。彼は申し訳なさそうに言っていたし、私も別に彼女のことが嫌いというわけでもないので、俺のことを利用しやがって!という気持は特にありませんでした。ただ、ちょっとがっかりはしましたね。もしかしたら、オレにも深夜に突然あの子の話相手に選ばれるくらいの魅力があるんだろうか?なんて気持ちも少しはあったので、仕掛けがわかってしまうとそういうことか……と思ってしまう。と同時に、モテる男というのはすごいものだな、と妙に感心したりもしたのです。魅力があれば指示ひとつで大して興味もない男に電話までさせてしまうのかと。彼女の方では、彼の言うことを聞けば少しは好感度も稼げると思っていたかもしれません。残念ながら、彼の方では彼女の気持ちを受け入れる気はまったくなかったのですが。

 

この後も彼女の彼に対する攻勢は衰えることがなく、誘いを断り続けるのも疲れたので、彼の頼みで私も込みで三人で演劇を見に行った、 なんてこともあります。このことを別の友人に話したら、「そんなに都合よく使われてやる必要はないんじゃないか」と言われたこともあります。確かにこの場面だけ切り取ってみれば、いかにも私が都合よく使われているだけに見えますが、実は私の方でも結構彼に対してひどい扱いをしてしまったこともあるし、これくらいは引き受けてもいいか、と思っていたのです。当時を振り返ってみると、二人の感情の収支バランスはそれなりにとれていたような気がするし、男同士という気安さもあり、この人間関係は決定的な破綻をきたすことはありませんでした。

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でも、これが男女間の関係になると、事情はもっと複雑になると思うんですよね。上の増田氏の味わった状況、おそらく感情の収支バランスはとれていなかっただろうと思います。鴻上尚志さんの言葉を借りると、増田氏とその女性がお互いに渡していた「おみやげ」の価値が釣りあっていない。増田氏のいうことを信じるなら、容姿のいい彼女は「この私と一緒にいられるんだから嬉しいだろう」くらいの気持ちがあったかもしれないし、この自分と遊びに行けること自体がおみやげだ、と思っていたかもしれません。でも増田氏からすればそのおみやげでは十分ではなく、もっと深い仲になりたい。それはむずかしいとは知っていても、男性なら多くの人はあわよくばという気持くらいは持っているものです。

 

ナンパの弾除け役として同行するということと、遊び相手として一緒にいることの価値は果たしてイコールなのか。傍からどう見えるか、はここでは一切関係ありません。あくまで当人同士が互いに渡し合っているおみやげが等価である、と思っていないと関係は長続きしないはずです。惚れた方が立場が弱い、これは仕方がありません。だからつい、惚れた弱みを持つ側は相手からのおみやげが少なくても我慢してしまう。そして、惚れられた側もその弱みを知りつつ利用することもある。これではやはりおみやげを少ししか受け取れない側は苦しいし、どうせ利用するつもりなら最初から明言してくれ、と言いたくなるのもわかります。でも、そう言ってしまったらもう終わりですよね。あくまで表向きは相手を利用するつもりなんてない、と見せなければ、相手はもう一緒になんていてくれないだろうから。

 

結局、普通の人間関係ではどんなおみやげを相手に求めるかをなかなか口にはできないし、口にした時点で関係性が破綻しかねないのです。であれば、時にはお金で「レンタル何もしない人」を借りるのがいちばん後腐れがなくていい、ということになってしまいそうです。金銭とただ一緒にいるだけ、という等価交換がここでは成立しているのだから、トラブルの発生しようがない。互いの求めるものを手探りで当てようとするとなんらかのハラスメントが発生しかねない世の中では、これくらいのドライな関係性にこそ需要が出てきます。この状況は、人の気持ちこそは最大限に尊重されなくてはならない、という社会が求めた「優しさ」の必然的な帰結なのかもしれません。

【書評】出口治明『人類5000年史Ⅱ』

 

人類5000年史II (ちくま新書)

人類5000年史II (ちくま新書)

 

出口治明氏による世界史通史の2冊目は期限元年~1000年ころまでを扱っています。内容としては1冊目同様年代ごとに各地域の歴史を同時並行的に叙述していくもので、固有名詞が大量に出てきますがこの本で得られる新知見も多く、高校世界史程度の知識を持っているなら興味深く読み進められることと思います。前作に比べ時代が現代に近いこともあり、個人的にはだいぶ面白く読めました。

 

ふつう、世界史の教科書的な本は地域ごとに歴史を記述しているものが多いですが、本書のように年代ごとに多くの地域の歴史を扱う書き方には各地域の交渉がわかりやすくなるというメリットがあります。この形式だと地域ブロックごとに歴史が分割されないので、各地域の歴史がどう連動しているのかという世界史のダイナミズムを味わいやすくなります。

たとえば、本書では軍人皇帝ヴァレリアヌスがササン朝の捕虜になったことを書いたあと、この戦いで捕らえられたローマの捕虜がカールーン川の架橋工事に使われたことを記しています。ササン朝のシャープール1世が水利事業に力を入れていたことを示す史実ですが、各地域の歴史を横断的に書くことでこういう記述が可能になります。

 

有名なタラス河畔の戦いについての記述でも、この戦いでアッバース朝に伝わった製紙技術と知的好奇心が結び付き、熱心な翻訳作業が行われたことが記されています。東西の歴史を横断的にみる視点がなければ、こういう書き方はできません。こうした点が類書とは一線を画するところではないかと思います。

 

以下、個人的に学びのあった箇所についてのメモ。

 

・クシャーン朝の仏典結集は仏教教団の宣伝要素が強く、必ずしも史実とはいいがたい 

・倭が朝鮮半島から鉄を購入するための代価は、おそらく生口(奴隷)。当時の倭には他の世界が欲しがる商品も貴金属もなかった

・ソルジャーはコンスタンティヌス1世が作ったソリドゥス金貨のために戦うもの、からできた言葉

・テオドシウス1世の異教神殿の閉鎖や供儀行為の禁止は焚書坑儒廃仏毀釈のようなもの

ユスティニアヌスは西方領の経営に力を割きすぎたため、巨視的に見ればローマ帝国を疲弊させた

胡麻、胡椒、胡瓜など「胡」がつくものはソグド人などの西域出身者が中国に持ち込んだもの

貞観政要は元の時代に整理され、フビライが愛読していた

則天武后の人材登用は能力主義に基づく公正なもので、その治世中は農民反乱も起こらず安定していた

・タラス河畔の戦いで麺がイスラーム世界に伝わった可能性もある

平城京は渡来人が人口の6,7割を占めていたという説もあり、国際都市だった。

マムルークは成人すれば奴隷から解放して軍人職につけることが多く、実態は奴隷より養子に近い

・宋代に入り胡蝶閉じが生まれ、栞を挟めばいつでも必要な個所を参照できるようになったため読書に革命が起きた

 

『人類5000年史Ⅰ』のレビューはこちらです。呂不韋がソグド系だったという衝撃情報(?)もあり。

saavedra.hatenablog.com

【書評】出口治明『人類5000年史Ⅰ』呂不韋はソグド人だった……?

 

人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)

人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)

 

 

一年に一冊づつ刊行される予定らしく、現在2冊目まで発売されている出口治明氏の世界史通史。

1冊目のこの著書は手堅い通史でありつつ世界史の新知見も随所に盛り込まれていて、新書としてはかなり密度の濃い内容になっています。先史時代についての記述もおもしろく、ホモ・サピエンス旧人類を圧倒できたのは言語を用いて効率的な狩りや戦いができたから、脳が発達したのは火で肉を調理して消化しやすくすることで脳にエネルギーを回す余裕ができたから、といった人類史の知識も得られます。

 

マクニールの本などと比べると固有名詞がかなり多いので、知識ゼロの状態でこれを読むとなるときついでしょうが、高校世界史程度の知識がある程度あるなら、その次の段階としてこれを読むのもいいと思います。扱っている時代は人類の誕生からキリストが誕生する直前まで、となります。

 

ところで、本書を読み進めるうちにかなり気になる部分が出てきました。ちょっと引用します。

秦の名将軍、白起が趙を大破した翌年、その趙の都、邯鄲で、秦の公子に一人の子供が生まれました。名を正(『史記』では政、木簡では正)といいました。公子は人質生活を送っていましたが、ソグド系の気鋭の大商人、呂不韋が「奇貨居くべし」として援助を始めたのです。(p203)

 

呂不韋がソグド系の大商人……?この話は初耳です。こう書いているからには何か根拠があるはずですが、ぐぐってみてもなにも情報が出てきません。呂不韋がソグド系と書いてあるのは著者の出口氏のこの記事くらいでした。

 

blog.livedoor.jp

 

興亡の世界史 シルクロードと唐帝国 (講談社学術文庫)

興亡の世界史 シルクロードと唐帝国 (講談社学術文庫)

 

 

呂不韋がソグド系という情報はソグド三昧の『シルクロード唐帝国』にも書かれていなかったことですが、これ、なにか元ネタになる本などはあるのでしょうか。私にはちょっとわかりませんでした。

 

気になったので史記呂不韋列伝を読んでみたのですが、呂不韋とソグド人の共通点は商売が得意だったということ以外には特に見つけられませんでした。これだけでは呂不韋がソグド系だったという証拠にはならないので、何かほかに根拠があるはずなんですが……なお、史記には呂不韋の身体的特徴についての記述はなく、容姿の点からも呂不韋がソグド系だったかどうかは判別できません。

秦は戦国七雄では一番西に位置する国なので、ソグド人も住んでいたのかもしれませんが、呂不韋自身は陽翟の出身ということになっていて、ここは秦ではなく韓です。この時代の中原にソグド人が住んでいたかどうかは私にはわからないのですが、何かそういった学説があるのでしょうか。あるのなら知りたいところです。

 

ところで、始皇帝呂不韋の子かもしれないという話があることは多くの方が知っていると思います。もし仮に始皇帝呂不韋とかれの愛妾の子だったなら、始皇帝にもソグドの血が流れていることになるのか……?という疑問が出てきますが、本書では始皇帝の出自にまつわるスキャンダルは漢が始皇帝を貶めるためのひとつの形だ、と書かれています。

 

 

世界史リブレットの『安禄山』をみてみると、文字史料では古くは後漢とソグドの間に通行関係があったことを確認できるそうですが、これ以前の中国とソグドの関係はちょっとわかりません。ソグド人特有の姓として「安」「康」「石」「史」「何」などがありますが、呂はソグド姓ではないので、この点からも呂不韋が本当にソグド系なのかという疑問が残ります。

 

本書の巻末には参考文献が大量に載っているので、この中のどれかに書いてあることなのかもしれませんが、いずれにせよ呂不韋がソグド系であるということ、そもそもこの時代の中国にソグド人が存在したということも本書ではじめて読んだことなので、この話の出所がどこなのかは確認できませんでした。今はちょっと気力がありませんが、いずれ可能な範囲で参考文献を調べてみようかとは思っています。

LINEノベルにさっそく登録したので使ってみた

LINEノベルと令和小説大賞 

mantan-web.jp

ということなので、他の投稿サイトに載せている作品がある人は令和小説大賞に出してみるのもいいかもですね。

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この新サービスへの見方はいろいろあるでしょうが、投稿する場が増えれば作者にとってはそれだけチャンスも増えることになるので基本的には歓迎しています。というわけで、さっそくLINEノベルに登録していくつか作品を投稿してみました。以下はその感想です。

作品種別は2種類

LINEノベルでは作品の種別が大きく分けて「ライトノベル」「ライト文芸」のふたつになっています。両者はどういう基準で分けるのかははっきりしませんが、とりあえずLINEノベルではおもにライトな作品を求めているようです(といってもいろいろな作風のものが投稿されるでしょうか)。

 

ライトノベル」のジャンルは異世界ファンタジー、 現代ファンタジー、 バトル・アクション 、SF、 ラブコメ・学園 、青春・恋愛、 現代ドラマ 、ホラー・オカルト、 ミステリー、 歴史・時代・軍事、 ノンフィクション・エッセイ、 詩・童話・俳句、 その他

 

ライト文芸」のジャンルは現代ドラマ(ライトコメディ)、 現代ドラマ(シリアス)、 恋愛(ラブコメディ)、 恋愛(純愛)、 青春・友情、 ノンフィクション・エッセイ・批評、 ファンタジー 、SF、 サスペンス・ミステリー 、ホラー・オカルト、 歴史・時代・軍事、 詩・童話・俳句等 、その他

 

となっていて、小説家になろうカクヨムにくらべてジャンル分けが細かくなっていますが、それだけ広いジャンルのものを求めているということのようです。ライトノベルライト文芸でほぼ同じジャンル分けが行われていますが、ライト文芸のほうが異世界ファンタジーが入っていない分、普通の小説に近いものを求めているということでしょうか。

 

入力画面はとても使いやすい

入力画面はかなり使いやすい……と言いますがカクヨムとほぼ一緒ですね。セルフレイティングとかタグのつけ方とかだいたい同じ。プレビュー画面ではカクヨムと違ってスマホの画面ではどう見えるかを見ることができます。スマホの画面で見て読者の負担にならないかどうか確認できるのは、地味に大きなメリットのような気がします。今カクヨムを使っている方はそのままの感覚で投稿できるので便利。各話にいいねがつけられるところもカクヨム同様です。

 

小説には表紙イラストもつけられます。用意されているイラストは数点しかないですが、描いてくれる人がいるか自分で描けるならオリジナルのイラストをアップロードしてつけることも可能です。

 

今のところは小説を公開してもグランドオープン後に公開されることになるので、まだ読者は読むことができませんが、LINEノベルで行われる令和小説大賞に応募する方はあらかじめこちらで投稿して準備しておいたほうがいいかもしれません。

 

LINEノベルに希望すること

ここから先は私の個人的願望になりますが、LINEノベルには小説家になろうとは違うタイプの投稿サイトに育ってほしい、という気持はあります。小説家になろうはあれはあれでいいと思いますが、いわゆる「なろう小説」的なものとは違うタイプの作品が評価されるようになってほしい。実はカクヨムがオープンした時にもそんな希望を持っていたのですが、カクヨムで強いタイプの作品は小説家になろうとそれほど変わりません(まったく同じ、というわけでもないですが)。それどころか、小説家になろうからファンを引き連れてきた作者がカクヨムでも強い、ということが起きたりするので、乱暴に言えば小型の小説家になろうがもう一つできた感じではないのか、と思うこともあります。

 

saavedra.hatenablog.com

実際どうなるかはオープンしてみないと何とも言えないですが、このサイトはなろうの二番煎じではなく、もう少し違うタイプの需要も掘り起こしてほしいところ。といいますか、その方向性を目指しているように思えます。とはいえ、蓋を開けてみると結局従来のウェブ小説的なものが強いという結果も予想できなくもないので、その場合はその傾向に対応していくしかないかな……とも思っています。まあ、今の自分の作風でも場所が変わればなんとかなるかもしれない、という希望的観測も含めた見方ですが。

 

思えば3年前、カクヨムがオープンしたばかりのころは☆や雑レビューを乱発してお返しを狙う人たちがずいぶんいたものですが、こうした事態に対する対策だけはきちんとしてほしいところ。LINEという媒体で人を集めれば読者の需要がどう変わるのか、あるいは変わらないのかは未知数ですが、ウェブ小説に新しい流れが出てくることへの期待は持ってはいます。3年経ったカクヨムがいまだに読者数が十分とはいえないので、LINEノベルがどう読者を引っ張ってくるのかが気になるところではありますが、様々なジャンルの書き手が十分な読者に恵まれるサイトに育ってくれることを願っています。

岩波ジュニア新書『情熱でたどるスペイン史』はスペイン史入門としておすすめの一冊

 

情熱でたどるスペイン史 (岩波ジュニア新書)
 

 

第一次大戦後から行われてきた世論調査では、ヨーロッパ各国では国民が一番好きな色は青になるそうです。しかし唯一スペインだけは、赤が一番人気の色になります。赤いパプリカの消費量はスペインが世界一で、真っ赤なトマトを投げつけるブニョルの祭りも有名です。赤色は人を興奮させる心理効果があることが知られていますが、この色を好んでいることがスペイン人の「情熱」のひとつの表れといえるかもしれません。本書ではこの「情熱」をキーワードとして、古代から現代にいたるまでのスペイン史を記述しています。あまりなじみのないイスラーム支配下のスペインやその文化、そして闘牛やフラメンコなど日本人にもなじみ深いスペインの文化にも触れているので、スペイン史についてまんべんなく知りたい読者には最適の一冊だと思います。

 

じつは著者が冒頭で語っている通り、スペイン史の研究者はスペインを「情熱の国」として語られることはあまり歓迎していないのだそうです。これはひとつつのステレオタイプだし、スペインにも地域差もあれば個人差もあるのに「情熱」などという先入観でこの国を語られては困るとのことですが、それでも本書を読んでいるとたしかに「情熱」でスペインのすべてを語ることはできなくとも、ある一面をとらえることはできるように思います。それくらい、ある種の「情熱」の表出がスペイン史の随所にみられるということです。

 

スペイン史をたどっていくと、すでに古代からスペイン人は情熱的な一面を持っていたということがわかります。カルタゴ領だったスペインはのちにローマの属州に組み込まれていますが、ローマ時代にすでにスペイン人の猛烈な気質は記録に残っています。リヴィウスはイベリア人が敵に攻められ武器を放棄するよう求められたとき、「武器のない人生など無意味だ」と自殺したと記していて、ガリア人のポンペイウス・トログスはヒスパニア人を「死に対して準備のできた魂」と記録しています。この古代ヒスパニア人の姿は、名誉のためには簡単に命を投げ捨てる中世・近代スペイン人の姿とも重なるものがあります。

 

このようなスペイン気質は、どのように形成されたのか。著者はその原因をスペインの地理的環境に見ています。スペインの地勢的特徴は、国土の大部分が中央台地(メセタ)と呼ばれる岩だらけの不毛な荒地で占められているということです。国土の大半が降雨量が少なく、夏と冬の寒暖の差が激しいため住むにはかなり厳しい環境です。暑熱と酷寒の支配する厳しい国土が、極端から極端へと移る激しい気質を生みだしたのではないか、というのです。

 

このような情熱のひとつの表れとして有名なのが、有名な国土回復運動(レコンキスタ)です。一度はイベリア半島を支配したイスラーム勢力へキリスト教を拡張していく国土回復運動は当然、宗教的情熱に支えられています。しかし、本書を読んでいるとわかるのは、意外にも中世のイベリア半島では他文化に対して寛容な傾向がみられることです。イベリア半島ではキリスト教徒とユダヤ人とイスラーム教徒の交流が盛んで、トレドをイスラームから取りもどしたアルフォンス6世はイスラーム教徒もユダヤ人も重用し「二つの宗教の王」を自称しているし、アルフォンソ10世(賢王)のように「神はキリスト教徒、ユダヤ人、モーロ人皆を救える」と主張した人物もいます。スペインはキリスト教イスラーム勢力がせめぎ合う土地であると同時に、両者の文化が混ざり合う土地でもあったのです。

 

しかし、このような寛容性は時代とともに失われていきます。レコンキスタ完了後、数年でスペイン全土でイスラーム教徒の迫害がはじまり、モスクは閉鎖されて焚書も行われました。異端審問所はキリスト教に改宗したイスラーム教徒に深いキリスト教化を求め、アラビア語イスラーム的風俗も禁止されます。そしてスペインではユダヤ人やモーロ人の血をひかないことを求める「純潔」規約が16世紀なかばに一般化し、ユダヤ人やイスラーム教徒は社会から排除されていくことになります。このような風潮は、スペイン社会に停滞をもたらすことにもなるのです。

 

 こうして中世末から近代初めにかけ、スペインではカトリック純化と血の純化が結合され、社会の遅れをもたらしました。コンベルソやモリスコは社会的恥辱を受け、誇り高い社会から排除されてしまいます。空疎な誇りばかりを追い求め、商業・技術・科学・知識などを軽視してはブルジョアは育たず、学問の進歩もありません。まさに暗い暗い情熱です。

 

コンベルソとはユダヤ教からキリスト教への改宗者ですが、コンベルソはスペイン黄金時代の文化を担う存在です。セルバンテスやラス・カサス、ベラスケスもコンベルソだったと考えられていますが、ベラスケスは「純血」を証明するために多くの努力を払わなくてはいけませんでした。コベンルソ達は旧キリスト教徒の暗い情熱に囲まれ、受苦することで目覚ましい創造をすることが可能になったと著者は書いていますが、このような抑圧がなければもっと別の豊かな文化が生まれていたのではないか、と思わずにはいられません。実際、スペインにはルネサンスというものがないのです。教会の力が強く、中世そのままのカトリックの教義を押し付けることができたためですが、個人の才能の自由な開花は望めなくなりました。

 

かわりにスペインで花開いたのは神秘主義バロック文化でしたが、ここから先のことは書いていると長くなるので省きます。国家としては強力になり「黄金時代」をむかえたスペインでは、すでに文化は翳りを帯びているように思えます。かえってレコンキスタの行われていた中世のほうが、文化的には黄金時代だったような気もします。実際、ユダヤ人やイスラム教徒がキリスト教徒と共存し、中世の翻訳センターとして機能していたトレドは「12世紀ルネサンス」の中心地と評価されています。私の好みもあるかもしれませんが、こうした異文化の混交がスペイン史の魅力であり、その魅力は中世において最も輝いていたように思います。

 

もちろん中世や黄金時代以降のスペイン史にも語るべきトピックはたくさんあり、どの時代に魅力を見出すはか人それぞれです。スペイン文化の象徴ともいえる闘牛の成立は18世紀、フラメンコが国民芸能になったのが19世紀ですが、これらももちろんスペイン人の情熱のひとつのあらわれ方です。近世以降では他にもドン・ファン伝説やカーニバル、ピカレスク文学など多くの話題がとりあげられていますが、すべて語っているときりがないのでここでは触れません。これらのキーワードにひとつでも興味があったらこの本を読んでみて損はないと思います。

 

岩波ジュニア新書『~でたどる○○史』シリーズの他の書評はこちら。

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磯田道史『武士の家計簿』はやはり傑作だった

 

 

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

 

 

磯田ファンのひとりとしてはとっくに読んでいなくてはいけない本のはずなのに、タイトルから想像される中身の地味さを敬遠して今まで手をつけられずにいた……のですが、やはりこれは傑作。

ベストセラーになり映画化も成功してかなり有名になった一冊ではあるものの、このタイトルのせいで読まずに損している層がいるのではないかと思い、もう十分に語られているこの本の魅力について今さら語ってみることにします。

 

この『武士の家計簿』で語られているのは、「御算用者」として加賀前田家に仕えた猪山家一族の生き方です。加賀藩の会計係の話といえば以下にも地味に思えますが、この猪山家が残した「武士の家計簿」を読み解くことで江戸時代の武士の生活実態がわかり、「身分費用」がいかに重い負担になっていたか、そしてそして明治維新後の武士の生き方までが明らかになるのです。「歴史の覗き窓」ともいうべきな貴重な古文書が、稀代の語り部である磯田道史氏の目に触れたのは僥倖というべきでしょう。

 

数学という武器で身分の差を超える 

面白いことに、加賀藩というのは数学がとても盛んな藩でした。藩祖の前田利家にも戦場に算盤を持って行ったという逸話があるくらい、計数に明るいという特徴があるのです。身分秩序にうるさい江戸時代でも、加賀藩なら算盤という特技を持っていれば出世することができます。猪山家は嫁がもらえない当主もいるほど貧しい家でしたが、算盤という特技があったため藩の経済官僚の働く「御算用場」に職を得ることができました。

 

興味深いのは、ここで西洋の場合と比較がなされていることです。ヨーロッパでも数学が軍隊や国家を管理するうえで重要性を増してくると、数字に長けたものが必要とされ、そこから身分制度が崩れてくるという歴史があります。軍隊でいえば地図と大砲には数学が必要とされるため、貴族の多かった将校も、砲兵将校や地図作成の幕僚に関しては例外だったというのです。それと同様に、数字に長けていた猪山家の武士たちもまた、算盤を武器にキャリアを積んでいくことになるのです。

 

武士の出費の大部分を占める「身分費用」 

しかし、出世したから豊かになれるのかというと、そういうものでもありません。武士の与えられる録は、職務内容とは関係なく決められているからです。猪山家では江戸詰を命じられ、生活費はかさむ一方なのに俸禄は70石のままなので、加賀に帰るころには多くの借金を抱えてしまいました。

 

この借金を整理するために一大決心をしたことが、猪山家の運命を好転させることになります。猪山家では二度と借金をしないようにするため、詳細な家計簿をつけ始めます。『武士の家計簿』はこの家計簿をもとにして書かれています。猪山家では資産の売却を徹底し、茶道具や食器、着物や書籍にいたるまで売却しています。猪山家は算盤の家なのに和算の本まで売り払うほどでしたが、この不退転の決意が評価され、借金の残りは無利子で十年で返還してよいことになりました。

 

これほど徹底的に猪山家では無駄な出費を省くことになりましたが、それでも減らすことのできない出費があります。それは交際費や武家らしい儀礼をおこなう費用、先祖を祀る費用などです。これらは武士であることに必然的に付きまとう出費なので、減らすことはできません。こうした儀礼や交際を怠れば、武士は武士ではいられなくなってしまうのです。こうした費用のことを磯田氏は「身分費用」と呼んでいます。

 

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江戸時代の初期には、蝉の抜け殻を取られたので少年が切腹したという話が伝えられているほど、武士というものは面子を気にします。会計官だった猪山家の人々は刀を振りまわすことなどなかったでしょうが、武士である以上斬り合いとは別の場面で面子を保たなくてはならなかったのです。

この「身分費用」が武士の窮乏化の大きな原因であったため、明治政府は大した抵抗なく武士の特権を廃止できたのではないか、と本書では推測されています。武士であることのデメリットが多いから武士の立場を手放せたのだ、という推論は初めて見ましたが、こういう視点から明治維新を眺めるのは新鮮です。

 

猪山家のみた明治維新

歳月は流れ、やがて加賀藩明治維新を経験することになります。ここからが本書のハイライトです。加賀藩は藩兵を京都に駐留させ政治力を持つことをもくろみ、猪山成之を京に派遣しますが、ここで成之の兵站の才能が開花しました。慶応3年の秋から冬にかけ、徹夜で炊き出しを続けた成之の能力は、やがて大村益次郎に見いだされることになります。

加賀藩は結局維新政府についたため、事務的な能力を持つ人材が不足していた新政府に必要とされ、成之は大村益次郎の軍務官になることとなりました。成之の能力は大村にも高く評価されましたが、不運にも大村は暗殺されてしまいました。結局、成之は海軍に就職し、会計官として働くことになります。維新後は公務員になりたくてもなれない武士がたくさんいましたが、成之は算盤という技術を持っていたために武士から官僚への転身に成功したのです。

 

没落する加賀藩の士族の姿

猪山家では詳細な家計簿のほかに、多くの書簡も残しています。成之が東京で就職して単身赴任となったため、父の直之が金沢の様子をくわしく書いて伝えているのです。直之の手紙をみると、加賀藩の士族がどのような運命をたどったのかを知ることができます。

明治4年になると、士族でも官職のないものは農業や工業・商業を営むことが許されています。明治5年に直之は金沢で相撲を見ていましたが、このとき、客の荷物を預かる雑役夫に士族が混じっているという、維新前なら絶対に見ることのなかった光景を目にしています。士族の多くは公務員になりたがっていましたがこれは狭き門で、多くの士族が生計の手段として「士族の商法」に手を染めなくてはいけなくなりました。実際、直之は路上でドジョウを焼いて売る士族の姿を目撃しています。士族にはプライドがあるため呉服屋を営んでいながら看板も出さないなど、士族の商法が失敗する様子まで直之はまのあたりにしています。

 

明治の世の中になり、女性の生き方も激変します。猪山家の親戚のなかにも、経済力を求めて富裕な町人と結婚する人が出てきました。斜陽士族と富裕な町人との結婚は当時の流行で、士族は経済力を、町人は武家の権威と教養を手に入れられるこの結婚は双方にメリットがありました。直之が筆まめな人であったため、こういう生々しい士族の没落の様子も詳しく知ることができるのです。 

 

視点を変えることで見えてくる歴史の面白さ

最近、大河ドラマのネタが尽きてきたといわれます。しかし、こういうものを読んでいると、切り取り方によってはいくらでも新鮮な歴史ドラマを描くことができるということに気づきます。問題は視聴者が受け入れるかどうかですが、『応仁の乱』が数十万部も売れる現在では、むしろ視聴者はこういう濃いネタをこそ望んでいるのかもしれません。本書は2003年に書かれていて磯田氏の著作のなかでは古いほうですが、語り口のわかりやすさ、着眼点の斬新さ、史料の読み解き方のおもしろさなど磯田氏のよいところが全部詰まっているので、今でも強くおすすめしたい一冊です。