明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

【書評】秦の軍事制度から古代中国の性差まで多彩な論文を収録した『岩波講座世界歴史05 中華世界の盛衰』

 

 

今年10月から岩波講座世界歴史新シリーズの刊行がはじまった。刊行二冊目になる『中華世界の盛衰 4世紀』では、殷から西晋末にいたるまでの中華世界およびその周辺世界を扱っている。通史を扱っているのは『「中華帝国」以前』『漢帝国の黄昏』『漢人中華帝国の終焉』で、ここを読めば古代中国の通史について一通りおさえることができる。

 

この本は全体として辺境を意識したつくりになっていて、『漢人中華帝国の終焉』では後漢の西北辺境を守備した「西北の列将」がこの時代、国家を支える人材として厚遇されたことを説く。『楽浪と「東夷」世界』『漢晋期の中央アジアと中華世界』では中国東西の辺境世界についてそれぞれ概観し、『漢魏晋の文学に見られる華と夷』では李陵や王昭君など夷狄の地に送られた人物と文学の関係について論じている。このため中国だけでなく周辺世界について知りたい読者にもおすすめできる。

 

この本に収録されている『軍事制度から見た帝国の誕生』は、なぜ秦が他の戦国六国を征圧できたかを考えるうえで役に立つ。荀子は秦について「民は軍功をあげる以外に国から利益を得る方法がない」と指摘していたが、この論文は秦の軍功報奨制度を概観しつつ、荀子の主張を裏づけていく。秦では敵の首級をひとつあげると爵一級が与えられたが、一級でも爵位を獲得すると支給される耕地の面積が増やされた。爵位は子孫にも継承されるためこれを得るメリットが大きく、兵士を戦場で勇敢に戦わせるうえで役立っていたと解説されている。

秦では兵役や徭役労働も細かく整備されている。重要なのは秦では物資輸送など、徭役労働にまず動員されたのが刑徒だったことだ。刑徒を徭役に用いれば生産活動を阻害しない。もちろん刑徒だけでは労働力が足りないが、一般人民を服役させるときは農繫期には富者・農閑期には貧者を派遣するなどして生産活動を安定させる配慮がなされている。荀子が称賛した軍功報奨制度は、こうした制度と連動して機能していたとこの論文では結論づけている。秦が刑徒労働に頼ることができたのは、それだけ秦の法が過酷だったからなのだろうか。

 

岩波講座世界歴史の新シリーズはジェンダーにも焦点を当てることが特色だが、この巻では『礼秩序と性差』でどのように古代中国における性差が形成されてきたかを解説している。この論文によると、古代中国における男女の差異を強調しているのが『春秋左氏伝』荘公二十四年で、ここでは「男女の別は国家の大いなるけじめ」と記されている。春秋時代においてすでに、両性を分ける思考は存在していたことになる。「男女の別」は『礼記』にもみえるが、男女の区別を軽んじることが国家や社会の混乱につながるという考え方が儒家の礼理念のなかにあらわれていることがわかる。

儒家の考える「男女の別」の中身は、結婚観に最もよく見てとることができる。『礼記』では妻が夫に従うべき存在であると明言している箇所があるが、これが婚姻における「男女の別」になる。妻は家を存続させるため出産の役割を期待され、そこでは個人より家の論理が優先される。こうした男性優位の文化は二里頭文化の時代にすでに存在していたようだが、戦国時代には西周時代に比し、夫の墓に対して妻の墓が小さくなるなど、さらに男女の差異が大きくなっていった。『礼記』は戦国時代から前漢時代にかけて成立した書物なので、この時代の男性中心的な価値観が反映されていることがわかる。戦国時代は人材が諸国間を移動するダイナミックで自由な時代というイメージがあったが、性差という点からみると窮屈な点もあり、この論文を読んで少し印象を新たにした。