明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなど

森川智之『声優 声の職人』で「帝王」がボーイズラブCDやダミーヘッドマイクについて語っていた

 

 

森川智之さんという方のことを、私はあまり詳しくは知りません。

とはいえ、岩波新書で声優を扱った本が出るとなれば気になるのも確か。

というわけで、さっそく読んでみました。

 このように帯も特別仕様で、『日本中の女子をお世話してきた「帝王」であり30年以上もトップを走ってきた実力派が語る声優論=役者論』と書いているあたり、なかなか攻めています。岩波新書創刊80周年という節目のせいでしょうか。

 

内容としては森川さんの声優としてのキャリアやトークライブの舞台裏、オーディションやアフレコの現場のことなどについて多く書かれているので基本的にはファン向けなのかな、という感じではあります。森川さん自身も書いているように、わりと順調に声優としてのキャリアを積んできた方なので苦労話などはあまり出てこなくて、業界の大変さなどもあっさりと触れられる程度です。

 

この時代にも声優ブームはありました。けれども、専門学校や養成所といった「なりたい」という器を拾い上げるための器が、現在のように整備されていませんでした。だから僕たちのころは若手声優、特に若手男性声優のなり手は不足気味で、そのせいか、どのプロダクションにも声優業界を下支えするために、会社の枠をこえて若手を育て上げようという雰囲気がありました。

 

本書で森川さんは声優の道をとんとん拍子で進んできたと語っていますが、それができたのはデビューした時期がこういう時代環境だったこともあるようです。でも本書でも書かれているとおり、今は声優になりたい人というのは何十万人もいて、オーディションを受ける権利を得られるのはごくごく一握りの人だけです。声優としてデビューできても、最初はモブ約として一言二言しゃべるだけ、という人が多いものです。

 

ですが、若手の男性声優にとっては、比較的早く知名度をアップさせるチャンスをつかむことのできる場が存在します。それが5章「帝王が目指すもの」で書かれているボーイズラブCDです。

 

いまやBLCDは、これからという期待の新人声優にとって、ブレイクのチャンスをつかむための登竜門的な位置づけになっています。アニメだと新人は一言、二言しかセリフがないという場合がほとんどですが、BLCDだと何ページにもわたって先輩と渡り合えますから。そこでファンに気に入られて仕事が増えていき、スターダムをのし上がっていくこともできます。

 

 私はこのジャンルのことは全然知らなかったのですが、森川さんは男性声優がこのジャンルへの出演を嫌がっていたり、名前を変えて出演したりしていた時期からも積極的に出演しています。CDではなくカセットテープの時期から出演していたと書かれているので相当昔からです。当時はプロが演じる場そのものが少なかったから、活躍の場が増えるのはいいことだと考えて出演を続けた結果、森川さんはBL界の「帝王」と呼ばれるようになったそうです。森川さんのプロ意識の高さがうかがえる話です。

 

『インターネットのまとめサイトによると、僕が最も男性声優の「初めて」を奪った声優になるそうです(笑)』

 

 これが岩波新書で読めるとは思わなかった。

 

森川智之さんの語る男女の違いというのも面白くて、どうやら女性の方が男性よりも声に対して敏感で、こだわりが強いようなのです。そのため、女性向けゲームやシチュエーションCDでは「ダミーヘッドマイク」というものがよく用いられています。これは、人間の頭部を模したマイクで、実際に人間が音を聞くのと同じ条件で録音するしくみになっています。

 

ダミーヘッドマイクの録音はこのようにして行います。実際に移動しながら録音するので、声優にとっては苦労の多い手法です。

(演じている水瀬いのりさんは森川智之さん経営する声優事務所・アクセルワンの所属声優です)

こういう録音手法が求められる原因について、森川さんはこう分析しています。

 

BLCDやシチュエーションCDなどを好む人の多くは女性です。女性は想像力がたくましいというか、音に対して敏感で、耳から入ってくる情報を頭の中で構築していく力がすごいと思うんです 。すべて与えられるよりも、自分で想像して補いたい。だから女性向けと言われるオーディオドラマがたくさん作られるんでしょう。

 女性とちがって男性は全部与えてほしいんです。だから男性はあまりオーディオドラマのほうにはいきません。音だけではダメで、ビジュアル込みのものを好みます。現状の男性声優と女性声優の仕事のちがいも、そんなところからくる気がしています。

 

というわけで、男性声優にとっては今後もこのジャンルの勉強は欠かせないものになりそうです。シチュエーションCDにはかなり凝った設定のものもあり、売り方次第では男性用も作れそうな気がしますが、いまのところ大部分は女性向けです。ダミーヘッドマイクの破壊力が男性にも知られたらこの傾向も変わるかもしれません。

  

カレと48時間潜伏するCD「クリミナーレ! F」 Vol.3 テンペスタ CV.森川智之

カレと48時間潜伏するCD「クリミナーレ! F」 Vol.3 テンペスタ CV.森川智之

 

 

この本では巻末に森川さんの出演作品が1989年からまとめてあって、中にはもちろんこれらのCDのタイトルも書かれています。こういうあたり、やはりファン向けに書かれているものではあるようですが、男性声優がどのように仕事に取り組んでいるのか、声優事務所も経営する著者が後継者をどう育てようとしているのか、という関心から読んでみても興味深い一冊ではないかと思います。

「2020年大河ドラマの主人公が明智光秀」報道で考えた大河ドラマの題材選びの難しさ

headlines.yahoo.co.jp

まだ確定したわけでもないですが、ついにきたか……と感じましたね、これは。

 

大河ドラマというのは、回数を重ねるほどに題材選びが難しくなっていくものだと思います。

一度扱った人物はもう10年は主人公にはできないだろうし、放映を続けるうちに視聴者には扱った人物や時代の知識が増えるので、似たような題材を選んでいると新鮮味が出ません。とはいえ、時代を変えるのもそう簡単ではありません。日本史で視聴者が興味がある時代が戦国時代や幕末に偏っているため、多くの大河ドラマがその時代を扱っています。思い切って時代をずらした平清盛は玄人受けは良かったものの、視聴率は低迷を続けました。

 

「いつもと同じ時代を扱う」という縛りのなかで新鮮味を出すためには、多くの工夫が必要です。軍師官兵衛天地人などのようにローカルなヒーローを主人公にしたり、篤姫や江のように女性視点からドラマを作ったりするのもそうした工夫のひとつです。おんな城主直虎は女性主人公でかつマイナーな主人公であり、内政をストーリー前半のメインに持ってくるなど、過去作と差別化を図ろうとする努力の集大成のような作品でした。

saavedra.hatenablog.com

それだけの工夫をしても、『おんな城主直虎』の視聴率はふるいませんでした。もちろん、ドラマの価値は視聴率だけでは測れません。ですが、数字が取れなければドラマが盛り上がっていないとみなされることもまた事実。どこかに起死回生の策はないものか、と制作側は願うでしょう。磯田道史さんなどは、大河ドラマを朝ドラ化すればいいのだとNHKのドラマ関係者にアドバイスをしたと『日本史の内幕』で書いています。

 

 

「大河は有名な歴史人物は紹介しつくした。視聴者は信長・秀吉などの人生のあらすじを知ってしまってワクワクしない。一方、朝ドラは無名・架空の女性の生きざまを描く。先が読めずハラハラしながらみられるから視聴率が高いのは当然。思い切って大河を朝ドラ化してみては。大河は戦国物が当たる。戦国時代、女性で城主や武将だった人も少ないがいる。ここにそのリストがある」

 

このアドバイスのおかげかはわかりませんが、結局2017年の大河ドラマの主人公は井伊直虎になりました。磯田さんが言うとおり、いまさら信長や秀吉のような有名人を主人公にしてもなんの新鮮味もありません。だとすれば一つの方策として、「有名人を別視点から見せる」というやり方も出てきます。明智光秀が主人公にするということは、信長の人生を光秀視点から見るということでもあります。切り取り方を変えれば、同じ時代でも新しい見せ方ができるということです。

 

信長や秀吉のような、歴史のメインストリームを歩んで人物を正面から扱うことが難しくなっている、というのは大河ドラマだけの問題ではありません。歴史小説もまた、同じ問題に直面しています。現代は司馬遼太郎が書いたような歴史の本道を描く作品はすでに手垢がついたものになってしまっているため、もっと変化球の作品が求められているのです。

例えば天野純希氏の『信長嫌い』のように敵の視点から信長を書いてみたり、伊藤潤氏の『戦国鬼譚 惨』のように、弱小の国衆の悲哀を描く作品が登場したりしています。歴史作家は過去の作家に比べて、生き残っていくためにはより工夫が求められる時代になっています。このジャンルを目指す人には厳しい時代と言えます。

 

信長嫌い

信長嫌い

 

 

戦国鬼譚 惨 (講談社文庫)

戦国鬼譚 惨 (講談社文庫)

 

 

明智光秀大河ドラマの主人公として検討されるということは、いよいよ大河の題材選びが難しくなってきたということだと思います。日本史という鉱脈は実に豊かで、一生掘っても掘り尽くせないほどの魅力的な人物や出来事に満ちています。ですが、題材として面白く、かつドラマの視聴者が興味を持ちそうな人物となると、必ずしも多いわけではないというのも実情です。だからこそ、光秀が主人公候補になるのでしょう。

 

明智光秀が主人公になるとすれば、当然、クライマックスは本能寺の変になるはずです。ということは、ドラマ中では信長を討つ動機を描かなくてはなりません。フィクションとはいえ、このドラマが実現化すれば本能寺の変の真相とは何か、ということに対する一つの答を出すことになるんでしょうね。これも間違いなくドラマの一つの見所になり得ます。

 

saavedra.hatenablog.com

歴史学的には本能寺の変の真相はどう見られているのか、ということに関しては、呉座勇一さんの『陰謀の日本中世史』が参考になります。この本では本能寺の変陰謀論批判にかなり力が入っていて、多くの俗説がめった斬りにされています。ドラマ的にはここで批判されている説のどれかを取り上げたほうが盛り上がるかな……と感じますが、どうなるかは放映されてみないとわかりません。どうせなら真田丸のときのように制作側が時代考証の人たちの意見をよく聞き、実際あり得そうな本能寺の変の裏事情を描いてみせてほしいものです。

眺めているだけでワクワクする。『世界をまどわせた地図』にはムー大陸からパタゴニアの巨人まで怪しい伝承満載

ドラゴンクエストはなぜ面白いのか、とたまに考える。

もちろんストーリーに惹き込まれるとか、レベル上げが楽しいということはある。

しかしやはり欠かせない要素として、「知らない世界を冒険できる」ということが挙げられるのではないだろうか。

ワールドマップを眺めてまだ見ぬ土地に思いを馳せつつ、この大陸にどんな町があるのか、この島にはどんな宝物が眠っているのか、といったことを想像するのが何より楽しいのだ。

 

こういうことをゲームで楽しむということは、逆に言えばリアルの世界では「まだ見つかっていない土地に夢を託す」ということができなくなっているということでもある。

現代は世界はどんな姿をしているかがすべて判明していて、グーグルマップでほぼ世界中の土地を空から眺めることもできる。

便利にはなったものの、もうこの世界には未発見の大陸も、伝説の黄金郷も存在しない。結局、そういうものはフィクションの世界に求めるしかないのだ。

 

しかし、まだ世界の全貌が知られていなかった時代、人類は未踏破の大陸に向けて困難な航海を重ね、未知の国家を訪れ、名も知らぬ民族や動物を目にする機会があった。

ごく限られた人間だけの特権であったとはいえ、「マップを埋める楽しさ」をリアルワールドで体験できた時代が確かにあったのだ。

大航海時代に我々が心を惹かれたりするのも、そうした過去へのあこがれがあるからではないかと思う。

そう言えばドラゴンクエスト3の世界は現実の世界地図を模したものだし、ポルトガでは船を手にれることができる。あの世界を探索する楽しみは、大航海時代の探検家の味わったものとどこか似ている。

 

そのような世界に生きていた人たちに、見知らぬ土地はどう映っていたのか?

それを教えてくれるのが、この『世界をまどわせた地図』だ。

 

世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語

世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語

 

 

本書では、ムー大陸やプレスター・ジョンの国などの有名な伝説から、パタゴニアの巨人伝説やカラハリ砂漠の古代都市、オーストラリアの内陸海など、古今東西の実在しない地図や伝承などを、豊富な図解付きで解説している。こういうのは、見ているだけで楽しい。

 

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北極点にあると信じられていた磁石島ルペス・ニグラ。こういうのがたくさん出てくる

「幻の地図」は人間の欲求の集大成

本書を読んでいて思うのは、こういう「幻の地図」や伝承というのはあらゆる人間の欲望の集大成である、ということだ。

 プレスター・ジョンの国の伝説というのは十字軍がイスラムに敗北を続けるなかで強力な友好勢力がほしいという願望から広まったものだし、エルドラドの存在は当然、金を求める欲求が生み出したものだ。長い航海の果てに陸地にたどりつきたいという船乗りたちの切実な欲求は、なにもない南米の南端にオーロラ諸島という幻の島を見出した。

既知の世界では荒唐無稽と片付けられる出来事も、まだ見ぬ土地ならば起こり得ると思えるのが人間なのだ。

 

となると、当然そのような欲求につけこむ人間もまた現れる。

本書で紹介されている「ポヤイス国」は、稀代の詐欺師グレガー・マクレガーがでっち上げた国だ。不景気に悩む19世紀のロンドンに現れたグレガーは「ポヤイス国の領主」を名乗り、できたばかりの自分の国に投資してくれる人物を求めた。

ポヤイス国は800万エーカーの土地と豊富な資源に恵まれていると吹いて入植者を募り、グレガーは新天地を目指したが、待っていたのは未開の密林と沼地だけだった。この土地は現在のホンジュラス付近らしい。ポヤイス国に旅立った270人の男女のうち、無事に帰還できたのは50人足らずだったといわれている。

 

ここまで大掛かりな詐欺となるとさすがに珍しいが、コロンブスが心惹かれていた『東方見聞録』の著者のマルコ・ポーロの仇名は「百万のマルコ」、いわば嘘つきだ。実際、東方見聞録にはとても事実とは思えないことがたくさん書かれている。旅行家や探検家と詐欺師の距離はそう遠くはない。彼らの作り上げた地図や伝承は、読み手のニーズに応えていたからこそ残っている。彼らが現代に転生していたら伝奇作家にでもなっているかもしれない。

 

本書に取り上げられている幻の土地は数多いので、気になったものを3つだけ紹介してみる。

 

5世紀に中国僧が渡った幻の国「扶桑」

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この国のことは全く知らなかったが、中国の正史『梁書』に慧深という僧がたどりついたという「扶桑」という国のことが記されている。この扶桑とはアメリカのことではないか、という説が本書では紹介されている。本当ならヴァイキングより先にアメリカ大陸に到達していた人物が存在していたことになるのだが、さすがににわかには信じられない。

トナカイを飼い、身体に入れ墨をした人々がいると慧深は語っており、これはイヌイットではないのかというのだが、トナカイ遊牧民中国東北部にもいたのでこのあたりのことを言っている可能性はないだろうか。扶桑の位置に関してはメキシコやロッキー山脈付近、北海道などという説まであり、どれが本当かは判然としない。もちろんすべて慧深の空想である可能性もある。

 

ワクワク

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読んでいるだけでワクワクすると書いたが、かつて本当にこんな名前の国があると信じられていたことがある。トルコやアラビア、インドの伝承だが、ワクワクの存在する場所は朝鮮半島か中国のどこか、だと考えられていた。

このワクワクは日本のことではないか、という説がある。ワクワク=倭国、というわけだ。だがワクワク国では山頂の木が叫び声をあげ、人間の形をした実がなると言われている。イドリースィーはこの国の女性は真珠で飾った象牙の櫛以外は何も身に着けないと書いているが、これらの伝承と日本との共通点はどこにもない。ワクワク国の正体は依然として霧の中だ。

 

パタゴニアの巨人

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 この伝承の起源はマゼランの同行者、アントニオ・ピガフェッタの記録による。

ヨーロッパ人の頭が腰にまでしか届かなかったという巨人は、マゼランによりパタゴニと名付けられた。この巨人の目撃報告はマゼラン以降も続いていて、18世紀にはイギリスのバイロン船長が身長が2.6mもある住民ばかりがこの地に暮らしていると報告している。これが理性と啓蒙の時代の話だというのだから面白い。結局、人は信じたいことを信じてしまう生き物だということだろうか。

現在、巨人の正体は原地の遊牧民テウェルチェ族だと考えられている。彼らの身長は1.8m程度で、巨人というほどでもない。真実とは知ってしまえば拍子抜けするようなことが多いものだ。

 

元号一覧や改元の理由を知ると日本は災害大国だと思い知らされる

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元号を知ると、日本史をより深く理解できる

元号 全247総覧

元号 全247総覧

 

もうすぐ元号も改まるので、最近はこの本を読んで元号の歴史について調べていました。

 

現在、元号というものを採用している国家は日本だけです。

最初の元号である「大化」以来長く使われてきた元号は、一面不便ではあっても日本のアイデンティティそのものであるとも言えます。

ですが、そのわりに、昭和にしろ平成にしろ、元号がどうやって決まるのか、その由来はなんなのか、ということを案外私達は知らないものです。

この『元号 全247総覧』では元号についてひと通り解説したのち、「大化」から「平成」に至るまで、247の元号すべての由来と改元が行われた事情について解説しています。各元号の時代における歴史的事件のかんたんな解説もあるので、これを読めば元号の変遷を振り返りつつ日本史の流れも追うことができます。

そして、元号の歴史を追っていると、あることに気づきます。それは、日本が災害大国であるという事実です。

改元の歴史は災害の歴史でもある

改元が行われるのは、国家の繁栄と民の平安を願うためです。

天皇が即位するときは当然ですが、大地震や火災、天変地異、疫病の流行などがあったとき、改元を行うことで災いを断ち切り、新しい世の中を作ることを示すという意味合いがあります。明治になり一世一元になるまでは一人の天皇が何度も改元を行うのはこのためです。

247の元号は、平均すればひとつの元号が使われている期間はおよそ5年です。これだけひんぱんに改元が行われるのは、それだけ日本には地震や飢饉、疫病などが多かったということです。そして、改元しても天災を止めることはできないので、また改元が繰り返されることになります。元号の歴史を知ることは、かつて日本人がどのような苦難に遭わされていたかを知ることでもあるのです。

 

ここでは以下、この『元号 全247総覧』の内容に従い、「災異改元(天災地変など凶兆とみられる現象を理由に新しい元号に代えること)がどれだけあるかを見ていきたいと思います。飛鳥・奈良時代は瑞祥を理由とした改元が多く、災害のために改元した例がないのでまずは平安時代から見ていきます。

 

飢饉と疫病に苦しめられる平安時代

 782 ~ 806 延暦
 806 ~ 810 大同
 810 ~ 824 弘仁
 824 ~ 834 天長
 834 ~ 848 承和
 848 ~ 851 嘉祥
 851 ~ 854 仁寿
 854 ~ 857 斉衡
 857 ~ 859 天安
 859 ~ 877 貞観
 877 ~ 885 元慶
 885 ~ 889 仁和 改元後に巨大地震が発生
  
 889 ~ 898 寛平
 898 ~ 901 昌泰
 901 ~ 923 延喜
 923 ~ 931 延長 日照りと水害・疫病のため改元
 931 ~ 938 承平
 938 ~ 947 天慶 平将門の乱藤原純友の乱をきっかけに改元
 947 ~ 957 天暦
 957 ~ 961 天徳 旱魃のため改元
 961 ~ 964 応和 内裏の火災、辛酉革命のため改元
 964 ~ 968 康保
 968 ~ 970 安和
 970 ~ 973 天禄
 973 ~ 976 天延 天変・地震による災異改元
 976 ~ 978 貞元 宮中の火災と山城・近江地方の地震改元
 978 ~ 983 天元 天変地異と厄年のため改元
 983 ~ 985 永観 旱魃や皇居の火災のため改元
 985 ~ 987 寛和
 987 ~ 989 永延
 989 ~ 990 永祚 地震ハレー彗星出現のため改元
 990 ~ 995 正暦 台風のため改元
 995 ~ 999 長徳 疫病・天変のため改元
 999 ~ 1004 長保 炎旱による改元
1004 ~ 1012 寛弘 地震による改元
1012 ~ 1017 長和
1017 ~ 1021 寛仁
1021 ~ 1024 治安
1024 ~ 1028 万寿
1028 ~ 1037 長元 疫病・旱魃改元
1037 ~ 1040 長暦
1040 ~ 1044 長久 大地震・内裏焼失で改元
1044 ~ 1046 寛徳 疾病・旱魃改元
1046 ~ 1053 永承
1053 ~ 1058 天喜 天変怪異による改元
1058 ~ 1065 康平 内裏・大極殿の火事で改元
1065 ~ 1069 治暦
1069 ~ 1074 延久
1074 ~ 1077 承保
1077 ~ 1081 承暦 疱瘡・旱魃による改元
1081 ~ 1084 永保
1084 ~ 1087 応徳
1087 ~ 1094 寛治
1094 ~ 1096 嘉保 疱瘡の治癒のため改元
1096 ~ 1097 永長 地震のため改元
1097 ~ 1099 承徳 台風・洪水・地震・彗星のため改元
1099 ~ 1104 康和 災異が続くため改元
1104 ~ 1106 長治 月食を凶事として改元
1106 ~ 1108 嘉承 彗星出現のため改元
1108 ~ 1110 天仁 鳥羽天皇即位の改元だが、改元直前に浅間山が大噴火
1110 ~ 1113 天永 天変のため改元
1113 ~ 1118 永久 天変、兵革、疫疾などによる改元
1118 ~ 1120 元永 天変と疫病による改元
1120 ~ 1124 保安
1124 ~ 1126 天治
1126 ~ 1131 大治 疱瘡流行による改元
1131 ~ 1132 天承 炎旱、天変による改元
1132 ~ 1135 長承 疫病発生のため改元
1135 ~ 1141 保延 飢饉・疫病・洪水のため改元
1141 ~ 1142 永治
1142 ~ 1144 康治
1144 ~ 1145 天養
1145 ~ 1151 久安 ハレー彗星出現のため改元
1151 ~ 1154 仁平 風水害のため改元
1154 ~ 1156 久寿
1156 ~ 1159 保元
1159 ~ 1160 平治
 
1160 ~ 1161 永暦 平治の乱により改元
1161 ~ 1163 応保 飢饉・疱瘡による改元
1163 ~ 1165 長寛 天変や疱瘡による改元
1165 ~ 1166 永万
1166 ~ 1169 仁安
1169 ~ 1171 嘉応
1171 ~ 1175 承安 天変と天皇の病で改元
1175 ~ 1177 安元 疱瘡流行による改元
1177 ~ 1181 治承 大極殿の火災で改元
1181 ~ 1182 養和
1182 ~ 1185 寿永 飢饉・兵革・病事による改元
1184 ~ 1185 元暦
1185 ~ 1190 文治 巨大地震による改元

 

10世紀後半からは明らかに災異改元が増え始め、11世紀に入ると何度も疫病が流行していることがわかります。字面に反して平安時代は全く平安な時代ではありません。彗星の出現や月食までが凶事として改元の理由になっているのが面白いところですが、迷信の中を生きる人達にとってはこれらも恐れるべきものだったのです。最後の文治が巨大地震で締められているあたり、やはり日本は地震の国なのだと痛感させられます。

鎌倉時代に入っても災害は頻発

そして、鎌倉時代に入ってもこの状況は変わりません。武士の世の中になったからといって災害が収まるわけもなく、あいかわらず災異改元はひんぱんに行われています。以下、鎌倉時代の災異改元について見ていきます。

 

1190 ~ 1199 建久 厄年のため改元
1199 ~ 1201 正治
1201 ~ 1204 建仁
1204 ~ 1206 元久
1206 ~ 1207 建永 赤斑瘡流行のため改元
1207 ~ 1211 承元 疱瘡・雨水により改元
1211 ~ 1213 建暦 
1213 ~ 1219 建保 地震のため改元
1219 ~ 1222 承久 天変・旱魃のため改元
1222 ~ 1224 貞応 
1224 ~ 1225 元仁 天変・炎旱による改元
1225 ~ 1227 嘉禄 疱瘡流行による改元
1227 ~ 1229 安貞 疱瘡・天変大風による改元
1229 ~ 1232 寛喜 天災・飢饉による改元
1232 ~ 1233 貞永 飢饉による改元
1233 ~ 1234 天福
1234 ~ 1235 文暦 地震により改元
1235 ~ 1238 嘉禎 地震により改元
1238 ~ 1239 暦仁 天変による改元
1239 ~ 1240 延応 天変・地震による改元
1240 ~ 1243 仁治 彗星・地震による改元
1243 ~ 1247 寛元
1247 ~ 1249 宝治
1249 ~ 1256 建長 内裏の火災のため改元
1256 ~ 1257 康元 赤斑瘡流行のため改元
1257 ~ 1259 正嘉 五条大宮炎上のため改元
1259 ~ 1260 正元 飢饉・疾病による改元
1260 ~ 1261 文応 天変・飢饉・疫病のため改元
1261 ~ 1264 弘長
1264 ~ 1275 文永
1275 ~ 1278 建治
1278 ~ 1288 弘安 疫病のため改元
1288 ~ 1293 正応
1293 ~ 1299 永仁 鎌倉大地震のため改元
1299 ~ 1302 正安
1302 ~ 1303 乾元
1303 ~ 1306 嘉元 炎旱・彗星のため改元
1306 ~ 1308 徳治 天変による改元
1308 ~ 1311 延慶
1311 ~ 1312 応長 病事による改元
1312 ~ 1317 正和 天変・地震による改元
1317 ~ 1319 文保 地震のため改元
1319 ~ 1321 元応
1321 ~ 1324 元亨
1324 ~ 1326 正中 大暴風被害を受け改元
1326 ~ 1329 嘉暦 天変・地震・疾病による改元


というわけで、鎌倉時代平安時代に引き続き災害の連続でした。平家物語のような無常観にみちた文学が流行したのは、こうした自然環境が影響しているかもしれません。二度目のモンゴル侵攻「弘安の役」の弘安も疫病による改元ですが、この過酷な環境のなかで外敵とも戦わなければならなかった鎌倉武士の苦労とはどれほどのものなのか、想像するのは困難です。

 

兵革(戦乱)による改元の多い南北朝時代

王朝が2つに分かれているのでややこしいですが、北朝南朝に分けて記します。

 

北朝

1329 ~ 1332 元徳  疾病などにより改元
1332 ~ 1333 正慶
1334 ~ 1338 建武
1338 ~ 1342 暦応
1342 ~ 1345 康永
1345 ~ 1350 貞和 彗星による水害疾病のため改元
1350 ~ 1352 観応
1352 ~ 1356 文和
1356 ~ 1361 延文 兵革による改元
1361 ~ 1362 康安 疫病や戦乱のため改元
1362 ~ 1368 貞治 兵革・天変・地震・疫病のため改元
1368 ~ 1375 応安 疫病・天変による改元
1375 ~ 1379 永和
1379 ~ 1381 康暦 天変・疾病・兵革による改元
1381 ~ 1384 永徳 
1384 ~ 1387 至徳
1387 ~ 1389 嘉慶 疫病流行のため改元
1389 ~ 1390 康応 
1390 ~ 1394 明徳 天変・兵革による改元

 

南朝

1329 ~ 1331 元徳   疾病などのため改元
1331 ~ 1334 元弘 
1334 ~ 1336 建武
1336 ~ 1340 延元 兵革を理由に改元
1340 ~ 1346 興国 
1346 ~ 1370 正平
1370 ~ 1372 建徳
1372 ~ 1375 文中
1375 ~ 1381 天授 山崩れによる改元
1381 ~ 1384 弘和
1384 ~ 1392 元中

 

南北朝時代には、兵革(戦乱)による改元が多いというはっきりとした特徴があります。ふたつの王朝が争っていたので当然ですが、天皇の代替わりも多いので代始の改元も多いです。そうした理由を除いてもやはり疫病による改元も多く、鎌倉時代に引き続きこの時代も民衆には生きづらい時代だったことが見えてきます。

 

改元するお金もない室町時代後期

室町時代といえば応仁の乱ですが、この時代の元号を見ていくと、実は応仁の乱以降は比較的長く使われている元号があることがわかります。しかし、それはこの時代が平和だったことを意味するのではありません。『元号 全247総覧』によると、

この当時、朝廷を支えるべき幕府は経済力も政治力も失っていった。朝廷も窮乏し、即位の礼の費用も捻出できず、天皇が譲位して上皇になったり、改元したりすることもままならない状況になっていた。そのため、この時期の元号使用期間は結構長いものが多い。

という事情があったのです。

それでは以下、室町時代元号について見ていきます。

 

1394 ~ 1428 応永 後円融天皇崩御による改元
1428 ~ 1429 正長
1429 ~ 1441 永享
1441 ~ 1444 嘉吉
1444 ~ 1449 文安
1449 ~ 1452 宝徳 彗星や暴風雨、疫病などのため改元
1452 ~ 1455 享徳 疫病のため改元
1455 ~ 1457 康正 戦乱多発のため改元
1457 ~ 1460 長禄 病患・炎旱のため改元
1460 ~ 1466 寛正 飢饉により改元
1466 ~ 1467 文正 
1467 ~ 1469 応仁 兵革が続くため改元
1469 ~ 1487 文明 応仁の乱による災異改元
1487 ~ 1489 長享 火災や病事・兵革などによる改元
1489 ~ 1492 延徳 足利義尚の死を理由とした災異改元
1492 ~ 1501 明応 疫病のため改元
1501 ~ 1504 文亀 
1504 ~ 1521 永正
1521 ~ 1528 大永 天変や戦乱のため改元
1528 ~ 1532 享禄 戦乱を理由とする改元
1532 ~ 1555 天文 疫病・戦乱のため改元
1555 ~ 1558 弘治 戦乱による改元
1558 ~ 1570 永禄 
1570 ~ 1573 元亀 戦乱による改元

 

いつからを戦国時代とするかは諸説あるのでここでは戦国時代という区分は設けませんでしたが、応仁の乱以降は明らかに兵革(戦乱)による改元が多いことがわかります。疫病や飢饉もあいかわらず多く、庶民にとっては光のとぼしい時代です。

中世の日本人はわりと簡単に人を殺してしまう民族だったようですが、その原因の一端はこの災害の多さにあるのかもしれません。飢饉が多ければ少ない食料をめぐって争いが起きます。戦国時代の戦争では「乱取り」と呼ばれる略奪が多く行われていたことが知られていますし、大名も食料の確保のため戦争をしています。

 『戦国大名武田氏の戦争と内政』にはこうあります。

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

戦国大名武田氏の戦争と内政 (星海社新書)

 

 

そして、近年注目されているのが、飢饉による食料の不足を他国からの略奪でまかなう「食うための戦争」という評価である。藤木久志氏によれば、上杉謙信は秋の終わりから冬にかけて越後から関東へ侵攻し、翌年の春の終わりから夏の初め頃に越後へ戻るというサイクルを繰り返していた。これは、農作物の端境期(食料が不足する時期)の飢饉への対策として、敵国での食料確保と、農村の口減らしを目的としたものであったという。            

安土桃山時代(あまり語ることがない)

1573 ~ 1592 天正 戦乱による災異改元
1592 ~ 1596 文禄

 

天正」は比叡山焼き討ちや三方ヶ原の戦いなどの戦乱を理由とした災異改元とも言われていますが、実は信長が望んだ改元だという説もあります。

 

異国船の来航も「災異」になる江戸時代末期

戦国時代が終わり、ようやく長い平和の時代が訪れます。元和偃武から元禄文化寛政の改革、明暦の大火や天明の大飢饉など、江戸時代の年号はなじみ深いものが多いですが、室町以前に比べれば明らかに災害による改元が少なく、飢饉を理由とした改元は1回もありません。ただし「天明」のように改元後に大飢饉が起きたことはあります。

 

1596 ~ 1615 慶長 天変、地妖による改元
1615 ~ 1624 元和 
1624 ~ 1644 寛永
1644 ~ 1648 正保
1648 ~ 1652 慶安
1652 ~ 1655 承応
1655 ~ 1658 明暦
1658 ~ 1661 万治 明暦の大火を契機に改元
1661 ~ 1673 寛文 内裏焼失のため改元
1673 ~ 1681 延宝 京都大火を受けて改元
1681 ~ 1684 天和
1684 ~ 1688 貞享
1688 ~ 1704 元禄
1704 ~ 1711 宝永 地震、火災のため改元
1711 ~ 1716 正徳 
1716 ~ 1736 享保 家継死去のため改元
1736 ~ 1741 元文
1741 ~ 1744 寛保
1744 ~ 1748 延享
1748 ~ 1751 寛延
1751 ~ 1764 宝暦 桜町上皇崩御による災異改元
1764 ~ 1772 明和
1772 ~ 1781 安永 明和の大火をきっかけに改元
1781 ~ 1789 天明
1789 ~ 1801 寛政 京都の大火をきっかけに改元
1801 ~ 1804 享和
1804 ~ 1818 文化
1818 ~ 1830 文政
1830 ~ 1844 天保 京都地震が起きたため改元
1844 ~ 1848 弘化 江戸城火災のため改元
1848 ~ 1854 嘉永
1854 ~ 1860 安政 内裏炎上と異国船来航のため改元
1860 ~ 1861 万延 江戸城炎上のため改元
1861 ~ 1864 文久
1864 ~ 1865 元治
1865 ~ 1868 慶応 京都兵乱、世間不穏のため改元

 

安政の大獄のせいで有名な元号安政ですが、異国船の来航を理由として改元されたというあたりに幕末独自の特徴が出ています。朝廷にとっては、異国の船が日本にやってくることも地震や火災と同等の災厄だったということでしょう。しかしせっかく改元したにもかかわらず、この時代には安政の大地震が起こってしまいました。結局、いくら改元しても日本人は地震からは逃れられないのです。

 

一世一元の制が採用され、災異改元はなくなる

明治以降は一世一元の制が採用されたため、災異改元は行われなくなります。近代国家としては当然、災害を鎮めるために改元するようなことはできませんが、それだけに元号を変えて気分を一新する機会もずっと少なくなりました。結果として「昭和」は世界で最も長く使われた元号となっています。

 

1868 ~ 1912 明治
1912 ~ 1926 大正
1926 ~ 1989 昭和
1989 ~     平成

 

日本は言霊の国だと言うと大袈裟ですが、それでも日本人は今でもけっこう験をかついだり、縁起の悪い言葉を気にしていることが多い気がします。その理由のひとつとして、こうして長い歴史を通じて災厄を避けるための改元を繰り返してきたことが挙げられるのかもしれません。元号などすでに時代遅れだという意見もありますが、もうすぐ改元というめったにない機会を目にすることができるかと思うと、どこか心が浮き立つものもあります。これも、延々と改元を繰り返してきた日本人のDNAというものかもしれません。

 

www.jice.or.jp

こちらで書かれている通り、全世界のマグニチュード6の地震の20%が日本付近で起きるほど、日本は地震の多い国です。こうした自然災害に苦しめられてきた歴史が、元号改元の歴史でもあるのです。あまり注目されることはありませんが、災害は日本史を語るうえで欠かせないキーワードと言えるかもしれません。 

 

磯田道史『日本史の内幕』感想:磯田道史はおんな城主直虎の仕掛け人だった?

 

 

磯田道史という人はふしぎな人だ。まるで古文書の方から彼に近づいていっているかのように、磯田氏が立ち寄る古書店ではさまざまな貴重な史料が見つかる。「徳川埋蔵金」に関する史料から戦国時代の戦闘マニュアル、大田南畝の賛辞が書いてある掛け軸など、いたるところでこういうエッセイのネタになりそうなものが見つかるのだ。

 

もちろん、引き寄せの法則などが働いて古文書が磯田氏に吸い寄せられているわけではない。要は、磯田氏が無類の古文書マニアであり、探索能力が優れているからそういうものがあちこちで見つかるのだ。磯田氏がどれくらい古文書が好きかと言うと、古文書のためにわざわざ水戸市助教授の職に就くほどなのだ。

 

 水戸の町に住んだことがある。八年だから長い。一体、水戸の町は古文書のたぐいが面白い。黄門さま以来、水戸は歴史に執念を燃やした藩で、いろいろと史料があつまっている。それ読みたさに茨城大学助教授というものになって八年水戸にいた。

 

 『英雄たちの選択』を見ていても、この人は史料を読むのが好きで仕方がないんだろうな、というのが画面越しに伝わってくる。大変なことも多いだろうが、これもまた理想の人生の一つの形だろう。大好きなことで職を得られ、得られた知見をこうして本に書いて広めることができるのだから。

 

磯田道史の仕事は、歴史学者の範疇にはとどまらない。本書で告白しているとおり、磯田氏はNHKのドラマ関係者に、大河ドラマの朝ドラ化」を進言している。具体的にはこういうことを言ったのだそうだ。

 

「大河は有名な歴史人物は紹介しつくした。視聴者は信長・秀吉などの人生のあらすじを知ってしまってワクワクしない。一方、朝ドラは無名・架空の女性の生きざまを描く。先が読めずハラハラしながらみられるから視聴率が高いのは当然。思い切って大河を朝ドラ化してみては。大河は戦国物が当たる。戦国時代、女性で城主や武将だった人も少ないがいる。ここにそのリストがある」

 

こうして大河ドラマになりそうな人物の推薦リストを作り、ドラマ関係者に渡したのだそうだ。女性で主人公候補になったのが立花誾千代や甲斐姫、おつやの方、そして井伊直虎。この雑談が影響したのかはわからないが、蓋を開けてみれば磯田氏が一番大河ドラマ化は難しいと思っていた直虎が主人公になった。視聴率は振るわなかったが、『おんな城主直虎』はドラマとしては成功していたと思う。

saavedra.hatenablog.com

 こうした磯田氏の活動に対して、歴史家の本分を外れていると見る人もいるかもしれない。しかし大河ドラマの題材となった人物は世間の注目が集まり、研究が進展して歴史学に大いに貢献することもある。現に『真田丸』が放映されていた2016年には時代考証を担当した平山優、黒田基樹丸島和洋の三氏の著作が多く発表された。「国衆」という言葉を世間に知らしめたのも、あのドラマの功績だと言える。

 

最近、人文系学部を縮小する必要性が叫ばれている。歴史学含む人文学は、それ自体が直接企業社会に役立つものではないかもしれないが、磯田氏のような人物の活躍の場が狭められるのはさびしい。本書では、大河ドラマの舞台になるとその県の観光客が一割前後増えるという経済効果についても触れられている。こういう部分を強調していくことも、世知辛い時代に歴史学が生きのびるための一つの方策なのだろうか。

武田信玄が教科書から消える(かもしれない)件についての歴史家の見解

headlines.yahoo.co.jp

武田信玄上杉謙信坂本龍馬吉田松陰などの有名人物が歴史教科書から消えるかもしれない、ということが去年から話題になっています。

いろいろと意見はあるでしょうが、武田信玄については武田氏について多くの著作があり、『真田丸』の時代考証も担当した平山優さんがこのようにコメントしています。

 

 

 

 

 武田信玄はローカルな戦国大名なのでマクロな日本史の流れから見ればそれほど重要ではない(だから教科書に記載する必要はない)という議論があるようですが、平山さんが指摘しているように喧嘩両成敗法や信玄堤を江戸幕府が継承しているのだから、武田信玄を単にローカルな一大名として扱うのは適切ではないように思います。

  

詳説日本史研究

詳説日本史研究

 

 

私の手元の『詳説日本史研究』にはこう書かれています。

とくに喧嘩両成敗法は、それまで紛争解決手段のひとつとして慣習的に認められていた決闘・私闘(喧嘩)を禁止し、すべての紛争を大名の裁判に委ねさせることによって、領国の平和を実現しようとしたものであり、この姿勢は後の豊臣秀吉の惣無事令にも受け継がれていく。 

武田信玄甲州法度は分国法の中でも特に有名なものであるし、分国法の内容には豊臣政権が発展的に受け継いだものもあるので、これは単にローカルな問題としては片付けられません。

 

もし仮に武田氏や北条氏などを一地方権力に過ぎないと考えるとしても、そもそも全国にいくつもの地方権力が分立していたこと自体が戦国時代の特色なのだから、そうした戦国大名の代表的存在として信玄の名前くらいは教科書に載せてもいいと考えます。川中島の戦い自体にはそこまで大きな歴史的意義はないかもしれませんが、そういうことよりも武田氏や北条氏が小規模ながらひとつの「国家」を形成していたという近年の戦国研究の知見を取り入れることも大事かもしれません。

 

なお、中央権力との関係で言うなら、武田氏は織田信長のライバルとして記述される必要があるかもしれません。ただし、近年の研究では長篠の戦いが武田氏滅亡のきっかけだったわけではなく、実際には「高天神崩れ」が決定的だったと言われています。この点は以前も書きました。

saavedra.hatenablog.com長篠の戦いについては信長の鉄砲隊が武田の騎馬隊を打ち破った画期的な戦いだっという見方も現在は否定されており、結局は物量に優れる織田軍が武田軍を圧倒したのが実態だったようです。武田家も鉄砲の重要性は理解しており、とくに軍隊が旧式だったというわけでもないので、長篠の戦いの記述自体はアップデートする必要はありそうです。

 

mainichi.jp

上記の記事では、暗記中心になっていた歴史の学習を思考力を育てる内容に変える狙いがあるとしています。ですが、思考力を育てるには、前提としてある程度の知識が必要です。そのことを理解したうえで、地方の戦国大名を教科書に乗せるべきか否かを議論する必要があるように思います。

暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙いあ
 暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙い
 暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙い
 暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙い
 暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙い
 暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙い

 

杉浦友紀アナが「英雄たちの選択」の司会になっていた

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 先日の「英雄たちの選択」で取り上げていたのは姉川の戦いで、内容自体もなかなか興味深かったのですが、画面を見ていて妙な違和感が……

 

渡邊佐和子アナがいない。

そうか、今回から人事異動か。

かわりに司会を務めるのは杉浦友紀アナになっていました。

私はあまりテレビを見ないので知りませんでしたが、杉浦友紀アナは13年キャスターを務めた『サタデー&サンデースポーツ』を降板してこの番組に移ってきたことになります。

 

www.jprime.jp

杉浦アナはソチ冬季五輪の実況でブレイクしたそうですが、私は全然観ていなかったので存在を知りませんでした。杉浦アナは平昌オリンピックでもキャスターを務めていましたが、スポーツキャスターのキャリアの長い杉浦アナをこの番組に持ってくるのはなかなか思い切った人事です。

gunosy.com

「新年度からは少しスポーツから離れますが、更に幅を広げて、またスポーツをお伝えする場所に戻ってこれたらと思っています」という台詞からするともしかして英雄たちの選択の司会は不本意なのだろうか、とも思ってしまいますが、そんなことはないと信じたいところです。

 

ずっとスポーツ畑だった杉浦アナからすれば歴史番組は慣れないところもあるだろうと思ったのか、磯田道史さんが杉浦アナが岡崎出身であることに何度も触れていました。

 

磯田道史「浅井長政は信長を裏切りましたけど、家康は絶対に裏切らないんですよ。三河者って本当に律儀なんですよね。貴方の出身地ですよ」

杉浦アナ「はい、律儀なんですよ~」

 

磯田道史「姉川の戦いでは徳川が信長を支えたから勝ったことになってますけど、それって徳川が歴史を書いてるからそう言ってるわけなんですよね。貴方の出身地なのに申し訳ないけど」

杉浦アナ(苦笑)

  

うろ覚えですがこんな感じのやり取りが何度かありました。

徳川周りの話が出るたびにこういう感じに言及されるんだろうか。

いや、初回だけでしょうけどね。

 

番組中では姉川の戦いの後に「志賀の陣」と呼ばれる一連の戦いがあり、これだけ抵抗できるからには姉川での浅井軍の痛手はあまり大きくなかったのではないかという話も出ていました。

姉川の戦い前後から羽柴秀吉明智光秀柴田勝家といった信長の後継者の出世競争がこの辺からはじまっていたという磯田さんの指摘に杉浦アナが「面白いですね~」と感心している場面もあり、歴史に詳しそうな渡邊佐和子アナとは違う初々しさみたいなものも感じられました。

正直、司会としては落ち着いた雰囲気の渡邊佐和子アナのほうが合ってるような気がしていましたが、杉浦アナもそつなく司会をこなしていたし、何年か経てば渡邊アナのように立派な歴女になるかもしれないので今後の成長にも期待したいと思います。

 

実はこの記事を書く前に少し杉浦友紀さんについて検索していたんですが、なんというかまあ……容姿に関する話題ばっかりですね。

アナウンサーなんだからもう少し仕事のことに言及してあげてもいいような……

女子アナは芸能人じゃないだろうといつも思うんですが、杉浦アナ目当てにこの番組を見る人が増えるなら、それはそれで悪いことではないんでしょうが。

 

 この日の放送では信長が浅井長政に裏切られて信長包囲網が形成され、際限なく敵が湧いてくる状況になって信長の残虐性が増していったとか、浅井の血は公家にも徳川にも入っているからある意味浅井は勝ったのではないかとか、なかなか興味深い話も展開されていました。

千田さんが信長の頭蓋骨コレクションは長政だけだ、と指摘していたのはちょっと笑いましたが。

 

杉浦友紀アナ二回目の司会になる「汽笛一声!文明開化を決めた資金調達~若き大隈・伊藤の挑戦~」の回も見ましたが、やはりまだ渡邊佐和子アナほどは慣れていないところもあるのか、若干司会がおとなしめな印象も受けました。

開発官僚である大久保利通が鉄道の敷設に反対していたというのは以外。

それでも一度鉄道に乗ってみたあとは鉄道の必要性がよく理解できたというのですから、少しだけでもとりあえず作るのは大事なのかもしれません。

明治日本は結局イギリスの資金で鉄道を作りましたが、もし国内資金で鉄道をつくっていたら建設自体は遅れるものの、日本人は今よりも投資の重要性を理解できる国民になっていたのではないか?という瀧本哲史さんの指摘にはなるほどと思いました。

 

ところで、この番組の男性視聴者の半分は中野信子さん目当てで見ている(そんなことはないと思いますが)という話がありますが、杉浦友紀アナが司会になってからはまだ中野信子さんは出演していません。これは……まあ、あまり考えても仕方のないことでしょう。単に偶然だと思います。

 

英雄たちの選択はときどき雑な部分もありますが、この手の歴史番組としては今一番おもしろい番組だと思っているので、杉浦友紀さん目的でも視聴者が増えることを願っています。

それと言い忘れましたが渡邊佐和子さん、4年半の司会お疲れ様でした!