明晰夢工房

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【書評】岩波シリーズアメリカ合衆国史1『植民地から建国へ』

 

植民地から建国へ 19世紀初頭まで (岩波新書)

植民地から建国へ 19世紀初頭まで (岩波新書)

 

 

岩波新書から「シリーズアメリカ合衆国史」シリーズの刊行が始まりましたが、これはその1冊目になります。シリーズは全4巻で構成され、次巻以降は『南北戦争の時代』『20世紀アメリカニズムの夢』『グローバル時代のアメリカ冷戦時代から21世紀』と続く予定。

次巻の『南北戦争の時代』は今月発売されます。

 

 2巻の著者は『移民国家アメリカの歴史』の貴堂嘉之氏なので内容にはかなり期待できそうです。

南北戦争の時代 19世紀

南北戦争の時代 19世紀

 

 

シリーズ1巻目となる『植民地から建国へ』では先史時代からアメリカ先住民の歴史と文化をひととおり解説したのち、イギリス人の入植と13植民地の建設、そして独立戦争をへてアメリカ合衆国が建国される19世紀初頭までを描いています。

この巻は著者が『砂糖の世界史』を書いた川北稔氏の指導を受けているだけあって、初期のアメリカ史を大西洋史の中に位置づけ、植民地とイギリス本国の間でのヒト・モノ・カネの移動にかなりの紙幅を割いています。先住民の文化や黒人奴隷への言及は少なめですが、ページ数の関係上仕方ないところでしょうか。

 

まず1章「近世大西洋世界の形成」では先住民の歴史と文化について簡単にふれられていますが、ミシシッピ川流域では「マウンド(墳丘)」が数多く建設され、やがて神殿マウンドを中心とした都市が形成されたことが書かれています。この都市は数万人を擁する大規模なもので、タバコやトウモロコシの交易で一時期かなり繁栄したそうですが、個人的にはここはもう少し詳しく知りたかったところ。とはいえこれは英米関係を主軸にアメリカ史を書く本なので、先住民文化については別の本で補うしかないでしょう。

 

第2章では、ヒト・モノ・カネの移動についてやや詳しく書かれています。ヒトの移動についてみてみると、アメリカ植民地に移り住んだのは自由移民と年季奉公人、そして流刑囚の3種類に分かれます。自由移民は宗教的要因や経済的要因で、年季奉公人は都市で職にあぶれた下層の若者が職を求めてアメリカにわたっています。独身の年季契約奉公人が多かった南部植民地と家族単位での移住が多かったニューイングランド植民地、その中間の中部植民地など植民地のありようも一様ではないものの、おおむねどの地域でも順調な人口増が起きていて、これが植民地の発展を支えています。

黒人はもともと年季奉公契約人の減少を補うために用いられていましたが、しだいに終身の年季を規定された奴隷身分へと固定されていきます。そしてアメリカ先住民は白人の持ちこんだ火器により部族対立が助長され、先住民が酒を好んだためにこれと交換するため先住民同士での奴隷狩りがおこなわれたことにもふれられています。白人の持ちこんだ文化は先住民の社会を大きく変えてしまいました。

 

モノについては植民地の商品として砂糖やタバコ、とくにタバコは国際競争力を持つ商品だったことが解説されています。また史料としての財産目録から、18世紀までに「消費革命」が進行して喫茶の習慣や砂糖の消費、ジョージ王朝式建築の導入など、植民地の生活がイギリス化していたことも強調されています。イギリス本国と植民地は消費活動を通じて緊密な関係を保っており、経済的には植民地はイギリス帝国を支える一大市場でした。

 

こうした社会の変化をへてアメリカ植民地は独立戦争へと至りますが、実はアメリカ人は同時にイギリス人としてのアイデンティティも強く持っていました。七年戦争アメリカに飛び火して起きたフレンチ・インディアン戦争ではワシントンの活躍もあり、最終的にはイギリスがフランスに勝利しましたが、この時点ではむしろ植民地のイギリス人意識が高まっています。ベンジャミン・フランクリンなどは一時は植民地にイギリスの首都を移すべきと論じるほど、骨の髄までイギリス人でした。

しかし、皮肉にもイギリスと植民地の共通の敵だったフランスの脅威がのぞかれたことで、イギリスが植民地への規制を強めることができるようになりました。植民地人はアパラチア山脈を越えて移動することを制限され、砂糖法や通貨法が制定されて経済的負担も増えてしまったのです。これらの政策が植民地人の不満を高め、アメリカ独立革命への下地を作っていくことになります。

しかし、独立戦争がはじまっても最初は植民地も一枚岩ではなく、独立を支持する愛国派とイギリス王に忠誠を誓う忠誠派、 そしてどちらとも決めかねている人々の三者にわかれていました。ここで、かつては一致していた「アメリカ人」と「イギリス人」のアイデンティティは引き裂かれることになり、植民地人はこのどちらか一方を選ばなくてはいけないことになりました。

 

アメリカとイギリスの間で揺れていた人々に大きな影響力を与えたのがトマス・ペインの著書『コモン・センス』だったことはよく知られていますが、本書によると大陸会議が独立へ踏み切ったのはイギリスが軍事的攻勢を強めたから、という要因も大きいようです。情勢が緊迫するなか、トマス・ジェファソンの独立宣言文が出されていますが、この宣言の草案には「捕まえて、別の半球に運んで奴隷とし、また運ぶ途中、悲惨な死をもたらした」などイギリスの奴隷貿易を非難する文言が含まれていることが注目されます。しかしこの文言は、南部諸州への配慮のため最終的に削除されてしまいました。アメリカの奴隷解放は、次巻のタイトルでもある南北戦争終結を待たなくてはいけません。

 

独立戦争が終わり、この戦争が神話化されていくエピソードも興味深いものがあります。星条旗をデザインし、これをワシントンの前で織り上げてみせたベッツィ・ロスは政治家や軍人を除けば、南北戦争以前のアメリカ史ではもっとも有名な人物です。しかし、実はこの伝説が初めて登場するのはアメリカ独立から100年後のフィラデルフィアにおいてであり、後世につくられた物語であることが指摘されています。ベッツィは国旗の聖化により生みだされた政治的団結の象徴であり、ワシントンが父なる神であるとすれば聖母マリアにも等しい存在だと説かれています。事実、ワイスガーバーの描いた「我らが国旗の誕生」という絵にはベッツィを囲む三人の男性が聖画における東方三博士のように描かれていて、ベッツィが胸に抱く星条旗は幼いキリストを象徴しているのです。ベッツィの伝説はウィルソン大統領にもその信憑性を否定されているにもかかわらず、文化的アイコンとして存在し続けているのです。歴史の神話化を物語る一例として記憶しておきたい話です。

【感想】『世にも危険な医療の世界史』の衝撃的すぎる内容を紹介する

 

世にも危険な医療の世界史

世にも危険な医療の世界史

 

 

健康法の歴史は古い。今でも健康オタクはたくさんいるが、科学の未発達な時代の健康オタクは命がけだ。本書で紹介されているように、ヒ素やタバコ、コカインなどなどが健康に良いものとして推奨されていた時代があったのだから。健康を求めるがゆえにかえって不健康な物質を摂取し、危険な治療法を試して命を危険にさらしてしまう、そんな可笑しくもどこか切ない人間のいとなみが、この一冊には凝縮されている。

鎮痛薬として妊婦の静脈にブランデーを注入してみたり、若返りのためにヤギの睾丸を移植してみたりと、現代人の目から見ればトンデモでしかない治療法が本書ではたくさん紹介されていて、あたかも人類の愚行カタログのような様相を呈しているが、こういうものを笑ってはいけないだろう。先人が体を張ってこれらの療法が間違いであると証明してくれたからこそ、医学は進歩してきたのだ。

 

第一部の「元素」ではアンチモンヒ素、金などが薬として用いられたことが書かれているが、「薬」とされていた危険な元素としてもっとも有名なのは水銀だろう。始皇帝が水銀を飲んでいたことはよく知られている。だが水銀が薬だったのは古代中国だけのことではない。水銀入りの薬は近代に入っても用いられていて、幼児の歯ぐずりの薬として使われていたカロメルもまた水銀だ。この本では「その無害さは地下に骨折のこぎりを隠し持っているお隣さんと同レベル」と評価されているカロメルを服用するとうつや対人恐怖症などを発し、さらには頬に穴が開き、そこから舌や歯茎がむき出しになることすらあるという。

あのエイブラハム・リンカーンも水銀入りの薬を服用していたというから驚きだが、幸いにもかれはホワイトハウスに入ってからはこの危険な薬の服用を減らしている。それまでは不眠症やうつ、歩行障害まで抱えていたというから、もうすこし長く水銀を愛用していたらリンカーン奴隷解放の偉人として名を残せなかったかもしれない。トンデモ医療はときに歴史すら変えてしまいかねないほどの影響力があるのだ。

 

第二部「植物と土」ではアヘンやタバコなどが治療に用いられていたことが紹介されているが、ここで注目すべきはコカインだ。この章ではコカインの原料となるコカの葉の名を冠した世界的な企業が登場する。そう、コカ・コーラである。このコーラの開発者ベンバートンが南北戦争で負傷した兵士を治療するため、モルヒネに代わる鎮痛剤として目をつけたのがコカインで、かれはごく少量のコカインが含まれたアルコール飲料で特許を取った。

もともとインカ族が精神刺激剤として使っていたコカの葉から抽出されるコカインは、その精神高揚効果のため多くの知識人やアーティストに支持された。コカインを熱心に使用していた知識人として有名なのはフロイトで、かれの数々のすぐれた発想はコカイン依存症だったことが関係しているのではないか、と今でも議論されているそうだ。コナン・ドイルジュール・ヴェルヌアレクサンドル・デュマイプセン、スティーブンソンもコカイン入りワインを愛用しているが、創作活動にもコカインは有効だったのだろうか。エジソンもこのワインを飲んだら徹夜で実験できたというから、頭を使う職業の人にはよほど重宝されたらしい。これらの文学者や発明家の偉業のどこまでがドーピング効果によるものなのか、後世の人間としては気になるところだ。

 

第三部「器具」ではさまざまな器具を用いたトンデモ療法を紹介しているが、なかでもよく知られているのは瀉血だろう。アサシンクリード2をプレイすると、怪しい医者が町中で「健康のため週に一度は血を抜きましょう」と客引きをする声が聞こえるが、瀉血はかなりメジャーな治療法で、モーツァルト瀉血を受けていたことが知られている。

本書によれば、35歳のモーツァルトは貧血や関節炎、激しい嘔吐などさまざまな症状に悩まされていたが、医師たちがかれに勧めた治療法が瀉血だった。モーツァルトは死にいたる一週間の間、2リットルもの血を抜き取られているが、この療法がかえってかれの死を早めてしまったともいわれる。古代エジプトですでに行われていたこの治療法は、ガレノスには「どんな体の不調もこれで治る」と評価されるほどだったが、18世紀末になってもまだこの治療法は支持されていたのだ。失恋したら心不全になるまで血を抜けばよい、という医師まで存在するほど、瀉血が広い範囲の症状に効果があると考えられていたのは不思議なものだが、今瀉血が用いられるのは鉄過敏症や真性多血症の治療など、かなり限定的な場面のみだ。多くの場合、血液は外に出すよりも体内にとどめておく方がよかったのだ。

 

さらに時代が下り、20世紀に入ってもまだまだ危険な医療行為はおこなわれている。第三部13章でとりあげられるロボトミー手術はその代表例だ。前頭葉の白質を切り取るこの手術に用いる専用のメスを開発したエガス・モニスはノーベル生理学・医学賞を受賞している(これは本書では「史上最悪のノーベル賞」と評されている)。ケネディ大統領の妹ローズマリーには知的障害があり、当時のロボトミー手術の権威ウォルター・フリーマンのすすめでこの手術を受けさせられたが、それ以降、彼女は公衆の前から姿を消した。手術後、ローズマリーは歩くことも話すこともできなくなり、生涯を障害者施設で過ごすことを余儀なくされたからだ。

著者は「やり方は残酷だったものの、フリーマンは詐欺師ではなかった」と評価する。ローズマリーロボトミー手術を受けさせられたのは彼女の癇癪をおさめるためだったが、この手術によって精神的問題を抱える患者から家族を救えると、フリーマンは本気で信じていたというのだ。 だがロボトミーよりもずっと人道的な治療のできる化学物質が作られたため、このリスクの高すぎる手術はおこなわれなくなる。ロボトミー手術が「成功」すれば患者はおとなしくなったというが、ロボトミー手術で再起不能になったり、出血多量で死んだ患者も少なくない。ある内科医が「今やロボトミー手術は世界中で行われているが、治った患者よりも精神が破壊された人のほうが多いのではないだろうか」と言ったように、この精神外科療法のために払われた犠牲はあまりに大きすぎた。

 

これだけ危険な治療法が続くと、最後の章で紹介されるロイヤル・タッチなんてごく良心的なものに思えてくる。中世には「王の病」と呼ばれていた瘰癧(頭部リンパ節が結核菌に感染し腫れ物ができる病気)の患者が多かったが、王がこれに触れるだけで治る、というのだ。この治療法は効果はなくとも危険もないので、ロイヤルタッチの章はこの本のなかでは珍しく読んでいて安心できる箇所になっている。あくまで他の章にくらべれば、の話だが。

なぜロイヤル・タッチが瘰癧に効果的だと考えられていたかというと、これがかなりひんぱんに行われていたからだ。瘰癧は治療しなくても症状が落ち着くことがあるため、そのタイミングでたまたま王が触れれば良くなったと錯覚される。王は神から国を支配する権利を与えられたことを証明するため、奇跡の力をみせつけなくてはならない。このため、ヘンリー4世は一度の儀式で1500人もの病人に触れたこともあったという。これだけ触れていれば、触れられた患者の中には治ったと感じた者もいたことだろう。

しかし時代が下ると、ロイヤルタッチの効果も疑われるようになっていく。17世紀にはスコットランドに瘰癧を舐めて治す馬が存在したといわれ、この病の治療が王の専売特許ではなくなった。啓蒙の時代に入ると、ヴォルテールルイ14世の愛人が王の手でさんざん愛撫されたにもかかわらず、頭部リンパ節結核で亡くなったことを強調した。最後のロイヤルタッチは1825年にシャルル10世戴冠式で行ったものだが、このときすでにブルボン朝自体が終焉に向かいつつあった。王の手で実行されるこの治療法は、王朝とともに終末をむかえる運命にあった。

 

以上、興味を惹かれた個所について紹介してきたが、本書にはほかにもタバコの煙を肛門に注入する蘇生術や、ローマ剣闘士の肝臓を食べて癇癪を治す方法などなど、さまざまなトンデモ医療や危険な治療法がたくさん紹介されている。気になった箇所をめくってみるだけでも大いに知的好奇心が刺激され、同時に現代医学の成果を享受できる時代に生きていることへの感謝が湧いてくることだろう。

しかし、現代人とて油断することはできない。訳者があとがきで書いているとおり、人びとが効果の怪しいインチキ医療に引っかかってしまう最大の理由は「期待」にある。突然医師から余命宣告を受けたりすると、人は理性を失い、普段なら見向きもしない治療法に希望を見出してしまうのだ。トンデモ医療の落とし穴は、我々のすぐそばにも空いている。ただ、ふだんはその穴に気づくこともない、というだけのことなのだ。

【感想】蓑輪諒『最低の軍師』上杉謙信を相手取る軍師・白井浄三の采配に刮目せよ!

 

最低の軍師 (祥伝社文庫)

最低の軍師 (祥伝社文庫)

 

 

これはお見事。臼井城の戦いというマイナーな戦いを主題に持ってきた時点でまず目のつけどころがいい。歴史小説はどうしても結末がわかってしまうという枷をはめられていますが、この戦いは戦国マニアくらいしか知らないものなので、まず結末がわからない。自然、戦いの行く末が気になり、物語に没入しやすいわけです。

 

そして、特筆すべきはキャラクター造形の妙。本編の主人公となる「軍師」白井浄三は、我々が想像する竹中半兵衛黒田官兵衛のような参謀的存在ではなく、易者なのです。浄三は吉凶を占うふりをしつつ、実は仕える主人に役立つアドバイスを占いの結果に混ぜて伝える、というタイプの「軍師」で、そもそもちゃんと易を習ったことすらない人物。道で行き合っただけの北条の将・松田孫太郎の未来を勝手に占い代金をふっかけるなど怪しさも満点。

人相風体もはなはだうさんくさく、普段ならとうてい信用になど値しない人物なのですが、臼井城救援のため北条氏政に派遣された将・松田孫太郎は、この小さな城を上杉謙信の大軍から守るため、この「軍師」を雇うことを決めるのです。

 

軍師・参謀―戦国時代の演出者たち (中公新書)

軍師・参謀―戦国時代の演出者たち (中公新書)

 

 

軍師が占師を兼ねているというこの設定は、実は史実にも則ったものです。小和田哲男『軍師・参謀』では、「観天望気」も軍師の重要な役割であることが述べられています。雲を見て吉凶を占ったり、天候を予測することも軍師の仕事のひとつだったのです。

 

この浄三のライバルとして登場するのが上杉謙信配下の若き将・河田長親。じつはこの長親と浄三には浅からぬ因縁があり、このことが物語の核心ともなっているのですが、ネタバレになるのでそれはここでは書きません。長親はライバルとしてかなり手ごわい存在であり、この怜悧な頭脳を持つ相手に「軍師」としてどう対応していくのか、も見どころのひとつとなっています。

 

そして、やはり注目されるのは満を持して登場する上杉謙信の描かれ方です。この謙信は確かに「正義の人」ではありますが、関東管領として自らに逆らう敵をことごとく討ち平らげようとする謙信は敵側からみればほぼ「災厄」でしかありません。たとえば、これは当時の史料にも書かれていることですが、謙信が小田城で行っていたとされる「人身売買」についてもこの作品ではふれられています。北条に協力するような領民は、こういう扱いを受けるのです。

臼井城の主である原胤貞のような国衆からすれば、謙信の正義などどうでもいいことで、北条であれ上杉であれ強い方につくだけです。そんな胤貞や頭の固い家臣たちのエゴにも悩まされつつ、浄三はさまざまな奇策を繰り出して上杉軍を翻弄しますが、結局数は力。謙信の大軍相手に臼井城の兵力で対抗するなど、しょせんは蟷螂の斧をふるうことでしかない。絶体絶命の窮地に追い込まれた浄三の打つ起死回生の一手とは、果たしてどういうものか?それは読んでのお楽しみです。

 

「小城で大軍を迎え撃つ」という本作のシチュエーションは『のぼうの城』にも似たものがありますが、『のぼうの城』が清涼感のある終わり方だったのにくらべ、『最低の軍師』のラストにはやや苦みが残ります。なぜ白井浄三が「最低の軍師」なのか、その意味がよくわかるラストになっているのですが、浄三がこの戦いで為したことのマクロな意味を考えれば、確かにこう言わなくてはいけないのかもしれません。しかし、これこそが浄三にふさわしい呼称なのでしょう。大義や建前なんてものは、この男は大嫌いなのだから。

 

 

啓文堂文庫大賞を受賞して以来、『最低の軍師』じわじわと売れているようです。良い小説が売れるのはよいこと。こういう作品は今後も売れ続けてほしいものです。

『世界歴史大系 ロシア史1』と「タタールのくびき」

 

ロシア史〈1〉9~17世紀 (世界歴史大系)

ロシア史〈1〉9~17世紀 (世界歴史大系)

 

 

ロシア史の本は案外日本には少なくて、とくにキエフ公国時代のロシアを書いている本はなかなかないので、この分厚い本を手に取りました。出版社は安心の山川出版。

499ページでロシアの起源からキエフ公国、モンゴルの侵入から「タタールのくびき」時代、モスクワの台頭からロマノフ朝の成立などを叙述しています。時代的にはピョートル大帝の直前あたりで終わっています。

 

読んでいてわかるのは、ロシアはキエフ公国時代からずっと遊牧騎馬民族に悩まされているということ。モンゴルのロシア侵入が最も大きな波ですが、それ以前からキエフ公国は遊牧民との関係に苦労しています。

 

ビザンツ皇帝は、前記の『帝国統治論』のなかで、1章から8章までをパツィナキータイ(ペチェネーグ)と隣接諸侯との交渉、関係の説明にあて、その生活ぶりを活写している。ペチェネーグと和を講ぜぬかぎり、ロースは、戦士としても商人としても、コンスタンティノープルにくることはできない、とさえいっている。(p60)

 

南ロシアのステップ地帯にすむペチェネーグはキエフ公国の強敵で、キエフ大公スヴャトスラフはこのペチェネグ族に襲われ戦死しています。スヴャトスラフはハザールを攻略し大打撃を与えていますが、このハザールもまた遊牧国家で、一時はスヴャトスラフにとってもモデル国家となった「先進国」でした。ハザールはユダヤ教を信仰していたことでも有名です。

 

モンゴルによるロシア支配、いわゆる「タタールのくびき」がロシア史にどんな影響を及ぼしたかは補説で解説されていますが、これについては大きな影響があったという説とそうでないという説があり、前者についてはさらにふたつに分かれているそうです。ひとつはモンゴル支配がロシアの後進性の原因になったとするもので、この時代にロシアの都市や手工業が大打撃を受けたことを強調します。もう一つの立場ではモンゴルは分裂状態にあったロシアに専制支配というプラス面を持ちこんだというもので、モンゴル侵入による被害を認めつつも、その支配体制が現在のロシアのもとになっているとするものです。

 

 

このあたり、モンゴル史家からするとまた別の見方があり、たとえば杉山正明氏は『モンゴル帝国と長いその後』でこのように書いています。

 

  そうしたいっぽう、バトゥ到来以後、ルーシは巨大な破壊と流血の嵐に襲われただけでなく、のちのちずっと野蛮なモンゴルに生き血をすわれ、とことんしゃぶられ尽くしたとされる。ルーシを牛にたとえ、その首にはめられた「くびき」をあやつって、主人顔にやりたい放題をくりかえす帰省中のモンゴルという図式・絵柄は、まことにわかりやすい。いわゆる「タタルのくびき」のお話である。

 これは、ロシア帝国時代につくられた、自己正当化のためである。アレクサンドル・ネフスキー神話とタタルのくびきは、どう見ても二律背反である。そのどちらをも主張して平然としているのは、もちろんおかしなことだが、実はいずれも童話か御伽噺とでもおもえばそれまでである。この手のことを真剣にとりあげるのは、どこか無理がある。(p172)

 

次いで宮脇淳子『モンゴルの歴史』より引用。 

モンゴルの歴史[増補新版] (刀水歴史全書59)

モンゴルの歴史[増補新版] (刀水歴史全書59)

 

 

モンゴル軍が侵入したとき、ロシアはリューリク家の貴族(公侯)たちが抗争をくりかえし、その支配下にある都市も対立関係にあって、統一がなかった。ロシアの描く公公と各都市と、そしてロシア正教会は、モンゴル人の支配を完全に受け入れた。これ以後の数百年間のモンゴルによる支配を、「タタールのくびき」と呼んで、「アジアの野蛮人による圧政のもとで、人びとは苦しんだ」と喧伝したのは、ロマノフ朝ロシア時代の19世紀になってからである。(p161) 

 

モンゴル史家は、モンゴル支配の残虐さはロマノフ朝の創作と考える傾向にあるようです。こうした見解が正しいのかどうかは私にはわかりませんが、モンゴル史家の見解も知っておくことで、よりロシア史の見方が深まると思います。

英雄たちの選択がついに世界史に進出!「ナバテアvsローマ帝国」

 

NHKBS「英雄たちの選択」が世界史ネタを取り上げるのは番組6年目にして初めてだそうですが、磯田さんは番組当初から世界史も取り上げたかったようですね。

ナバテア王国のことは名前くらいしか知らなかったのですが、番組で取り上げられていたナバテアの都市ペトラの水道技術の高さは相当なもので、

・プール

・噴水

・水道管

などを2000年前にすでに実現していました。

水道管で運ばれた水はライオンの口から出る設計になっていて、ペトラを訪れた人々に分化力の高さをみせつけることになっています。

ゲスト出演していたローマ史家の青柳正規さんは、土器の水道管は2、3年に一度は取り換える必要があると指摘していて、それだけインフラのメンテナンス能力も高かった証拠だと語っていました。

ナバテアは遠くはスリランカまで交易の手を伸ばしていて、ペトラの名前は中国の史書にも出てくると番組中では言われてましたが、本当なんでしょうかね?

あとでこれを確認する必要がありそうだ。

 

ナバテア文明

ナバテア文明

 

 

一度はエジプトに味方していたナバテア王国はローマ軍の侵攻を前にエジプトを裏切りましたが、ナバテア王国の宰相はローマ帝国に従うふりをして砂漠の中を案内し、ローマ兵を疲弊させた話など、小国ならではの狡猾な立ち回り方も印象に残った回でした。

やはり小勢力は真田昌幸のように手のひら返しをためらってはならないのだ……いや、あれはやり過ぎか。

 

水は国家の生命線なのでローマに蛮族が攻めてくると水道を破壊するとか、戦国時代の山城を攻める時に水を絶たれたらもう最後だという小話なども面白かったですね。

城の中にまだ水があるように見せかけるために、馬の背を米で洗うという話ははじめて聞いたのだけど、これ何に載ってる話なんだろうか。

ドラクエ11で子供のころの記憶が書き換わった

 

 

70時間弱かけてドラゴンクエスト11の真エンドに到達しました。

作品単体で見ても完成度は高いですが、これ、なにが素晴らしいって、ドラクエシリーズすべての歴史がこの作品に詰まってるんですよね。

昔懐かしいBGMがあちこちで流れるし、ロウの「死んでしまうとはなにごとじゃ」のような過去作へのオマージュにも事欠かない。

何より最終戦で○○で○○を○○する場面(ネタバレ故書けない)は感無量だ。ドラクエ3愛する人ならこれを見ただけで即精神がゾーン状態に突入してしまうことでしょう。

真エンドのエンディングの演出も感慨深い。これはこのシリーズを愛し続けて来た人たちへの最大のファンサービスだ。少年時代からの思い出が一気に押し寄せてきて、鼻の奥がつんとしてくる。そうだ、俺たちはドラクエとともに成長し、年を重ねてきたのだ……

 

いやちょっと待った。

ここには明らかな記憶の捏造があります。

実は私、子供のころ、親にファミコンを禁止されていたのです。

親の教育方針で自室にゲーム機を置いてはいけないことになり、代わりにパソコンなら置いていいということになりました。

プログラミングの勉強でもしてくれればためになると思ったんでしょう。まあ、結局そのPCがゲーム機と化してしまいましたが……

 

というわけで、同世代の友達がファミコンドラクエを遊んでいるあいだ、私はPCでファルコム作品などを遊んでいました。

イースやサークやハイドライドが私の青春時代を彩ったゲームであって、ドラクエについては友達の家でプレイ画面を見た程度。

ジャンプの記事やゲーム雑誌である程度ゲームの内容については知っていたんでしょうが、実をいうとこの作品にそこまで思い入れがあるわけでもないのです。

 

にもかかわらず、私はなぜか、ずっとドラクエとともに育ったような気になっている。

あたかもシリーズの草創期から、その歴史の現場にいたかのような気分になっていたのです。

そんな事実はどこにもないにもかかわらず。

 

ドラクエを遊んでいた少年時代なんてなかったのに、そういう時代があったかのように感じることができたのは、ドラクエの過去作を大人になってからひととおりプレイしていたせいなのかもしれません。

ファミコンを禁止されていた私は、ドラクエに夢中になったという「世代の共通体験」を欠いたまま大人になっています。

別にドラクエができないから友達ができないとか、仲間外れにされるなんてことはありませんが、それでも自分の少年時代には微妙な欠落がある、と感じていた私は、大人になってからスーパーファミコンを買い、これでリメイク版のドラクエ1~3を遊んでみたのです。

 

大人になってプレイしてみたドラクエは、確かに楽しかったものの、そこにはリアルタイムでこのシリーズが盛り上がっていった頃の空気感、同時代感が欠けていました。

たとえて言えば、自分だけ参加できなかった学園祭のビデオを、一人部屋で再生しているような感じ。

やはり作品の価値というのは盛り上がっているときにそれを味わってこそだよなあ、などと思ったことをよく覚えています。

小金を持った大人が昔あこがれていたクラスメイトとつきあえるようになったとしても、それでさびしい青春時代を補完できたことにはならないのと同じように、やはり人生には「その時」にしかできないことがある。

 

……と思っていたものの、こうして過去作を一度はプレイしてみたことで、私は少年時代の記憶を部分的に修正していたのかもしれません。

修正したというよりは、欠落をある程度埋められたというか。

おうじょのあいってなんだ?パープルオーブってどこで使うの?という、友達の話を聞くたびに浮かんできた疑問を大人になってから解消できたことで、 あるべき少年時代をずっと遅れて追体験できたような気分になっていたのも確かです。

 

やがて年月が流れ、ドラゴンクエスト11を終えてみて、私の中ではすっかり「ドラクエに夢中になった少年時代」が存在することになっていたことに気づきました。

考えてみると、現時点からみればドラクエ1~3をプレイしていた大学生活最後の年も大昔だし、大雑把にいえば「少年時代」のくくりに入っているのかもしれません。

月日が経てば、それくらい、人の記憶というものは曖昧になっていくのです。

そういうタイミングで、ドラクエ11の過去作の総決算ともいうべき演出に立ち会ったおかげで、もうすっかり過去が書き換えられてしまったような感覚になりました。

そうだ、この感動を味わうために今までこのシリーズにつきあい続けてきたんだ、と思ってしまう。

ほんとうはドラクエ4、5はリメイク版しかプレイしたことがなくて、9、10はいまだに遊んだことすらないというのに。

 

結局、人間は現在の都合のために過去の記憶を呼び出すんでしょうね。

ドラクエ11を最大限楽しむには、「過去作品を時系列順にプレイしてきた」というストーリーが必要。

だからこそ、ほんとうは最初に体験したドラクエが6だったにもかかわらず、初代からずっとリアルタイムで体験してきたかのように感じていたのだと思います。

だとすれば、どうにかして今このときを充実させることができれば、過去が今ひとつ冴えないものだったとしても、今にふさわしく過去が「変わって」しまうのだろうか。

この作品のサブタイトルが「過ぎ去りし時を求めて」だったのはただの偶然でしょうが、それにしても過ぎ去った過去を今からでも「改変」することができるかもしれない、という可能性があるということは、実に興味深いものだと思われるのです。

 

【書評】斎藤孝『ネット断ち 毎日の「つながらない一時間」が知性を育む』

 

ネット断ち (青春新書インテリジェンス)

ネット断ち (青春新書インテリジェンス)

 

 

およそ現代ほど、人間が「他人からどう見られているか」を気にしている時代はありません。ツイッターではいいねの数を数え、SNSに投稿する写真はインスタ映えするかどうか検討し、ブログを書けばPV数を競い合い、便利な道具だったはずのネットにいつの間にか人間のほうが引きずり回されている。

 

このような状況を、この本では「心の漏電」が起きている、と表現しています。24時間人間がSNSとつながっているがために、承認欲求が増幅し、認められない不安がかえって増してしまう。自信がないからネットでの承認を得ようとするものの、そういうかりそめの承認では本当の自信はつかないのでますますネット依存が深まる、という悪循環に多くの人が陥っているのだ、というわけです。

 

この悪循環を断つためには、せめて一日1時間くらいは「ネット断ち」をしましょう、というのが本書の趣旨であるわけですが、ネット断ちして空いた時間で何をするべきかというと、そこは斎藤孝さんの本なので古典を読みましょう、といういつもの話になります。ネット断ちの話は結局斎藤さんの読書論の枕だということです。ネットを離れ、深く作品世界に「沈潜」することが強い人格を作る、と斎藤さんは主張します。

 

 深い、ディープな世界に沈潜するということは、時間をさかのぼることでもあります。過去の偉大な人格に触れ、時代を超えたつながりを持っている人ほど精神が強くなる。

いまの時代だけを生きていると、ちょっと弱い。はるか2500年前の仏陀とつながっている人は、人類史上最強のメンターを得たということでもあります。当然それは心が強くなるでしょう。

 

読書をすれば人格を高められるとか、人間的に成長できるという話には私はわりと懐疑的なのですが、作品世界に深く「沈潜」するという行為は豊かなものである、ということは確かです。私が就職して初めてある研修施設に泊まったころ、初日の夜は宮城谷昌光の作品を読みふけっていましたが、今思い返すとあれはSNSというものがまだ存在していない時代の「沈潜」体験でした。本の感想をブログに上げてPVを稼ごうという下心を持っていなかったあの頃のほうが、今よりはるかに読書に没頭できていたのです。

 

今同じことをしようとしても、この本の感想をブログにアップしたらどれくらい読まれるだろうか、とか、同じ本の記事を書いているライバルはどれくらいいるだろうか、とつい余計なことを考えてしまいます。これこそがまさに「漏電」が起きている状態です。過去を美化するようですが、ネットとのかかわりが薄かった時代にはこんなことは考えもしなかったし、今よりもずっと作品世界への「沈潜」が容易だったような記憶があります。SNSの発達のおかげで、本来孤独で豊かだったはずの読書の時間にすら他者評価を持ちこんでしまうのなら、これは確かに健全とはいえません。

 

だとすれば、ネットと完全に切れた、独立した読書を楽しむには、「この本についてはネットに一切アウトプットしない」という条件設定が必要になるでしょうか。そこまで徹底する必要はないにせよ、どうすれば作品世界への「沈潜」が可能になるのか、SNSと遮断された豊かな時間を過ごせるのか、ということについて、時には考えてみる必要がありそうです。

 

saavedra.hatenablog.com

本書で推奨されている本については『読書する人だけがたどりつける場所』でよりくわしく紹介されています。