明晰夢工房

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ウクライナに直接千羽鶴を送った人はいなかったらしい(ロザンの部屋の感想)

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ロザンの二人が「ウクライナに折り鶴」の件について語っているのをきのう知った。この動画で宇治原史規が語っているところによると、戦地のウクライナに直接折り鶴を送ろうとした人は確認できなかったそうだ。「ウクライナに折り鶴」議論のスタート地点は、障害者就労移行支援施設の利用者がウクライナ大使館へ折り鶴を送ろうとしたという話で、これも実行はされていない。なのに多くの人が「戦地に役にも立たないものを送りつけようとした人がいる」という前提で議論している。以下の記事でもこの点を指摘している。

 

news.yahoo.co.jp

 

送り先がウクライナ大使館でも、やっぱり折り鶴は送らないほうがいい、という意見はありうる。現にロザンの動画のコメントでもそうした意見は多く見かける。いっぽうで、大使館にだったら送ってもいいのでは、という意見も少なくない。どちらが正しいにせよ、ウクライナに直接送るのと、大使館に折り鶴を贈るのとでは印象がかなり変わってくる。先の動画で宇治原史規は「ウクライナ大使館の人は日本文化にくわしいだろうし、折り鶴をもらったら嬉しいもしれない」と話している。送り先がウクライナならこうした意見は出てきようがない。

 

いつから「折り鶴を戦地に送る人」などいういもしない人が叩かれ始めたのか、とロザンの二人は首を傾げている。ネットの伝言ゲームで情報がねじ曲がっていくのはよくあることだが、なぜこの方向にずれていったのか。ロザンの動画のコメントでは「折り鶴は当人に直接渡す印象が強すぎるから」という指摘がある。そうかもしれない。加えて、東日本大震災のイメージがある。被災地に折り鶴が大量に送られてきて処分に困った、といった話を多くの人が耳にしている。このイメージが現代に重ねられ、「戦地に折り鶴を送る困った人」という虚像がつくりだされた可能性はある。だが、あまり心のきれいでない私は、もっと別の可能性を考えてしまう。「戦地に役にも立たないものを送りつける愚か者」の存在を、じつは我々自身が待ち望んでいたのではないか。

 

最近、カルト的な反ワクチン団体のニュースをよく目にするようになった。ワクチン接種は人口削減が目的だとか、爬虫類型の生命体が人に擬態しているだとか、その主張はあまりに荒唐無稽だ。いい年をした男女が光の戦士を自称し、自分たちだけがこの世の真実に目覚めていると叫ぶさまは、多くの人々の失笑を買っている。そうした面があるからこそ、この団体はニュースになる価値がある。「愚か者を指さして笑いたい」という潜在的願望にこたえてくれる存在だからだ。陰謀論者は笑われるだけの理由はあるが、見下せる相手がほしい、愚か者を笑って憂さを晴らしたいという気持ちは、事実を都合のいい方向にゆがめることもある。ウクライナ大使館に折り鶴を送ろうとした人がいる、では叩く対象としてはちょっとインパクトが足りない。戦地のウクライナに折り鶴を送ろうとした人がいる、のほうがより不適切な印象になる。水も食料も足りないなかこんなものを送られる側の気持ちにもなれ、と叩く正当性が出てくる。「ウクライナに折り鶴を送りつける人」は、「安全に笑える愚か者」や「叩けば正しさポイントが稼げる対象」が存在してほしい、という願望のつくりだした幻だったかもしれない。