明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

【感想】6人の戦国武将の「最期の24時間」を描く木下昌輝『戦国24時 さいごの刻』

 

戦国24時 さいごの刻(とき)

戦国24時 さいごの刻(とき)

 

 

6人の戦国武将の最後の24時間をそれぞれの立場で語る、というちょっと変わった趣向の短編集。

取り上げられる人物は豊臣秀頼伊達政宗今川義元山本勘助足利義輝徳川家康の六人。帯には「六つのどんでん返し」とありますが、一番どんでん返し度が高いのが冒頭の「お拾い様」。この短編の秀頼は賢く、豊臣家を勝利に導くために出陣する気もありますが我が子を溺愛するあまりそれを全力で止める淀殿に悩まされています。大阪牢人の活躍をことごとく阻もうとする淀殿の行動はテンプレすぎる感もありますが、なぜこんな愚行をくり返すのか、その理由が最後の最後で明かされます。この結末はちょっと予想できませんでした。「お拾い様」というタイトルの意味がよくわかる、工夫の凝らされた一編です。

 

一番インパクトのあったのがこの「お拾い様」でしたが、父への対抗心を燃やす政宗を描いた「子よ、剽悍なれ」もいい。オイディプス王の昔から父子相克は普遍的なテーマであり続けているわけですが、伊達家は稙宗のときから代々親子で争ってきた歴史があるため、最後に政宗のとった行動にも説得力が出てきます。こうでもしなければ、子は父を超えられないのか。どこか胡散臭い策士の片倉小十郎の描写にも味があります。

 

武田家の軍師、山本勘助の「最期」を描いた「山本勘助の正体」も上手い。かなりフィクション度の高い作品ではありますが、山本勘助なる人物の実態は、あるいはこういうものではなかったか、と思わせる説得力がある。勘助の実態がよくわからないことを逆に利用した、面白い試みであると思います。

 

個人的に一番好きなのが、「公方様の一の太刀」。ほんとうは将軍の立場などかなぐり捨てて一剣士として生きたいのに、それが許されない足利公方の立場の重みに悩まされる義輝の苦悩を描いていますが、最後の最後に義輝が立ち会う人物がかなり意外な人物なのです。こういう最期を迎えられるのなら、「剣士」としての義輝の願望も満たされたことでしょう。悲劇的な結末を迎えているのに、後味の良さも際立つ一編です。

 

日本の戦国時代というのは小説の題材としては手垢がつきすぎている感もあり、後続の人ほど題材選びに苦労すると思われますが、こういうものを読むと切り取り方によってはまだまだ面白いものが書けるのだな、と唸らされます。ちょっと変わった味わいの戦国小説が読みたい、という方にはおすすめの作品だと思います。

 

saavedra.hatenablog.com

木下昌輝作品では『決戦!川中島』に収録されている「甘粕の退き口」もおすすめです。

 

【感想】映画『武士の家計簿』

 

武士の家計簿

武士の家計簿

 

  

武士の家計簿(初回限定生産2枚組) [DVD]

武士の家計簿(初回限定生産2枚組) [DVD]

 

 

地味と言えば本当に地味な映画だ。加賀藩に仕えた「御算用者」一族である猪山家の借財整理がメインの内容であるため、どうしたって地味なものになる。主人公の直之の実直な「そろばん侍」としての働きを息子である成之の視点から描いているのだが、直之が役人の不正な使い込みを探ろうとするなど一部フィクションも加えているものの、基本的には原作に忠実な内容となっている。

 

といってこれは決して退屈な映画ではない。刀ではなく算術を武器とする侍の姿そのものが興味深い存在だからだ。主人公の直之は、父の葬儀の夜にすらソロバンをはじいているほどの「算盤バカ」なのだが、この直之が猪山家の積もり積もった借金を返済するために武士としての見栄も面子もかなぐり捨てるところが、この映画の見どころのひとつだ。出費を節約するために、長女お熊の「髪置祝い」のために用意する鯛を絵ですませているところなど、なんともいえない哀しさとおかしみがある。原作でも書かれているとおり、武士の家計を大きく圧迫しているのはこうした子供の通過儀礼にかかる費用であったため、ここを引き締めないことには家計は好転しないのだ。

 

のちに成之が海軍に仕え、猪山家の命運が好転していくのも、もとをたどればこの直之が詳細な「武士の家計簿」をつけ、借財を整理できたことがきっかけだ。一度は大村益次郎に仕え、幕末の動乱にも巻き込まれた成之を主人公にしたほうがドラマチックな内容になっただろうが、算盤職人としての生き方を描くなら直之の方がふさわしいということだろうか。直之は本来なら映画の主人公になるような人物ではないかもしれないが、たまにはこういう実直な人間の静かな一生を眺めるのも悪くない。

 

saavedra.hatenablog.com

【感想】師走トオル『ファイフステルサーガ2 再臨の魔王と公国の動乱』

 

 

1巻は冒頭で魔物との戦いもありましたが、今回は全編人間同士の争いになります。

具体的にはアレンヘム公国と隣国のフライスラント自治領との戦いで、これにさらにアレンヘム内部での内乱も起きてしまいます。本来なら魔王の復活に向けて人間同士で団結しなければいけないのに、結局近視眼的な理由で争ってしまうのもリアルといえばリアル。

内乱の起きる原因は、セシリアが予知夢でカレルが暗殺される未来を見てしまったこと。この暗殺の犯人を探るところから2巻の物語はスタートします。

今回は全編にわたって陰謀と戦争の話でファンタジー色は薄めですが、カレルが訪れる地下のドワーフ王国の描写は面白い。この世界ではドワーフ錬金術師もいて、地下でキノコ栽培をしているなどドワーフの食生活にも少し触れられています。ストーリー上それほど重要な部分ではないものの、こういう細部の設定が丁寧に作られていると作品内でのリアリティが増しますね。

 

1巻に引き続き、今回もカレルと狂嗤の団の前に立ちはだかるのはフライスラント自治領ですが、今回はフライスラントの内部の情勢も見えてきます。フライスラントは奴隷の売買で儲けている国なので、兵士も奴隷が多いという特徴がありますが、今回フライスラントとの戦いでカギを握るのがこの兵士の構成です。奴隷はフライスラントへの忠誠心は高くなく、ここにカレルがどうつけこむのか、が戦術の鍵になるのです。今回は兵士に狩りだされた父を追って国を出た少女をカレルがうまく使っていますが、どんな作戦なのかは読んでのお楽しみ。無駄な兵力の損耗を避けるのがすぐれた将の条件です。

 

フライスラント軍は前巻では夜襲を受けて全滅しているだけに、今回はフィクトル総督の息子クンラートが万全の準備をして攻め込んできますが、兵力の上ではアレンヘム側が圧倒的に不利。この兵力差をどう覆すか、も今回の見どころのひとつ。フライスラント軍に対してカレルの仕掛けた戦術は目が覚めるような奇策というわけではありませんが、それだけに地に足の着いた、現実的な作戦です。今回はカレルとヴェッセルの初顔合わせもあり、この二人の知将同士の関係性が今後どうなるかも気になるところ。

 

あとがきでは3巻では脳ひとりの主人公ともいうべき灰エルフが登場し、かなり重要な役割を果たすと書かれていました。灰エルフの英雄は知将系のカレルやヴェッセルに対し、どうやら猛将系?のキャラになるようですが、次巻にも期待したいと思います。

 

saavedra.hatenablog.com

【書評】牧原憲夫『岩波シリーズ日本近現代史2 民権と憲法』

 

民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉 (岩波新書)

民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉 (岩波新書)

 

 

明治という時代が国家全体としては間違いなく上昇気流に乗る時代であったとしても、その時代を生きる人びとにとってはかなり「生きづらい」時代だったということは『生きづらい明治社会』でくわしく書かれているとおりなのですが、本書でも明治時代はやはり「生きづらい」時代だったことが随所で強調されています。明治の「生きづらさ」の特徴はこの時代において強調されるようになった自己責任論にあります。『生きづらい明治社会』ではこう解説されています。

 

saavedra.hatenablog.com

 

通俗道徳をみんなが信じることによって、すべてが当人の努力の問題にされてしまいます。その結果、努力したのに貧困に陥ってしまう人たちに対して、人々は冷たい視線をむけるようになります。そればかりではありません。道徳的に正しいおこないをしていればかならず成功する、とみんなが信じているならば、反対に、失敗した人は努力をしなかった人である、ということになります。経済的な敗者は、道徳的な敗者にもなってしまい、「ダメ人間」であるという烙印を押されます。さらには、自分自身で「ああ自分はやっぱりダメ人間だったんだなあ」と思い込むことにもなります。 (p73)

 

「人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないからだ」という「通俗道徳」が浸透したために、貧民のを救済する必要はないと考えられるようになったのが明治時代です。これは、年貢を払えない村民の負担は庄屋や肝煎が肩代わりしていた江戸時代とは対照的です。江戸時代の連帯責任制について、本書ではこう回顧しています。

 

「地方政治改良意見案(86年)のなかで井上毅は、江戸時代の村に流民・乞食が少なかったのは、村の土地を他村に売却するのを恥とし、借金を庄屋が立て替えるといった「一村団結の精神」があったからだ、と述べている。こうした団結の精神は、身分制が仁政を必要としたように、年貢を村単位で納入する村請制=連帯責任制が生みだしたものだった。 (p79)

 

江戸時代の人がやさしかったというよりは、システム的に村全体で村民の負債に責任を負うようになっていたために、流民が少なかったということです。しかし明治時代には租税の納入は個人の責任になり、人々は自分の才覚を頼りに生きていかなければならなくなりました。その結果、大阪の餓死者が年間300人を超えたと報告しているのが上記の「地方政治改良意見案」なのです。

 

「四民平等」の世の中になり、身分の壁がなくなれば、学力さえあれば(一応は)誰でも東大に進学することができます。しかし、『生きづらい明治社会』でも書かれているとおり、実際には上級学校への進学の道はごく限られていて、希望の学校に進学できる人はごく一握りだったのです。それでも建前上は教育の機会は誰にでも開かれていたので、良い学校へ進学できなければそれも自己責任だということになります。立身出世への道は狭き門なのに、もう出世できないことを身分のせいにはできなくなりました。

 

日本では、経済的条件を別にして、「学力」さえあれば小作農や労働者の子どもでも東大に進学できた。逆に、もし「成功」できなければ、それは身分のような外在的制約のせいではなく、本人の「実力」や「努力」が足りなかったにすぎない 、ということになった。学歴主義こそ、機会の平等、優勝劣敗、自己責任という自由競争の典型だった。(p139)

 

こうした「明治の自己責任論」については『生きづらい明治社会』でも書かれていることですが、本書ではさらに、アイヌに対しても一種の自己責任論が用いられたことが書かれています。アイヌ民族の国民化が進められるなか、明治政府はアイヌを定住させ農業に従事させていますが、狩猟で暮らしているアイヌに不慣れな農業を押しつければ、当然苦境に陥ります。しかも、日本の行商人から酒や煙草を高価に売りつけられ借金を抱えたり、漁業や道路工事に駆り出されるなど、アイヌは多くの困難を背負わされていました。この状況に対し、またしても自己責任論が展開されています。

 

アイヌは「日本人」でありながら「本来の日本人」ではなく、それでいて固有の文化は否定された。こうした政策の根底には、アイヌが困窮するのは「純然たる太古の民」とはいえ「無学無識、時勢の如何を知らず」「改心活発の精神なく」、古い習俗に固執するためであり、「自ら招く困苦」である、という文明の論理があった。(p102) 

 

 日本人ですら困難な北海道の開墾にアイヌを従事させるのだから、その苦労は想像を絶するものです。対雁や色丹島アイヌには米や塩、農機具などが支給されているものの、肉食中心のアイヌにとり穀物食のストレスは大きく、色丹島では五年で半数のアイヌが死に、対雁では300人を超える病死者が出ました。これもまた、明治社会の「生きづらさ」のひとつの形です。

ケン・リュウ『母の記憶に』文庫版と『草を結びて環を銜えん 』が別々に発売

 

母の記憶に (ハヤカワ文庫SF)

母の記憶に (ハヤカワ文庫SF)

 

 

ケン・リュウ『母の記憶に』の文庫版がやたら安いと思っていたら、やはり収録されているのは単行本の一部だけでした。こちらの文庫版に収録されている作品は、ハヤカワオンラインを見ても『母の記憶に』『残されし者』だけしかわからず……まあ発売されればわかることではありますが。

 

草を結びて環(たま)を銜(くわ)えん (ハヤカワ文庫SF)

草を結びて環(たま)を銜(くわ)えん (ハヤカワ文庫SF)

 

単行本の『母の記憶に』の作品で文庫版『母の記憶に』に収録されていない短編はこちらに収録されています。表題作はこの短編集のなかでも一番の名作だと思っていますが、これ以外の収録作は『烏蘇里羆』しか今のところは明らかではありません。表題作が中国ものだから『訴訟師と猿の王』『万味調和』もこちらに入りそうな気がしますが確かなことはわからず。

 

saavedra.hatenablog.com

 

『草を結びて環を銜えん 』は揚州大虐殺という史実を下敷きにした歴史作品なので、SF好きでなくても読めます。ケン・リュウ作品はどれも適度なエモさがあり、SF初心者でも読みやすいので手に取りやすい文庫版から入るのもいいかもしれません。

 

【書評】藤田覚『岩波シリーズ日本近世史5 幕末から維新へ』

 

 

これは岩波新書日本近世史シリーズの中でも出色の出来。タイトルに幕末と入っているものの、本書ではタイムスパンを広くとって、天明の打ちこわしのころから叙述をはじめています。幕末史を理解するには、実はペリーの来航あたりから入っても流れがよくわかりません。幕末史にいたる政治や社会の変化は、すでに天明のころにはじまっているからです。

本書では、まず対外的な危機のはじまりとしてロシア船の来航について書いています。ロシアは毛皮を獲得する拠点である北米の植民地や千島列島を維持する仏師の確保ため、日本との通商を模索し始めますが、この過程でレザノフが日本へ武力行使を行い日本は劣勢に立たされています。
ロシア軍艦による攻撃と日本の敗北は日本各地に伝わって大騒動となり、幕府批判が続出する事態になっています。幕末にいたる将軍権威の低下の流れは、すでに18世紀後半にはじまっていたのです。

そして、この幕府の権威の低下と反比例するように、京都では朝廷の権威が向上していきます。このきっかけを作ったのが光格天皇です。本書では光格天皇は幕府に対し強い姿勢で臨んだこと、強い君主意識を持っていたことを強調しています。光格天皇松平定信に対し窮民の救済を要求したり、紫宸殿と清涼殿を平安時代と同じ規模に復古させて造営するなど、意欲的な天皇でした。大嘗祭も古代の儀礼に近い形で行うことにしていますが、こうした復古の流れは幕末の王政復古にもつながるもので、光格天皇の存在が重要であることがわかります。

本書の著者の藤田覚氏はNHKBS『英雄たちの選択』にも出演していますが、氏は番組中で「幕末史の一番大きな転換点は日米修好通商条約の締結だが、この条約の締結に先立ち幕府が天皇の勅許を求めなくてはいけないほど天皇の権威が上昇していた。そのきっかけを作ったのが光格天皇だった」という意味のことを話しています。18世紀末には歴代将軍は天皇から政治を任されている臣下であるという「大政委任」という考え方が出てきていますが、将軍を天皇の臣下に位置付けるこの説も光格天皇の時代に出てきたものです。

 

朱子学についてもおもしろい記述があります。朱子学は君臣間の秩序を強調するイデオロギーというイメージがありますが、実際は朱子学は緻密な論理を持つ合理的な学問という一面があり、このため朱子学を学ぶことが蘭学を吸収する土台になった、というのです。
寛政4年からはじまった「学問吟味」では朱子学の試験を行っていますが、幕末になるとこの試験の合格者から、対外関係で活躍する有能な人材が出ています。朱子学蘭学の間には交流があり、朱子学の世界観のなかに蘭学から得た西洋の知識を取り込む知識人は少なくなく、幕末においては佐久間象山横井小楠もそうした人達です。朱子学は時代遅れの封建的道徳を説く学問、とは片付けられないようです。

 

このように、本書はペリー来航以前の記述に見るべきところが多く、一読すれば幕末史を理解する土台を作ることができる一冊になっています。幕末から明治維新への流れをおさえるための入門書として、強く推奨します。

audibleの無料体験期間に『日の名残り』を全部聴いたので感想を書く

audibleを聴けばアマゾンプライム会員なら一月あたりamazonポイントが最大1000ポイント溜まりますよ、という宣伝文句につられてこのサービスを1か月無料体験してみることにしました。

今までオーディオブックというものを聴いたことがなかったのですが、結論から言うと、ジャンルによってはかなり良いです。本を読みなれている身からすると聴くより読むほうが早いじゃないかと思っていましたが、耳から聴くことで苦手なジャンルでもすんなり頭に入ってくる、ということを経験しました。ナレーターさえ合えばあまり疲れないし、比較的長い本でも挫折せず最後まで読む(聴く)ことができるのではないかと思います。

 

audibleはコインでオーディオブックを購入する形式になっています。
無料体験を申し込んだ直後はコインが1つという状態になっているので、まずこれを使って一冊購入することにします。

 

 

一冊目はなんとなく「人気のタイトル」のなかから小説版『君の名は。』を選んでみました。
朴璐美さんの朗読はさすがに素晴らしく、男声と女声をそれぞれ演じ分けつつストーリーが進んでいくのですが、正直こういうラノベだと聴くよりも読んだほうが早いんじゃないかと感じてしまったので、結局途中まで聴いて返品することにしました。
(返品をくり返せば1コインで何作品も聴けることになりますが、返品は無限にできるわけではないようです)
ナレーターの名前は本ごとに書かれているので、朗読が気に入るかどうかサンプルを聴いてみてから購入するかどうかを決めるといいと思います。
この素晴らしい世界に祝福を!』のナレーターが茅野愛衣、『本好きの下克上』のナレーターが井口裕香などラノベは声優がナレーターを担当しているものがたくさんあるので、作品名だけでなく好きな声優で検索してみるのもいいかもしれません。

  

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

 

二冊目に選んだのはカズオ・イシグロ日の名残り』です。せっかくなのでふだんあまり読まない純文学を聴いてみようかと思ったのですが、こちらは選んで正解でした。
日の名残り』はあまりストーリー的に大きな起伏がある話ではなく、静けさに満ちているのですが、この落ち着いた雰囲気に朗読している田辺誠一さんの声がぴったり合っているのです。主人公の執事スティーブンスは教養と品格を備えた紳士ですが、このスティーブンス役を演じるには適切な人選だと感じました。

 

日の名残り』は、執事スティーブンスが仕えていた屋敷での出来事の回想がメインの内容になります。なかでもかなりの部分を占めるのが女中頭のミス・ケントンとの思い出で、この真面目で有能だがちょっと面倒なところもある女性とスティーブンスとの微妙な関係性について、10時間50分にわたって聴くことになります。ストーリー上はすごく大きな事件が起こったり、波乱万丈の展開があったりするわけではありませんが、執事の視点から語られるイギリス貴族の邸宅の様子が非常に丁寧に描かれているため、聴いているうちにこの屋敷に招き入れられているような気分になります。

 

日の名残り』は純文学なので、活字として読んだらすごく面白い、と感じるようなものではないかもしれません。でも、音声で聴いていると、この知的で上品な世界観に「浸れる」という感じがします。目で活字を追うよりも聴くほうが疲れない感じもあるので、文章の密度が濃い作品ほど、耳で聴くのには向いているのではないかと思います。音声を聴くのは文章を読むよりもハードルが低いので、あまり気合を入れなくても聴き始められるというメリットもあります。


日の名残り』はスティーブンスが理想とする執事について長々と語る部分など、普段エンタメ作品に慣れている身からするとやや冗長に感じる部分もあるのですが、耳で聴いている分には文字を追う努力がいらないので、そのまま聴いていられるというメリットがあります。文字だと純文学を読み通せないという人も、オーディオブックなら最後まで聴けるかもしれません。実際、あまり根気のない私でも『日の名残り』は28日かけて最後まで聴くことができたので、純文学とaudibleの相性はいいのではないかと思います。

ちなみに、カズオ・イシグロ作品では『忘れられた巨人』『充たされざる者』『わたしを離さないで』もaudibleで聴けます。audibleでは「名作文学」カテゴリに759タイトル、「現代文学」には453タイトル(なぜかここに『これからの正義の話をしよう』が入っている)の作品があります。

 

ただ、オーディオブックなりのデメリットもないわけではありません。本ならページを繰れば気になる箇所にすぐに戻れますが、オーディオブックだと文字がないのでどこに戻ればいいかわかりません。自分のペースでは進められないという問題もあります。早く進めたければ再生速度を速めることもできますが、2倍くらいにするとかなり雰囲気がそこなわれてしまうので、あまりスピードは変えられません。私は感じませんでしたが、聴きたい本なのにナレーターが合わないと感じられることもあると思います。

 

あとはやはり価格的な部分で、このサービスに月額1500円という料金を払う価値があるかどうか……ということですが、月額500円のアマゾンプライムにくらべるとやや躊躇してしまいそうなところではあります。これは一度無料体験してから判断することでしょうね。無料期間中に購入したオーディオブックは退会後も聴けるので、audibleを利用してやはり高いと思うなら退会すればいいと思います。

audibleの無料体験はこちらから申し込めます。