明晰夢工房

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【書評】桑畑がナンパスポット、市場では受刑者の悲鳴……見てきたように秦漢時代の生活を描く『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』

 

 

こんなに秦漢時代の生活がくわしくわかる本はほかにない。当時の人間になりきり、午前五時頃から時間帯ごとに古代中国の民衆の生活を追っていく内容なのだが、扱う対象が幅広く、庶民の服装や食生活などから市場や盛り場の様子、果ては夜の営みにまで及ぶので読んでいて飽きることがない。画像も非常に豊富で、この時代の俑から痰壺、尿瓶、張型など下世話なものもたくさんとりあげているので、ビジュアル的にも庶民の生活がよくわかるようになっている。注記も豊富で、とりあげている話題がどの史料を根拠にしているか巻末にすべて記してあるので、この時代をさらに詳しく知りたい読者にも便利。

 

この本では色恋の話題が多い。古代中国における男女の出会いの場のひとつが桑畑だ。この本の9章で書かれている桑畑での出会いの様子は以下のようなものだ。

 

恋はしばしば道ばたでのナンパではじまる。桑摘みの季節になると、女性たちは桑畑で葉を摘む。それはウメの実が落ちはじめる晩春である。そこに美女がいると、未婚か既婚かを問わず、男性陣はすぐに声をかける。もし佩玉をもらえればOKのサイン。

ある男は妻とともに田畑に出かけ、近くの桑畑で働く美女を口説いている。だが失敗して田畑にもどってみると、妻は怒ってその場を立ち去っていた。なかには数年間の単身赴任を終えて郷里に戻った者が、途中で美女に声をかけたところ、じつは自分の妻だったという、喜劇とも悲劇ともつかぬ説話もある。夫が道ばたで桑摘み中の美女をナンパし、振り返ってみると妻もべつの男性に言い寄られていたとの笑い話もある。(p197-198)

 

男性陣はかなり見境がない感じがするが、OKサインが佩玉というあたりに古代中国らしい風情も感じられる。女性たちが桑畑で働いているのは、穀物以外の収入源として養蚕が大事だったからでもある。女性が麻と絹の生産を担当しているのは「男耕女織・夫耕婦織」を政府がプロパガンダとしていたから、というまじめな解説もあり、農作業の現場から古代中国人の男女観や産業構成を知ることもできる。

 

桑畑では男性は美女にばかり声をかけていたが、美しくて得をするのは女性ばかりではない。男性の場合、美男だと恋愛・結婚だけでなく、就職でも大いに得をする。第6章では役所のようすについて詳しく書いているが、官吏の顔面偏差値は高かったそうだ。この章によると「漢代ではイケメンであることが官吏の採用条件にふくまれることがあった」ので、そうなっているのである。この章ではイケメンの乗る馬車に女性がフルーツを投げ入れる様子まで書かれていて、女性も男性に劣らず美しい異性には積極的だったことがわかる。美しくない男性はどうかというと、「ブサイクが美男子のマネをして街中を闊歩しようものなら、女性陣から唾を吐きかけられる」とある。どうやら古代中国は強烈なルッキズムに支配されている社会だったらしい。

 

第7章の市場の描写も魅力的だ。面白いことに、この時代、いくつかの貨幣が使いわけられている。一番使い勝手がいいのは半両銭や五銖銭などだが、ほかにも麻織物や黄金・穀物などが貨幣として使われていた。市場は多くの人でごった返しており、当然喧騒に包まれているのだが、そのなかに受刑者の悲鳴が混じることもあったらしい。この時代、「棄市」といって罪人が市場で斬首刑になることもあった。イレギュラーな刑罰として「車裂」、つまり車裂きの刑もおこなわれ、運悪く生きのびてしまった受刑者の叫び声が市場に響くこともあった。市場はカオスな空間だったのだ。

 

10章では宴会の様子について書いているが、宴会の途中用を足すこともあるため、話題はトイレにも及ぶ。興味深いのは、この時代のトイレは建物の二階にあり、その下に豚小屋が設置されているものが多いことだ。豚が人間の排泄物を処理してくれるためである。そうして育った豚をのちに人間が食べるので、実に合理的だ。

トイレは歴史を動かす場にもなる。曹操の父・曹嵩や呂布が敵に襲われたときトイレに駆け込んでいるのは、多くのトイレが豚小屋の上にあり、そこから壁づたいに屋敷の外へ逃げやすいからだとこの章では解説されている。曹嵩がどうしてトイレなどに逃げ込んだのか以前から不思議に思っていたが、ここにようやく答えが見つかった。こういう小ネタがたくさん書かれているのが、この本のおもしろさだ。

著者は引き出しが豊富で、この章ではトイレの話からこの時代の痔にまで話が飛んでいる。古代中国での痔の治し方はなんと「他人になめてもらう」である。この治療法についてはさすがに著者も「はたしてだれがおこなってくれるであろうか」と突っ込んでいる。痔もちは穢れているとされたため、祭りで生贄にされることがないメリットもあったというのだが、古代中国の痔の扱いまで書いているのはこの本くらいではないだろうか。

 

 

このように、この本では古代中国人の生活についてかなり細かいところまでとりあげているので、この時代の日常生活について知りたい読者には最適の入門書になる。中国史を学ぶためだけでなく、中華風ファンタジーを書きたい人のネタ本としても絶好の一冊。もちろんただ興味本位で読むだけでも楽しい。古代ローマや中世ヨーロッパでは生活史の本がけっこう出ているが、古代中国史ではこのジャンルで気軽に手にとれるものがあまりないので、その意味でも画期的な一冊といえそうだ。