明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

有料記事は自分が読みたい記事を書けばいい

はっきり言うと、有料記事はブロガー間格差拡大サービスだと思っている。記事を売ることで有名ブロガーはさらに豊かになるチャンスが広がる。人気者が知名度だけでなく富も手にする一方、知名度のない人にチャンスは少ない。誰でも記事を売れるようになったのはいいとして、無名な人が記事を売る意味なんてあるのか。ここで無意味だ、と結論づけるのはあまり面白くない。それでは格差拡大を追認しているだけだ。知名度がなくても記事を売る方法はないか、自分なりに考えてみた。

 

文章を売ろうとするなら、まず買う側の気持ちを理解しなくてはならない。だが読者の気持ちを推しはかるのは難しい。自分自身がいつも書き手の側から考えているからだ。でも、読者の気持ちがわからなくても、自分の気持ちならよくわかっている。つまり、自分が読みたくなる記事を書けばいいのだ。どんな文章なら買いたくなるか。まずは、「今悩んでいることを解決してくれる記事」だ。この時悩んでいたのは、「有料記事を書いて売れなかったら時間の無駄になり、後悔するのではないか」ということだった。

 

saavedra.hatenablog.com

というわけで、自分自身の悩みにこたえる記事を書いた。私はこれを書いた時点では記事を売った経験がないから、「無名な人でも記事を売る方法」は書けない。でも、「記事が売れなくても有料記事を書くメリットがある」という話ならできる。売れなければみじめな思いをするんじゃないか、という自分を励ますには、記事を売る以外のメリットを提示する必要があった。こういう話は有名な人にはできない。有名ブロガーは自分の記事を買ってくれる人がいるのが当然、という前提に立つ。せっかく書いたのに売れなかったらどうしよう、という悩みがわからないのだ。でも私ならそんな人と同じ目線に立つことができる。ここに、無名ブロガーが記事を書く意味が生じる。

 

saavedra.hatenablog.com

以前、無名な人には「無名控除」がある、という話をした。無名な人は無名ゆえに、ブログ方針を変えたり、デリケートな話題に言及しても怒られない、といった話だ。だが有料記事を書いてみて、無名であることにはもっと積極的な意味があると考えるようになった。有名ブロガーの高みからは見えない光景が、無名な人には見えるのだ。いつも大量にブックマークされている人に、記事を読んでもらえない悲しさが理解できるのか。できますよ、と言われたところで、それはそういうポーズを取っているだけでしょう、と私なら思う。有名人にも無名時代があったかもしれないが、現役で無名な人のほうが、より無名な人の気持ちを理解できるのではないだろうか。

 

そう考えて記事を書いてみた結果、記事は売れた。得られた結果はささやかなものだが、自分としては満足している。買ってくれた方にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。ありがとうございます。有料記事を書いたのは無名な人の記事は本当に売れないのか、という実験の意味もあったが、とりあえず実験結果は得られたので、今のところは継続して有料記事を書く気はあまりない。また何かしらの悩みが生まれ、その悩みに自分で答えを提示できそうなら書くかもしれない。自分と同じ悩みを持っている人が三人くらいはいるだろう、と思うからだ。ここまで有料記事の話をしてきたが、無料記事にも同じことが言えるかもしれない。この世のどこかにいる「ご同類」にどうリーチするか、それを考え続けることで見えてくる風景があるのではないだろうか。