君を愛したひとりの僕へ (ハヤカワ文庫 JA オ 12-2)
- 作者: 乙野四方字,shimano
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/06/23
- メディア: 文庫
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僕が愛したすべての君へ (ハヤカワ文庫 JA オ 12-1)
- 作者: 乙野四方字,shimano
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/06/23
- メディア: 文庫
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シュタインズ・ゲートの功績として「世界線」という言葉を世の中に定着させたことがあります。
シュタゲ以前にもパラレルワールドのアイデアを用いたSFはいくらでもあったわけですが、この「世界線」という概念を多くの人が理解したことでこの手のSFの解説がしやすくなりました。
これから紹介する『君を愛したひとりの僕へ』『僕が愛したすべての君へ』も、同じ主人公の別々の「世界線」の人生を描いた物語になっています。どちらか1冊だけでも楽しめますが、やはり2冊セットで読んだほうがより楽しめます。片方がもう一方の内容を補完する内容になっているからです。
読む順番はどちらからでもいいと思いますが、個人的には『君を愛したひとりの僕へ』を先に読むのがおすすめです。というのは、こちらのほうが悲しい世界線で、より幸せな『僕が愛したすべての君へ』の舞台裏のようなストーリーだからです。一人称が「俺」の主人公が大切に思っていたヒロインの栞は主人公の行動によりある不幸に見舞われてしまい、それを解決するためにこの世界線での幸せをすべて犠牲にして奮闘する、という物語になっています。
ヒロインを不幸に突き落としてしまう原因は、この小説世界特有の「パラレル・シフト」という現象です。これは、少し離れた平行世界に意識だけが移動する、という現象です。移動した世界の先の自分の意識は元の世界の自分と入れ替わることになります。
実はこの世界では近い世界へのパラレル・シフトは割とひんぱんに起こっています。近い世界線では元の世界線とはほとんど変わらないので、それでも特に困ることなく生活できるのですが、このシフトの距離が遠くなればなるほど元の世界とのズレも大きくなっていきます。
そして、このパラレル・シフト現象を解明する「虚質科学」が発展することによって、このパラレル・シフトを人為的に起こすことも可能になってきます。主人公とヒロインの栞は互いに淡い恋心を抱いていますが、互いの両親が結婚することになったため、この世界ではもう結ばれないと将来を悲観します。
そこで、二人が兄弟にならない世界へ飛ぼうと主人公が起こしたパラレル・シフトによって、逆に悲劇的な結果を招いてしまいます。この悲劇を回避するために、生涯をかけて虚質科学の研究に打ち込み、やがて主人公は人生を変えるためある決意をする──というのが『君を愛したひとりの僕へ』のストーリーとなります。これは悲壮なまでの決断です。ヒロインを救うために犠牲にしなくてはいけないものが、あまりにも重い。
一方、『君を愛したひとりの僕へ』の主人公の努力が反映された世界が『僕が愛したすべての君へ』の世界になります。こちらの世界のヒロインは『君を愛した一人の僕へ』とは別人の和音ですが、和音は『君を愛した一人の僕へ』の世界でも重要な役割を果たしています。和音は主人公との関わり方は違うとはいえ、虚質科学の研究者でありどの並行世界にいっても重要な存在になるというあたりはシュタゲの牧瀬紅莉栖とも似ています。性格はかなり異なりますが。
『僕が愛したすべての君へ』のストーリーはこの和音との恋愛が中心となりますが、こちらの世界では平行世界における「自分」とは何なのか、というある種哲学的なテーマもはらんでいます。
先に述べたように、この世界では近い世界へのパラレル・シフトは日常的に起こっています。では、少し離れた世界の自分もこの自分と同一人物と言えるのか?離れた世界の和音をこの世界の和音と同じように愛せるのか?という問いが、主人公には突きつけられます。パラレル・シフトの存在が知られてしまったがゆえに起きる悩みです。この悩みにどう答えを出すのか、ということが、この小説の読みどころの一つとなっています。
全体的には幸せな世界である『僕が愛したすべての君へ』なのですが、後半ではあるショッキングな事件も起こります。詳細は書きませんが、少し離れた世界でも、この世界では起きない悲劇が起きている可能性がある。今ある幸せというのはとても儚いものであって、別の世界の可能性を知らないからこそ成り立っているのだ、という世界観がここでは示されます。
世界には無限の可能性があって、今生きている世界はそのひとつであるに過ぎない。フィクションの話とはいえ、このストーリーはどこかこちらの幸福感を揺さぶってくるものがあります。ほんの少し離れた並行世界でも今悩んでいることはなかったことになっていて、また別のことで悩んでいるかもしれない。この世界が唯一の世界でないことを知ってしまうことで、いろいろな葛藤が起きます。ましてや実際に平行世界に移動可能となると苦悩もより深くなる。人間は平行世界の存在なんて知らないほうが幸せだったのではないか、とすら思えてきます。
実際、こちらの選択次第でもっと別の世界を生きることができたんじゃないか、なんてことを本気で考えていると怖くなってくるんですよね。今生きている世界が唯一のものならなんとか受け入れていくしかないけれど、無限に平行世界が存在するということになると、今生きてるルートがバッドルートなんじゃないか、なんて妄想にも取り憑かれる。実際、『君を愛したひとりの僕へ』はバッドルートに入った運命を変えるために狂気ともいえるほどの執念をみせてくれているのだけれども。
この『僕が愛したすべての君へ』のラストシーンは『君を愛したひとりの僕へ』を読んでいればすべて納得できますし、こちらを先に読んでいれば少し不思議な余韻の残る読後感になります。私は『僕が愛したすべての君へ』の方を先に読みましたが、こっちをあとにすれば良かったかな……と思いました。これを先に読むと『君を愛したひとりの僕へ』のほうが謎解き編ということになります。それはそれで面白いですが。
平行世界のアイデアがあって成り立っている作品なのでジャンルとしてはSFでしょうが、どちらもヒロインへの強い想いがストーリーの根幹となっているのでラブストーリーとしても読めます。切ない系の話が読みたい方には強くオススメ。割と万人受けしそうなのでいずれアニメ化なり映画化なりして欲しい。