明晰夢工房

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江戸時代の百姓の暮らしが裁判でわかる。渡辺尚志『武士に「もの言う」百姓たち』

 

武士に「もの言う」百姓たち―裁判でよむ江戸時代

武士に「もの言う」百姓たち―裁判でよむ江戸時代

 

 近代以前では、裁判の記録は庶民の生活を知る重要な手がかりになります。とくに江戸時代では百姓はただお上に押さえつけられているだけではなく、かなり武士に対しても強く自己主張していたため、裁判の内容を知ることで百姓の暮らしや考え方、その実態をよく知ることができるのです。

 

本書では、松代藩長池村の名主(現在の村長のようなもの)の選挙をめぐる騒動をつうじて、当時の百姓の暮らしを復元することに努めています。なぜ名主の地位をめぐってトラブルが起きるかというと、名主は村を運営するうえで非常に重要な役割を持っているからです。

 

長池村では、弥惣八と義兵衛というふたりの人物が名主の地位をめぐって争っています。二人は互いに相手の欠点をあげつらっているのですが、それぞれの言い分はこういうものです。

 

弥惣八:義兵衛は存在しない借金をあることにし、村人に余計な出費を強いている。財政関係の帳簿も村人には見せず、不正な財政運営を行っている。

義兵衛:弥惣八は所有する土地が少ないので、名主の仕事をこなす能力がない。しかも日ごろの行いも悪い。

 

弥惣八の言うとおり、義兵衛が不正な財政運営を行っているのなら、義兵衛には名主になる資格がありません。南長池村は「潰れ」(破産)の百姓が多く出るほど貧しいので、無駄な出費を村人に強いるような人物が名主になるべきではないのです。

一方、義兵衛の言い分にも理があります。弥惣八のように所持地が少ない者は、百姓が年貢を滞納したときに肩代わりできるか不安があるためです。江戸時代の村では「村請制」といい、年貢を払えない百姓の年貢を名主が肩代わりするしくみになっていました。このため名主には経済力が求められたのです。貧しい百姓の多い南長池村では、名主の経済力は特に重要だったはずです。このように年貢の徴収に関しては村全体で責任を負うことになっていたということが、自己責任を求められていた明治時代とは決定的に異なる点です。

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このように、名主候補の双方にそれぞれの言い分がありますが、やがてこの騒動は「村の財政運営に不正はあったのか」というところが主な争点になっていきます。ここから先の展開は登場する百姓たちの証言が二転三転してなかなか面白く、最後は意外な結末にたどり着きます。この騒動を追うことで、百姓が寺から借金をすることがあったこと、江戸時代の取り調べや拷問の実態などについても知ることができます。

 

無私の日本人 (文春文庫)

無私の日本人 (文春文庫)

 

 

江戸時代では村の運営はほぼ村人の自治にまかされていたため、名主(=庄屋・肝煎)の存在はきわめて重要です。『無私の日本人』のこの個所を読めば、なぜ名主の地位をめぐって激しい争いがくり広げられたのか、より理解できるのではないかと思います。

 

庄屋は、百姓たちにとって、行政官であり、教師であり、文化人であり、世間の情報をもたらす報道機関でさえあった。国というものは、その根っこの土地土地に「わきまえた人々」がいなければ成り立たない。

──五十万人の庄屋

この人々のわきまえがなかったら、おそらく、この国は悲惨なことになっていたにちがいない。(p51)