明晰夢工房

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「反薩長」の立場からは幕末はどう見えるのか──半藤一利『幕末史』

 

幕末史 (新潮文庫)

幕末史 (新潮文庫)

 

 

半藤一利氏は夏休みになると毎年、体を鍛えるために父の生家である長岡に行かされていたそうだ。ご存じのとおり、長岡藩は河井継之助を先頭に新政府軍に抵抗した藩である。自然、反薩長歴史観を聞かされることになり、それまで学校で叩き込まれていた皇国史観薩長を中心とした幕末史がかなり修正されることになる。

 

こうして「薩長嫌い」になった半藤氏が幕末史をわかりやすく語り下ろしたのがこの『幕末史』だ。前書きでも本人がこれから書くことは「反薩長史観」と断っている通り、本書は類書に比べて薩長には厳しい立場だ。しかし幕府や会津が正しかったとしているわけでもなく、特に慶喜にはかなり手厳しいことも書いている。全体として、公平な記述という印象を受ける。

 

「反薩長」の半藤氏からは、戊辰戦争などはする必要のない、馬鹿馬鹿しい戦いだったとうことになるらしい。半藤氏に言わせれば、倒幕に反対していた龍馬を暗殺した黒幕も薩摩だということになる。明治天皇本人も知らない討幕の密勅を作り上げ、クーデターを起こした薩長からすれば確かに龍馬は邪魔になる。

新政府軍が「官軍」と名乗っていることにも半藤氏は怒りを隠さない。そのため、本書ではあくまで新政府軍を「西軍」と書いている。なんら正当性のない「西軍」が幕府側の「東軍」と戦ったのが戊辰戦争の実態だ、ということで、どの藩もそれこそ関ヶ原の戦いのように西軍と東軍のいずれに付くか迷っていた、とも書かれている。多くの人は薩長が徳川に代わって新しい幕府を作るぐらいの認識だっただろうから、実際そんなものかもしれない。本当かはわからないが、島津久光が「儂はいつ将軍になれるのか」と言ったというエピソードも本書では紹介されている。

 

そもそも薩長の側からして、倒幕後の青写真を全く描けていなかった、と半藤氏は言う。だからこの『幕末史』は戊辰戦争では終わらず、明治政府が廃藩置県や徴兵令などの改革を次々と打ち出し、西南戦争が終わるところまでを描いている。ここでようやく「幕末」が終わった、というのが半藤氏の認識なのだ。士族側の最後の抵抗が西南戦争だとも言えるから、確かにここまで書く必要はある。

その西南戦争を起こした西郷隆盛は半藤氏から見ると日本の毛沢東、ということになる。詩人で革命家で農本主義者、と言われれば共通点がないこともない。人間像はだいぶ異なっているとは思うけれども。とはいえ半藤氏は別に西郷を嫌っているわけではなく、むしろかなり好きであるらしいことは文面から伝わってくる。反薩長とは言いつつもこうした個人的な好悪がにじみ出てくるあたりはプロの歴史家でない人の書くものの面白みだ。

 

まえがきで半藤氏が司馬遼太郎の「幕末のぎりぎりの段階で薩長というのはほとんど暴力であった」という台詞を引用しているが、それがどういう意味なのか、が本書を読んでいるとよくわかる。よく司馬史観薩長を持ち上げすぎだとか言われるが、司馬自身も薩長の暴力性はよく理解していたのだ。司馬の編集者も担当していた半藤氏の描く幕末史も、その見方を受け継いでいる。

薩長が幕末において振るった「暴力」は、振るう必要のない暴力だっただろうか。廃藩置県が成功した要因として、よく「多くの藩が戊辰戦争で財政的に窮乏し、抵抗する力がなかったからだ」と指摘される。もし戊辰戦争が起きていなければ、藩には近代化に抵抗する力が温存され、廃藩置県はスムーズに進まなかったかもしれない。こんなことを考えてしまうのも、半藤氏に言わせればそれだけ薩長を中心とした歴史が刷り込まれているからだ、ということになるのかもしれない。半藤氏が言うとおり、歴史とは多くの見方ができるものだから、時には本書のような「反薩長」の側から見た幕末史を知ることも有益だろう。

西郷隆盛の銅像の謎から最後まで1冊でわかる『西郷どんと呼ばれた男』

 

西郷どん(せごどん)とよばれた男

西郷どん(せごどん)とよばれた男

 

西郷隆盛銅像の謎

 

大河ドラマの予習をする場合、やはり時代考証を担当している人が書いたものを読むのが間違いがない。その意味で、2017年大河『西郷どん』の時代考証を担当する著者の書いた本書は安心して読める。

 

本書の面白いところは、まず西郷隆盛の容姿から話が始まっているところだ。

西郷隆盛の写真が残されていないため、西郷の容姿は有名な上野の銅像を誰もが想像する。しかし、あの銅像を見て「こげんお人じゃなかった」と言った人がいる。

 

こう言ったのは西郷の3人目の夫人、糸だ。この話は作家の海音寺潮五郎が西郷の孫に当たる西郷吉之助から聞いた話ということで、西郷像は実際の西郷隆盛には似ていない、という説の根拠になっている。

 

しかし本書によれば、糸の言った「こげんお人じゃなかった」というのは、「容姿が似ていない」という意味ではないようだ。糸が言っているのは「夫はあんな無様ななりで人前に出ることはなかった」ということであって、容姿のことではない。

作者の高村光雲は本当は陸軍大将の服を着ている姿にしたかっのだが、建設委員に一時は賊軍の大将だった西郷が軍服を着ているのは穏やかではないと言われ、結局ウサギ狩りをしている姿になった。糸夫人からすればそれが良くなかったらしい。似ているからこそ普段の姿と違う銅像が残ってしまうのが嫌だったのだろう。

 

海音寺潮五郎は西郷に最もよく似ていると言われた孫の西郷隆治氏を電車の中で見かけたときのことを「あれほど見事な男ぶりの人を見たことがない」と述懐している。178センチの(当時としては)巨漢で目鼻立ちのはっきりした西郷は、風貌だけでもずいぶんと目立つ人だっただろう。

 

 剣術を諦めた少年時代

これだけ体格に恵まれていたのだから、西郷が武道の道に進む可能性もあったかもしれない。西郷は御小姓与という、薩摩の身分制度では下から2番めの身分になる。しかし、龍馬が千葉道場に入門したように、身分が低くとも剣や学問に秀でることで身分の壁を超えることもできなくはない。

だが、西郷は剣の道に進むことはできなかった。西郷の評判を妬んだ横堀三助が西郷に斬りかかり、右肘を痛めてしまったからである。これでは示現流も存分に使うことができない。結局、西郷は剣の道は諦めて学問で身を立てることを願うようになる。

 

その際号が最初に就いた役職が郡方書役助である。郡方書役は農政にかかわる役人で、その年の年貢を決める権限を持っている。西郷の仕事はその助手だ。ここで西郷は、優れた上司である迫田利済の影響を大いに受けることになる。

農民を思いやる気持ちの強い迫田は台風の被害の強い年に薩摩藩に減税を願い出ているが、聞き届けてもらえなかったために辞職している。この時西郷もともに辞職を願い出ようとするが、迫田は職に留まって民のために力を尽くせと諭したという。結局、西郷はこの職を十年間務めた。

 

郡方書役助として働くかたわら、西郷は青少年の教育係のリーダーである二才頭を務めている。西郷は朱子学の入門テキストである『近思録』を購読する会をしばしば開いていたが、この購読会は後に「誠忠組」として薩摩の藩政を動かしていく存在になる。

 

島津斉彬に才能を見出される

こうして農民の窮状を自分の目で見た経験が、やがて西郷を歴史の表舞台に引き上げていくことになる。西郷が最初に藩に出した意見書は、薩摩のお家騒動「お由羅騒動」に関するものだった。斉彬の藩主就任を邪魔した者たちを斉彬が罰しなかったことを、西郷は批判したのである。

斉彬はこの意見書に対し、丁寧な返答を送っている。一下級藩士の意見に真剣に向き合おうとする斉彬は、西郷の農政批判にも目を通している。郡方書役助としての経験がここで活きることになった。西郷の批判は「この国ほど農政が乱れているところはない」というほどに厳しいもので、江戸で生まれ育った斉彬には薩摩の実情を教えてくれる西郷の存在は貴重だったと本書では指摘されている。

 

ペリーが来航し、阿部正弘に要請されて出府することになった斉彬は西郷を伴に加えることになった。そして江戸で西郷が任じられたのが「御庭方役」である。表向きは植木職人のような仕事だが、庭で直接斉彬と接することができるためスパイ的な役割を背負ったとも言われている。

西郷と直接接するようになった斉彬は、藤田東湖など他藩の人間に積極的に西郷を紹介している。江戸で見聞を広めた西郷はやがて斉彬の意を受け、一橋慶喜を将軍の座につけるため活動することになるのだが、斉彬の死と井伊直弼の台頭のため、この計画は中座してしまう。雄藩との協力で国難に対処しようとしていた阿部正弘の路線を、井伊直弼は認めない。水野忠邦のように雄藩を抑圧し、再び幕府が政治の主導権を握ることを井伊は目指していた。

 

井伊の引き起こした安政の大獄で西郷も窮地に追い込まれ、勤皇派の僧月照にも追求の手が伸びてきた。薩摩藩は西郷に月照の殺害を命じるが、斉彬が死んだときに殉死しようとした西郷を止めてくれた月照を西郷は斬ることができない。

結局月照とふたりで入水して果てようとした西郷だったが、自分だけが蘇生してしまい、生き残った西郷は奄美大島への潜伏を命じられることになる。

 

奄美大島で見た薩摩の圧政の実態

奄美大島で西郷が過ごした3年間は、西郷にとり最も私的には充実した期間だったという。二人目の妻である愛加那をこの地で娶り、島民からも慕われている。

西郷がこの島で見たものは、薩摩の圧政に苦しむ島民の姿だった。奄美大島の特産物は黒糖だが、この黒糖を専売にすることで薩摩の財政は支えられていた。

ある時この黒糖を持ち出したとして、島民が拷問を受けた。自らが関わった篤姫の輿入れや慶喜擁立には多くの工作資金が必要だったはずで、その活動が島民を苦しめていたのだ。西郷は役人と直談判し、この島民を釈放させている。農政の役人がキャリアの始まりだった西郷は、島民の実情に心を痛めていたに違いない。

 

西郷の召喚と寺田屋事件

 しかし、この島での生活も長くは続かなかった。井伊直弼に反発し薩摩で勢力を強めた誠忠組の暴発を抑えるため、大久保利通が西郷を呼び戻すことを島津久光に願い出たからである。

西郷をリーダーと仰いでいる誠忠組を抑えられるのは西郷しかいない。ようやく帰還した西郷は、斉彬の遺志を継いで出府しようとする久光を「地ゴロ(田舎者)」と批判した。

これは藩主だった斉彬とは違い、「国父」でしかなく江戸で活動したこともない久光の弱点を正確に衝いたものだが、人は本当のことを言われると怒るものだ。久光は明治19年、この時から25年後にも史料編纂員にこの話を語っているが、いかに久光の怒りが大きかったかがわかる。

 

結局久光は兵を率いて京へ向けて出立するのだが、これが各藩の攘夷派を勢いづかせる結果となり、多くの者が京へと向かった。西郷は彼等の暴発を抑えるため京へ急いだが、命令を無視して西郷が九州を離れたことに久光は激怒する。

久光の出府は公武合体のためではなく倒幕のためだと思いこんでいる誠忠組過激派も、自分に全て任せて待てという西郷の説得を聞き入れたものの、久光は西郷の行動を扇動だと思いこんでいた。西郷が薩摩に戻った後、久光は寺田屋に集まっていた攘夷派を粛清し、薩摩藩士同士が殺し合う結果となった。幕末最大の悲劇、寺田屋事件である。

 

沖永良部島への流罪から長州征伐

 罪人となり沖永良部島へ流罪が決まった西郷は、今度は四畳一間の空間で過酷な牢獄生活を強いられることになる。西郷のいない間、薩摩は久光の引き起こした生麦事件をきっかけにイギリスと戦争になり、鹿児島城下の一割が焼失した。

しかし薩英戦争は薩摩の一方的敗北だったというわけでもなく、実際には世界最強のイギリス艦隊も多くの死傷者を出し、横浜へと撤退している。ニューヨーク・タイムズはこの戦争を「この戦争によって西洋人が学ぶべきことは、日本を侮るべきではないということだ」と報じている。

 

京都では八月一八日の政変が起き長州が京都政界を追放されるが、寺田屋事件で多くの志士を殺害した薩摩の失った信用は大きい。失地回復を図るために結局西郷の力が必要になり、再び西郷は久光に召喚されることになる。

愛加那に終の別れを告げ、京に戻ってきた西郷の最初の仕事は、密貿易で儲けている薩摩への反発を和らげることだった。すでに資本主義の海に投げ込まれていた日本からは綿や茶の輸出量が増加し、これらの物品の価格が上昇していたが、その原因が薩摩に帰せられたのである。西郷は薩摩商人の取り締まりを命じてこれに対処した。

 

そして、池田屋事件をきっかけに蛤御門へ攻め寄せた長州兵を西郷は撃退している。この戦いは西郷の名を大いに高めた。その後、第一次長州征伐で交渉役を任された西郷は尾張藩主・徳川慶勝に戦わずに恭順させることが良策だと訴え、結局長州は戦わずして降伏している。

西郷は最初は長州と戦うことを訴えていたのだが、それは西郷のブラフであったとも言われる。なんとなく人格者のようなイメージのある西郷だが、この時点での西郷は一流の策略家だ。そして、「薩賊会奸」と下駄の裏に書いて歩くものがいるほど反薩摩の感情が強い長州に乗り込む西郷は、人並み外れた胆力の持ち主でもある。今後、西郷は要所要所でこのインテリジェンスと胆力を何度も発揮することになる。

 

薩長同盟から倒幕まで

西郷と坂本龍馬との関係は、勝海舟の海軍操練所が廃止されたために西郷に龍馬が援助を求めてきたことに始まる。歴史家の磯田道史は、龍馬の真価を「坂本海軍」を創設したことだと『龍馬史』で評しているが、この頃航海士の不足していた薩摩にとって龍馬の持つ航海技術は確かに必要なものだった。

 

家老の小松帯刀とともに亀山社中の設立を助けて龍馬との関係を深めた西郷は、結局龍馬の仲立ちで薩長同盟を成立させることになる。薩長同盟が成立した三日後、寺田屋で幕府の役人に襲われ負傷した龍馬に霧島での療養を勧めたのは西郷だったと言われるが、本書によれば実際に勧めたのは小松帯刀だったらしい。

 

薩長同盟が成り、薩摩を失った幕府は第二次長州征伐に失敗した。幕府の弱体化を見て取った西郷は、倒幕も視野に入れて行動するようになる。大政奉還が成ってもまだ幕府の力を奪うには不充分であるから、小御所会議では慶喜の辞官と領地返還に反対する山内容堂を抑えるため、休憩時間に助けを求めてきた薩摩藩家老に「いざとなれば短刀一本あれば片付く」と言ったとも伝えられている。この発言が土佐藩に伝わったため、会議が再開された後は反対は出なかった。

 

 慶喜は一度江戸に戻ってしまうが、西郷が江戸に送りこんだ益満休之助が江戸を撹乱したため、怒った慶喜は薩摩を討つため京都へ進撃することを決める。この西郷の活動には本書では触れていないのだが、西郷を「偉人」として書きたかったためだろうか。いずれにせよ、西郷の挑発に乗せられた慶喜は錦の御旗を見て戦意を喪失してしまったため、鳥羽・伏見の戦いは幕府の敗北に終わった。歴史家の井上清はこの間の西郷の働きを「西郷の大謀略」と評している。こうした容赦のない策士としての働きも、西郷の一面であることは間違いない。

 

日本史最大の奇跡・廃藩置県

 

勝海舟との会談で江戸城無血開城させた後、西郷は奥羽戦争でも指揮を採っているが、庄内藩の処置をすませるともう自分の仕事は終わった、と薩摩に帰っている。しかし、明治政府は西郷の胆力をまだ必要としていた。

倒幕後の青写真を何も描いていなかった薩長にとり、むしろここからが明治維新の本番だと言ってもいい。何しろ藩はまだそのまま残っている。これを解体してしまわない限り、本当に幕府を倒したことにはならない。

 

廃藩置県を実行する前に、まずは明治政府の軍隊が必要になる。この兵はいざとなれば島津の殿にも弓を引かねばならない、という山県有朋の念押しをあっさり承諾し、西郷は御親兵1万を組織する。どこの藩のものでもない天皇直属の軍隊を作った西郷は、この力をバックにいよいよ廃藩置県へと踏み出すことになる。

 島津久光をはじめ、全国の大名からの強力な抵抗が予想されたが、結局「もし暴動が起きたら自分が鎮圧する」という西郷の一言が後押しとなり、廃藩置県は発布された。パークスに言わせれば、欧州では数年間戦争をしなければできないような大改革が、血を流すことなく成し遂げられた。西郷の胆力と人望なくして、この大改革は不可能だっただろう。

 

そして、西郷は徴兵令にも手をつけている。戦争のプロであるはずの武士を解雇することになるこの政策には抵抗が大きく、実際にこの政策を進めていた山県有朋は一度は辞職せざるを得なかった。しかし、西郷が「この上なお山県中将の責任を追求するなら、この西郷が相手をする」と言ったことによって反対派の勢いが急に衰えている。ここでも西郷の権威は必要とされていた。こうして自らが作り上げらた近代的軍隊と、いずれ西郷は西南戦争で戦わなければいけないことになる。

明治六年の政変から西南戦争まで

 「西郷は征韓論など唱えていない」という主張がある。本書もその立場だ。というのは、朝鮮に対して武力行使を行うべきだという主張に対し、あくまで礼儀正しくこちらの意図を説明するべきだと主張したのが西郷だ、というのである。このような西郷の立場を、本書では「遣韓論」と説明している。

自分に護衛兵を付けることにすら反対したこの時の西郷は、第一次長州征伐の折に交渉のため敵地に乗り込んだときの姿に重なる。胆力が服を着て歩いているような西郷ならではの提案だが、この「遣韓論」は大久保利通に阻止され、西郷は下野することになった。

 

再び薩摩に帰った西郷は私学校の吉野開墾社を設立し、自らも鍬を握っている。若い頃農政の役人だった西郷にとり、殖産興業を盛んにしようとする大久保のやり方よりも農業に力を入れるほうが性に合っていたらしい。この間、西郷は大山巌から欧州訪問の誘いを受けているが、断っている。西郷が一度でも欧州の繁栄を見ていれば大久保の政治姿勢も理解できたかもしれないし、西南戦争も回避できたかもしれないが、西郷にとっては遠い海外の地を踏むよりも目の前の大地を耕し、若者を指導することのほうが大事だった。

 

西郷が下野してからも廃刀令や家禄の支払いの中止など、武士の誇りと生活の糧を奪う政策が実施されている。士族の多い私学校の生徒は当然不満をつのらせ、西郷に期待を託すようになる。私学校の影響力を恐れた政府は密偵を送り込むが、私学校の生徒に捕まった密偵は西郷を暗殺する計画があったと白状してしまう。

これを聞き、生徒達が県内各地の施設を襲撃し、明治政府が差し押さえようとしていた武器弾薬を奪ったことがきっかけで、西郷は決起せざるを得なくなる。生徒達を政府に犯罪者として引き渡さないのなら、自らが彼等のリーダーとして挙兵しなくてはならない。

 

ここで西郷は、「おいの身体は差し上げもそ」と言っている。この言葉を、著者は「西郷が自己決定を諦めた結果」のものだと説明している。実際、西南戦争において西郷は作戦を立てることもなく、陣頭で指揮を採ってもいない。戦うのは本意ではなかったということになる。

では、西郷はなぜ戦ったのだろうか。ここから先は憶測だが、西郷は廃藩置県や徴兵制など、武士の特権を剥奪する改革に深く関わっている。近代国家を作るために必要なことだったとはいえ、西郷の力が日本から武士階級を消滅させることになったとも言える。

そのことに対し、西郷なりに責任を感じていたのではないだろうか。だから、西郷は士族の多い私学校の生徒たちの不満を一身に引き受けなくてはならなかった。しかし武士階級の軍隊も装備の優れた明治政府の兵士に勝つことができず、西郷は城山で別府晋介に首を打たせて果てた。武士が徴兵された百姓や町人の兵士に敗れ去った西南戦争で、ようやく封建制の最後の抵抗が終わった。西郷隆盛は文字通り、明治のラスト・サムライだった。

 

西郷隆盛という人物をどう評価するか

個人的に幕末史に疎いこともあり、西郷隆盛の一生を追うのはけっこう骨が折れた。「敬天愛人」のような言葉を好んでいたことにも見られるように、「偉人」「哲人」のようなイメージのつきまとう西郷なのだが、その一生を眺めてみると、まず際立っているのはそのとてつもない胆力だ。そしてその胆力が優れたインテリジェンスを活かすのに役立っている。松平春嶽徳川慶喜を評して「才知が優れていても胆力がなければ意味がない」と言っていたそうだが、西郷はその両方に恵まれていた。こうした力が、明治維新の推進力になっている。大きすぎる人望の影に、こうした能力が隠れて見えにくくなっているという印象がある。

 

西郷の扱いは、中国史における劉邦劉備の扱いに近いのではないかと思う。人望があるために多くの人に慕われる、みたいなイメージなのだが、実際のところ、動乱の時代に人望だけで人を動かしていくことなど不可能だ。実際は劉邦劉備もかなり有能な人物だったのではないかと思う。西郷の人望がずば抜けていたことは間違いないのだが、それ以上に西郷は有能な指導者であり、革命家だった。

 

 このような西郷が、明治の世を平穏に生きていく術はなかったのだろうか。あまり論理的ではない言い方になるが、歴史はそれ自体が意志を持っている、と言われることがある。時代が必要としているうちは、その人物の役割を歴史が用意するのだ、ということである。歴史が最後に西郷に与えた役割とはなんだろうか。西郷は西南戦争の折、徴兵制で作り出された明治政府の軍隊の戦いぶりを見て、「よく戦っている」と言ったともいわれている。西郷は自らが作り出した近代国家の軍隊に時代の主導権を渡すことで、ようやく「幕末」の幕を引くことができた、ということなのかもしれない。

おんな城主直虎「信長、浜松来たいってよ」信長被害者の会が団結する熱い展開に唸らされる

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最近、このドラマには本当に毎回驚かされる。

 

歴史ドラマの難しいところは、結末を皆が知っているということだ。

真田信繁大阪夏の陣で死ぬことも、信長が本能寺で討たれることも、知らない人はいない。

だから大河ドラマの脚本は、そこに至るまでの過程をどう描くか、が勝負になる。

 

本能寺の変など、今まで大河ドラマでは何度も見てきたし、視聴者もそろそろ飽きている頃合いではないかと思う。

だから、ここは生半可な演出では目の肥えた視聴者を満足させることはできない。

いつも通り光秀が信長に足蹴にされていたり、金柑頭と罵られて恨みを募らせていくところを今さら見せられても仕方がないのだ。

 

そこで、このドラマでは驚いたことに、信長が家康を京に招いた上で家臣ともども皆殺しにする、という計画を立てていることにした。これに対して家康側が逆襲を仕掛ける、というのが今回のドラマの筋書きだ。

この信長の計画をここで突然持ち出されたら、いかにも不自然に感じる。しかし、信康事件からずっと「魔王」としての信長の残酷さを執拗なまでに描いてきたこのドラマでは、信長が家康の謀殺を企んでいてもなんら不自然には感じない。今までの伏線が見事に効いている。この信長なら武田を滅ぼして用済みになった家康を暗殺するくらい平気でやるだろう。

 

saavedra.hatenablog.com

光秀と家康の間を氏真が繋ぐのもうまい。

高い教養を持ち、古典に通じていた氏真が同じく教養人の光秀と京で交流するうちに親交を深め、光秀に信長の計画を打ち明けられるまでになるという展開にも無理はないし、表向きは信長に媚びながらも復讐の機会を狙っているこの氏真には凄味を感じる。

今までは単に暗愚な人物としてしか描かれてこなかった今川氏真を、こういう陰影に富んだ人物に作り変えただけでもこのドラマの功績は大きい。今川の文化力が、ここに来てちゃんと役に立っているのだ。

 

そして、その氏真とも直虎は信長を討ちたい、という思いを共有している。

氏真と直虎と家康は、いわば「信長被害者の会」だ。信長に恨みを持つものなど無数に存在するのだが、中でも氏真と家康の怨念は群を抜いて強いものだろう。

しかし、ただの私怨ではドラマに芯は通らない。家康の怨念に「戦のない平和な世を作る」という大義名分を与えるのが直虎の役目だ。弱小の国衆として、今川に苦しめられ続けた直虎がこれを言うからこそ、この台詞は見事に重いものとなる。

直虎の言葉は、戦国の世で虐げられたすべての者達の言葉でもあるだろう。その願いに応えようとするからこそ、家康は天下人の器なのだ。

 

氏真と直虎、徳川四天王、そして今は亡き瀬名と信康の思いを背負い、家康はいよいよ本能寺に向かうことになる。本能寺の変は家康にとり「起きる」ものではなく、「起こす」ものになったのだ。

今まで積み重ねてきたドラマの全てが、本能寺へと向けて収斂しはじめている。

今まで溜まりに溜まった信長への怒りが、ついに解放される。

本能寺の変をここまでポジティブに描いた大河は、他にはないだろう。

今回の展開で本能寺の変の意外な解釈を提示したことで、「おんな城主直虎」は、またひとつ新しい時代劇の可能性を我々に示してくれた。これを観た後では、作者は「この題材はもう手垢がついているから」という言い訳をすることができなくなる。

同じ題材でも切り口次第でまだまだ面白い見せ方は可能だ、という事実を、目の前で証明してしまったからだ。

「精神の自給率」が高い人が最強という話

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「精神の自給率」が高い人が一番幸せ

 

ウェブで小説などをやっていると、次第に周りではプロになる人というのが出てきます。

なんらかのコンテストで受賞したり、そうでなくとも編集の人の目にとまり、投稿サイトにアップしていた小説が書籍化する。創作を手がける人なら、一度は憧れる到達点です。

本当はそこから先が大変だし、ずっと作家であり続けるには大きな苦労が伴うものなのですが、それでも自作が書籍として店頭に並ぶ、これは大きな喜びでしょう。

 

そこにたどり着けた人に対し、正直、羨ましさは感じます。何しろ私には無縁なことですから。

ですが、創作をしている人ではプロになれた人が一番羨ましいのか?と言われると、それは違います。

それで稼げるという点はたしかに大きなメリットなのですが、私にとってはそれよりも、「創作物の評価で揺らがない人」の方が、よほど羨ましいと感じるからです。

 

「創作物の評価で揺らがない人」と言うのは、言い換えれば「自分が好きなことを書いていればそれで幸せ」という人のことです。

他者から褒められるかどうかは関係なく、幸福を自給自足できているタイプの人。

幸せのために賞賛やお金という外からの承認を補給しなくてもいいから、とても経済的。

こういう人のことを、私は「精神の自給率が高い人」と呼んでいます。

 

 

 

この「精神の自給率」という言葉は、この本の中で小池龍之介さんが使っている言葉です。

これは精神的な充足度、といった意味ですが、本書ではまず人間の心の仕組みとして「自己承認は成り立たない」ということが説かれています。

いくら自分で自分を褒めてみても、それは単に自分でそう思い込もうとしているだけなので、どうしてもどこか虚しさが募る。

自分の靴紐を自分で持ち上げて空を飛べないように、自分で自分を承認することには限界があります。つまり、精神の自給率は構造上どうやっても100%にはならない、ということです。

 

不幸アピールをする人は本当に不幸

 

だとすれば、充足度の足りない分は他者から受け取らなければいけない、ということになります。精神的自給率が低い人ほど他者からの承認が多く必要になるので、創作をしている人ならそれだけ多く賞賛されないと辛いし、作品で人目を引く手段を持たない人は不幸アピールをしてみたり、炎上するようなエントリを書いてみたりと、いろいろな手管を使うようになります。

 

自分は不幸だと語る人に対して、「貴方はそうやって同情を引きたいだけだ、本当に不幸な人はもっと他にいる」という人がいますが、不幸アピールをして人の気を引こうとする人は「精神の自給率」がとても低いだろうから、そういう人はやはり不幸なのだと思います。幸せなら、そんな形で興味を持ってもらう必要がないのですから。

 

このように精神の自給率が低い人であっても、他者からたくさん与えられているために今は幸せ、ということはもちろんあり得ます。ですが、他者からの承認はいつ失われるかわかりません。

ずば抜けた小説の才能を持っていて、かつ精神的自給率が低い人、というケースを考えてみます。こういう人の場合、才能は優れているので他者からの承認は得やすく、プロとしても稼げる。しかし、常にたくさんの評価を外部から補給しなければいけないので、小説の評価に一喜一憂しなければならず、精神的には不安定になりやすい、という構造的弱点を抱えています。外需依存の精神経済は脆い。

 

こういう人よりも、たとえアマチュアで作品の質は低くても、精神的自給率が高いために好きなことを書いていればそれで幸せ、というタイプの方がよほど幸せにはなりやすいのです。

あまり人目を気にしないので技術的向上という点では不利かもしれませんが、そもそも上手くなって褒められることを必要としていないので、それでも無問題。幸福という観点から見れば、これこそ最強です。自分の足で立てる人が一番強い。

 

「精神的自給率が高い人」と「精神的自給率は低いがたくさんもらっている人」の区別はつきにくい

とはいえ、この「精神的自給率が高い人」というのも、あくまで私にはそう見える、というだけの話です。その人が創作物の評価を気にせずにすむのも、実は私生活が幸せであるために気にしなくていい、というだけのことかもしれません。本当は精神的自給率が低くても、他者からたくさん受け取っているから見かけ上は高く見えるだけ、という可能性もあるのです。

 

saavedra.hatenablog.com

以前、アイドルに「ガチ恋」をしている人のことについて書きましたが、これは精神の充足度が足りない部分をアイドルの存在によって埋める、という行為です。この「ガチ恋おじさん」を批判する人たちは、 パートナーなどを心の拠り所にできるためにアイドルにガチ恋せずにすんでいるようでした。この人達がもし精神的自給率の低いタイプなら、パートナーを失ったら他になにか精神のよりどころが必要になります。アイドルに救いを求めるかどうかは別としても。

 

他者から多くを受け取っているために見かけ上精神的自給率が高く見えるタイプの人は、自給率が低くてもその自覚は持てないかもしれません。その自覚がないままに他者から受け入れられつつ生きられるのなら、それはそれでひとつの幸せです。

 

精神的自給率と幸福度の関係を4タイプに分けて考えてみる

あくまで主観ですが、ここで精神的自給率の高さと幸福度がどう関係するかを4タイプに分けて考えてみます。タイプは以下の4つです。

 

1.精神的自給率が高く、かつ承認を得やすいタイプ

2.精神的自給率は高いが、承認が得にくいタイプ

3.精神的自給率が低いが、承認が得やすいタイプ

4.精神的自給率が低く、承認も得にくいタイプ

 

私は、1>2>3>4の順番で幸福度が高くなると考えています。

まず精神的自給率が高いことが大事で、そのうえ社交性やなんらかの才能に秀でているため承認が得やすい1のタイプが一番幸福。3のタイプは外から承認は得られるものの、精神的充足が外需頼みなのでこれを維持するためのコストがかかり、しかも状況次第ではいつ承認が得られなくなるかもわからず、4に転落してしまう危険があります。そして、4に転落したらもっとも不幸。自給率が低い上、外から補給する手段もないからです。

 

多くの場合、今不幸だと嘆いている人はタイプ4の人だと思います。そしてこのタイプ4に対し、幸せになりたいのなら認められる努力をしろ、こっちはそれを必死でやっているんだ、と言うのがタイプ3の人です。外部から承認を得ているためにタイプ4よりは幸せですが、幸せが外需頼みであるために不安定であることはタイプ4と変わりません。

一方、タイプ2の人からするとタイプ4の悩みが、どうしてそんなに人から褒められたりモテたりする必要があるの?別に貴方は貴方でいいじゃない?と理解不能なものになります。これは本音を言っているだけですが、タイプ4には冷たいアドバイスに聞こえるかもしれません。タイプ1がこう言っていた場合はもっと冷たく聞こえます。貴方は才能や交友関係に恵まれているからそう言えるんだ、とタイプ4には見えてしまうからです。

 

自己啓発と仏教のアプローチは真逆

大雑把に言うと、自己啓発というのはタイプ4の人に対してタイプ3を目指しなさい、と言っているように思えます。今自分に地位なり名誉なりパートナーなり、足りないと感じるものがあるならそれを手に入れるよう努力すればいい。自己啓発はそのためのノウハウやマインドセットを教えます。精神的自給率が低ければ、これを埋めるものを手に入れることこそが幸福だと思えるのだからこれは当然のこと。

 

一方、仏教的アプローチはタイプ4にタイプ2を目指すよう教えているようです。世の中は諸行無常で、外から得られる幸せはいつ失われてしまうかわからない。だとすれば、精神の自給率を高めて外需に頼らない幸福を手に入れたほうが、より本質的な幸せに近づきます。上記の『”ありのまま”の自分に気づく』で、小池さんは精神の自給率を高める方法について次のように紹介しています。

 

嫌なことが忘れられないのなら、「忘れられないのだね」と微笑みとともに気づき、承認してやる。うれしいときにも、「嬉しいのだね」と気づき、承認してやる。リラックスした時は、「リラックスしているのだね」と気づき、承認してやる。「良い」「悪い」という主観的判断は捨てて、ただ無条件に「そうなのだね」と承認するのです。

私達の心は、このようにいつも気づいてもらい、見守り承認してもらっているということを通じてこそ、安心感や幸福感を自給自足し始めるのです。

 

心理療法にもこれと似たノウハウがあるので、これは実際に有効だと思います。

しかし切ない話ですが、本書ではこの方法でまずは精神的自給率50%くらいを目指しましょう、と説かれているのです。修行僧でもない一般読者にはそのあたりが無理のない目標だろう、ということです。

我々凡人はカーズ様のような究極生命体ではないので、 完全に自分で自分を満たすことはできません。足りない部分は、やはり他人に満たしてもらうことになります。精神自給率100%なんて、悟りでも開かない限り無理かもしれません。

 

タイプ3を目指すから得られるものもある

もしそれが可能であるとして、本当はタイプ4の人はタイプ2を目指したほうが、長期的には幸せにはなれそうです。

例えばタイプ3を目指すために創作の世界で成功することを夢見ると、なかなか辛いことになりそうです。成功すれば得られる名誉は大きいものの成功率は低く、成功するまで辛い状況が続きます。一度成功してプロになれたとしても、精神的自給率が低いままならずっと高い評価を得続けるよう努力しないといけません。

 

それくらいなら、精神の自給率をあげることで夢は叶わなくとも幸せな、あるいはそもそも夢を見る必要がない状態を目指すのもアリでしょう。ですがこの場合、他者に認められたい、賞賛されたいという切実な動機が失われ、その結果として世に出るはずだった素晴らしい作品が生み出されなくなることもあるかもしれません。

 

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そもそも、人は一人では完全に自分を満たせないからこそ他者を求めるという側面があります。彼氏は貴方の心を埋める道具じゃないんだ、と言われたところで、人の精神的自給率はまず100%にはなりません。

もし、人間の精神的自給率が皆100%になる世界があったら、それはどういう世界なのか?そうなったら他者を求める心が失われて結婚する人は激減し、少子化が進むだけではないだろうか?という気もします。

 

精神の自給率を高めるというのは、いわば精神のミニマリストを目指すような道です。幸せを得るために地位も名誉もパートナーもいらないのなら、メンタルヘルス的にはとてもいいことです。ですが、あくまでそうした俗な欲求を追求することで経済が回り、社会が維持されているという点も見逃せません。

あえて外部からの承認を目指すことで満足したいという方向性を目指すのもまた人間らしさですし、私もまたそのような煩悩が生み出した創作物を味わいつつ生きている以上、このある種のバグを抱えているとも言える人間の仕様もまた、味わい深いもののように思われるのです。

おんな城主直虎「決戦は高天神」この戦いに持たせた意味の重さ

このドラマの特徴として、徹底して信長と家康を対照的な人物として描く、というものがある。

ひたすら家臣を威圧して恐怖で縛り付ける信長と、正直に胸の内を明かし家臣の信頼を勝ち取ることで家中をまとめていく家康。

そして家康のこのやり方は、かつて直虎が百姓たちと直接向き合ったことを万千代から学んだためにできたこと、というシナリオになっている。

ドラマ前半で徳政令をめぐるやり取りを丁寧に描いていたことが今ここで生きてくるという演出は実に巧みだ。

 

そして、この信長と家康の対比が高天神城の戦いでも描かれる。

高天神の周囲に付城をたくさん築き、戦わずして降伏に追いやろうとする家康。

この家康はあまり戦が好きではない。しかし信長はそんな家康に対し、高天神城の降伏を受け入れてはならないと言う。

 

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信長が高天神城の降伏を受け入れなかった背景には、こういう事情がある。

簡単に言うと、武田勝頼がこの城を救援する力がないことを周囲に示すためだ。

高天神城を攻めても勝頼が助けに来なければ、それは勝頼が味方を見殺しにしたということになり、武田家の当主としての権威を失墜することになる。

この作戦が功を奏したため、穴山信君はじめ有力な家臣が武田家から離反することになり、結局これが武田家滅亡の原因となってしまった。

 

しかしこのドラマでは、この事情については描かなかった。

おそらくこのドラマでの信長は、家康が高天神城の城兵をそのまま吸収し、戦力を増強してしまうことを恐れていたのではないかと思う。

前々回でも、信長は徳川家が強くなりすぎることを警戒していて、信康が手駒として使えないのなら殺してしまうという描き方になっていた。

その流れからすると、信長は家康と武田家をできるだけ戦わせることで、互いの力を削ぐことを狙っていたのではないだろうか。

 

罪もない瀬名と信康に難癖をつけて殺させ、敵の降伏も許さない信長の天下を直虎は望んでいない。

叶わない夢とは思いつつも、無駄な戦いを避けようとする家康にこそ直虎は強くなって欲しいと願っている。

このドラマは高天神城という舞台を使って、この信長と家康のコントラストを鮮やかに描いてみせた。

信長があのような人物である以上、滅ぼしてしまわなければ徳川の天下は訪れない。

ここで南渓和尚安国寺恵瓊の「予言」を持ち出してくるあたりも、確実に本能寺への期待を高めている。

 

かつて政次が命をかけていた「戦わない戦」の路線を受け継いでくれるのは、家康しかいない。

弱小の国衆として辛酸をつぶさに舐めた直虎の苦労を理解できるのも、信長にさんざん虐げられてきた家康だ。

家康は直虎の夢を継ぐ存在として、この戦国の世を生きている。

 

高天神城の戦いを直接描くことがなかったのも、この「戦わない戦」こそがこのドラマのテーマの一つになっているからだろう。

今川の徳政令を撥ねつけるのも、付城を作るために木を切り出すのも、家康に政次の話を聞かせるのも、全て直虎の、そして万千代の戦だ。そういう部分に力を入れているからこそ、このドラマは今までの戦国物とは一線を画す出来になっている。

 

来週はいよいよ光秀が謀反に向けて動き出すようだ。光秀に協力を呼びかけられたのは家康なのだろうか。まだまだ目が離せない。

おんな城主直虎『悪女について』信長へのヘイトを溜め、本能寺への期待を高める脚本が見事過ぎる

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もうね、こんな凄い回観たあとだと本当に文字通り言葉を失いますね。

これは言語野が死ぬ。

家康も瀬名も氏真すらも、自分のことなんて一切顧みずただ徳川家を救うために最善を尽くしているのに、結局最悪の結果に終わってしまう。

これはもう、完全に信長へのヘイトを貯めるための回ですよ。

これだと嫌がおうにも本能寺への期待が高まってしまう。

 

瀬名(築山殿)が武田と通じていたかもしれない、という史実の解釈もこう来たか……という感じでした。

信康にせよ瀬名にせよ、皆が自分を犠牲にして家康を助けようとしている。この描写が無理がないと感じられるのも、今まで万千代の目を通じて家康の心配りの細やかさを丁寧に描写していたからこそ。

 

そして、自らの命を投げ出そうとしている瀬名に直虎がかける言葉も見事に重い。

次々と一族を殺され、政次まで失った痛みを知っているからこそのあの台詞。

もうこれ以上の自己犠牲など、直虎は見たくない。いくら瀬名のその姿が石川数正から「美しい」と言われるほど尊いものであったとしても。

真田丸でも描かれたとおり、後に数正は徳川家を出奔していますが、その遠因は実は信康事件にあったんじゃないか……とも思わせる脚本でした。

 

結局、北条との同盟を氏真が成立させたにも関わらず、氏真は瀬名の首桶と対面することになってしまいました。

信長と面会した家康は北条との同盟を手土産に信康の助命を嘆願するも、信長は「徳川殿の好きになされば良い。その代わり儂も好きにする」と暗に手切れを匂わせる。

信長の内心を「忖度」した家康は、結局信康を斬るしかなかった。

 

かつて井伊家に降りかかった惨劇を目の前で繰り返されるような展開を見せつけられた直虎の口から出た言葉は、「いっそ全ての大名が一斉に和を結べばいい」でした。

今までの大河でも「戦のない平和な世を作るのだ」的な台詞を主人公が喋ることはありましたが、直虎のこの台詞は今までのすべての経験が言わせた、血を吐くような言葉です。

それはただの夢物語でしかないかもしれない。しかし、できないことしかやらないのはしみったれた考えだ、とはかつて直虎自身が龍雲丸に聞かせた台詞。

夢を夢でなくするためには、家康を天下人に押し上げるしかない。万千代にはそのために働いてもらえばいい。

 

その万千代に、直虎は「死んだものの志は生きているものが受け継げばいい」と諭します。

井伊直盛も直親も政次も、そして信康も、その魂を万千代が引き継げばいい。

今まで散々容赦のない展開を続けた『おんな城主直虎』ですが、彼等の死は無駄ではなかった、というメッセージがここにはあります。

万千代の中に、失われたすべての命が生きている。だからこそ万千代は、家康の前で切々と政次のことを説いて聞かせた。そんな彼がやがて元服し、井伊直「政」になるのは必然。

 

 そして、家康が天下を取るためにどうしても必要なことは、信長が滅びること。

前回と今回を使って信長への反感を散々煽ってきたこのドラマですが、それだけに本能寺の変の回ではおそらく一気に胸のつかえがとれる感覚が味わえるのではないかと期待しています。

ただし、その前に為すべきは武田との戦です。

来週ははいよいよ高天神城の戦いが描かれますが、これは武田家が崩壊する決定的な原因となった戦いです。長篠の敗戦よりこちらの方が勝頼にとっては大打撃。

saavedra.hatenablog.com

こちらでも書いたように、ここで信長の採った作戦はもう本当にエグい。

来週も今週に続いて、さらに信長へのヘイトが高まるような展開が続くでしょう。

そして、本能寺の変はどのように描かれるのか?

今のところ光秀は忠実な信長の家臣と言ったイメージですが、個人的には家康が光秀を煽って謀反を起こさせるなどの黒い展開を期待したいところです。

それくらいやっても、皆が許すような演出を繰り返してきているので。

パラレルワールドの「僕」と「俺」の2つの人生を体験できる『君を愛したひとりの僕へ』『僕が愛したすべての君へ』感想

 

 

 

シュタインズ・ゲートの功績として「世界線」という言葉を世の中に定着させたことがあります。

シュタゲ以前にもパラレルワールドのアイデアを用いたSFはいくらでもあったわけですが、この「世界線」という概念を多くの人が理解したことでこの手のSFの解説がしやすくなりました。

これから紹介する『君を愛したひとりの僕へ』『僕が愛したすべての君へ』も、同じ主人公の別々の「世界線」の人生を描いた物語になっています。どちらか1冊だけでも楽しめますが、やはり2冊セットで読んだほうがより楽しめます。片方がもう一方の内容を補完する内容になっているからです。

 

読む順番はどちらからでもいいと思いますが、個人的には『君を愛したひとりの僕へ』を先に読むのがおすすめです。というのは、こちらのほうが悲しい世界線で、より幸せな『僕が愛したすべての君へ』の舞台裏のようなストーリーだからです。一人称が「俺」の主人公が大切に思っていたヒロインの栞は主人公の行動によりある不幸に見舞われてしまい、それを解決するためにこの世界線での幸せをすべて犠牲にして奮闘する、という物語になっています。

 

ヒロインを不幸に突き落としてしまう原因は、この小説世界特有の「パラレル・シフト」という現象です。これは、少し離れた平行世界に意識だけが移動する、という現象です。移動した世界の先の自分の意識は元の世界の自分と入れ替わることになります。

実はこの世界では近い世界へのパラレル・シフトは割とひんぱんに起こっています。近い世界線では元の世界線とはほとんど変わらないので、それでも特に困ることなく生活できるのですが、このシフトの距離が遠くなればなるほど元の世界とのズレも大きくなっていきます。

 

そして、このパラレル・シフト現象を解明する「虚質科学」が発展することによって、このパラレル・シフトを人為的に起こすことも可能になってきます。主人公とヒロインの栞は互いに淡い恋心を抱いていますが、互いの両親が結婚することになったため、この世界ではもう結ばれないと将来を悲観します。

そこで、二人が兄弟にならない世界へ飛ぼうと主人公が起こしたパラレル・シフトによって、逆に悲劇的な結果を招いてしまいます。この悲劇を回避するために、生涯をかけて虚質科学の研究に打ち込み、やがて主人公は人生を変えるためある決意をする──というのが『君を愛したひとりの僕へ』のストーリーとなります。これは悲壮なまでの決断です。ヒロインを救うために犠牲にしなくてはいけないものが、あまりにも重い。

 

一方、『君を愛したひとりの僕へ』の主人公の努力が反映された世界が『僕が愛したすべての君へ』の世界になります。こちらの世界のヒロインは『君を愛した一人の僕へ』とは別人の和音ですが、和音は『君を愛した一人の僕へ』の世界でも重要な役割を果たしています。和音は主人公との関わり方は違うとはいえ、虚質科学の研究者でありどの並行世界にいっても重要な存在になるというあたりはシュタゲの牧瀬紅莉栖とも似ています。性格はかなり異なりますが。

 

『僕が愛したすべての君へ』のストーリーはこの和音との恋愛が中心となりますが、こちらの世界では平行世界における「自分」とは何なのか、というある種哲学的なテーマもはらんでいます。

先に述べたように、この世界では近い世界へのパラレル・シフトは日常的に起こっています。では、少し離れた世界の自分もこの自分と同一人物と言えるのか?離れた世界の和音をこの世界の和音と同じように愛せるのか?という問いが、主人公には突きつけられます。パラレル・シフトの存在が知られてしまったがゆえに起きる悩みです。この悩みにどう答えを出すのか、ということが、この小説の読みどころの一つとなっています。

 

全体的には幸せな世界である『僕が愛したすべての君へ』なのですが、後半ではあるショッキングな事件も起こります。詳細は書きませんが、少し離れた世界でも、この世界では起きない悲劇が起きている可能性がある。今ある幸せというのはとても儚いものであって、別の世界の可能性を知らないからこそ成り立っているのだ、という世界観がここでは示されます。

世界には無限の可能性があって、今生きている世界はそのひとつであるに過ぎない。フィクションの話とはいえ、このストーリーはどこかこちらの幸福感を揺さぶってくるものがあります。ほんの少し離れた並行世界でも今悩んでいることはなかったことになっていて、また別のことで悩んでいるかもしれない。この世界が唯一の世界でないことを知ってしまうことで、いろいろな葛藤が起きます。ましてや実際に平行世界に移動可能となると苦悩もより深くなる。人間は平行世界の存在なんて知らないほうが幸せだったのではないか、とすら思えてきます。

 

saavedra.hatenablog.com

実際、こちらの選択次第でもっと別の世界を生きることができたんじゃないか、なんてことを本気で考えていると怖くなってくるんですよね。今生きている世界が唯一のものならなんとか受け入れていくしかないけれど、無限に平行世界が存在するということになると、今生きてるルートがバッドルートなんじゃないか、なんて妄想にも取り憑かれる。実際、『君を愛したひとりの僕へ』はバッドルートに入った運命を変えるために狂気ともいえるほどの執念をみせてくれているのだけれども。

 

この『僕が愛したすべての君へ』のラストシーンは『君を愛したひとりの僕へ』を読んでいればすべて納得できますし、こちらを先に読んでいれば少し不思議な余韻の残る読後感になります。私は『僕が愛したすべての君へ』の方を先に読みましたが、こっちをあとにすれば良かったかな……と思いました。これを先に読むと『君を愛したひとりの僕へ』のほうが謎解き編ということになります。それはそれで面白いですが。

 

 平行世界のアイデアがあって成り立っている作品なのでジャンルとしてはSFでしょうが、どちらもヒロインへの強い想いがストーリーの根幹となっているのでラブストーリーとしても読めます。切ない系の話が読みたい方には強くオススメ。割と万人受けしそうなのでいずれアニメ化なり映画化なりして欲しい。