明晰夢工房

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【書評】『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 レビュー 人物編』の「悪人」の項目には誰が入っているのか?

 

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 人物編

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 人物編

  • 作者: デイヴィッド・S・キダー,ノア・D・オッペンハイム,パリジェン聖絵
  • 出版社/メーカー: 文響社
  • 発売日: 2019/04/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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このシリーズ、どうやらベストセラーになっているらしい。1日1ページづつ、1年かかけて読んで教養を身につけましょうというコンセプトで作られているが、そのうち一日1ページでは物足りなくなってもっとはやく読み終えるのではないだろうか。

 

「人物編」であるこの本、ひととおり眺めてみた感じではやはり西洋人が書いたものという印象で、取り上げられている人物がかなり西洋人に偏っている。古代ローマからはコリオラヌスのようなあまり有名とはいえない人物まで取り上げられているのに、古代中国でこの本に載っているのは漢代以前では孔子老子孟子始皇帝だけだ。ちなみに日本人は紫式部西郷隆盛のみ。文化人枠で日本から一人出すなら紫式部なのだろうか。『世界最初の長編小説家』はやはり強い?

 

この本では曜日ごとに取り上げる人物のカテゴリが決まっていて、木曜日は「悪人」をとりあげている。ちなみにコリオラヌスも「悪人」扱いだ。ローマを裏切りコルスキ族についたと解説されている人物だが、「悪人」カテゴリは「生前に悪者とされた人物、または歴史上悪者とされた人物」をとりあげている。

 

この定義ではどういう人物が「悪人」になるのかとページをめくっていくと、109日目でチンギス・ハンが「悪人」とされている。これは日本人からするとけっこう違和感のある評価ではないだろうか。「世界のほとんどでは、チンギス・ハンの名は残酷非道な戦術と結びつけられている」とこの本には書かれているが、杉山正明氏など日本のモンゴル史家は大いに反論したいところかもしれない。広い土地を征服し多くの人を殺したから悪人ならアレクサンドロス大王はどうなのかというと、この本では「指導者」カテゴリに入れられている。彼がエジプトからインドに至る広大な領域を征服したことは「とてつもない偉業」とも書かれているが、チンギス・ハンはこんなことは言ってもらえない。両者の扱いの差は、著者の歴史観を探るうえでは興味深いものではある。

 

 

この本ではチンギス・ハンは「アジアの諸都市に残忍な攻撃をしかけたことで悪名高かった」と書かれているが、モンゴル史家の杉山正明氏は『モンゴル帝国と長いその後』でチンギス・カンとモンゴル軍の「破壊行為」についてこう語っている。

 

ホラズム軍を追いかけるかたちで、ずるずるとホラーサーンに入ったモンゴル軍は、各都市ごとの抵抗にあっておもうにまかせず、無用な戦闘をくり返してモンゴル軍の損害も多くなった。その報復の意味もあって、一部で民衆の殺害もたしかにおこなった。これが後世になって拡大解釈され、「破壊者モンゴル」のイメージがあおりたてられた。

なお、ホラーサーンの低落は、チンギス・カンのためという「お話」が、かつてはよく語られた。しかし、その後のモンゴル時代やティムール帝国治下でも、諸都市は変わらずに健在であった。近代になって、交通体系や産業構造の変化などで衰えたのが、真相である。

 

この本における「タタールのくびき」についての見解はこちらのエントリでも紹介した。

saavedra.hatenablog.com

 

そうしたいっぽう、バトゥ到来以後、ルーシは巨大な破壊と流血の嵐に襲われただけでなく、のちのちずっと野蛮なモンゴルに生き血をすわれ、とことんしゃぶられ尽くしたとされる。ルーシを牛にたとえ、その首にはめられた「くびき」をあやつって、主人顔にやりたい放題をくりかえす帰省中のモンゴルという図式・絵柄は、まことにわかりやすい。いわゆる「タタルのくびき」のお話である。

 これは、ロシア帝国時代につくられた、自己正当化のためである。アレクサンドル・ネフスキー神話とタタルのくびきは、どう見ても二律背反である。そのどちらをも主張して平然としているのは、もちろんおかしなことだが、実はいずれも童話か御伽噺とでもおもえばそれまでである。この手のことを真剣にとりあげるのは、どこか無理がある。(p172)

 

モンゴルの「残虐性」についてはこのような見方も存在する。

  

興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話 (講談社学術文庫)
 

 

この本ではアレクサンドロス大王の催した合同結婚式を「ギリシアペルシャの調和を促す目的で行ったもの」と評価しているが、日本のギリシア史家はこの結婚式をどう評価しているだろうか。『アレクサンドロスの征服と神話』での森谷公俊氏の評価はこうである。

 

次に一般兵士の場合はどうだろうか。アレクサンドロスがアジア人女性と結婚した兵士に名前を届けるよう指示したところ、その数は約一万人にのぼった。これは民族融合政策だろうか。答えはここでも否である。これらの兵士は遠征に赴いた先で現地の女性と関係を持ち、彼女たちは兵士に付き従ってスーサにたどり着いたのである。アレクサンドロスは彼らを正式の夫婦として認めてやったにすぎず、言葉は悪いが「現地妻」の追認である。それゆえこれを大王の意図的な民族政策と見る必要はどこにもない。

 

かなり手厳しいが、この結婚式は「東西融合の証」とは評価できるものではなさそうだ。

 

ほかに「悪人」とされている人物をみていくと、赤毛のエイリーク、アッティラ王、ディオクレティアヌス帝、ジョン王、ヴラド串刺公、リチャード3世、メアリー1世、ウォルター・ローリーなどなどの名前が並んでいるのだが、なかには日本人からすると悪人なのか?と首をかしげるような人物もいる。ジョン王は有能ではなかったかもしれないが「悪人」というほどのイメージがないし、ウォルター・ローリーも探検家の印象しかないが、アメリカにタバコを広めたことが「悪」らしい。なんとなくだが、アッティラはチンギス・ハンと同じ枠に入れられている気がする。アラリックも悪人扱いであるあたり、ローマに侵入した異民族は悪だということだろうか。スパルタクスは「反逆者・改革者」扱いになっているあたり、ローマに楯突いたから「悪人」というわけではないようだ。

 

近代に入ると、「悪人」に挙げられるのはほぼ無法者になっていく。南北戦争後に強盗団を率いていたジェシー・ジェームズだとか、切り裂きジャックだとか、アル・カポネあたりは悪人扱いでもおかしくないだろうけれども、時代をさかのぼるほど現代の価値観で裁けないので悪人ってなんだ、という感じにはなってくる。古代でも文句なしに悪人といっていいのはアグリッピナくらいだろうか。 ローマ史家でこの人を弁護する人がいるのかどうか、ちょっとわからない。

 

ちなみに、本書で一番最後に取り上げられている「悪人」はラドヴァン・カラジッチだ。この人物に終身刑の確定判決が出たのは、日本でこの本の初版が出る直前の3月21のことである。

【感想】三崎律日『奇書の世界史』に書かれたダーガーの意外な実像

 

奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語

奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語

 

 

かつてと学会は、「著者の意図とは別の視点から笑える本」をトンデモ本と定義していた。本書で紹介される「奇書」とはこのトンデモ本と同じように、「本人は大まじめに書いているのに後世では奇書と扱われるようになってしまった本」のことである。もっとも、と学会は今出版されている本を主に扱っているのに対し、この本では古い本を多く扱っているので内容的に重なるところはない。

 

本書で取り上げられる「奇書」は『ヴォイニッチ手稿』や『非現実の王国で』のような有名どころから『台湾誌』『穏健なる提案』『椿井文書』などのあまり知られていないものまで幅広い。通読するもよし、気になる章をつまみ食いするもよし。どの章をとってもいずれ劣らぬ奇妙で不可解な書物の深淵を、この一冊でのぞき込むことができる。

 

私が本書を読んでいてとりわけ興味を惹かれたのは、偽書だ。章でいえば『台湾誌』『椿井文書』『ビリティスの歌』がこれにあたる。いずれもいかにも本物らしく作りこまれているが、内容は完全な創作なのである。これらの奇書の作者はみな創作の才能に恵まれているのだが、これだけの才能がありながら、なぜ最初からオリジナルの自作を世に問わなかったのか、と不思議に思うことがある。

だが、創作に手を染める人は、ただ純粋に創作がしたいのだろうか。およそなにかを創りたいという人は、おのが創作で人に影響を与えたい、大いに世の中を騒がせてみたい、という欲望をもっているのではないか。その観点からみれば、やはり『台湾誌』などはノンフィクションの体裁で書かれる必要があったといえる。

なにしろこの本を書いたニセ修道士サルマナザールは台湾人を自称し、台湾語まで創作するという入念な準備をすることで、イギリス中を魅了することに成功しているのだ。サルマナザールがただのフィクション作家であったなら、ここまで一世を風靡する存在にはなれなかったに違いない。イネス牧師のプロデュースを受けつつ「イギリス国教会に入信した台湾人」になりすまし、次々と寄せられる批判を得意の詭弁で煙に巻くその姿は、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のような詐欺師一代記として映画化すらできそうなくらいに波乱に富んでいる。やがて、ある大物の批判によりサルマナザールのペテンはすべて白日の下にさらされてしまうことになるが、この大物がだれなのかはぜひ本書を読んで確かめてほしい。かなり意外な人物である。

 

一般論として、サルマナザールのような嘘をつくことは許されない。それは当然のことである。だが一方で、かれの「台湾語」に耳を傾け、『台湾誌』 に夢中になっていた人々はどこかで「楽しいホラ」に乗せられたがっていたところはないだろうか、とも思う。『ちゅらさん』の主人公の父親が「にいにいのホラを聞いているとき、お前は楽しかったんじゃないかね」と息子に語りかけた台詞を思い出す。サルマナザールをサルマナザールたらしめていたのは、まだ見ぬ台湾の地への空想をつのらせていた人々でもあったかもしれない。フェイクニュースマケドニアの村ひとつが潤ってしまうのも、やはりそこに需要があるからなのだ。

 

嘘を本当とい言いつのること、それ自体は厳しく非難されなくてはならない。当然、非難の矢は偽史である『椿井文書』にも向けられた。地域史家であるという椿井政隆がひとりで作りあげたこの文書は『五畿内志』の権威を借りることで信憑性を高めてはいるものの、結局偽史偽史でしかない。にもかかわらず、この文書がしばらくは本物の史料として通用していた原因は、ひとつにはビジュアルが豊富だったことにある。『自分の住む地域が鮮やかに描かれた絵画を見た人々が、それを「偽書」としてはねのけるのは難しいでしょう』と著者は指摘しているが、やはり偽書偽書として成立させているのは受け手の側でもあるということだ。

 

サルマナザールが大いに世を騒がせたかったのだとすれば、椿井政隆が望んでいたことは何だっただろうか。もともと椿井文書は政隆と制作を依頼した者との間で完結していて、広く公開されていたものではない。なら有名になりたくてこのような文書を作ったとは考えられない。そこで筆者は政隆がこの文書を作った動機を『政隆は「椿井史観」で山城国一帯を塗り替えたかったのかもしれない』と推測している。歴史家が創作の才を発揮すると、過去を征服することもできるのである。

これらの偽史偽書は、嘘ではあってもその内容が豊かであるために、嘘だからと葬り去ってしまうのはいかにも惜しい感じもする。著者も地域の人びとの「この地域に豊かな歴史があってほしい」という願いには理解を示しつつ、『こうした願いや外連味を剥ぎ取り、ありのままの姿を白日に晒すといった行為は、ある意味で残酷な行為なのかもしれません』と書いている。子供のころ『東日流外三郡誌』の記述を信じかけていて、これを偽書と批判した学者たちにある種の「暴力性」を感じていた自分としても、この気持ちはよくわかる。だが史料としての信憑性が失われても、「奇書」としてこれらの偽書を味わうことは今でもできる。著者が言うとおり、歴史のロマンとは偽書の内容にではなく、そのようなものを生み出した人の欲望のなかにこそ求めるものなのだ。人が人である以上、これからもこうした偽書は生み出されつづけるのだろう。

 

さて、これらの偽書を作りあげたアクの強い人物たちにくらべると、ダーガーなどはいかにも無欲な人物にみえる。60年以上にわたり黙々と『非現実の王国』を描き続けたダーガーには、承認欲求から解放され自己完結できている、ある意味理想の芸術家の姿を見いだせるかもしれない。だが、ダーガーは本当にそのような人物だったろうか。本書にはこう書かれている。

 

 承認欲求は、社会的な動物である人間にとって、基本的欲求ともいえます。

他者との関わりや、作品の発表を拒んでいたダーガーのあり方は、これら人としての本能を否定するものだったでしょうか。周囲の人々の言葉や、ダーガー自身が残した日記によれば、決して他者との交流を望まなかったわけではないことが見受けられます。いえ、むしろ人との交流を熱望してさえいるのです。

ダーガーはしばしば、「子供たちをネグレクトから救うため」として、協会に養子縁組の申請を行っていました。

また、晩年に隣人によって開かれたダーガーの誕生日パーティーでは、「ブラジルの子どもの行進曲」を歌ってみせたりして人々との交流をとても楽しんでいたそうです。

 

ここで著者は、ダーガーに「孤高の芸術家」というイメージを抱きがちな我々にやんわりと釘を刺している。ダーガーが世評などより、どこまでも内的な美を追求した真の芸術家だったのか、おのが欲望を創作で発散するしかない人物だったのか、結局真実は今でもわからない。

 

ダーガーが絵の中に男性器を持つ少女を描いているのは彼が女性の身体を知らなかったからだ、とよくいわれるが、これも正しくないと著者は指摘している。

 

ダーガーは、日常的にコラージュの素材を古雑誌から集めていました。この頃は、すでにポルノ写真も多く掲載されており、生身ならずとも女性の裸体を見る機会は頻繁にあったはずです。また、男性器の描かれていない少女も数多く見られます。そのためダーガーにとっての男性器は、「勇ましさ」「戦いに挑むもの」の象徴として描かれたという説もあります。 

 

ここを読んで、ますますダーガーがわからなくなった。当人が手記の中において「大人になりたいと思ったことは一度もない」と語っているとおり、ダーガーは子供のままでいたかった人なのだが、彼の絵画表現をたんに未熟さの表れと言いきることもできないのだ。ダーガーの描く両性具有の人物にはなんらかの深い意味が込められているかもしれないし、そうでないかもしれない。つまるところ、ダーガーは不可解だとしか言いようがない。人間自体が不可解な存在なのだから、それは当然のことともいえる。ならば人間が奇書を生み出してしまうのも必然だ。結局、奇書とは人間そのものなのである。

 

 

saavedra.hatenablog.com

 

この本に興味を持った方には古今東西の「奇妙な地図」の集大成である『世界をまどわせた地図』もおすすめしたい。

 

 

「知恵泉」武田勝頼回の長篠の戦いについての黒田基樹氏の発言のメモ

「~の」ばっかり多くてタイトルが読みにくいがあまり気にしない。

真田丸時代考証メンバーの一人としておなじみの黒田基樹氏の長篠の戦についてのコメントが面白かったので、忘れないうちにメモしておく。

 

・信長は本願寺との戦いを切り上げて急遽長篠に駆けつけてきたので、本音ではあまり勝頼とは戦いたくなかった。だから鉄砲をたくさん用意して柵のなかにこもり、防御に徹した。

・勝頼が家臣の制止も聞かず突撃したのは、防御に徹する信長をあなどったせいではないか。

・ほんとうは本願寺との戦いに専念したかったのに、信長が家康を助けに来たのは家康が暗に「援軍を出してくれなければ武田につくぞ」と言ったせいかもしれない。

・三段撃ちはフィクションです(これは解説で出ていた平山優氏とは考えが異なるか)。

 

長篠の戦いを知るにはこの戦いだけを見ているだけではだめで、もっと大局的に物事を見なくてはいけない、と改めて気づかされた。

 

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー)

 

 

なお、平山優氏の『検証長篠合戦』では、矢玉の飛び交う戦場に打って出て首級をあげ自陣に引き返すことを「場中の高名」と讃える雰囲気があったことが指摘されている。これが本当なら、武田軍が突撃した責任をひとり勝頼のみに帰することはできないかもしれない。勝頼は武田家の当主として、誰より勇敢でなくてはならないと考えていた可能性もある。

 

さらに、武田勝頼は息子の信勝が当主になるまでの「陣代」にすぎず、当主としての正当性が弱かった、という事情もある。自分が当主にふさわしいことを証明するには、いくさに勝ち続けるしかない。「英雄たちの選択」で長篠の戦いを取り上げたとき、磯田道史氏が勝頼の内心を「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」と表現していたのには笑ってしまったが、勝頼からすれば笑い事ではない。長篠以前は勝頼は常に勝ち続けていた「強すぎたる大将」であり、それこそが勝頼のアイデンティティだったかもしれないのだ。

 

ついでに言うと、長篠の戦いは武田家にとり大きな打撃ではあったものの、これが武田家滅亡の直接の原因というわけではない。それどころか、勝頼はこの後も領土を拡大し続けている。武田家滅亡のきっかけが天神城の戦いであることは、丸山和洋氏が指摘している。

saavedra.hatenablog.com

勝間和代さんが失恋エントリを書いた日に「起きていることはすべて正しい」という動画をアップしていた

news.livedoor.com

 

ご自身の失恋について勝間さんのブログに書かれていたことに驚くと同時に、これはしばらくユーチューブの方も休むのかな、と思っていたのですが。

勝間さんが「本当に悲しいです」というタイトルのブログ記事を書いていた11月11日、ユーチューブにアップされていた動画がこれでした。

 

 

勝間さん、このタイミングでこれを言いますか……

動画自体は失恋以前に撮っていたものかもしれませんが、この時期にこの動画を出すことに意味があると考えたんでしょうね。

勝間さんの動画を見ている人は、パートナーシップ解消のニュースも当然知っているのだろうし。

まだ気持ち的には相当つらい時期だと思うのですが、今この動画を出せるのは本当にすごい。

 

起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術

起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術

 

 

「起きていることはすべて正しい」は2008年に勝間さんが出版した本のタイトルでもあります。

正直、あの頃この本のタイトルを見たときには「災害で何の罪もない子供が亡くなってしまうのも正しいんですか?」と反発する気持ちもあったのですが、これは本を読まずにタイトルに脊髄反射していたために出てきた難癖でした。

この動画で勝間さんが主張していることは、「起きてしまったことはもう事実なのだからそれをありのままに受け止め、今からより良い選択をしていけばいい。それがいずれポジティブな未来につながる」ということです。

これは選択理論心理学に基づく考えのようですが、理論を知っていることと、それを実践できるかはまったくの別問題です。

事が事なので、勝間さんが動画で多少ネガティブなことを言ったとしてもファンが離れていくなんてことはないと思うのですが、それでもあえてこの時期に、自分が著書に書いたことを動画で実践してみせてくれているのには驚きました。

 

勝間さんは本当に強い人なのだと思います。

ただ、誰もがここまで強くなくてもいい、とも思います。

「起きてることはすべて正しい」と考えるのはそれができる人だけ、できる状況の時だけ、でもかまわないはずです。

どんなよい理論でも、自分に合わなければ意味がありませんから。

 

 

こういう動画もアップしている勝間さんなので、人がいつでも正しく行動できるわけではないことは理解しているはずですし、視聴者にもそんなことは求めていないと思います。

【感想】鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』に「ほがらか人生相談」の原点を見た

 

孤独と不安のレッスン (だいわ文庫)

孤独と不安のレッスン (だいわ文庫)

 

 

この本を読んでいて、ファストフード店で一人で食事している男性を撮影し、SNSに晒して笑いものにしていた女子大生のことを思い出した。そこまですると、さすがに晒している方が非難される。しかし、独りでいるのは恥ずかしいことだ、と思っている人は多い。なぜ孤独はみじめなのか。鴻上尚史に言わせれば、それは「友達100人至上主義」のせいなのだ。

 

この歌の一番の問題は「友達が多いことは無条件でよいこと。友達が一人もいないことは、無条件で悪いこと」という価値観をわずか5,6歳の子どもに刷り込んでいることです。

友達の大切さと難しさを歌うのならともかく、ただ「友達100人」を歌い上げるのは、あまりにも能天気で罪深いことです。

そして、大人達は、1年生に向かって、何の疑問もなく、「友達できた?」と聞きます。その質問の繰り返しが、子供達に「友達ができないことは、間違ったこと」という価値観を刷り込むのです。

結果、学校でも家庭でも、「友達の多いのはいいこと」「友達のいない人は淋しくてみじめで問題のある人」という価値観が、なんの問題もなく流通していくのです。 

 

こういう価値観の源流は、共同体の掟から外れると村八分にあう江戸時代の村落にあり、この相互監視状況が多少ゆるやかになった「中途半端に壊れた共同体」=世間にわれわれ日本人は生きているのだ、とこの本では説かれている。鴻上尚史を読んでいる人にはおなじみの「世間論」だ。この「世間」の話は「神回答」で有名な「ほがらか人生相談」のなかにも何度か出てくる。親が周囲の目を気にしてうつ病の妹を病院に行かせないなど、「世間」そのものが敵になるような悩みがよく寄せられるからだ。

 

saavedra.hatenablog.com

 

一人はみじめだという価値観を脱するには、一度「本物の孤独」を体験しなくてはならない、というのがこの本の前半の主張だ。そのために、鴻上尚史は一週間以上の一人旅に出ることをすすめている。一人でいることが恥ずかしくない状況に長い間自分を置けば、自分の深い部分と対話ができ、豊かな「本物の孤独」の価値を知ることができるからだ。

 

人は一人でいるときに成長する、と本書ではくり返し説かれる。孤独な時しか人は自分と向き合えないからだ。さびしさを埋めるためだけに友人をつくるのはむなしい、それよりも「一人はみじめだ」という思い込みをなくすことが大事。そうすれば一人でいても辛くはなくなる──というこの考えは、確かに納得できるものではある。

 

でも、私はこの考えに全面的には賛成できない。確かに一人は悪いことでもないし、恥ずかしいことでもない。しかし多くの場合、孤独はつらいものではないだろうか。「一人は恥ずかしいものだ」という考えをアンインストールできればこのつらさがなくなるかというと、そう単純なものではないように思う。

内面化された「世間」の縛りを外すことができれば、多少楽にはなるだろう。その効用は否定しないし、「友達100人至上主義」の害を並べるのもいい。だが、孤独を恐れるのは、そもそも人間の本能ではないだろうか。人は結局社会的動物であって、多くの人は一人では心の穴が埋まらない。孤独が長びくことで、確実に心身にダメージも出てくる。

私は大学生のころ、いちど留年してしまったため周囲に知人がほとんどいなくなり、卒論に専念していた頃はほぼ完全な孤独状態に置かれたことがある。このときはかなり精神が不安定で、一度はある新興宗教の入口まで行きかけたこともある。孤独な時間は豊かである反面、人を壊してしまう可能性もあるのではないだろうか。鴻上尚史はさびしさを埋めるためだけの人間関係には否定的だが、あの頃私が上っ面だけの人間関係だけでも持っていたなら、そこまで精神定期に追いつめられることはなかったように思う。

 

『ほがらか人生相談』の内容を見てみると、鴻上尚史の孤独についての考えはかなり進化しているように思える。「学校のグループ内で私は最下層扱い。本当の友達が欲しいです」という相談に対して、鴻上尚史「友達のふりをする苦痛」と「ひとりのみじめさ」を天秤にかけ、どちらがよいかをじっくり考えてみましょう、とアドバイスしている。一人は恥ずかしくないからそんな居心地の悪いグループなんて抜けてしまいましょう、という単純さはここにはない。

日本の「中途半端に壊れた世間」のなかに生きるなら、独りでいるのはやはりつらい。かといって、淋しさを埋めるためだけにこちらを都合よく扱うグループに所属するのも苦しい。この状況を抜け出すためのアドバイスが、自分にはどんな「おみやげ」を渡せるのかを考えることだ、と鴻上尚史は説いている。

 

 僕は人間関係は「おみやげ」を渡し合う関係が理想だと思っています。
「おみやげ」っていうのは、あなたにとってプラスになるものです。楽しい話でもいいし、相手の知らない情報でもいいし、お弁当のおすそ分けでもいいし、優しい言葉でもいいし、マンガやDVDを貸してあげるのでもいいし、勉強を教えてもいいし。
(中略)
そして、恋愛も友情も、どちらかが「おみやげ」を受け取るだけで、何も返さなくなったら、その関係は終わるだろうと思っているのです。
(p90) 

 

ここまで具体的なアドバイスは、『孤独と不安のレッスン』の中にはない。この本では基本的に孤独を豊かでよいものと定義しているので、そこから抜け出そうという姿勢はないのだ。この本のスタンスは「一人でいてもいい」とあなたが思えればそれですむことですよ、だ。このスタンスが「おみやげを探しましょう」に変わったのはなぜか。そのヒントが、こちらの文章に書かれていた。

 

www.huffingtonpost.jp

 

そうなると、瞬発的にアドバイスしなければいけない。しかも、「気の持ちようだよ」とか「考えすぎだよ」とか、ましてや「がんばれ」などと抽象的なことを言っても役者の気持ちは晴れない。抽象的なアドバイスは余裕がある時しか成立しないんです。

そこでどうしていたかというと、とにかく具体的で即実行可能なことを言ってあげる、ということ。例えば、「あの人と上手くやれない」といった時には、じゃあ、まずは明日その人に会った時に大きな声で「おはようございます」って言ってみませんか? とか、あの人はブドウが好きだから、差し入れてみたら? とか、ですよね。とにかく、ほんのちょっとした、具体的なことを伝える。 

 

「一人でも恥ずかしくないと思えばいい」というのはある意味「気の持ちよう」みたいなアドバイスだ。今困っている人にすぐ役立つわけではない。相談者が陥っているのがこの本でいう「ニセモノの孤独」だったとしても、具体的に役立つ助言ができなくてはいけない。そこで、あなたが手渡せる「おみやげ」は何ですか、という話をすることになったのだろう。価値観を変えて悩みに対処するやり方は漢方薬みたいなもので、即効性のあるものではない。

 

『孤独と不安のレッスン』の後半では、他者とは基本的にわかりあえないものだ、という考えが何度も示される。だからコミュニケーションをあきらめろというのではなく、わかりあえないからこそ徹底的に話さなくてはいけないのだ、と鴻上尚史は説く。彼は国際結婚した人の「結婚で大切なのは、気持ちよりも理解。愛情よりも情報」という言葉を紹介しつつ、実はすべての他者との付き合いにはこういう姿勢が必要なのだと主張している。「ほがらか人生相談」での鴻上尚史の語りがとにかく丁寧なのも、相談者が基本的に「わかりあえない他者」だという前提があり、そんな相手にも言葉を届かせるにはどうすればいいか、をつねに考えているせいなのかもしれない。

【感想】内山昭一『昆虫は美味い!』

 

昆虫は美味い! (新潮新書)

昆虫は美味い! (新潮新書)

 

 

昆虫食といえばこの人、内山昭一氏による昆虫食の雑学本。

わざわざ食べる人がいるからには、昆虫食はきっと美味いのだろう、とは思う。

でも、第一部のカメムシは本当にパクチーの香りがするのか」「カマキリは卵がうまい」「オオゴキブリは美味しい」などのタイトルを見ているだけで、もうくじけそうになっている自分がいる。いくらうまいんだと言われても、これらの虫の絵面がどうしても食欲を阻害してしまう。

なんとか食べられそうなのはバッタくらいだろうか。よく言われることだが、この本でもやはりバッタはエビの味がすると書いてある。アイマスクをした状態で食べると、8名中2名はどちらがバッタかエビかわからないらしい。ただしこれは粉末状にした場合での比較である。『甘々と稲妻』でもつむぎがバッタを食べているシーンがあったが、子供が食べられる昆虫はこのあたりが限界な気がする……のだが、著者が作ったさまざまな昆虫料理を子供たちが喜んで食べていることも報告されていて、やはり若い方が新しい食文化への適応も早いのかと感心させられる。

 

著者の内山昭一氏の探求心の強さは尋常ではない。とにかく昆虫と見れば食べなくては気がすまないのだ。その結果、カブトムシの幼虫はものすごくまずいことも発見している。未消化の腐葉土が体内に詰まっているので、腐葉土の味しかしないのだ。成虫の味も大体そんなところだそうである。

つまり、昆虫はおおむね食べたもので味が決まるらしい。だから、クリを食べているクリムシの幼虫はやっぱり栗の味がするのである(ならバッタとエビは食べているものがぜんぜん違うはずだが、なぜ味が似ているのだろう)。それにしても、この本のクリムシご飯の写真もとても食欲をそそるようなものではない。何度も美味いと言われているのに、なぜ昆虫食は食べる気がしないのだろうか?

 

この本の第二部によれば、それは人間が雑食動物であることに求められる。雑食動物はその気になればいろいろなものを食べられるが、食べた経験のないものを食べるのには慎重だ。だから「食べず嫌い」が発生する。食べたことのない昆虫には毒があるかもしれない、というリスクを考えてしまうのである。

雑食動物は新しいものを食べるとき、食物新奇性恐怖と食物新奇性嗜好の間をゆれ動く。本人も認めているとおり、内山昭一氏のような人は食物新奇性嗜好がとりわけ強いから、次々と新しい昆虫の味にチャレンジできるのである。

 

また、長い年月を経て人類の間に定着した食文化もまた、昆虫食をためらわせる要因になる。明治に入って「害虫」の概念が生まれ、公衆衛生学が発達するなかで、昆虫はしだいに不潔な存在とみなされるようになっていった。結果、今でも多くの日本人にとり、昆虫食は抵抗を感じるものとなっている。

だが、歴史を見渡すと、人間は多くの昆虫を食べてきたことがわかる。聖書ではバッタ食が認められていたこと、古代中国では君子の食卓にも蝉が登場していたことなどがこの本では紹介されているが、種類を限れば昆虫食はあんがい人間には身近なものでもあった。

 

そんな昆虫食が、いま世界的に注目を浴びているという。国連食糧農業機関(FAO)が2013年の報告書で、家畜の代わりに昆虫食の利用が急務と発表したからだ。この報告書によれば昆虫は飼育変換効率がよい、温室効果ガスの放出量が少ない、有機廃棄物で飼育できるなどの理由で家畜を育てるより環境的優位性があるのだそうで、この発表をきっかけに著者への取材も増えているとのことだった。

つまり昆虫は家畜よりエコな食べ物であり、環境と調和しつつ必要な栄養を摂るには、近い将来昆虫を食べなくてはいけなくなるかもしれないということである。この本の第二部では「サバイバルとしての昆虫食」に言及していて、松本零士が空襲警報が鳴ったときに山へ入って蜂の子を食べていたエピソードを紹介している。

これは個人レベルのサバイバルだが、いずれ人類全体が生きのびるために昆虫食を常食とする時だってくるのかもしれない。その時までに、人類は昆虫食に慣れることができるだろうか。この本で紹介されている「アリの子ジャム」「コオロギスナック」「タガメ香料入りサイダー」などなどの字面を見ているだけでも無理じゃないか、と思えてくるのだが、これらの料理を食べることで子供たちの昆虫食への考えはかなり変わったという。著者が引用しているマーヴィン・ハリスの言葉のとおり、「わたしたちが昆虫を食べないのは、昆虫がきたならしく、吐き気をもよおすからではない。そうではなく、わたしたちは昆虫を食べないがゆえに、それはきたならしく、吐き気をもよおすものなのである」ということだろうか。

孔子が論語で語った名言にどれくらい「そうだよな」と言えるか

もう20年くらい前のことだと思うが、酒見賢一が雑誌のインタビューで「論語に書いてあることって、そうだよなって思うことが多いですよね。親の年齢を知らないようではいけないとか」と答えていたのを覚えている。おそらくは『陋巷に在り』に関係するインタビューだっただろう。この小説の主人公は孔子の弟子の顔回だ。だから論語に話が及んだのだと思う。

 

完訳 論語

完訳 論語

 

 

最近、この本を読んだ。論語の内容がすべて読みやすい現代語に訳されているだけでなく、解説も充実していて孔子の弟子たちの人物像もリアルに立ちあがってくる。今論語を読もうと思うなら、解説書としてはこの本が一番適しているだろう。

 

この本を読んでいて、ふと酒見賢一の言葉を思い出した。孔子の言葉には、どれくらい「そうだよな」と思える部分があるだろうか。現代まで残っている古典は、多かれ少なかれ現代人にも同意できる部分はあるものだし、だからこそ残っているのだが、では論語はどうか。いざ手に取ってみると、論語の内容は知っているようで知らないこともたくさんあることがわかる。孔子の言葉は断片的なので、解説を読まなければ何を言ってるのかよくわからないことも多い。なのでこの『完訳 論語』の解説を参考にしつつ、論語の内容にどれくらい納得できるか試してみることにした。以下、印象に残った個所を引用しながら、孔子の言葉についてはるか後世の小人なりの見解を書いてみる。

 

子曰く、巧言令色、鮮し仁。

訳:先生は言われた。「巧妙な言葉づかい、とりつくろった表情の人間は真情に欠ける」。

 

セクシーな発言で有名な政界のサラブレッドは弁舌は巧みだが、それだけにあまり人徳があるようには思えない。口ばかり達者な者に信用は置けない、まさに現代人でも「そうだよな」とうなづきたくなる名言の代表だ。

 

子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患える也。

訳:先生は言われた。「自分が人から認められないことは気に病まず、自分が人を認めないことを気に病む。

 

こういう立派過ぎる名言を目にすると、私などは素直に「そうだよな」とは言えなくなってくる。承認欲求にふりまわされているようでは君子とは言えないのだろうが、もうちょっと凡人に気持ちに寄り添う姿勢があっても、と思わなくもない。しかし、孔子がこれを自分で実践できていたからこそ多くの弟子が従っていたことも確かだ。

 

子曰く、君子は器ならず。

訳:先生は言われた。「君子は用途の決まった器物であってはならない」。

 

サルトルよろしく「実存は本質に先立つ」みたいなことを言ってるのですか、先生?と思ってしまったが、そういう話ではないらしい。この本の解説によれば、君子は専門化された技能者であってはならないということだ。正直よくわからないが、孔子に言われればそういうものか、と思ってしまう。君子はゼネラリストでなくてはいけないのだろうか。技能者を使う立場だから?

 

子貢君子を問う。子曰く、先に其の言を行いて、而して後に之に従う。

訳:子貢が君子についてたずねた。先生は言われた。「まず、言わんとすることを実行し、そのあとで言葉が行動を追いかける人のことだ」。

 

巧言令色鮮し仁、と言ったように、孔子は弁論より実践を重んじた人だ。まずやるべきことを行動で示す、という、まさしく君子の本質を簡潔に表現した言葉だ。そうだよな、と納得するしかない。これは弁舌に巧みな子貢をたしなめる目的もあったらしいが、子貢もこれには納得するしかなかっただろう。

 

子曰く、射は皮を主とせず。力の科を同じくせざる為なり。古の道也。

訳:先生は言われた。「弓の試合は的に命中させることを主としない。(競技者の)力の等級が異なるからである。これこそ古の美しいやりかただ」。

 

結果ではなくどれだけ真摯に物事に取り組んだかが大事なのだ、と孔子は説いている。孔子のこういうヒューマンな一面は好きだ。孔子の言う「古の美しいやり方」が本当に存在したかわからないし、最近は孔子の説いた礼は周の礼に仮託して孔子が創作したものだと言われたりしているが、その内容が魅力的だからこそ多くの人が彼の言葉に耳を傾けたのだろう。

 

子曰く、夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かざる也。

訳:先生は言われた。「異民族に君主が存在したとしても、中国に君主が存在しない場合にもおよばない。

 

華夷の区別を立てるのが儒教というものなのだが、現代人の目から見るとやはりこれは差別そのものなので、とても「そうだよな」というわけにはいかない。論語は古典なのでたまにはこういうこともある。本書によればこの発言は元や清など征服王朝の時代には問題視されたそうだ。 

 

子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

訳:先生は言われた。「朝、おだやかな節度と調和にあふれる理想社会が到来したと聞いたら、その日の夜、死んでもかまわない」。

 

これなども、私には立派過ぎてちょっとついていけないものと感じる。そんなに素晴らしい理想社会が実現しているなら、そこでずっと生きていたくなるものではないだろうか。

 

子曰く、君子は徳を懐い、小人は土を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵を懐う。

訳:先生は言われた。「君子はいつも徳義を心にかけ、小人はいつも故郷を心にかけている。君子はいつも刑罰を気にかけ、小人はいつも恩恵を気にかけている。

 

これを読んでいて、秦を倒し天下を取ったあと故郷の楚に都をおいた項羽のことを思い出した。自分の感情を優先した項羽のことを軍師の范増は小僧呼ばわりしていたが、孔子の目から見ても故郷のことを気にかける項羽は小人の部類だということになってしまうだろうか。懐王を殺し、秦の宮女を略奪した項羽に徳があるといえるはずもないだろうが。

 

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。

訳:先生はは言われた。「君子は義(正しさ)に敏感に反応し、小人は利益に敏感に反応する」

  

まさにその通り、としか言いようがない。 君子と小人の対比は論語のなかによく出てくるが、これなどは完全に本質をついている。

 

子曰く、性相近き也。習い相遠き也。

訳:先生は言われた。「人のもともとの素質にはそれほど個人差はない。ただ後天的な習慣・学習によって距離が生じ遠く離れる」。

 

こういう孔子の人間観が垣間見れる個所はおもしろい。人の生まれ持った資質に大した差はないが、後天的な努力によって大きな開きが出るというこの見方はのちに性善説につながることになる。とはいうものの、近年は「努力できる遺伝子」なるものが存在するともいわれているので、この見方も100%首肯できるわけではない。孔子は指導者だから学ぶことで人は変わるといわなくてはならなかった面もあるだろう。しかし、実は孔子にはまた別の人間観がある。

 

子曰く、唯だ上知と下愚は移らず。

訳:先生は言われた。「ただ最上の知者と最下の愚者だけは、変化しない」。

 

孔子も先天的な資質をまったく無視しているわけではない。最上級の知者はそれ以上上昇しないし、最下級の愚者も学んでもよくなる見込みはない。長年の教育者としての経験から得た知見なのだろう。学習にも限界はある。これなども「そうだよな」と言いたくなる見解だ。孔子はただの理想家ではない。

 

子曰く、中人以上には、以て上を語る可き也。中人以下には、以て上を語る可からざる也。

訳:先生は言われた。「中程度以上の人間には、高度な話をしてもよいが、中程度以下の人間には、高度な話をしてもしかたがない」。

 

先の言葉の捕捉になるような内容だが、この言葉と合わせて考えると、孔子は人間を3ランクに分けて考えていたようだ。誰が中程度かどうやって判断するのかとか、中程度以下の人にはほんとうに高度な話をする意味がないのかとか、いろいろ考えてはしまうものの、 なんとなく納得してしまいそうな話でもある。

 

子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之れをれ楽しむ者に如かず。

訳:先生は言われた。「ものごとに対して知識を持ち理解する者は、それを好む者にはかなわない。好む者はそれを楽しむ者にはかなわない」。

 

孔子の名言のなかでも有名なものだけに、一見正しいように思える。特に創作などのジャンルに対してはよく当てはまる言葉のような気もするが、実はこれにはかなり疑問がある。楽しんでいやっている人が、必ずしも良い成果を出すわけではないのだ。実は小説のプロにもいろいろなタイプがいて、「書くこと自体はそれほど好きではないが、お金のためならやれる」という人もいる。そういう人も立派にプロとして生き残っているのだ。一方で、書くことが好きでたまらないのに一向に実力が伸びない人もいるだろう。楽しんでいる人は書くこと自体で自己完結してしまい、結果にこだわらないせいかもしれない。いくら孔子の名言でも、杓子定規に現実に当てはめてはいけないのだ。

 

 子曰く、憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以て返らざれば、則ち復たせざる也。

訳:先生は言われた。「知りたい気持ちがもりあがって来なければ、教えない。言いたいことが口まで出かかっているようでなければ、導かない。物事の一つの隅を示すと、残った三つの隅にも反応して答えてこないようなら、同じことを繰り返さない」。

 

ここには孔子の教育観がよく出ている。孔子は教えてほしいタイミングでしか教えない。弟子がどんな気持ちでいるかも、孔子は敏感に察していたのだろう。孔子が優れた教育者である証拠だ。

 

子曰く、民は之れに由らしむ可し。之れに知らしむ可からず。

訳:先生は言われた。「人民は従い頼らせるべきであり、その理由を知らせるまでもない」。

 

よく知られた言葉で、専制主義だとか言われてしまう箇所でもあるのだが、なぜ知らせるまでもないのか。あまり納得できないが、この本の解説に従えば、徳による政治が実現すれば人々は安心して身をゆだねられるので、いちいち理由を知らせる必要もないのだということらしい。そうとでも考えなければ理解できないところでもある。いずれにせよ、説明責任を果たさなくてはならない現代の政治に適用できる内容ではない。

 

子曰く、中行を得て之れと与にせずんば、必ずや狂か。狂者は進み取る。者は為さざる所有る也。

訳:先生は言われた。「バランスのとれた中庸の人物をみつけ、ともに行動することができないときは、狂なる者かなる者と行動をともにするしかないだろう。狂者は積極的に行動し、者は断固として妥協しない。

 

これも孔子の人間観のおもしろさが出ている言葉だ。中庸の人がいないのなら、毒にも薬にもならないような人より、アクが強くとも一緒にいれば得るところのある「」の人とつき合うのだという。孔子は積極性をよしとしていたのだろう。

 

子曰く、貧しくして怨む無きは難く、富んで驕る無きは易し。

訳:先生は言われた。「貧しくとも恨み言を言わないのは難しいが、金持ちになっても高ぶらないのは簡単だ」。

 

前半は同意できるが、金持ちになっても高ぶらないのは果たして簡単だろうか。SNSを覗けば成功者が貧しい人は努力が足りないと非難する光景を見かけたりするが、そういう金持ちは少数しかいないのだろうか。SNSでは成功者は信者を抱えているのでこういう発言をしてしまうという一面があるだろうから、SNSなど存在しなかった春秋時代では金持ちでも謙虚でいるのは難しくなかったかもしれない。

 

子曰く、君子は其の言いて其の行いに過ぐるを恥ず。

訳:先生は言われた。「君子は自分の言った言葉が、その行動を超えることを恥じる」。

 

論語にはこういう、口が達者なだけの人物を批判する言葉が何度も出てくる。アンドリュー・フォークやシュターデンを君子とは言いようがないので、納得するしかない。

 

或るひと曰く、徳を以て怨みに報ゆるは如何。子曰く、何を以てか徳に報いん。直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

訳:ある人が言った。「善意によって悪意に応じるというのはどうですか」。先生は言われた。「(だとしたら)何によって善意に応じるのですか。まっすぐな正しさによって、悪意に応じ、善意によって善意に応じるのです」。

 

右の頬を打たれたら左の頬を差しだすのは孔子式ではない。悪意に対しては毅然としてこれを正すのが孔子のやり方だ。いつでも実行できるとは限らないが、悪意に善意で応じるよりは納得できるやり方ではないだろうか。

 

子曰く、君子は世を没わるまで名の称せられざるを疾む。

訳:先生は言われた。「君子は生涯をおえるまで、自分の名が称えられないことを嫌う」。

 

先に「人の己を知らざるを患えず」と言っているのに、称えられないようではいけないというのは矛盾していないだろうか、と思ってしまう。自分なりに考えてみると、今人に知られていないことには悩まないが、生涯を終えるまで称えられないということは大したことをしていないということだから良くない、ということではないか。人に称えられる何事かを為さなければ君子とは言えない、ということかもしれない。

 

子曰く、君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。

訳:先生は言われた。「君子は何事も自分に求めるが、小人は何事も他人に求める」。

 

君子は自分の力で事を為し、失敗すればその原因を自分に探す。小人は人の力を当てにして失敗すれば人のせいにする。まさにその通り、というしかない。

 

孔子曰く、益者三友、損者三友。直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益也。便を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは、損なり。

訳:孔子は言われた。「つきあって得をする三種の友人と、つきあうと損をする三種の友人がある。正直な人を友人にし、誠実な人を友人にし、博学の人を友人にするのは、得になる。お体裁屋を友人にし、人当たりはいいが誠意のない者を友人にし、口のうまい者を友人にするのは、損になる」。

 

 まあそうかな、とは思うものの、孔子も損得でつき合う相手を選ぶのか、とも思えてくる。実はこの本の解説でこの個所は「教条主義的で孔子らしくない」と書かれている。孔子の教えが、その死後に形式化していったことを示すものとも書かれているが、実際どうなのだろうか。孔子自身は素行のよくない昔馴染みとも付き合いを続けていたので、こんな損得勘定はしない人だったかもしれない。

 

子曰く、道に聴いて塗に説くは、徳を之棄つる也。

訳:先生は言われた。「道で小耳にはさんだことを、すぐ道で言いふらすのは、徳義を放棄することだ」。

 

さっき聞いたばかりのことを言いふらす。今なら真偽を確かめもせず、何万RTもされているデマツイートをそのまま拡散してしまうようなものだろうか。これが徳の放棄だと言われたらまさしくそのとおりと言うしかない。

 

 

かなり長くなった。これでも全体のごく一部しか紹介できていないが、全体として孔子が言っていることは7~8割くらいは同意できるものだった。とくに、君子と小人の比較など人物評に関してはほとんど納得のできるものばかりだった。2500年近く昔の人物の言ったことにこれだけ納得できるのはなかなかすごい。これは、日本が儒教文化圏であることも関係しているだろう。聖書や自省録を読んでみてもおそらくここまで納得度は高くならないに違いない。

 

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

 

 

単純に読み物としてみた場合、論語は必ずしも面白いものというわけではない。読むのなら韓非子のほうが圧倒的におもしろい。韓非の論理は切れ味鋭く、とにかく身も蓋もないので読んでいてある種の爽快感を感じるのだ。たとえば、韓非は孔子と仁愛についてこう論じている。

 

さらに、民衆というのは権勢には服しても、正義に従うことのできる者は少ない。孔子は天下の聖人である。その行いを修め道徳を明らかにして広い世界をめぐり歩き、世界じゅうがその仁愛の徳を歓迎し、その正義を賛美したが、しかも孔子の門人となってつき従ったものは、わずかに七十人であった。思うに、本当に仁愛を尊重するものは少なく、正義を実行するのは困難であったからだ。だから、天下は広大であるのに、門人としてつき従ったものは、わずかに七十人で、仁義の人は孔子ひとりということであった。

魯の哀公は君主としては下等であったが、国君として南面すると、領内の民はすべて臣下として従った。民衆というものは、もともと権勢に服従する。権勢こそはまことにたやすく人を服従させるものだ。だから、すぐれた孔子がかえって臣下となり、凡庸な哀公がかえって君主となった。孔子は哀公の正義に心を寄せたのではない。その権勢に服従したのである。

 

孔子の説く仁なんてごく一握りの人しか尊重しないんだから、法を整備するほうがはるかに多くの人を動かせるのだというのが韓非の説いたことだ。一見説得されてしまいそうになるが、孔子論語が後世に与えた影響力は絶大だ。後漢の時代には儒教が中国の思想界を覆いつくし、儒教はやがて日本にも輸入され再来年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一も『論語と算盤』を書くことになる。韓非は抜群に頭が切れたが、孔子の影響力だけは読み誤った。今でも論語を読む人は多いし、私みたいな自己啓発とは縁遠い人間でも、読めば納得でき、こうして長文を書いて内容を紹介したくなる。そのような魅力が、確かに論語にはある。