明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

ゲームブックはファミコンを買ってもらえなかった子供たちの心の隙間を埋めてくれた

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イアン・リヴィングストンとスティーブ・ジャクソン、このゲームブックの両巨頭の名を懐かしく思い出す人は多いだろう。80年代後半、日本にファンタジーというジャンルが根付きつつあった時代、ゲームブックもこの世界への入り口として大きな役割を果たした。この時代に子供時代を過ごした私にとり、ゲームブックの存在は福音だった。宮崎英高氏と同様、親にファミコンを買ってもらえなかった子供が唯一自宅で遊べる「ゲーム」がファイティング・ファンタジーであり、ソーサリーシリーズだったのだ。ひとたび手に取れば、そこには暗く、薄汚く、猥雑な物語世界が待っている。おどろおどろしいタッチの挿絵に誘われ、ダイスを片手にページを繰れば、いつしか心はバルサスの要塞や城塞都市カーレ、マンパン砦の中をさまよい歩いていた。ゲーム機を部屋に置くことを許されない子供にとり、ゲームとは読んで味わうものだったのだ。

 

ゲームブックがありがたかったのは、それが本の形をしていることだ。仮に私がゲーム機を友達から借りてきたとしても(一度やったことがある)、部屋で遊んでいたらすぐ親にばれてしまう。ボリュームを最小にしてこっそり遊べたとしても、後ろめたさはぬぐい去れない。その点、ゲームブックはいい。傍目には読書に没頭しているように見える。いや、ゲームブックは本だ。そこに魅力的な文章があり、物語が書かれているのなら、それを読むことは読書に他ならない。本だから持って歩けるのもいい。私は学校にも旅行先にもゲームブックを持っていったし、枕元にも置いていた。いつでもどこでも読めて遊べるお手軽さは、テレビゲームにはない独自の強みだったといえる。ゲームブックは史上初の携帯ゲームだ、といっては言いすぎか。

しかし一方で、ゲームブックは紛れもないゲームなのだ。物語が分岐し、モンスターとの戦闘が用意されていて、連れていく仲間も選べるのだから。進行と結末が自分の手に委ねられているという緊張と興奮が、ゲームブックへの没入感を深くしてくれる。私はあまり本を読まない子供だったが、活字で物語を追う愉しみを、ゲームブックが初めて体験させてくれた気がする。ゲームブックにBGMはない。ビジュアルも挿絵と地図くらいしかない。それだけに、当時の子供たちは想像力をフル回転させ、ゲームブックの世界を旅していた。それは他のどんな創作物が与えてくれるものにも劣らない、豊かな体験だったのだと思う。

 

ゲーム機に触れられない子供たちにとり、ファイティング・ファンタジーやソーサリーシリーズは初めて遊ぶ「洋ゲー」だった。これらの作品は、テレビゲームを遊べない子供たちの渇きを癒してくれていた。だが、当時の子供たちにとり、海外のゲームブックだけが大事だったわけではない。ドラゴンクエストが一世を風靡していた時代、級友たちが皆その話題で盛り上がっていた時代、私はあの魅惑的な剣と魔法の世界へ旅立つことができずにいた。ファミコンMSXもない家庭ではどうしようもない。ソーサリーがいくら魅力的でも、それだけでは埋められない心の隙間もある。

 

そんなとき助けになったのも、やはりゲームブックだった。あの時代、ドラゴンクエストゼルダの伝説のような人気タイトルは、けっこうゲームブック化されていた。どういうわけかゼビウスゲームブックまで発売されていた。そんな時代だったから、迷わずドラクエゲームブックも手に取った。ドラゴンクエスト3ゲームブックはなかなか凝っていて、商人や遊び人を仲間にすることもできた。遊び人が後に賢者に転職するのはお約束。この遊び人はバギクロスで敵を一掃して頼りがいのあるところを見せるも、ノリは遊び人のままというキャラクターになっていた。ゲームのドラクエ3と違って仲間にはそれぞれ個性があり、しっかりストーリーを盛り上げてくれる。そんな独特の良さを持ったこの作品は、海外のゲームブックほどの深さはないとしても、本の形でドラゴンクエストを体験させてくれる、ありがたい存在だった。

 

昭和末期を一瞬の風のように吹き抜けたゲームブックの流行が去ると、私もこの世界には見向きもしなくなってしまった。普通の小説を読むようになったせいもあるし、店頭で見かけなくなったものを追いかけるわけにもいかない。だが大人になっても時おり記憶の蓋が開き、間欠泉のように当時の思い出が噴き出してくる。テレビゲームで遊べなかったからこそ、子供たちにとっての唯一の「読むゲーム」体験は、深く心に刻まれている。今でもときどきすべてを放り出し、記憶を消したうえで富士見ドラゴンブックの名作『鷹の探索』を楽しみたい、などと思うことがある。あれほど味わい深いマルチエンディングの作品はめずらしい。いずれ14へ行くことになる儚い人生のなか、このような作品に出会えたのは幸運だったのだろうか。