明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

読者に「人間とは何か」を問いかけるダークファンタジー。大澤めぐみ『君は世界災厄の魔女、あるいはひとりぼっちの救世主』

君は世界災厄の魔女、あるいはひとりぼっちの救世主 (角川スニーカー文庫)

君は世界災厄の魔女、あるいはひとりぼっちの救世主 (角川スニーカー文庫)

 

 

デビュー作『おにぎりスタッバー』では「石版」とも評されるみっしりと文字の詰まった文体で猟奇やファンタジーやらが入り混じったカオスな青春劇を書いたかと思えば、『6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる』では非現実要素のまったくない高校生四人の地に足の着いた恋愛群像劇を展開したりと、作品ごとにがらりと作風を替えてきた鬼才・大澤めぐみ。そして今回の新作『君は世界災厄の魔女、あるいはひとりぼっちの救世主』は、世界を敵に回して戦い続ける「災厄の魔女」が主人公のダークファンタジーだ。この作者、本当にどれだけのカードを隠し持っているのかわからない。

 

まず主人公のアニーが冒頭から人を殺しまくっていることに驚く。「災厄の魔女」の異名をとるアニーは世界最強レベルの計算能力を持つため、他のどの方術士よりも早く「魔方」を展開できる。チート級の能力を持つ彼女が連れている相棒にして弟は、こちらもまた世界最強レベルの破壊力を持つ人間兵器ともいうべき存在であるアーロンだ。二人は世界に満ち満ちている「善き人」を相手取り、戦っている。無償の愛を唱える聖女ユディトに率いられ、戦争すら放棄する「善き人」と戦い続ける彼女たちは悪なのか。もちろんそうではない。アニーが一見人畜無害な「善き人」を殺し続ける理由は、読み進めるうちにわかってくる。

 

この物語は、アニーとアーロンが世界を相手取り戦う現在パートと、なぜ二人が「善き人」を敵に回すことになったのか、二人はどうやって出会ったのか、を語る三年前のパートが交互に語られる。物語が進むとやがて世界の真相が明らかになり、二人が人間を殺しまくっている理由もわかってくる。ネタバレになるので詳しいことは語れないが、この作品の根幹にあるのは「人間とは何か」という問いだ。愛を説き、世界を覆い尽くす「善き人」を人間と認識できるのなら、戦う必要はない。しかし、アニーはそう考えない。だから「善き人」を皆殺しにしなくてはならない。

 

この物語には、アニーの幼い頃からの親友であるユージーンという人物が出てくるが、彼女は「善き人」の側についてしまう。アニーとはまったく反対の道を選んだ彼女だが、そこには深い人間観の対立がある。ユージーンにとっては「善き人」が人間であるかということよりも、もっと大事な命題がある。この世界をより良くするためには、「善き人」の側につくのもある意味現実的な選択であって、私自身もユージーンの選択を支持しそうになる。この道を選べば、世界は間違いなく平和になる。ただし、人は(従来通りの意味での)人間ではいられない。それを受け入れられるかどうかだ。

 

アニーは結局、ごく個人的な理由から、ユージーンを含む「善き人」と戦う道を選ぶ。結局、人間とは何なのか?という問いへの答えはそう簡単には出ないのだが、大義名分や社会のためなどではなくただの一個人の感情のために戦うアニーはとても人間らしいと感じる。彼女が人間であり続ける以上、「善き人」とは決して相容れることはない。そして人間であり続けたいという彼女の気持ちは、アニーだけのものだ。なにせ彼女は「ひとりぼっち」なのだから。相棒のアーロンがいるはずなのに、どうしてアニーが「ひとりぼっちの救世主」なのか。それは最後まで読めば深く納得できるはずだ。最後に明かされる真実に、きっと読者は打ちのめされるだろう。

 

saavedra.hatenablog.com

こちらを先に読んだ読者ならこの作者がこういう話も書くのか……と驚くはず。

saavedra.hatenablog.com

カクヨムで無料で公開されているホラー「ムルムクス」も面白いのでお勧め。これと似たようなホラーはそうそうない。

中世ヨーロッパの生活や服装・食事を知るためのおすすめ本20冊

歴史関連の本はどうしても政治史について書いているものが中心になりがちですが、幸い中世ヨーロッパ史については生活史についての著書も多く出版されています。これらの本は政治史を補完する内容として興味深いだけでなく、ファンタジー創作のための資料としても活用できるので、今まで読んで良かった本についてまとめてみました。

 

1.図解中世の生活

 

図解 中世の生活 (F-Files No.054)

図解 中世の生活 (F-Files No.054)

 

 

中世ヨーロッパの生活について知りたいならまずはこの本です。封建制度の解説や中世の法律、刑罰などがまず解説され、農村や都市の生活についてもひと通りのことを知ることができます。聖職者の階級や吟遊詩人、流通と交易、中世の服装や食事など、およそ知りたいことについてはほぼ項目が立てられていますが、一つ一つの事項の解説は少なめです。浅く広く知りたい方向け。

 

2.中世を旅する人びと

  

中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 (ちくま学芸文庫)

中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 (ちくま学芸文庫)

 

 

ドイツ中世史の権威である阿部謹也の本はどれも読みやすいですが、これはなかでも特におすすめです。著者の目は主に中世社会の下層の人間やアウトサイダーにむけられていて、浴場主や粉挽きなど中世では差別されていた人々の生態についてもくわしく書かれています。キリスト教では喜捨が推奨されていたため、施しをもらうためにてんかん癩病を装ったり、狂人のふりをするプロの物乞いが多く存在していたことなども語られています。ただ虐げられるだけでなく、社会の底辺をしたたかに生き抜く貧者の姿をここで知ることができます。農村と牧人の関係も面白く、牧人が農民の病気を治したりしていたことなど、普段知ることのない知識も得られます。

  

3.中世ヨーロッパ 城の生活

 

中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)

中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)

 

 

中世ヨーロッパの城の成り立ちから城の内部構造、家令による城の切り盛りの仕方、年中行事や攻城戦の様子など内容は盛りだくさんです。ただし写真やイラストはあまりありません。特筆すべきはこの本では鷹狩りの方法が詳しく書かれているということです。城主の娯楽として、そして部下を鍛える方法として欠かせなかった狩猟についてくわしい本は案外少ないので、この点を知りたい方には重宝すると思います。

 

4.中世ヨーロッパ 都市の生活

 

中世ヨーロッパの都市の生活 (講談社学術文庫)

中世ヨーロッパの都市の生活 (講談社学術文庫)

 

 

13世紀フランスのトロワに焦点を当て、中世都市の職人や豪商・主婦の生活や大市の様子、学校教育、医療、演劇など、都市生活について知りたいことはほぼこの本に書いてあります。二章の「ある裕福な市民の家にて」では上流の市民の家屋の構造から衣服、そして食事については使われている香辛料までくわしく書かれているので非常に参考になります。

 

5.中世ヨーロッパ 農村の生活

  

中世ヨーロッパの農村の生活 (講談社学術文庫)

中世ヨーロッパの農村の生活 (講談社学術文庫)

 

 

中世ヨーロッパの人口の大部分を占めるのは 農民です。したがって、農村生活を知ることで中世世界の基盤を知ることができます。農村の生活といってもこの本では農村の季節ごとのイベントや耕作の実態について書かれているだけでなく、領主が荘園をどのように管理していたのか、農村における司法や裁判、結婚と出産や農村の教区など、およそこの時代の農村について知りたいことはすべて書かれています。

 

6.エリザベス朝の裏社会

  

エリザベス朝の裏社会 (1985年) (刀水歴史全書〈8〉)

エリザベス朝の裏社会 (1985年) (刀水歴史全書〈8〉)

 

 

エリザベス朝時代は時代区分としてはルネサンス期に当たるので中世ではありませんが、取り上げられている話題は黒魔術や錬金術など中世の名残を感じさせるものもあり、なにより内容が非常に面白いので紹介します。ロンドンの掏摸や詐欺のやり方や監獄の様子、街道の追い剥ぎなど裏社会の住人の生態を詳しく知ることができますが、なかでも驚くのは三章「大市の楽しみ」に書かれている大市の実態で、当時の大市では夜になると盗品が売買される泥棒市まで開かれていたというのです。大市にはうさんくさい売り主も多く、馬を俊足に見せるために尻を棍棒で殴り、ちょっと触っただけで駆け出すようにする者もいたことなど、一瞬も気を抜けない世相をうかがわせる記述もあります。

 

7.運命の騎士

 

運命の騎士 (岩波少年文庫)

運命の騎士 (岩波少年文庫)

 

 

これは小説ですが、物語のほうが具体的なシーンが多いため概説書よりも中世の生活が頭に入ってくることがあります。イングランドの犬飼いの少年が騎士の従者となり、やがて……という話ですが、村の生活の様子や小姓の仕事の内容がていねいに書かれていて、これを読めば騎士に仕えるとはどういうことか、従者の仕事とはどういうものかを知ることができます。

 

8.中世への旅 騎士と城

 

中世への旅 騎士と城 (白水uブックス)

中世への旅 騎士と城 (白水uブックス)

 

 

 主に中世ドイツについてですが、中世の城塞の構造や騎士の生活・教育方法・そしてファッションから騎士文学とおよそ騎士について知りたいことはほぼこの一冊にまとめられています。騎士の装備や武器についても一章が設けられ、野戦や攻城戦についても書かれているので、中世の戦争の様子も知ることができます。

 

9.中世ヨーロッパの城塞

  

中世ヨーロッパの城塞

中世ヨーロッパの城塞

  • 作者: J・E・カウフマン,H・W・カウフマン,ロバート・M・ジャーガ,中島智章
  • 出版社/メーカー: マール社
  • 発売日: 2012/03/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 4人 クリック: 12回
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マール社から出ていることからわかるように、もともとはイラストを描くための資料なので写真や図解が豊富にあります。といってもドイツやイタリア、フランス、イングランドポーランド・ロシアなど地域ごとの城塞についてまず写真で全体を把握することができ、それぞれの城塞についてどういう施設が中にあったかもすべて図解されているので、この一冊で中世の城郭についてかなりくわしく知ることができます。47ページにはガルドローブ(トイレ)の解説も載っていて、城の衛生状態までも解説されています。もともと囚人の牢は脱出しにくい塔の最上階に設けられており、ダンジョンという言葉が地下牢を指すようになったのは牢獄が地下に設けられるようになったルネサンス時代だという豆知識も得られます。

 

10.中世ヨーロッパを生きる

  

中世ヨーロッパを生きる

中世ヨーロッパを生きる

 

 

中世の城の生活や職人兄弟団などこの手の本には定番の話題もありますが、「バナリテ」という水車小屋の強制使用から領主と農民の関係について解説している章や、森における狩猟や養蜂、製鉄などについて書いている「アルビオンの森林史話」など、あまり他の本には出てこない面白い話題が出てきます。14~15世紀に進んで高齢化により人々が初めて祖父になることと向き合ったという指摘も興味深く、この時代の人々がどう老いや病と向き合っていたかも知ることができます。各章の最後には「羅針盤」と称してたくさんの参考文献が紹介されているので、興味を持った話題についてはさらに深く知るための入り口としても活用することができます。

 

11.服装史 中世編

  

服装史―中世編〈1〉

服装史―中世編〈1〉

 

 

本来は絵を描く人向けの資料ですが、時代と地域、身分ごとに中世の服装が解説されているので眺めているだけで楽しい。軍装や場上槍試合の装備についての解説もあるので、武器や防具を描く上でも役立つ資料になります。

 

12.北の農民ヴァイキング

  

北の農民ヴァイキング―実力と友情の社会 (1983年)

北の農民ヴァイキング―実力と友情の社会 (1983年)

 

 

ヴァイキングの生活は、一般的な中世ヨーロッパの生活とはかなり異なります。その独自の生活について知ることができるのがこの本です。ヴァイキングは基本は農民であり、生活を補うための手段としての略奪が存在していたということがわかります。ヴァイキングの社会に商人はおらず自分で交易をしていたこと、略奪に出る時は奴隷に農作業を任せていたことなど、独自の生活形態を知ることができます。特にアイスランドの統治についても詳しく、シャレにならないほどの復讐が行われる世界では案外平和が保たれていたこともわかります。

 

13.図説 中世ヨーロッパの暮らし

  

図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本)

図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本)

 

 

ページ数こそ217ページと少なめですが内容はかなり充実していて、中世ヨーロッパの都市や農村の暮らしから中世人の衣食住、中世都市のなりたちや農民と領主の関係などについて、かなり学術的なことまで知ることができます。写真や図版が豊富なので眺めているだけでも楽しく、巻末の参考文献も充実しているので、中世ヨーロッパ社会史の入門書としてかなり便利な一冊に仕上がっています。

 

14.中世の城日誌―少年トビアス、小姓になる

  

中世の城日誌―少年トビアス、小姓になる (大型絵本)

中世の城日誌―少年トビアス、小姓になる (大型絵本)

 

 

子供向けの絵本ですが、イラストで中世の城の生活を学べるのでかなりおすすめの一冊です。主人公のトビアスは小姓ですが、農家の手伝いもしているし、狩猟にも出ているので城の外の様子もそれなりに描かれています。病気になったらどんな治療を受けるのか、罪人はどういう扱いを受けるのか、飼っていた豚はどうやって屠殺するのかなど、興味深い話題がたくさんあるので一度は目を通してほしい本です。

 

15.15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史

  

15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史

15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史

 

 

どちらかというと学問として中世ヨーロッパ史を学びたい人向けの本ですが、十五のテーマで総合的に中世史について知ることができます。生活史として役立つのは「衣服とファッション」「融合する食文化」「都市と農村の住居」あたりですが、あまり類書にはない内容として「ヨーロッパ音楽の黎明」という章が立てられているので、中世ヨーロッパの音楽について知りたい方には特におすすめです。

 

16 大聖堂

 

大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫)

大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫)

 

  

 NHKでも放映されたドラマの原作小説ですが、主人公の建築職人トムは大聖堂の再建に関わっているため、聖職者の生活の様子や、修練長や接客係、看護係、慈善係など、修道士たちの役割分担についても書かれているので、修道院という組織がどのように成り立っているかがよくわかります。

トムは遍歴の職人であるため豚を太らせながら旅をし、いずれ売る予定であったことなど、建築職人の「副業」の様子も知ることができます。

 

17.中世の窓から 

 

中世の窓から (ちくま学芸文庫)

中世の窓から (ちくま学芸文庫)

 

 

『中世を旅する人びと』と同じく阿部謹也の著作ですが、こちらは都市生活者についての記述が中心となっています。都市での人つき合いや兄弟団、靴職人の暮らしや仮面の祭りなど中世ヨーロッパ都市の生活を垣間見ることのできるトピックが多いので、『中世を旅する人びと』とセットで読むことでより深い中世史の知識を得ることができます。ユダヤ人についての章ではユダヤ人差別についても触れられていますが、中世ドイツには裕福なユダヤ人も多く、帝国区内のどこにでも移動でき、結婚も離婚も制限がないため、ある意味非常に「自由」な存在であったことも語られています。

 

18.中世の旅

 

中世の旅 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

中世の旅 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

 

 

 陸の旅や船旅の様子、高山の旅、旅行で用いられた動物や食料を確保する方法など、中世ヨーロッパにおける旅行についてかなり細かく書かれています。宿屋の様子は特に詳しく、粗末な宿と上等な宿での食事の違いや客あしらいの実態、宿坊での宿泊の様子まで知ることができます。
この時代では個室に泊まるのはかなり難しかったらしく、多くの旅人はすし詰めにされひとつのベッドを最低二人で使用していたことなど、快適とは程遠い状況だったことがうかがえます。

 

19.ブリュージュ

 

 

中世都市史の専門家がフランドルの都市ブリュージュについて解説している本。ブリュージュ商業都市なので、この都市におけるハンザ商人やフランドル商人、イタリア商人の活動について知ることができます。ブリュージュにもたらされる商品リストやブリュージュ高額納税者トップ10など貴重な資料も紹介されているので、商業ファンタジーなどを描くための創作資料としても活用できます。ブリュージュの所得構造はかたよっていて貧者も多かったため、施療院が貧者救済のための施設となっていたことなども知ることができます。

 

20.中世の食卓から

 

中世の食卓から (ちくま文庫)

中世の食卓から (ちくま文庫)

 

 

 主に中世のイギリス史を材料に、料理におけるスパイスの役割やニシンの扱い、うなぎとイギリス史の関係、手洗いの儀式や中世のテーブルマナーなど、食にまつわる数多くのテーマを取り扱っています。貴族の飲食費のうちスパイスの占める割合が5%を占めるほど香辛料は重要なものでしたが、スパイスが重宝された理由として聖書における楽園を想起させる食品であったこと、洗練された地中海文化とのつながりを持つものであったことなどが指摘されています。砂糖を口にできるのが王侯貴族だけであったため虫歯は一種のステータスシンボルであったこと、エリザベス女王も虫歯だらけであったことなど、興味深い史実も知ることができます。

「人生のネタバレ化」で「やりたいこと」という呪いが解ける人もいるかもしれない

minnanohimatubushi.2chblog.jp

anond.hatelabo.jp

ウェブ小説界隈でちょっと有名らしい人から、こういう言葉を聞いたことがあります。

「創作が苦しいんだったらやめたっていいと思いますよ。何も小説がすべてというわけではないですし。でも、苦しくてもあきらめずに何年も書き続ける人が書籍化して、成功していくんですけどね」

 

私はこの話を聞いたとき、ひどく違和感を持ちました。

何年もやり続けていてもプロになれない人なんていくらでもいるし、そもそも大して苦労もせずにいきなり書いた小説がそのまま書籍化する人だっている。頑張っていればいずれ成功できるなんて、それこそ公正世界信念というものではないのか。プロになれない人は努力が足りない?プロになった人だけが努力を評価されるというだけの話じゃないの?

 

……とまあ、いくつもの疑問が頭に浮かんだのですが、ここで書きたいのは努力と成功の関係性についてではありません。

そういうことより、先の発言について私が気になったのは、創作をやめた人に対する視線です。「小説がすべてではない」と断ってはいるものの、その後にすぐ「でもやめた人には成功はつかめないんですけどね」とつなげてくるあたり、この発言にはどこか「創作をやめたものは夢を諦めた敗残者なのだ」というニュアンスが感じられる。しかし、本当にそう言えるのか。

 

というのは、作家デビューするという夢を叶えたあとに待っているものが、まさに冒頭でリンクしたふたつのエントリのようなものであるかもしれないからです。首尾よくラノベ作家になれたはいいものの、夢見ていたアニメ化の話が来るでもなく、時が経つうちに「期待の新人」の地位から滑り落ち、小説の売上もしだいに先細りになっていく。そしていつか戦力外通告を受ける……夢にまで見たプロデビューの先に待つものは、こういう世知辛い結末かもしれないのです。これが創作をあきらめた人生よりも幸福と言えるのか、これはそう簡単に結論の出るものではありません。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

作家になることは、それほど難しいことではないかもしれない。しかし、作家であり続けることはとても難しい。これは、村上春樹が『職業としての小説家』で強調していることです。その点から見れば、まがりなりにも10年間作家として現役でいられた一人目の方など、まだいい方なのかもしれません。もっと短い期間しか作家活動が続けられない人もたくさんいるし、一度戦力外通告を受けて再デビューに向けてがんばっている人も少なくないのです。そういう人に比べれば、ライトノベルという分野の成長期に立ち会え、自分がこの業界を今まさに作っていくのだという自負心を一時でも持つことができた、そういう時期が人生の中にあったのはむしろ僥倖と言うべきなのかもしれません。すでにかなり成熟しているラノベの世界にこれから参入する人は、そんな高揚感は味わえないのですから。

 

私は何人かのプロ作家の方ともやり取りがありますが、皆が口をそろえて言うことがあります。それは、「作家になって本を何冊か出したところで何も変わらないし、何者にもなれはしない」ということです。もちろん、書いた小説が人様からお金をいただける価値のあるものだと認められるようになること、これはひとつの大きな達成です。ですが、よく「作家デビューすると担当編集から今の仕事はやめないでくださいと言われる」というように、多くの人は作家だけでは食べてはいけません。よほどの売れっ子にでもならない限り、作家という肩書を手に入れたところで、その実態は「ちょっと文化的な匂いのする副業」くらいのものなのです。そして商売として見るならば、上の増田さんが言っているとおり、作家は全然効率のいい商売ではありません。企画がボツになることはいくらでもあるし、いくら渾身の企画を出そうが採用されなければ一円にもなりません。好きでなければとうていやっていられない、いや好きでも相当キツい。それが作家という商売です。

 

saavedra.hatenablog.com

「やりたいこととは、解けない呪いだ」──これは、プロゲーマー・ウメハラの言葉です。人は夢を持つと同時に、その夢に束縛されてしまう。作家志望者なら、プロになれないうちはまだ自分は何者でもない「ワナビ」にすぎないのだ、という現実と向き合わなければいけません。でも、作家生活の実態を知ることで、この「呪い」から解き放たれる可能性もあります。ほとんどの人はプロになってもきらびやかな生活を送れるわけでもなく、それでいてプロとして結果を出さなくてはいけないというプレッシャーにさらされ続けることになります。このような生活をどれだけ続けていけるのか?と考えたとき、作家になるモチベーションを失ってしまう人もいるはず。

 

でも、それは必ずしも悪いことではありません。作家というものは世に数多ある職業の一つに過ぎないのであって、別になれなかったところでそれで人としての価値まで失うわけではありません。一つの夢を追っているとき、人はどうしても視野が狭くなりがちなものです。創作者は自作が評価されないと、往々にして自分など無価値だと思ってしまいがちなものですが、それはあくまでごくごく狭い世界のなかでの評価にすぎません。一歩創作の世界の外に出てしまえば、また違った風景が見えてきます。十年間ラノベ作家を続けた人も、最後は「現世に帰ってこれて良かった」と結論づけています。これは十年間作家を続けられたからこそ言える台詞ではあるでしょうが、元プロ作家が創作の世界を退いても今の生活を肯定できているという事実は、創作が続けられなくなった人にとっては希望であり得ます。別に創作で評価されなくても幸せであっていいし、創作をやめたから敗残者というわけでもありません。というか、別に敗残者でも幸せになっていいんじゃないか、と私は思っているのですが。

 

ネットによって「人生のネタバレ化」が進んだ、と言われることがあります。このフレーズは普通、あまりいい意味では使われません。たとえば結婚生活の大変さが知れ渡ることで結婚を躊躇する人が増えてしまった、といったケースについて使う場合はそうです。ですが、こと作家生活についていえば、ネタバレ化が進むのは望ましいことかもしれません。こういう現実がプロデビューした先に待っているということを先に知っておけば、プロになれていないことにそれほど悲壮感を持たなくていいかもしれないし、覚悟の足りない人が業界に参入してくるリスクも減らせます。こういうことを知ってなおプロになりたいという意欲がおとろえない人だけが、作家を目指したほうがいいのかもしれません。得られる社会的地位や報酬がそれほどでなくても書くモチベーションを保っていられるというのも、それはそれで一つの立派な才能だからです。

「日本版マグナ・カルタ」六角氏式目、今川仮名目録をコピペした甲州法度……分国法から戦国大名の個性を描き出す清水克行『戦国大名と分国法』

 

戦国大名と分国法 (岩波新書)

戦国大名と分国法 (岩波新書)

 

 

これは久々に大当たりの新書。

 

戦国大名の特徴として、領国内にしか通用しない「分国法」を制定している、ということがよく挙げられます。有名どころでは今川仮名目録や甲州法度などをあげることができますが、これらの分国法の内容までくわしく知っている人は、必ずしも多くないかもしれません。しかし、ともすれば退屈なものと思われがちなこれらの法律の中身を検討してみると、そこには戦国時代の地域差や言うことを聞かない家臣に振りまわされる大名の苦労話、商業の捉え方の違いなど、極めて興味深い戦国時代の実相が浮かび上がってきます。これは戦国時代に興味をもつ方なら必読でしょう。

 

当主の愚痴がそのまま書かれている結城氏新法度

 

本書では、まず分国法のなかでもマイナーな部類の「結城氏新法度」から解説を始めています。この分国法は他国のものに比べて内容も未整備で、完成度が高いとはとても言えないものですが、それだけに当主である結城政勝の生の声がそのまま反映されています。たとえばこんな具合です。

 

【67】実城(本丸)で合図のほら貝がなったら、無分別にただやたらと出撃するのは、とても始末の悪いことである。ほら貝が鳴ったら、まず町に出て、一人の倅者でも下人でも実城に走らせ、どこへ出撃するのか問い合わせて出撃せよ。

【68】どんなに急な事態であっても、鎧をつけずに出撃してはならない。機敏なさまを見せようと、一騎駆けで出撃してはならない。全軍が揃うのを待ってから出撃せよ。

【69】命じられてもいないのに偵察に出かけるというのは、まるで他人事のような振る舞いだな。

 

この条文からは、政勝の家臣は戦となれば敵が誰かもわからないのに勝手に出陣していることが読み取れます。しかも装備もろくに整えないのだから、これではとてもまともな戦にはなりません。結城氏はまったく家臣の統制が取れていなかったのです。

めいめいが勝手に出陣するのは一見勇ましいようにも思えますが、実はそうではありません。家臣が勝手に出陣してしまうのは、敵地で女性の一人でもさらってやろうという魂胆があるためです。私利私欲のためにしか動かない家臣をどうにかコントロールしなくてはならない、という政勝の苦労が、結城氏新法度からは読み取れるのです。分国法というのは実は面白いものなのだ、ということを読者に理解してもらうために、この結城氏新法度を一番最初に持ってきたのだと思います。

 

商人の扱いがまったく違う塵芥集と六角氏式目

 

分国法には、戦国大名の地域差が反映されます。その差がもっともよく出ているのが、塵芥集と六角氏式目です。塵芥集は伊達政宗の曾祖父にあたる伊達稙宗が制定した分国法ですが、この法度のなかでは、販売している商品が盗品だと疑われた場合、売り主が自らそれが盗品でないことを証明しなくてはなりません。ですが六角氏式目では逆に、もとの持ち主が盗まれた品が売られているのを見たときは、返してもらいたければ自分で犯人を捕まえるなどして犯罪が行われた事実を証明しなくてはいけないのです。

 

この違いはなぜ生じているのか。伊達氏の本拠地である東北に比べ、六角氏が根拠地としている近江は商業の先進地域です。実際、六角氏は信長に先がけて楽市令を施行した大名としても知られています。このような地域を治めるには、商人の保護を優先しなくてはならないのです。売り主が商っている品が盗品だと疑われるたびに自分で無罪を証明しなくてはいけないようでは、おちおち商売などやっていられません。六角氏は盗品が販売されるリスクよりも、商取引が円滑に行われるメリットを優先していたということです。

 

ちなみに、この六角氏式目は家臣団が原案を起草し、大名当主に対して提出されるという成立過程をたどっています。結城氏が言うことを聞かない家臣をどうにか統制しようと法度を作っていたのに対し、こちらは家臣が当主に対して勝手に命令を出したり課税したりしないよう法で拘束するという形になっているのです。このような性質があるため、本書では六角氏式目を「日本版マグナ・カルタと呼んでいます。

 

今川仮名目録にみる中世人の知恵

 

分国法の中でももっとも整理され、先進的な内容だったと評価されているのが今川家の今川仮名目録です。とはいえ、やはり中世の法律なので、現代人の目から見ればあまり納得できない内容のものもあります。

たとえば、川や海の侵食で川原や海になってしまった「川成」「海成」という土地の境界争いについては、双方の主張する境界線の中間を境界とせよ、と決められています。ずいぶん適当な法律のように思えますが、これは当時の人からすればかなり説得力のある処置だったのです。著者は最上義光の「人のもめ事にはどちらにもそれなりの道理があり、裁判とは道理の少ない方を非とするだけのものだ」という言葉を引用しつつ、こう説きます。

 

中世の人々を私たちよりも野蛮で劣った人々だなどと侮ってはいけない。ともすれば、ネット上の限られた情報をもとに「悪人」を決めつけ、それを袋叩きにすることで溜飲を下げている私たちのほうが、中世の人々に言わせれば、よほど野蛮な連中なのかもしれない。そして、こうした考え方を根底に持つ人々が争いを解決に導こうとした場合、中分や析中が最善ないし次善な解決策になるのは当然と言えるだろう。

 

誰にでもそれなりの道理があるのだからそれぞれの言い分の中間で手を打つ、というのが中世においてはもっとも「合理的」な判断だったのかもしれません。とかく白黒をつけたがり、間違っている方を一方的にバッシングしたがる現代人と中世人とどちらが現実的で賢いのか、と問われてみれば、これは確かに簡単に答えが出ることでもないような気がします。

 

それはともかく、今川仮名目録は内容が優れていたために、そのかなりの部分が武田家の分国法である甲州法度にコピペされています。コピペというのは私が勝手にこう言っているわけではなく、この本のなかに本当にこう書かれているのです。

 

この「甲州法度」は、全二六条のうち一二カ条までが「かな目録」とほぼ同じ内容となっている。つまり、一般的には武田信玄といえば”戦国最強の大名”として有名を馳せているが、じつは分国法については、その内容は「今川かな目録」の無断引用(コピー&ペースト)だったのである。

 

しかし武田家もただ今川仮名目録の模倣に終わったというわけではなく、甲州法度はつねに内容が更新されていて、天正八年に至るまでバージョンアップが続けられています。勝頼が天目山に滅びるのは天正十年なので、武田家滅亡の寸前までバージョンアップがくり返されていたのです。

武断的なイメージのある武田氏は、実は「法の支配」にかなりこだわっていた大名でした。にもかかわらず、武田家は滅びてしまいました。武田家だけでなく、分国法を作った今川家も六角家も大内家も皆滅びてしまっていますし、塵芥集を作った稙宗も隠居に追い込まれています。つまり分国法は、負け組の作った法律ともいえるのです。なぜ法律を整備し、内政に力を入れた大名が滅びてしまったのか?この問いに対する答えが、本書の最終章で示されます。

 

分国法なんていらなかった?

戦国時代の最終段階での覇者となった織田家や毛利家、島津家などでは分国法は作っていません。それは最終的な勝者となった徳川家も同じことです。結果から見れば、分国法の制定は戦国大名として勢力を拡大する上ではそれほど重要なことではなかった、ということになります。どうして、法律を整備することが国力を増すことにつながらなかったのか。著者はこう結論づけています。

 

そもそも当時の家臣や領民にとって、裁判というのは迂遠で面倒なものにすぎなかった。多額の費用と長大な時間を浪費して法定で敵と争うくらいなら、対外戦争に従事して、 そこで功績を上げてしまえば、恩賞としてそれに数倍する土地や権利を手に入れることが可能だった。勝ち目のない地味な裁判を争うよりも、戦争は手っ取り早い権利拡大の手段なのである。

 

法を整備する大名のほうが「文明的」であることは間違いないのですが、戦国の世が求めていたのはそのようなお上品な大名ではなく、ひたすら領土拡大に突き進むような大名だった、というのです。限られた領土内での法の整備に力を入れるより、対外戦争に勝ち続けるほうがメリットが大きい。この時代に求められているのは分国法などよりも「天下布武」を掲げて外へ繰り出すイノベーションだったのだ──とこう言われてしまうと、多くの労力を割いて分国法を定めた意味とは一体なんだったのか、と考えずにはいられません。

 

結局、これらの分国法の理念は、江戸時代に入り各大名家の藩法に継承されていくことになります。今川仮名目録や甲州法度で取り入れられた喧嘩両成敗法も江戸幕府が継承しています。法の支配が平和な時代にこそ求められるものであるとするなら、分国法を作った大名たちは著者も言う通り、時代を先取りしすぎていたことになります。喧嘩両成敗法に見られるような自力救済の否定が豊臣政権や江戸幕府に受け継がれたことを思えば、分国法は社会を文明化させる上ではたしかに役立ったのだ、と信じたいところです。

カクヨムの超おすすめ短編小説が勢揃いしている『第八回本山川小説大賞』のご紹介

これはカクヨムの自主企画なのですが、先日「第八回本山川小説大賞」という企画が行われました。もともとは「本物川小説大賞」として七回まで行われていた企画ですが、今回はラノベ読みVtuberの本山らのさんを審査員に加えているのでこういう名前に変わっています。ちなみに、本山さん以外の二人の審査員はプロ作家です。

 

この企画は回を重ねるごとに参加作品の水準が上がっていて、最近はプロも参加するようになっているのですが、この第八回は特にレベルが高く、参加作品も127作品という過去最高の作品数になっています。

この大賞は3人の審査員が受賞作を選ぶシステムになっていますが、受賞作はどれも相当な読みごたえがあるので、カクヨムのおすすめ作品って何があるの?と思う方はまず受賞作から読んでみることをおすすめします。この企画はレギュレーションが1万字以上2万字以下となっていて、参加作品はどれも短編なので読みやすいはずです。受賞作の講評はこちらのエントリに書かれています。

 

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大賞受賞作『CQ』についてはさん屋久ユウキさん(弱キャラ友崎くんの著者)も絶賛しています。この作品はラノベ読みVtuber本山らのさんによる朗読まであります。

 

上記のエントリを読むとおわかりの通り、この企画では122作すべての参加作品について、3人の審査員からの講評が書かれています。小説を書いている方はこれを読んでいるだけでも勉強になりますし、面白い作品を探すために講評を呼んでいて気になった作品を読んでみるという読み方もできます。いずれにせよ、全参加作品についてこれだけガチな講評をしている企画はなかなかないと思いますので、一度読んでみることをおすすめします。以下、私のお気に入り作品をいくつか紹介します。

 

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全122作の中で私の一番のお気に入りはこれです。惜しくも大賞は逃しましたが、これはもう完全にプロレベルの作品です。内容的には『明日に向って撃て!』のようなバディもののクライムアクションですが、これが14000字程度の短編であるとは信じられないくらいの密度の濃さで、読み終わったあとには良質の映画を一本観終わったくらいの余韻が残ります。上手い小説ほど余計なことは書かれていないものですが、この短さでしっかりとキャラを立たせ、情感あふれるラストまで読者を引っ張っていく手腕は驚くべきもの。

 

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こういうバカ小説も読めるのがアマチュアの企画の面白さ。兄と妹がトイレを奪い合うというだけの内容ですが、会話のテンポが良いのでそのまま最後まで読んでしまう。オチが思いもかけず壮大なところもいい。

 

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電撃文庫『ゼロの戦術師』著者による爽やかな恋愛短編。プロの書いたものだけあってさすがに完成度が高い。作中にある仕掛けがあり、主人公がなぜ「普通」であることにこだわっているのか、が最後にわかるようになっていますが、こうしたサプライズがひとつあるだけでも作品の印象がぐっと良くなることがよくわかります。多くの作品に埋もれないためにプロがどのような工夫をしているのか、を学ぶうえでも参考になる作品と思います。

 

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戦乱の世をしたたかに生き抜いた娼婦の話。女王に瓜二つの容姿を持つ娼婦の独白という形で書かれていますが、分別盛りのはずの将軍をも嘲弄し振り回す主人公の一人語りは、まるで本当にこういう人物が存在しているかのような奥行きを感じさせます。これは、「人間を書く」とはどういうことか、いう問いへの一つの回答であり得るでしょう。

 

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 主人公のメンタルケアを行うイケメンAIとのやりとりがとにかく面白い。AIなのに奇妙な人間味を持つこのプログラムとのやり取りを見ていると、人間とはなんなのか、を考えさせられます。

 

以上、5作品だけ紹介しましたが、まだまだ多くの優れた作品がこの企画には集まっています。選考途中でのピックアップも紹介されているので、こちらから読んでみるのもいいかと思います。

 

kinky12x08.hatenablog.com

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 私はこの企画の講評を読んでいて、「創作物はどのように評価すればいいのか」ということをずっと考えていました。短距離走などとは違い、小説というのはだれもが納得できる客観的な指標で評価を下すことはできません。評価には必ず審査する人の主観が入り込むので、何をいいと思うかは人それぞれ、すべての作品に優劣はないのだ、という立場をとることもできます。

  

クドリャフカの順番 (角川文庫)

クドリャフカの順番 (角川文庫)

 

 

米澤穂信クドリャフカの順番』には、「すべての作品は主観の前に等価なのか」という言葉が出てきます。読む人が違えば作品の評価も変わる、これは一面の真実です。ですが、今回の第八回本山川小説大賞では、講評エントリの最後を読めば分かるとおり、『CQ』は審査員三人が全員大賞に推しています。他の作品については意見が割れていますが、やはりなにが優れた作品は見る目のある人から見れば一目瞭然、ということだと思います。

 

kinky12x08.hatenablog.com

これは、第七回本物川大賞についても同じことがいえます。このときの大賞作品である「幻獣レース クリプテッド・スタリオン 第100回アルバトゥルス王国杯」は、やはり審査員全員が大賞に推していました。やはり頭ひとつふたつ抜けた出来の作品というものはあるものなので、そこを「評価は人それぞれだから」と全て平らにならしてしまうことはできません。確かに、審査員が複数いればその中で作品の評価は割れます。ですが、意見が割れるのはあくまで一定のレベルを超えた作品の中でどれを選ぶか、という話であって、まず審査員の目に留まる、受賞作候補に上がれるというラインをクリアしている必要はあります。「評価は人それぞれ」というのは、そこから先の話なのだと思います。そして、圧倒的に優れたものを書ければ、好き嫌いという主観の差も超えて審査員の評価は一致することもあるのです。

 

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では、評価に値するような、優れた小説とはどう書けばいいのか。今回は全部で122作もあったので、これだけ読んでいればある程度の答えが見えてきます。それが、審査員である大澤めぐみさんの上記のエントリでの分析です。短編小説の企画なのでこれは短編小説についての分析ですが、これはこれから小説を書いてみよう、という方にも非常に参考になるものだと思います。

ケン・リュウ『母の記憶に』は中国史好きにもおすすめできる短編集

 

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

 

ケン・リュウ『母の記憶に』を読んだ。SF短編集として売られているし、実際に考古学のロマンを打ち砕く苦味の残る「重荷は常に汝とともに」や、皆が楽園追放のディーヴァのような世界を目指す中で取り残されたものの悲哀を描く「残されし者」のようなキレのあるSFが多く収録されているのだが、むしろわたしが本書のなかで強く印象に残ったのは中国史を扱っている「草を結びて環を銜えん」と「訴訟師と猿の王」の二作品だった。どちらのこの短編集の中では屈指の出来栄え。

 

このふたつの短編は、どちらも清が中国において行った「揚州大虐殺」を題材にしている。この短編を読むまで知らなかったが、揚州大虐殺とは南明の支配していた揚州において、満州兵が10日間にわたり繰り広げた虐殺のことだ。この蛮行で、なんと80万人もの人々が殺されたといわれている。この揚州大虐殺を背景として展開される芸妓を主人公とした人間ドラマが「草を結びて環を銜えん」で、揚州大虐殺を記した「揚州十日記」という書物をめぐって繰り広げられる物語が「訴訟師と猿の王」だ。

 

この2つの短編は、清という巨大な権力に押しつぶされそうになりながらも、人としての誇りを失わなかった人々を主人公としている。揚州の芸妓も、訴訟師も市井の人間であって英雄ではない。しょせん歴史を動かせる側の人間ではないのだ。だから二人の抵抗は無駄とも言えるのだが、だからこそ意地を通そうとする二人の生きざまは読者に深い印象を残す。友の命と揚州の人々を少しでも助けようとした緑鶸、そして揚州大虐殺を歌に託して後世に伝えようとした田。このような人物に光を当てるところに、ケン・リュウのまなざしの暖かさを感じることができる。

 

中国を扱った作品としては「万味調和ー軍神関羽アメリカでの物語」もまた素晴らしい。これはアイダホに移住した中国人移民たちとアメリカの少女との交流の物語だが、関羽を思わせる「老関公」の人柄になんともいえない深い味わいがある。作中作として出てくる微妙に間違っている三国志も楽しい。ラストはやはり苦いが、この短編集のなかでも一、二を争う傑作だろう。私はどちらかというとSFを苦手としているので今までケン・リュウを読んでいなかったが、この短編集にはこれらの非SFの傑作も含まれているので、SFを敬遠している人も一度手にとって見てほしい。最初の短編は機械の腕を持つ主人公が満州で熊と戦う話ですよ、といえばSFの方にも興味を持ってもらえるだろうか。

独身40代からの孤独と地下アイドルと「中年純情物語」

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このふたつのエントリを読んでいて、自分は「ザ・ノンフィクション」という番組の「中年純情物語」の回を思い出した。番組のくわしい内容はこちらのエントリで書かれている通り。

movieotaku.hatenablog.com

この回の主人公であるきよちゃんは40代ではなく50代だが独身で、地下アイドルにはまることで交流も増え、「人とのふれあいが一番楽しいかなって感じ」と番組中で語っている。ここでいう「人とのふれあい」はきよちゃんの推しである小泉りあさんとの交流も含まれるだろうけど、それだけではなく地下アイドル「カタモミ女子」のファンとの交流のことを言っているのだろう。

 

この番組は冒頭で、地下アイドルにはまっている30代から40代くらいの男性ファンを映していた。そこで「まだ独身なんですよ、何やってるんでしょうね。まあ楽しければいいんですよ」と自嘲気味に笑っている人を登場させているように、地下アイドルのファンの中には独身の人が少なくないことを匂わせている。地下アイドルの世界はそういう人にも居場所を与えてくれるということだ。

 

独身だから孤独だとは限らないし、きよちゃんがカタモミ女子にはまるまで孤独な人生を生きてきたかどうかはわからない。ただ本人が言っているとおり、きよちゃんはアイドルやファンとの交流を楽しめるようになっていて、それまでよりずっと人生を楽しんでいるように見える。こういう場があれば孤独な人も孤独感を解消できるだろうし、そうでなくても「推し」を作ることでより毎日が充実するということは間違いない。地下アイドルにはまる人がいる理由として、そこで仲間ができるから、という事情もあることは確かなのではないかと思う。

 

しかし、ただ仲間を作るだけなら他の趣味でもいいんじゃないか、ということは言える。地下アイドルは趣味としては世間体がいいとは言えないし、人によってはもっといい趣味を見つけろと言うかもしれない。自分はそれは余計なお世話だと思うが、ではなぜ地下アイドルでなくてはいけないのか。きよちゃんの発言に、この疑問を解き明かす鍵がある。

 

「この歳になると自分で頑張って何かやっても先が見えてる」

 

 50代のきよちゃんは、もう自分自身の人生にはあまり夢を見ることはできない。そうするくらいなら、誰かに夢を託したほうがいい、ということになる。独身のきよちゃんは子供に夢を託すことはできないから、選択肢のひとつとしてアイドルが浮上してくる。活動規模が大きくない地下アイドルならそれだけ一人が与えられる影響力も大きくなるし、応援のしがいもある。小泉りあさんはカタモミ女子として活動しているとき、当初はファンが一人もいなかった。そこできよちゃんが自分が最初のファンになる、と申し出た。この子を支えてやれるのは自分だけだ、と思えればそれだけ応援にも気合が入るだろうし、ある種の使命感みたいなものまで生まれてくるかもしれない。実際、きよちゃんの小泉さん推しは徹底していて、吉田光雄さんにも「信用できるタイプ」と言われるほどだ。

 

 

幸せになるための方法として、他人に貢献することが大事だということはよく言われる。アドラー心理学も共同体に貢献することの必要性を説く。この観点から見ると、地下アイドルを応援するという行為は孤独感を解消するだけでなく、幸福感を大きく増す効果も得られるということになる。自分はあまり芸能界やアイドルに興味がないタイプなので、あまりアイドルにお金をつぎ込む人の気持ちがわからなかったが、こうして見るとやはりアイドルを応援するという行為そのものが人に幸せをもたらしているのだ、ということがわかってくる。いくらお金をつぎ込んでもアイドルと付き合えるわけではないのに、というのは一面的な見方でしかない。

 

孤独感を解消する方法として地下アイドルを応援するということが最善の選択肢かどうかはわからない。推しのアイドルのおかげで日々が充実していたとしても、そのアイドルがいつ脱退してしまうかもわからないし、グループ自体が解散する可能性もある。推しへの思い入れが深ければ、相手が結婚することで大きなダメージを受けてしまうこともある。ただ、リスクがあるのは子供で孤独感を解消している人にしても同じことだ。離婚して子供と離ればなれになってしまうかもしれないし、いずれ子供が成長して反抗期を迎え、毎日こちらを罵倒してくるようになるかもしれない。

 

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孤独感や生きがいがないことの虚しさは人によって癒されることもあるが、相手が生身の人間である以上、状況はいつも流動的だ。きよちゃんも小泉さんがアイドル活動を中止したときはかなり気落ちしている。今は小泉さんはつくば市の地元タレントとして活動できているが、どんな活動も永遠には続かない。それでも、一時だけでも誰かの活動を支えることができたのであれば、その思い出を糧に生きていくこともできるだろうか。