明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

感想をもらっても返さない側の言い分

 

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私はまったく無名の人間だけれど、ウェブで小説めいたものを何年も書いていれば感想ももらうことはあるし、時にはほめてもらえることもある。でも、私はほめてくれた人が作者の場合、こちらもお礼に読みに行ってほめなければ、とは思わない。増田氏から見れば薄情な人間だろう。そう思われて構わないが、なぜ感想を返さない人がいるのか、その行動原理が理解できないだろうと思うので、ここでは私が感想をもらっても返さない理由について書いてみたい。(ちなみに、私は感想が欲しいと自分から言ったことはない)

 

まず、自分の基本原則として、人を束縛したくないし、束縛されたくもない、ということがある。私も人の小説にレビューを書くことがあるが、それは書きたくて書いているのだから、お礼などは一切求めていない。そのかわり、これだけ褒めてあげたんだからこっちも褒めてくれよ、☆を入れてあげたんだから☆をくれ、といった要望に応えることもない。もちろんあからさまにそんな要求をしてくる人はいないが、そんな姿勢が見え隠れする人に対してはそう接する、ということだ。

 

社交の手段としてレビューや感想を書く文化圏が存在するということは私も知っている。ただ、そういう文化圏のルールに皆が合わせてくれるとは限らない。そういう「褒め合い文化圏」に所属すると感想などはもらいやすくなるが、感想を書くことが義務になってしまう。私はそれを望まない。私が人を褒める時は本心からそうしているのだと思ってもらいたいからだ。こうした「褒め合い文化圏」の人からの好意的な感想は、人によってはむしろマイナスに思うこともある。褒めてもらえたと喜んでいたのに、相手はこっちも褒めてくれという取引を持ちかけていただけだった、と知ることがショックなのだ。

 

このため、ウェブ小説界では「作者からの評価は信用できない、読み専からの評価だけが本当の評価だ」という人もいる。作者からの評価は利害が絡むこともあるからだ。実際、なぜこの人は私の書いたものをこんなに不自然なほどに絶賛してくるのだろう?と思ってその人の作品を見に行くと、なんらかのコンテストに参加している最中だったりする。つまり私の票が欲しいのだ。

 

こういうことがあるので、わざわざ投稿サイトのプロフィールで「レビューに対するお返しは必要ありません」と明言する人さえいる。こう言わなければレビューの信頼性が損なわれてしまうからだ。社交のために感想を書いているのではない、と断っておかないと相手がそう考えるかもしれない。私は褒め合い文化圏の人間ではありません、と明言しておくことで、感想を送られた相手はそれを負担に感じることなく素直に受け取ることができる。

 

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私も書く側の人間なので、感想が欲しいしできることなら褒められたい。ただ、「こんなに大変な思いをして感想を書いているのに」という負担を感じてまで感想を書いてほしくはない。私が感想を書くのは単に好きでやっていることだし、自分が好きでやっていることはその時点で自己完結しているから、見返りは必要ない。だから感想を書く側の人にも好きなように書いたり書かなかったりしてほしいと思っている。これは社交を重んじる側の人からすれば冷たい考え方だろうが、ここには自由がある。自由と社交の楽しさはトレードオフだ。自由を重んじるほど人は孤独になる。しかし孤独な人でも、感想は欲しい。それなら読んだ人が進んで感想を書きたくなるような強い文章をこちらが書くしかない。感想と感想を交換するのではなく、作品自体を「おみやげ」としてさしだせるようになれれば、そこではじめて社交辞令ではない、本当の感想を受け取ることができるようになる。

『魔法少女まどか☆マギカ』を今頃観て「名作を後から知るメリット」について考えた

 

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

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アマゾンのレビューで、この作品について「放映当時、これを何の知識もない状態で観ることができた人がうらやましい」というものを見かけた。

確かに、一切の事前情報がない状態でこの作品にふれたほうがなにかとショックは大きいだろうし、より深くこの深遠な作品の魅力にはまり込むことができるのかもしれない。どんな作品でも周りが盛り上がっているときにリアルタイムで視聴するほうが強く記憶に刻み込まれるし、それはこれほどの作品であればなおさらのことだ。

 

ただ、なにかとショッキングな場面の多い『魔法少女まどか☆マギカ』のような作品の場合、評判が確立したあとから作品にふれるメリットも結構大きいのではないか、と、12話の視聴を終えたあとで感じた。

まったくこの作品のことを知らない自分のような人間でもこの作品が放映されていた2011年当時のことはよく覚えていて、3話での巴マミの運命に多くの人がショックを受けていたこと、キュウべえがどうやらとてもひどい奴であるらしいこと、などなどの情報がすでに頭に入っていたので、この作品に入る前に対ショック姿勢を取ることができた。

 そのおかげで、3話の内容はそれほど衝撃を受けなかったし、のちにキュウべえが明かす魔法少女の身体の秘密についても残酷な話だとは思いつつも、まあそれも理屈ではあるよな、と思いながら観ていた。もっとも、契約する前にあらかじめ言っておかなかったのはひどい話ではあるのだが。

 

年齢のせいなのか、最近観ていて疲れる作品にはあまり触れたくなくなってきた。ある程度予定調和のなかでおさまるストーリーが精神によいと感じられるようになってきたのだ。それなら虚淵作品なんて観るなよという話なのだが、そうはいってもやはり名作といわれるアニメも知っておきたいわけで、そんな私にはまどマギが現状「適度にネタバレされている状態」があっていたような気がする。

 

有名作品はあちこちでネタにされるので、「こんなの絶対おかしいよ」「もう何も怖くない」など放映当時言われまくっていた台詞の意味が今頃わかるのもけっこう楽しかったりする。みんなこれの話をしていたのか、とあとから知るのも面白い。のじゃロリおじさんの「それはとっても世知辛いなって」の元ネタがこのアニメであることもはじめて知った。子供のころゲーム機を持つことを禁止されていたので、大人になってからドラクエを遊び始めてブルーオーブだとかルビスの守りだとか皆が話題にしていた言葉の意味がようやくわかったが、あれと同じ気分だ。未履修の必須単位をようやく取得できたような、妙な安心感がある。

 

視聴している途中、自分の感性が古びていることも感じた。劇団イヌカレーの魔女の絵はあまりアニメとマッチしていない気がして、ここは普通のアニメでいいだろうと思った。2011年当時なら、こんな風には思わなかったのかもしれない。こういうところにも、変化や逸脱を嫌う最近の自分の鑑賞傾向が出ている。もう少し視聴が遅れていたら、こういう細かいところに引っかかって最後まで観ることができなかったかもしれない。始めるのに遅すぎることはないとはいえ、こちらが変わってしまうことで名作の良さを味わえなくなってしまうということはやはり、ある。

 

まどマギは人間のエゴだとか奇跡とその代償、自己犠牲の限界など普遍的なテーマを扱っている作品だが、それでも8年前の作品なので細かい描写に古びたところを感じることもないではない。たとえば早乙女和子は30代で独身なのを焦っているような描写があるが、2019年の今ではあまりこういうことをいじる空気はない。ポリコレに敏感な人なら批判するかもしれないところだ。やはり2011年の作品にはその時代の空気が閉じ込められている。シュタインズ・ゲートの@ちゃんねるのネタがあの当時のネットをそのまま表現しているだけに、今では懐古的に楽しめるのと同じことだ。こういう、現代と当時とのギャップを知ることも過去作品にふれる楽しみのひとつであったりする。

 

ついでに言うと、PC版のマギアレコードが事前登録受付中なので登録しておいた。アプリ版が発表された時点でファンからはもう遅すぎる、と言われていたのだが、今本編を観たばかりの人間からすればちょうどいいタイミングだ。視聴するタイミングがずれると思わぬところでこういう恩恵があったりする。当時の盛り上がりを周りと共有できなかった人間には、代わりにこれくらいのご褒美があってもいい。

門井慶喜『かまさん』感想:函館共和国が敗北した理由とは何か

 

かまさん 榎本武揚と箱館共和国 (祥伝社文庫)

かまさん 榎本武揚と箱館共和国 (祥伝社文庫)

 

 

榎本武揚といえば、私は『土方歳三最後の一日』で片岡愛之助が演じていたあのきざったらしい男をまず思い浮かべる。しかしこの『かまさん』における榎本は気風のいい江戸弁をあやつる、遊び心にあふれた男だ。この作品での榎本の印象はオランダに留学したエリート官僚というよりは、喧嘩っ早い江戸っ子そのものなのだ。

 

自負も闘争心も強い榎本が薩摩の軍艦と戦うところからこの小説ははじまっているが、慶喜が新政府に恭順する以上、榎本が独断で薩長と戦うわけにはいかない。ご存知のとおり、こののち榎本が向かうのは蝦夷地だ。

榎本は、蝦夷地とはふしぎな因縁がある。榎本の屋敷の近くには松前藩邸があり、ために少年時代からかれは蝦夷地への関心を育てていた。長じて日本最強の軍艦・開陽丸の艦長となり、旧幕臣からの人望も得た榎本は蝦夷地をまるごとわが物とし、共和国となすことを決める。そして函館府を守るのが酒色にふけるしか能のない公家・清水谷公考であったとなれば、もはや蝦夷地という舞台が榎本を待っていたとしか思われない。

 

オランダに留学し、オランダで造った開陽丸をあやつる榎本は蘭学の申し子だ。そのオランダがスペイン相手に80年戦って独立をかちとった史実にならい、蝦夷共和国もまた80年間ねばりぬく必要があると 榎本は考える。五稜郭だけでは心もとないので松前と江刺を榎本は押さえることになるが、江差の海岸で開陽丸が座礁してしまう。順調だった榎本の前途に不吉な影がさした。

この一隻だけで津軽海峡制海権を握ることができる、といわれていた開陽丸を失った時点で、蝦夷共和国の未来はなかば決していたように思えなくもない。オランダ造船技術の粋であり、我が子同様にいつくしんできた開陽丸を失った痛手はきわめて大きかった。新政府軍最強の軍艦・甲鉄の強奪にも失敗し、海軍力でも差をつけられた蝦夷共和国にはもう未来はなかった。

 

結局、五稜郭を奪い松前を制圧したあたりが榎本の最盛期だったのだろう。天皇を擁する新政府軍とはちがい、蝦夷共和国には大義名分がない。榎本その人が傑出したリーダーであってもその力のみでこのにわかづくりの国家の「国民」を束ねていくことはむずかしい。

すなわち函館共和国には、何もなかった。

近代的な天皇はなく、愛国心はさらになかった。この結果、兵士の意識にみだれが生じ、何のために戦うのかがわからなくなった。むろん釜次郎自身には、

「共和国独立のため」

という明快かつ具体的な目標があるけれど、これは当時の一兵卒にはあまりにも理解しがたい概念だった。理解以前にそもそも共和国というものを頭に思い描くことすらできないのだからどういう求心力のみなもとにもなり得なかった。

(p322) 

 ということであるなら、榎本は新政府軍に戦う前から負けているのだということになる。結局、共和国を建国した時点で榎本の運は尽きていたのかもしれない。それでも共和国軍はけっこう善戦しているのだが、それは燃え尽きる前の蝋燭が一瞬大きく燃えあがるようなものでしかない。敗北を受け入れ、それでも生きることを決め恭順を選んだ慶喜の偉大さをはじめて知った榎本はひとまわり大きな男になることができた、といえば、それは奇麗事にすぎるだろうか。

「肉食」をキーワードとした比較文明論『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』は中公新書屈指の名著

 

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))

 

 初版は1966年と古いですが、これは何年経っても色褪せない名著。

「肉食」をキーワードとした日欧比較文化論、といった内容ですが、話題が日欧それぞれの食のあり方や階層意識、性文化、人権意識など多岐にわたっていて本当におもしろい。

ヨーロッパ人の主食は実はパンではなく肉なのだ、という知見から西欧文明のあり方を縦横に論じるその手際は見事というほかなく、「食」というものがここまで深く人の生き方を規定してしまうものなのか、と驚かされることばかりです。

内容が古いのでこの論考がどこまで正しいかはわかりませんが、およそ日本とヨーロッパの歴史や文明、食文化や宗教観などに少しでも興味を持つ読者なら、本書を読むことで大いに知的好奇心を刺激されることは間違いありません。

 

 日本人の食生活は欧米化しているので生活習慣病が増えている、とういことは私が子供のころからさんざん聞かされてきた話ですが、実は日本人の肉食などは西欧人に比べればままごとのようなものだ、と本書の冒頭では説明されます。たとえば『ビルマの竪琴』の著者、竹山道雄がパリの家庭でふるまわれた料理とは、こういうものです。

………こういう家庭料理は、日本のレストランのフランス料理とは大分ちがう。あるときは頸で切った雄鶏の頭がそのまま出た。まるで首実検のようだった。トサカがゼラチンで栄養があるのだそうである。あるときは子牛の面皮が出た。青黒くすきとおった皮に、目があいて鼻がついていた。これもゼラチン。兎の丸煮はしきりに出たが、頭が崩れて歯がむき出していた。いくつもの管がついて人工衛星のような羊の心臓もおいしかったし、原子雲のような脳髄もわるくはなかった。(p3)

 豚や牛などは「人間に食べられるための生き物」と信じて疑わない姿勢が、ヨーロッパにはあります。日本人はせいぜい切り身の肉を調理するくらいで、ここまで生々しい「肉料理」を家庭で作ることはまずありません。近代以降からようやく肉を食べ始めた日本人と、古くからずっと肉を食べてきたヨーロッパ人ではやはり根本的に動物に対する意識が異なるようです。

 

なぜ、ここまで肉食に対する考えが日本と西欧では違うのか。中世ヨーロッパ史が専門の著者は、それは牧畜に向いているヨーロッパと、そうでない日本の環境の違いが原因だ、と述べています。ヨーロッパは日本ほど湿度が高くないためあまり草が生育せず、家畜が食べやすい牧草になるのに対し、日本は高温多湿なので草の茎が太くなり、家畜が食べられない雑草が多くなるというのです。

 

牧畜がおこないやすいヨーロッパでは肉をたくさん食べるので、自然、動物は人間に食べられるための生き物だ、という認識が生まれます。ここで、人間と動物をはっきり分ける「断絶の論理」が生まれます。キリスト教には輪廻思想がなく、人が馬や牛にも生まれ変わる仏教とは決定的に異なりますが、ここにも「断絶の論理」がはたらいています。

放牧していると動物が乱交をするさまが目に入るので、性を秘め事にしなくてはならない、という宗教意識が生まれ、これが禁欲を理想とするカトリックの聖職者独身制として結実することになる、という見解もまた興味深いところです。

 

この「断絶の論理」はまた、西欧の内と外を分ける論理としても機能します。対外的にはこれが非キリスト教世界を侵略するためのロジックともなり、対内的には支配者層と民衆の間の隔絶を正当化するための論理にもなります。

実際、日本では武士と農民の間の格差がヨーロッパほど大きなものではなく、また武士は質素倹約を良しとしていたのに対し、ヨーロッパでは貴族は贅沢をするのがよいことで、庶民との格差も非常に大きかったのだそうです。貴族が農民をラバに例えている例がこの本では出てきますが、農民を家畜扱いしているのなら、やはり貴族と農民の間には「断絶の論理」がはっきりと働いているということになります。

 

そして、このような階層意識に苦しめられてきた民衆の怒りが人権思想となり、強烈な個人意識を生む……という流れで近代史が説明されるわけですが、あまりに明快なのでほんとうに「肉食」でここまで何もかも説明できていいのか、と逆に疑いたくなってきます。地理的環境の違いから世界史に切り込むその姿勢は『銃・病原菌・鉄』にも似たものがありますが、あれよりもはるか早くに日本人がこのような文明論を書いていたという事実には驚かされます。

セミの抜け殻を取られたので切腹!氏家幹人『江戸藩邸物語』が描く武士道の実態

 

江戸藩邸物語―戦場から街角へ (中公新書)

江戸藩邸物語―戦場から街角へ (中公新書)

 

 『応仁の乱』のヒット以降室町時代にスポットライトが当たっているためか、日本の中世人はかなりのバーサーカーであり、中世日本は修羅の国だったということが知られるようになってきています。しかし、江戸時代に入ったからといって急に日本人が平和的になるわけでもなく、江戸初期はまだまだ殺伐とした空気が満ちていたということを、この『江戸藩邸物語』は教えてくれます。

 

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江戸藩邸物語』では、冒頭から14歳の武士の少年が蝉の抜け殻を奪い合い、取られたことを恥じて切腹する、というすさまじいエピソードが紹介されています。これは正徳2年、1712年の話です。戦国時代もはるか遠くに去ったこの時代ですら、子供同士の他愛のないいさかいが自死の原因になっているのです。

これはむしろ、戦国時代が遠くなったからかえって観念のなかで死が美化されているということかもしれません。戦に出て戦うことのなくなった武士にとり、腹を切るということが最後の意地のよりどころになるのです。追腹を切る(殉死)行為も幕府が禁止するまで一種の熱病のように流行していて、まるで死ぬことに武士がアイデンティティを見出しているかのように思えてきます。

 

そして、武士は単に切腹にあこがれているだけではなく、ささいなことで人を斬ります。この本のなかでは、父の友人に寝坊をとがめられた息子が復讐のために斬りかかり、逆に返り討ちに合う、という事例が紹介されています。武士にとって面子は命よりはるかに重いのです。

なので、たとえ身内を殺されようが黙って引き下がってはいけません。別の事例では、不倫をした妻を斬った武士の家に遺体を引き取りに行った妻の一族の男が、復讐もせずに黙って帰ってしまったことを「柔弱」と目付に非難されています。『バンデッド』ではありませんが、どうやら武士道の本懐とは「ナメられたら殺す」であるようです。

 

このように、武士同士のトラブルはいつ斬り合いに発展するかわからないので、当然これを予防する知恵も必要とされることになります。この本の「路上の平和」の章では 、橋の上で刀の鞘同士が触れ合ったことがきっかけで斬り合いに発展する事例が紹介されています。こうならないためには、道を歩くのにも細心の注意を払わなくてはいけません。各藩ではこんな工夫をしています。

加賀藩の例は、道を歩くときは横に並んだりすることは御法度、いけないといい、弘前藩の例は、道がぬかるんだりして歩きにくいときは、人と争って歩きやすいほうを選んだりせず、あいている側を通るようにという、総じて他の通行人の妨げになるような歩き方は慎めというのである。(p60)

 これはただの礼儀作法などではなく、殺し合いに発展するのを防ぐための実践的な知恵だったのです。武士の面子と面子がぶつかり合う路上は、一触即発の事態が起きかねない危険地帯だったということが、この話を読むとわかります。守山藩などはトラブル防止を徹底するために、他家の者がどんな理不尽なことを言ってきても引き下がれ、とまで注意しています。意地や面子を守るために、ときに滑稽なまでの自己規制を強いなくてはならない、というところに、武士社会の特色のひとつを見出すことができます。

 

本書のテーマはこういう殺伐とした話だけでなく男色や老い、江戸の火事や草履取りなど多岐にわたっているのですが、やはりこうした武士の面子にかかわる話が一番インパクトがあったので紹介しました。他のテーマもそれぞれ興味深く、江戸の初期の武士社会について知るにはよい本だと思います。

石川博品『先生とそのお布団』がいろいろと刺さりまくったので感想を書く

 

先生とそのお布団 (ガガガ文庫)
 

 泣けるだけの小説なら世の中にはいくらでもあるし、この『先生とそのお布団』も、ラストに泣ける部分はちゃんと用意されている。

でも、この作品をたんにお涙頂戴の物語としては紹介したくない。

これは、小説を書きたい人、書いている人、いや、およそ何かを「創る」ということに関心を持っている人、そんな人の心に深い爪痕を残す作品です。

このラノベがすごい!2019にもランクインしたこの作品にぜひ、触れてみてほしい。

 kindle版なら試し読みが増量中です。 

 人語を解す猫「先生」との軽妙なやり取りが魅力

この作品はラノベ作家・石川布団が主人公で、ラノベのジャンルとしては「ラノベ作家もの」ということになります。

デビュー作はお情けで3巻までは出してもらえたものの売り上げは悲惨で、新作もまったく話題にならない冴えないラノベ作家である布団の唯一の心の支えは主人公が「先生」と呼んでいる人語をしゃべる猫。

猫なのに文学やラノベ業界に精通している先生は布団に対しては基本辛辣ですが、ときに鋭い洞察で布団を教え導き、たまには温かい激励の言葉もくれる、メンターとも呼べる存在です。先生は布団の才能を高く評価しているわけではありませんが、布団の小説が何度打ち切りを食らっても小説をあきらめろとは決して言わず、最後は必ず「書け」と叱咤するのです。

売れない作家の世知辛い現実をそのままに描いているこの作品において、この先生とのやり取りが軽妙な味を付け加えてくれるので、雰囲気が重くなりすぎないよう絶妙なバランスが保たれています。なぜ先生がひたすらに書けというのか、その理由はラストでようやく明かされることになります。 

売れないラノベ作家のリアルな現実

作者の石川博品自身がラノベ作家なので、この『先生とそのお布団』で描かれるラノベ作家の生活や仕事の様子もなかなかにリアルです。締め切りとの戦いや校正の実態、イラストレーターとのやり取りなどの裏事情も読んでいると面白いですが、一番強調されているのは、売れない作家の抱える精神的なつらさです。

布団は現状を打開するため、『少女御中百合文書』『両国学園乙女場所』『平家さんと鬼界が島の怨霊』などなど、次々と売れなさそうな企画を考えてはさまざまなレーベルに持ち込み、何度もボツを食らいながらもときには書籍化までこぎつけるものの、やっぱりぜんぜん売れない。

まれに熱心なファンからファンレターが届くこともあり、新作が『いますごいラノベはこれだ!』にランクインするなど、一見明るい兆しがみえることがあっても、それでも作品が売れないという現状は何も変わらない。一部のラノベ好きには刺さるものを書ける実力は持っているだけに、それでも売れないという現実はよけいに布団の肩に重くのしかかります。

布団は一部のファンには評価されているので、同人誌を出すとけっこう売れたりもしています。しかしそれは商業作家としての成果ではありません。「成功」とよぶにはあまりにもささやかなそうした成果を、それでも心の糧として自分を支えていかなくてはならないラノベ作家の現実が、ここには描かれているのです。

売れない作家の直面している現実は、ほんとうに世知辛いんだな……と深く考え込んでしまいます。

作家になっても、人は何者かになれない

「デビューして本を何冊か出したくらいでは、人は何物にもなれない」というプロ作家の言葉を聞いたことがあります。一度も著書が売れたためしのない布団も、作家として盤石な基盤は築けておらず、そんな自分にいつも不安を抱えています。

対して、布団の周囲の人たちは年齢を重ねるごとに順調にキャリアを積み重ね、人生を次のステージへと進めていきます。たとえば本作のヒロインともいえる知人の作家・和泉美良。彼女は布団とは違って正真正銘の天才で、布団も先生も一目も二目も置く存在です。中学生で作家デビューし、布団より一回りも年下なのにラノベから一般文芸に進出し、やがて直木賞もとる彼女は、布団にはまぶしすぎる存在です。

そして、かつてラノベマシーンの異名をとり、今は立派な家庭人でもある尾崎クリムゾン。また、不妊治療を成功させ無事に父親になる布団の兄。彼らは結婚し、子供をもうけるという人生のステージを確実にクリアしていくのに、布団自身は作家としての活動すらままならない。もう30代後半という引き返せない年齢になり、今つきあっている女性がいるでもない。子供が残せないなら、作家としてはせめて納得のいく作品を世に出したいものなのに、いつも書きたいものを書ききれず打ち切りを食らうという布団の現実は一向に変わらない。なりたくて作家になったとはいえ、どうにも報われない布団が吐き出すこの言葉は、読む者の心に深く突き刺さります。

  思えば、17歳の彼は小説家になるためならちゃんとした人生を捨ててもいいとまで思いつめていた。だが現在の彼が知る作家──美良や尾崎はちゃんとした人生を送りつつ、作家としても成功している。

(結局はちからが足りなかったんだ。小説についても人生についても)

 彼は団地の建物を見あげた。ちゃんとした人生がちゃんと整列して夜空に煌々と輝いていた。

報われなくても書き続ける理由は何なのか

このように、この『先生とそのお布団』はラノベとして読むなら明らかに読者へのご褒美は足りていません。ラノベ作家として成功できるわけでもないし、イラストレーターへの淡い恋心が実るでもない。ここにあるのは、どうにか作家として現役であり続けられているというわずかな矜持と、ごく少数のファンからの声援だけです。作家としての生みの苦しみに比べたら、得られるものはとても少ない。布団の作家人生は、とうてい報われているとはいえないのです。そして先生もまた、布団の才能を高く買っているわけでもない。それでも先生が書け、と言い続ける理由とはなんなのか。

最後の章で、死を前にした先生は布団に向かって「お前はとうとい」と言います。なぜ、泡沫作家に過ぎない布団が「とうとい」のか。これはこの小説の核心部分であり、著者の石川博品の創作論でもあります。ネタバレになるのでこの後に続く先生の言葉は明かせませんが、ここはぜひ実際に読んで味わってみてほしいところ。これはおよそ「書く」という行為に多少なりとも思い入れを持っている人ならば、 強く心を揺さぶられるものだと思います。有名だろうが無名だろうが、才能があろうがなかろうが、すべてのものを書く人は尊い。そして、書くという行為は生きているからこそできる。その意味で、どんな偉大な過去の文豪よりも、今書いている人のほうが尊い。だから書かなくてはいけない。

 「何をしている……書け……オフトンよ、書け……」

「書けといわれても……もう書けません。僕は終わった人間だ」

「何が終わったものか……ほれ、本棚を見てみろ」

 いわれて彼はふりかえり、背後の本棚に目をやった。

「僕の好きな本ばかりです。名作揃いですよ」

「だが終わっている。漱石も鴎外もお前のようには書けない。確かに彼らは偉大だ。日本文学史におけるその地位は決して揺るがない。だが彼らとていまを生きてオフトンのように書くことはできないのだ。彼らは終わっている。かたやオフトンはこれからの作家だ。漱石でも鴎外でも、お前の好きな池上春太郎でも思いつかなかったものを、お前は書くのだ」

 この先生の言葉は温かくもあり、かつ残酷でもあります。大して能力を評価しているわけでもない布団に対して「作家であり続けろ」と言っているのだから。布団の才能では、今後も彼が作家として大きく飛躍する機会などないかもしれないのです。報われないのに書けというのは、ある意味呪いをかけているのにも等しい。

この先生の言葉は、作家志望者に対して著者が突き付けている言葉だともいえます。報われなくても書き続けるという覚悟を、お前たちは持てるのかと。そう言われてなお書くことを諦められない、ある種の業を背負った人間だけが、作家になれるということかもしれません。永遠に山頂に岩を運び続けるシジフォスの苦行にも似た理不尽な現実を前に、それでも書くという行為を「とうとい」と言えるのかどうか。そこに、書き続けられる人とそうでない人のひとつの分岐点があるような気もします。

 

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創作は人を幸せにするか

anond.hatelabo.jp

最近、創作で人は幸せになれるのだろうか、とよく考える。好きな話を書いたはいいものの全然読んでもらえず嘆いている人や、公募に挑戦し続けているものの落選続きで苦しんでいる人をたくさん見かけるからだ。

結果を出せない無念さが自分に向かうと鬱や自虐となり、他者に向かうと成功者への怨嗟の声になる。ウェブの成功者に対してもあいつは不正であの地位を築いた、編集と仲がいいだけだ、などという中傷が匿名の場にあふれているが、突きつめればその正体は嫉妬だ。うまくいくのがいつも自分以外の誰かという状況に身を置き続けると、人の心は次第に憎悪に蝕まれていく。

 

ではプロになれればそうした怨念がすべて消え、幸せな創作人生を歩めるかというと、そう単純なものでもない。増田氏が経験したように、好きなものより売れるものを書くことを求められ、創ることの喜びが失われてしまう。出版社にとって小説とは作品である以前に商品であり、プロ作家は売れる商品を作ることが求められる。「作家は放っておくとマニアックになって死ぬ」という言葉をプロ作家から聞かされたことがあるが、自分を市場に合わせられなければプロとしての生命は断たれる。書きたい文章と売れる文章の狭間で悩むプロも少なくないのだろう。

 

プロになれなくても苦しいし、プロになれても苦しい。では一体なんのために創作をするのか。少しでも創作で幸せになれる方法はないのだろうか。話を小説に絞ると、小説を書く動機として、こういうものが書きたいという原初的な創作衝動と、書くことで注目されたい、というものがあると思う。多くの人は両方の動機をそれぞれ持っているが、その比率は人によって違う。「こういうものが書きたい」という動機が大部分の人は、アマチュアの立場で好きなように書いているほうが幸せかもしれない。一方、文章で有名になりたい人は読まれないといけないので、できることならプロになりたい。こういう人は無名のうちは不幸だが、執筆力を身につけたら強い。読まれたいがために流行を躊躇なく取り入れ、柔軟に自分を変えていけるからだ。増田氏の言う「小説家になりたい人」とは、こういう人のことだろう。

 

「あなたは小説が書きたいのか、小説家になりたいのか」という問いは、作家として注目を浴びたい欲ばかりが強く、執筆意欲がない人に向けられている問いだと思う。しかし世の中には有名になりたくて、かつ執筆意欲も強い人というのは少なくない。そういう人は売れるものを書くのが好きなので商業作家としては最強なのだ、というのが増田氏の主張だろう。周りを見ていても、ウェブ小説の世界では受けそうな作風や流行を熱心に研究している人はやはりデビューが速いし、「書きたいことと需要のすり合わせはしたほうがいい」と私にアドバイスしてくれた人もプロになった。対して、自分の作風にこだわる人ほど読者を獲得するのに苦労している印象がある。天才かよほど運がよくない限り、全部自分のやりたいようにやって注目も浴びる、というわけにはなかなかいかない。

 

結局、創作を通じて自分が実現したいことは何なのか、を見極めることが大事なのだろう。すべての人がプロを目指す必要はない。ただ、自分が何をしたいのかは、一度は上を目指してみないとわからない、というところがある。以前、私はウェブ発のある小説コンテストに応募したことがある。1,000作を超える全応募作のうち最終選考に残った40数作品の中に自作も入っていたが、その段階で急に不安になってきた。もし受賞でもしてしまったら、こちらはプロとしての責任を求められることになる。売れなければ作者としての能力を問われるのだ。結局受賞できなかったので無駄な心配でしかなかったが、落選を知ったときは落胆より安堵の気持ちのほうがずっと強かったことをよく覚えている。自分は責任を負わない立場で好きに書いていたいんだな、ということを理解できただけでも、あれはいい経験だった。

 

人は周囲の影響を受けやすい生き物で、朱に交われば赤くなる。ラカンが「人は他者の欲望を欲望する」と言っているように、本来は好きなものを書いていたいだけの人でも、プロを目指している周囲の人たちの熱気にあてられて自分も上を目指さなければいけないような気持になることもある。私がコンテストに応募したのもそのせいだ。だが、人は本来の自分のあり方から離れるとやはり不幸になってしまう。投稿サイトで書きたいように書いていたら偶然注目を浴びてしまい、読者の要望にできるだけ合わせるようにしたら自分を追い詰めることになり結局書けなくなる、というのもよくある話だ。自分が本当はどうしたいのかをよく知っておかなければ、それだけ周りの声に振りまわされやすくなる。

 

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しかし、いくら自分がやりたいことを知っていようが、それが実現できないという状況はある。書きたいものが書ければいい、といっても思うように書けないことはあるし、有名になりたくてもなれない人はいくらでもいる。だからこそ、創作の世界は挫折する人がとても多い。だが、私はやめていった人を敗者とは思っていない。その人たちは自分がより幸せになれる選択をしただけだ。ヤマザキマリのように野垂れ死のうが絵を描いていたい、なんて人はそうそういない。そういう業を背負った人からすれば、不幸になるくらいなら創作なんてやめたほうがいいというのはぬるくて普通過ぎる考えだろうが、普通の人は創作をしてはいけないわけでもない。誰でもいつ参加してよく、いつ退出してもいい、というところもこの世界の魅力のひとつでもある。